yoqips
2019-04-18 08:33:00
3077文字
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手記:神子アスレイについて



 ドーヌムからクレスクントへと旅は進み、夕陽射すなか聖地の巡礼を終えた。外は雪まじりの風が流れている。荷物の補充と点検を兼ね、神子と護衛官は大事をとってクレスクントの宿屋に腰を下ろしていた。

 オーギュストは少し窮屈な机の上に、深緑色の革表紙のノートと手帳を並べる。アスレイは夕食を済ませて風呂に入ったあと、旅の疲れからかすぐに眠ってしまったので、灯りは手元のランタンと暖炉だけが頼りだ。
 彼は音を立てないようにペンを手帳とノートの上で行き来させ、手記を加筆しながら文章にしていく。たまに野営地の焚き火のそばで筆を動かすオーギュストに、アスレイがなにをしているのか控えめに尋ねたこともあるが、彼はいつも「日誌のようなものだ」と笑って返すばかりだった。


 アルゲオの聖堂に住まう神子。
 不思議な力を持つという子どもたち。 
 女神アルビオンのための神聖なる旅で護衛官オーギュストが出会ったのは、アスレイという静かなそばかすのある少女である。一般的にいえばちょうど学舎に通いはじめる頃だろう。神子にふさわしく敬虔で、性格は素直で真面目。大人の機嫌をとれる優等生でもあり、どうすれば周りの教師たちがいい顔をするかをよく分かっている。
 神子として立派に振る舞いたいという気持ちがかえって空回りしてしまうこともあって、注意を受けたらあの新緑のような丸い頭をうつむかせてションボリしてしまう。そして従順かと思えば頑固というか、芯の強いところもある。
 
 オーギュストは生家で一人っ子だったが、知り合いの子を暫く世話をしたり、あるいは教え子をとったりという機会に恵まれ、子供と接した回数は多いほうだ。それに学生時代の経験を足して考えるに───アスレイは「放っておかれる生徒」だったのではないだろうか。何事もそつこなし、とりたてて問題がないので、何かと後回しにされてしまうような。
 こういう子は大抵、背負わなくてもよい苦労ばかりを引き受けてしまう。他人が自分を利用するとも思っていないからただ懸命に過ごしている。ふと寂しさを覚えてもそれを表に出そうとはしない。反骨精神も哲学も持たない。教わるのは得意でも自分の頭で考えることはしない。その類まれなる能力によって聖堂に抑圧された子供。
 オーギュスト・ブラントにとってアスレイとはそういう少女だった。

 ともかく───人生に楽しみと躍進を求めている彼にとって、司教の真似事をする子供の相手はいささか退屈だった。そこでオーギュストは道中で彼女にたびたび質問を投げかけ、その反応をよく観察してみることにした。自身の人生に今まで関わりがなかった神子という存在を、物珍しがっていた気持もないといえば嘘になるが。

(おや、吹雪いてきたな)

 雪は太陽に照らされると白く光るが、降りしきり積もると途端に深い闇に姿を変える。ガタガタと音を立てる頑丈な窓の外を眺め、コーヒーを揺らせば垂らしたブランデーが芳しく香る。まだ熱いそれを一口飲んで、オーギュストは狭い机にまた背を丸めた。


 ───さて、どんなに裏表のない人物でも、上司の前で母親にするような態度はとらない。友人には気楽に、家族には少々甘えて、恋人にはたっぷりと愛をささやく。誰もが会う人物に合わせ、無意識に薄氷でできた仮面を被ることができる。だからこそ人と人は友好的な関係を築ける。
 オーギュストはアスレイにどの仮面を選ぶべきか悩んでいた。はじめは子守りなんてお手のものだと思っていたが、相手は神子だ。知り合いから預けられている子供のように悪戯をしたら首根っこを掴んで尻を叩くわけにもいかない。へりくだるのも違和感がある。彼女はオーギュストの雇用主ではないのだ。護衛官の報酬は国家から支払われることを考えれば、彼の雇い主は教皇庁になる。それに彼は神を信じてはいるが、聖職者を特別敬っていない。


 結果的に、オーギュストはドーヌムの街の住人たちのように神子を崇めることはしなかった。近所の子供ほど気安く扱うこともなかった。彼女は小さな神子のアスレイだ。礼儀正しく忠誠で、教師のように、または騎士のように、そして信頼のおける身近な大人として振る舞った。
 それは異能を通して透けてみえる、女神の威光へのわずかな畏れ。大きな好奇心。旅の連れの親しみ。聖地巡礼への使命感。生来の傲慢さからくる少女への哀れみ。

 そう、誤解を恐れずに言うならば、オーギュストはアスレイを哀れんでいる。

(………よく眠ってるな)

 神子の健やかな寝息。子供を持つ親ならばこうして、我が子の寝顔をみて微笑むこともあるのだろう。アスレイは少しはオーギュストという人物の存在に慣れただろうか。元々はきっと感情豊かな女の子なのだろうなと伺える表情が、最近はちらちらと見ることができるようになった。
 ───自己の感情の伝染。声を介して強制的なシンパシーを引き起こす能力。
 アスレイは神子たるその不思議な力のために、大声をあげることをしない。小さな声は自信なさげに聞こえることもある。でもきっと本当は違う。心のうちではいくつも叫びがあるのだろう。彼女はなにをするにも一生懸命で、手を抜くことを知らないから。
 女神のために。
 アルゲオのために。

………………

 オーギュストはぴたりとペンの動きを止め、おもむろにノートを閉じた。なんだか筆を進めるのが億劫になってしまった。栄光にふさわしい神聖なる巡礼の旅を自叙伝にでもしようと思っていたのに。少女と長く過ごしたせいか、そのひたむきな熱心さに感心すると同時に、人生を選べない神子をどうしても気の毒に思ってしまう瞬間がある。
 だって世界は子供のものだ。
 雨が上がれば虹の根本をさがし、勇者になったりお姫様になったりしながら、おとぎ話のなかを冒険できる。ただ生きる時間を楽しみ、友達と遊んで、明日世界がどうなっているかなんて考えずに、なんの憂いもなく眠る───そんな輝かしい子供時代を、彼女は過ごせただろうか?過ごせているのだろうか?

 誰かのために在ることなど、大人になれば嫌というほど背負うことになる。生まれた瞬間からそれが課せられているというのは、いったいどんな気分なのだろう。まるで普通の子供のような寝顔が、よけいに彼の胸をさざめかせる。

(少々顔色が悪いか?慣れない旅で疲れが出たのかもしれん。少しペースを落としながら……アスレイは嫌がるだろうな)

 オーギュストはまったくもって自分のために旅に出た。そこに他人の思惑が入る隙などない。だからすべては己の責任だ。この先どんな危険が待ち構えていても対処する覚悟はある。父親から譲り受けた剣をどのように使うことになっても、たとえ後悔するとしても、最後には恐らく納得できる。
 アスレイはどうか。
 きっと違う。

「ああ、だから私がいる」

 声なき声が部屋に落ちる。誰がいなくともここに守護者がいる。英雄譚に酔うほど若くはないが、なにもかも諦めるほど老いてはいない。忘れ去っていた神に感謝し祈ってもいい。そうしてもよい歳だ。主よ、私が子供のころ父母の加護によって一身に受けていた幸福が、彼女にも降り注ぎますように。吹き荒ぶ冬を拭い去って春がきますように。
 オーギュストはまぶたを上げ、神の愛し子を見た。聖地には雪が降り続ける。金の髪が炎に照らされていっそう輝きゆらめく。たてがみの男はゆっくりとランタンを持ち上げ、ふっと明かりを消した。