yoqips
2019-02-12 12:29:11
3925文字
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10/11------チョコチップクッキー






 10月11日。
 爽やかだが痛みを伴う朝。
 昨夜メンバー集結に上がりきったテンションで酒をかっ食らい、その二日酔いを覚ますために向かい酒としてジンを一口飲んだので、頭痛薬を飲むわけにはいかなくなった。
 さすがに胃に穴が開きそうだったので朝食を詰め込みにいくことにする。少々気だるく食堂で座っていると、シドは今にも倒れそうな顔色の男に話しかけられた。

「あ、あの……
「ン?」

 天然の黒髪に生白い肌。濃い隈と白衣―――という研究者然とした青年がおずおずと寄ってきて、シドは二日酔いの頭を引っ掻き回した。少し前に顔を合わせている。確か1区に住んでいて、調子の悪い設備に憔悴してしまっているとかいう男だ。
 あまりに恐る恐るという様子だったのでつい悪戯心が顔を出して、シドはわざと眉間に皺を寄せて首をひねった。

……誰だっけ?」
「あ、う」
「ウソウソ、冗談だよカトウ!」

 面白いほど狼狽えた相手に気を良くして快活に笑い、シドは顔色のよくない男の背中を叩いて緊張を解そうとしたが、カトウはますます苦笑いして口の端をひくつかせる。おおよそこのような状況でなければ出会わなかったであろう人種の二人だ。シドはトントンと隣の席を促すと、男はそっと腰掛けて彼に向き直った。

「ええと、お願いがありまして。やっぱり今日の夜、泊まらせてもらえないかと……1区のnovaが不調のままで……
「ああ、いいぜ!」
「え……あ、ありがとうございます、バレットさん」
「シドでいいよ。ああ、ウチ同居人がいっけど気にすんな、別に噛み付きゃしねえからさ」
「はあ」

 思っていたより簡単な話だったので快諾すると、カトウはやはり目を白黒させている。シドはサンドブロンドの生意気な同居人の顔を思い浮かべたが、しかし彼は困っている相手を無下にしたりはしないだろうと思った。つまりは問題なしだ。
 机の備え付けられた紙ナプキンにペンで住所を走り書きし、折りたたんで彼の白衣の胸ポケットに差し込む。彼は何度も礼をいいながら、行きよりも少し軽い足取りで朝食の列へと並びに行った。思いがけず善行をした。きっと頭痛もよくなるだろう。



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 午後。
 風船を配り歩いてナンパと宣伝をするのに飽きたあとは、既存の曲の練習を集まったメンバーで行った。音の重なりはまだぎこちなく、それでもピースが揃った充足が時間を忘れさせる。終わったあとも興奮が冷めずにスタジオに籠もって曲を書いていると、体の疲労など感じる暇もなかった。
 ラックに適当に並べた中からスコッチウイスキーをグラスに入れて喉に流し込み、暫く考え込んでは譜面に書き入れる。状況が状況だけにもう少し行き詰まるかと思ったが、とても平常では考えられないほど筆が進んだ。時間が差し迫っているぶん、やるべきことが明白だからなのか。残酷なことだが、異変や惨劇のカタストロフはいくらでも物語になる。ガス欠寸前の車に入れるガソリンのようにどばどばと酒を流し込み、時間の許す限りペンを動かした。
 不思議なことに、曲を書いたり歌ったりしているときはあまり酒が回らない。

「うお、もうこんな時間か」

 遅い時間に昼食を詰めたせいで時間が経つのを早く感じた。novaという天才科学者の恩恵のおかげなのかすでに肌寒くもないし、空腹な気もするが、別段食べたいものがない。一旦帰るかと紙をまとめてファイリングして立ち上がり、既に興味を失ってスタジオの天井にふわふわと浮いているピンクのバルーンを見て、ひとまず携えて歩くことにした。

 赤、青、黄色にオレンジ。カラフルな丸い風船に飾られ、街はいまだなにかの祭りのように浮かれている。色違いの風船を交換し語らう者たちは、きっとほとんどがこの街で初めて出会ったのだろう。全員が葬式帰りのように辛気臭い顔をしているよりはよっぽどいい。地上の人間すべてが本当に死んだのなら、ここの墓穴ではとても間に合うまい。
 日も陰りはじめたころだというのに、今日は幼い無邪気な声もあちこちから聞こえてきた。子供は立ち直りが早くて、派手に転んだ傷もすぐに忘れる力を持っている。道すがら走り回る子供たちのなかには、男の手にあるピンクのバルーンを物欲しげに見ていた子もいたが、顔を向けるとぱっと逃げてしまった。まあ、子供ウケしない顔の自覚はある。



 2区の中央施設から少し道なりに進む。暖かみのあるホワイトベージュと青い壁に大屋根。ガラスの窓が嵌め込まれたオレンジブラウンの扉。たっぷりと採光できる大きな窓のそばにはオリーブの木が植わっていて、灰色がかった葉が揺れている。覚えのない懐かしさのある家。中からいまにも幸せな家族とラブラドールレトリバーでも飛び出してきそうなこの家が、まったく似合わないが、今のシドの城だ。
 さすがに慣れてきた部屋にずかずかと上がりこむと、リビングは外よりさらに暖かい。ジャケットを脱いで放り投げたソファでは、はじめの借りてきた猫のような様子が嘘のように小生意気な態度になったハーテイクが、どこか落ち着かない様子で本を読んでいた。

「よう、戻ってたか」
「あれ……早いね」
「いつもに比べて? まあな、ずっとスタジオに籠もってたから肩凝っちまったよ。お、なんだこの山」

 男二人の住まいだ。相変わらず整頓はされていないが、見慣れない袋の数々がダイニングテーブルの上に積まれていた。チョコレートにクッキーにスナック類。この行儀の良い子供があまりこういった菓子類を食べているイメージはなかったし、そもそも散財していることも含めて珍しい光景だった。
 シドもわざわざ買って食べることはない。友人の家やライブハウスの楽屋に差し入れとしてあったらつまむ感覚のものだ。ハーテイクを振り返ると、彼は本からも目を逸らすようにふいと顔を背ける。短い共同生活のなかで彼のキャラクターをなんとなく分かってきたシドは「何か照れてるときの顔だな」と笑みを浮かべた。

「別に、貰ったから使っただけ」
「ああバルーンか! おまえ、なんだかんだ全部集めたのかよ。楽しんでたみたいで何より……

 『7色の風船を集めて、コンペイトウをゲットしちゃおう!』とは初日にあったミルドレッドのアナウンスだ。シドはといえばまるっきり元の趣旨を忘れて独自の目的のために利用しまくっていたが、そういえば彼も最近よくカラフルな風船を手に帰ってきていた。
 なるほどコンペイトウに交換したんだな、と思い出したところで、お菓子の山にあった見覚えのある青色のパッケージにシドは思わず声を上げる。

「お、チョコチップクッキーじゃん、オレの好きなやつ! これ美味いよな……ん? これハークと話したンだっけ?」
………

 首をかしげてハークを見るとぱっと再び目を逸らされ、シドはアルファベットが派手に印刷された青い袋を手にしたまま、少年が座るソファにドスンと勢いよく腰を下ろした。無遠慮な動きにハークがぐらんと揺れるが、シドは気にせずガシッと彼の肩に腕を回して逃げられないようにホールドする。
 チョコチップクッキー。ほこりを被った幸福の味だ。このスーパーマーケットや普通の家庭によくあるパッケージが、知らない懐かしさを連れてくる―――シドにとってはそういう類の食べ物だ。

「ははーん、さてはお前店でこのシド様のことを思い出しちまったわけだな? ン? なんだよ照れんなってェ」
「はあ!?僕が食べるかもとかは考えないわけ?」
「でもオレのためだろ」
………まあ」
「だろォ? しょうがねえなあ、ハァーク、女の子限定のつもりだったけど特別だぜ」

 シドは分かりやすく明るい笑顔になり、クッキーの箱を抱えて上機嫌で、手に持っていたバルーンの紐をハーテイクの手首にくくりつける。ぷらんと片腕を持ち上げた少年は恥ずかしさで顔をやや赤くしながら、しかし喜んでいる相手になんと反応を返すべきか迷っていた。
 クックッと喉を鳴らして笑うと、彼の耳元でジャラジャラとピアスが愉快そうに揺れる。シドが柄にもなく感動したのは、大して世話になっていない同居人の食べたがっていたものを覚えておく律儀さだとか、小遣いの使い道にはじめにそれを思いつく無邪気さに、どうしても彼の育ちの良さを垣間見たからだ。
 ここには優しい父も美しい母もいないが、この幸せの象徴のような家にこの少年はとてもよく似合っている。

 たぶんハーテイクはとても大切に、両親や周りの人間に見守られて大きくなったのだろう。人が残す財産とは物ばかりではない。自分には与えられなかった正常な幸福の片鱗が見え隠れするたび、シドには何となくそれが眩しくみえた。不思議と、悪い気もしなかった。

……よォーし、今日はジャンクフードパーティーだな。ついでにピザでも取るか?」
「あ!おい、全部食うなよ?」
「硬いことゆーなよハーク、ハーテイク、ン~~? お子様にはコーラとポテトも頼んでやかっからイイ子で待ってな!」

 悪戯心でホームドラマの過保護なママがするようなキスを頬にチュッチュッと何度もすると、少年は唖然としたあと怒ったのか大いに照れたのか、いかにも迷惑そうにスコッチウイスキーの匂いのする相手を押しのけて「酔っ払い!」とののしった。
 残酷なことだが、オレは音楽を作ってるときの酒では泥酔しない。もちろん酔うのはこれからだ。シドは無造作に開けたチョコチップクッキーの袋から一枚とり、それを大口で嬉しそうに頬張った。