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yoqips
2019-03-29 04:07:46
2678文字
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EP.1_夜明けの祈り
ドーヌム/エピストゥラ祭にて
瞼で光が動いている。
はじめに見えたのは清潔な白いシーツ。四角い枕。自分の指。絡んだラベンダー色の髪。ひとつひとつを目玉の動きだけで追いながら、子供は目を覚ましてからも10分ほど、そのままだらんと死体のように横になっていた。
少女はふと思い立って、頭を起こして部屋をぐるりと見る。そして届きそうだと思ったのか、横着をしてベッドサイドに置かれた荷物に手を伸ばした。マラキアの黒い鞄。留め具を外して揺り動かし、少しばかり中身をぐしゃぐしゃにして、一冊のノートを取り出した。
レニはかつて寄宿舎でそうしていたように、自分の膝と布団の上にノートを広げ、なにか文字を書きはじめる。さすがに雪の中の行軍では機会がなかったので、これが巡礼に出てはじめてのページだ。
彼女にこの習慣がついたのは今よりもさらに幼い頃
―――
"能力"のせいで周りから勝手に上がる音が煩わしくてたまらず、自らの声でそれをかき消そうとしていたときだ。自分の立てた音なら少しは我慢がきく。しかし子供が悲鳴を上げると周囲の人間が騒ぎ出すことを覚えて、レニは結局なんの音も立てずに暮らすようになった。
その代用品がこれだ。ある神子の模倣でもある、鉛筆で紙を引っ掻くかりかりという音。文章を書くという行為は、本質的に静寂のなかにある。書き終えればただ沈黙する文字というものを、レニはすこしだけ好んでいた。あるいは発露の先を失ったなにかを吐き出す足がかりとして、彼女の本能が必要としている行為なのかもしれなかった。
───雪深く閉ざされた国家「アルゲオ」。広く信仰を集めるアルビオン正教。その神子としてレニが誕生してから、すでに9年が経過している。
「ああ、こんな調子じゃいつ着くかしら」
マラキアの言葉どおり、アルゲオから一番近い聖地ドーヌムまでの道のりは厳しいものとなった。子供のなかでも貧弱な体力しか持たないレニがいくら熱心に足を動かそうと移動距離は変わらず、変化のない雪の中をひたすらに歩き続ける日が続いた。同行者であり護衛官であるマラキアも、予定どおりに行かない旅に疲れを感じつつあるようだった。
赤ん坊のころからずっと寄宿舎にいたレニにとって、雪の山道を行くのは困難を極めた。防寒具はずっしりと重く、雪に足をとられてもつれて転ぶ。無理をするとすぐに息が上がって動けなくなる。それでも進もうとすると、必ずマラキアから厳しいストップがかかった。
「神子様、ご無理なさらないで」
「うん」
「休憩にしましょう」
「平気」
「いいえ、駄目よ。あたしには分かる。あなたができるといっても本当は無理なの」
「
…………
」
「休憩にしましょう、いいわね」
「
……
うん」
マラキアはレニに気を遣っているというよりは、体力のない神子が倒れでもしてさらに遅れては面倒だと思っているようだった。彼女はこうして子供を諭すとき以外は余計に喋ることはなく、ともすれば祈りのときが最も饒舌だった。マラキアにとって女神アルビオンと神子という役割だけが特別で、恐らくレニ自身やその能力はあまり気に入らなかったのだろう。
それでも、レニにとって旅はそれほど苦しいものではなかった。山は静かで音も少なく、前を行くこのマラキアという女性の音や声だけに集中していればよかったからだ。相手が自分をどう思っているかなんてどうでもいい。くたくたになるまで歩いたら眠り、食事をしてまた歩きだす。ひとつの目的のためにただひたすら動物のように過ごすのは、存外に子供の心を落ち着かせた。
ゆっくりと進んでも距離は縮まる。あてどない雪道を往けば、やがて暖かな街の光が遠く二人を出迎えた。
"アルビオン様にお祈りを"
"天灯はいかが"
"紙、風、ろうそくの炎
笑い声、呼び込み、聖歌、ベル
会話、食材を切る音、靴裏
雪、水、明るい声、
人の声、声、声
―――
"
がやがやざわざわ。聖地に近づくにつれどんどん増えていく音にレニは戦慄した。静寂から一転し、エピストゥラ祭で賑わうドーヌムに到着したときにはもはや絶叫する気力すらなく、とうとう街の中でしゃがみ込んでしまった。
それからの記憶は曖昧になる。
音から逃げるように宿屋に入り、すべての限界がきてぶっつりと眠ってしまったのだろうか。日記ともいえないそれを短い文章をつづっていく。思い出せる限りのことを走り書きでノートに記すと、レニは自分の汚い字にふっとため息をついた。なにをやってもうまくはない。よく集中できない。けれどそれも別に、レニのせいではない。
(祈りを)
祈りを、どうか聞いてください。
なるべく早くぼくの願いを聞いてください。できるかぎり精一杯に祈ります。ぼくの声がもし届いたら返事をしてください。ずっと待ちます。待っています。
聖堂では決してよい神子ではなかった。勤勉ではなかったかもしれないし、規則を守れず鞭で叩かれたこともあれば、女神アルビオンの悪しざまに非難したこともあった。それでもただひとつレニの信仰を証明するとすれは、今日まで命を絶たずに生きてきたことだ。
(祈りを)
いつしか外はもう夜だった。
レニは没頭して文字を書いていたノートにゆらゆらと光が落ちているのにようやく気付いた。ふと視線を上げると、暗い夜空にいくつもの光が舞っている。ああ、だから明るかったのかと、少女はやっと理解して窓の外を眺めた。
窓のそばに深い緑色の髪がうなだれて、肩が規則正しくゆるやかに上下する。あれはマラキアだ。彼女はちょうど無数の光に頭を預けるかのように椅子に座って、どうしてかほんの少し眉を寄せて眠っていた。
(祈りを
……
)
ドーヌムの空はぼんやりとオレンジ色に染まり、人々の手を離れた天灯がゆっくりゆっくりと上昇する。光はうまくぶつかることなくふわふわと揺れ、夜の帳の向こうに微笑む女神の元へと、一心に飛んでゆく。
レニはノートをベッドに放って窓まで歩き、そして一歩前で止まり、まばたきもせずにそれを見上げた。まるで人の手で夜明けが作られているかのような光景だ。薄い金色の瞳と青白い眼球に、ちらちらと炎が散っている。
「きれい」
感慨の薄くのった囁きだった。
冷えた息が白く濁る。途切れない寝息。閉ざされたガラスのなかで、神子の小さな声は誰にも聞かれることなく、暗闇のなかにけむりのように消えた。
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