yoqips
2018-12-07 04:24:53
4668文字
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10/9--------ファイブ・ステップ

とまりちゃん、まつながさんとエンカウント



 10月9日、BALOONが開始して2日目。
 初日から街をかけずり回ってすぐに5個をすべて配り終えたシドは、再びピンクの風船を入手してさらに配り歩く午前を過ごしていた。何せシドのような風貌の男が自然に女の子に話しかけられて、ついでに宣伝もできるこんなチャンスは滅多にない。
 昼過ぎ、もはや顔なじみとなった三角のピザ屋「APOLLO」で一人用のピザを購入する。ビスマルクにしてくれと無理を頼んでみたところ、リンジーという赤毛の女の子が卵を半熟のスクランブルエッグにして乗せてくれたので、お礼にバルーンを渡しておいた。これで記念すべき10個めだ。

(途中から営業周りって感じだったな)

 はじめは女の子だけに、と決めていたはずだったがもはや手当たり次第にチラシを貼り付けて渡している。食べ終わった紙製の箱を潰し、ジュッとコーラを飲み終えて街のごみ箱に放り込んで、シドは短い昼休憩を終えた。
 声をかけた数人のうち、歌を歌える、もしくは歌える人間を知っているという住人は何人かいたのだが、さすがにボーカルを誰かにするということは考えていなかったし、そう簡単にドラムスとギタリストは見つからない。残された一か月のうち4分の1が過ぎてしまってなお停滞している状況に、シドも焦りを感じてきた。

「この分だとマジであとはエアに……いやジョンとの2ピースでやるってのも手だけどやっぱ舞台の見栄えがなァ……

 通りに誰もいないのをいいことに考えをそのまま口に出し、シドはスタジオへの道を歩き出す。相変わらず投影された空は快晴で風ひとつ吹かない。道々に茂る緑すら人工物だという事実が、この街の現実感をどこまでも殺している。シドは風景を映像のように見渡しながら速足で歩き続け、ある場所でふっと意識を考えからそらした。
 ―――ポーン、と高い音。
 鍵盤を叩くたびに弦が鳴り、シドの元に旋律を運んでくる。ややぎこちないような音はクラシックには詳しくない彼でも知っている、教本に乗っているようなピアノ曲ばかりだ。「エリーゼのために」「トロイメライ」といったゆっくりとした曲を短く経て、遊んでいるような「子犬のワルツ」。

 さて、誰が弾いているか。
 足取り軽く歩きながらシドはとりとめもなく空想する。選曲から勝手に想像するのなら、習い事で教わったお嬢さんか、それとも育ちのいいお坊ちゃんか。昨日会った子供なんてピアノが弾けそうな風だった。青いワンピースと青いリボンで二つ結びの、ぬいぐるみを持った女の子なんかどうだろう。

 ―――そう、昨日のちょうどこれくらいの時間だった。広場を出てさて誰に風船を配ろうかと思っていたシドに、舌ったらずな声が低い位置からかけられたのである。

「あの……あの! ピンクのふうせんを、とまりとこうかんこしませんか?」
「お?」

 子供に話しかけられる、ということ自体がまれだ。街で一人でいてもファン以外から声をかけられることなどないし、子供の場合は大抵親が止めるからである。子供はダークブルーの瞳のなかに星座のような輝きをきらきらさせて、彼の持っているピンクの風船を熱心にねだっていた。
 このくらいの子供は頭と体のバランスがどうも悪くて、あまり高く見上げていると後ろの倒れてしまいそうで怖い。シドはちょうど道端で煙草をふかすティーンのようにしゃがみ込んだが、それでも少女と目線の高さは合わなかった。

「こんなキュートなお嬢ちゃんに言われちゃしょうがねェな。そうするか?」
「おねがいします」

 いささか緊張した様子だった高い声は、シドが了承するとぱっと明るくなって行儀よく頭を下げる。自分の持っていた風船をもたもたとひとつ取り出そうとする子供を見て、そういえばこれは風船を7色集めるイベントだったなということをシドは思い出した。
 そういう意味では、シドに青い風船は不要である。

「でもお嬢ちゃん、他の色と交換したいんじゃねぇか?これはプレゼントするぜ」

 ピンクの風船の紐を小さな手にきゅっと握らせ、とびきり人懐っこい笑みでウインクする。シドは己の明るい笑顔がなかなか魅力的だということを知っていたので、ここぞというときに惜しみはしなかった。
 少女はまさか譲ってもらえるということは想定していなかったのか、「ほんとにおにいさんはもらわなくていいんですか?」と何度か尋ねたが、やがて嬉しそうにニコニコと子供らしい無邪気な笑顔になった。シドは期待したとおりの反応を見て、さらに自分の笑顔に自信をつけた。


 ―――そうそう、あの行儀のいい女の子のような子供が弾いているイメージだ。

 少しばかり忙しい子犬のワルツが終わって、今度は音が躊躇うように鍵盤をすべる。はじめに和音。それを追って飾るように音が続く。どうやら即興曲のようだ。
 寂しくて感傷的。なぜか解放感。
 旋律が落ちて途切れそうなタイミングで少し焦れて、そこだという場所に届く。シドはその瞬間にハッと歩く方向を変え、音を辿るように歩き出した。期待に鼓動が早くなる。どこの家だ。子供じゃない。クラシックバレエを熱心に習っていた少女が大人になって、自分のリズムとダンスで好きに踊り出すのに似ている。成熟しているのにアンバランスで、それが妙に耳に残る。

 音に合わせてシドが歌い―――ジョンがベースに加わり―――ライブ映像になる。そこには光り輝くシーンが見える。
 ピアノ。そうか、キーボードか。悪くない。

「良いのが居るじゃねぇか、キーボード!」

 やがてたどり着いた家の窓は、カーテンもなく開放されていた。ピアノの前に座った中肉中背の男が、指の動きとともに薄茶色の髪を揺らす。曲の邪魔をしないように窓から顔を出し、窓枠に肘をついて待った。
 隣にいた見覚えのある子供がこちらに気づく。シドは口に人差し指をあててシィーと「Be quiet」のジェスチャーをした。そして一区切りついたところでようやく、目当ての男に声をかける。交渉ステップ1、第一印象が肝心。

「ようそこのハンサム、オレとパンクロックバンドやらないかい?」
「えっ?」
「まつながさん! このひとが"安全ピンのおにいさん"ですよ!」

 弾んだ子供の声に青年が振り返る。ビジュアルも申し分なし。どうやら昨日ピンクの風船をあげた子供は彼の連れ子だったらしく、シドはそれに運命めいた偶然を感じながら友好的に笑って手を振った。青年はまったく青天の霹靂であったらしく、一瞬何を言われたのかわからないというような表情をしていたが、やがてすっきりとした外向きの笑顔で客に応対する。

「まさか、バンドなんてムリだよ」
「けど男なら一度は夢見るだろ?」
「まあそりゃ、僕もセックス・ピストルズやニルヴァーナ、ブルーハーツ……は通じるかどうか知らないけど そのあたりは一通り耳にしてきたよ。でも逆に言えばそれだけで、あとはズブの素人と変わらないさ。ピアノじみたものが弾けるだけのね」

 セックス・ピストルズが一発目に来るとは見どころがあるではないか。東洋人らしい青年はなぜ僕がという、大げさな冗談を聞いたかのような曖昧な笑顔を浮かべている。シドはふむ、と体を起こして、窓を乗り越えてそのまま縁に座った。青年はぎょっとしたあと、シドが土足で部屋に踏み入らなかったことにほっとしている。ステップ2、相手の警戒心を解くこと。
 さて、この舞台が無縁そうな大人しい男をどうやって表舞台まで引っ張ってこようか。シドの中で既に「YES」と結論は決まっていた。決まっているなら方法を考えるだけだ。ぬいぐるみを抱えた少女は興味深そうに窓枠に座ったシドを見て、無邪気に質問する。

「安全ピンのおにいさん、おうたうたうひとなんですか?」
「昨日ぶりだな、お嬢ちゃん。お察しの通りオレはボーカルだぜ。何の歌が好きだ?」
「じゃあ、じゃあ、『星に願いを』は?」
「お、いいねェ。伴奏頼んだ、ピアニスト」
「おいおい」

 シドは呆れた顔の青年と期待に満ちた少女を見てしめた、と思った。大人に売り込むにはまず子供から。クリスマスのおもちゃ商戦もバンドの売り込みも同じだ。彼女のリクエストが問題なく歌える曲であったことも含めて、シドはやはりこの男は自分とバンドをやるべきなのだという気持ちを強めていった。
 ステップ3、そこから一気に自分のペースに引き込む。窓の縁を叩いて3カウント、パチンと鳴らした指で青年と指差す。やれやれといった様子で彼が前奏を弾きはじめた。

「When you wish upon a star(星に願いをかけるとき)……

 スタートはとにかく優しく甘く、とびきりロマンチックに歌い上げると、少女が嬉しそうに頬を緩める。一小節が終わったところでどんどん手で打つリズムを変え、シドの歌い方が激しくアレンジしはじめると、青年が慌てて音を合わせてきた。
 ―――そうだ、お前は合わせて来る。オレに追いつこうとしてうっかり追い越して、どうにか回収する。それが必要なコースだ。シドが調子に乗って曲を崩し続けても、彼はなんとか食らいついてこようとする。おかげで破綻することなく歌は続いた。

「When you wish upon a star As dreamers do(星に願いをかけるなら、叶わぬ願いなどないはずだ)―――

 もはや最後などほとんど原曲がなかったが、着地だけはそれなりに音を戻してみる。青年はどこかくたびれた様子で情感と軽やかさを込め、やけくそに鍵盤を叩いて指を離した。即興にしてはなかなかサマになっていた、とシドは満足げに胸を張って両手を広げる。

「と、こんな感じだ!」
「すごかったですねぇ」
「お嬢、こういう時は投げ銭するんだよ……声、いいね。結構僕こういうの好きだよ」
「だろォ?」

 思ったとおり好感触だ。シドは声の良さとアドリブには自信があったし、子供もきゃっきゃと楽しそうにぬいぐるみに話しかけている。青年は先ほどまでとは違う肯定的な色を切れ長の目に浮かべていたので、シドは躊躇いなく尻ポケットから折りたたんだチラシを取り出した。
 バンドメンバー急募。ギター、ベース、ドラムなど。その他音響スタッフ、マネージャーなど各種募集中。待遇は応相談。詳細はシド・バレットまで。ステップ4、小さな要望からたたみかけろ!

「どっちにしろ特に仕事が決まってなけりゃ、まずはウチのスタッフなんてどうだ?」
「うーん、まあ、とりあえずスタッフっていうか、そうだね。それでいこう」
「よしよし、決まりだな!」

 ―――勝った!
 シドはもはや、ポーカー勝負でストレートフラッシュの手札を引いたような勝利の確信があった。彼は音楽を楽しむ素養があるし、もっと好き勝手に弾きたいという願望もある。シドの最高の歌とギター、そしてジョンの神技的ベースに交じって快感を覚えないわけがない。何のかんの言い訳をしても、その味を忘れられないはずである。
 上手くいった交渉にシドはいかにも上機嫌の笑顔になり、やや回答を早まったかもしれないと不安がる彼を黙殺した。子供からチップ代わりのコンペイトウを恭しく受け取ってぐっと握りしめる。これで主旋律は揃った。残りはリズム隊だけだ。ともかく今はステップ5、靴を脱いで自己紹介に移ろうじゃないか。