yoqips
2018-12-02 01:51:14
3957文字
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10/8-----小さな飛行船


『7色の風船を集めて、コンペイトウをゲットしちゃおう! ボクらなりに考えたささやかな歓迎のカタチだ。「ともだちづくり」のきっかけになればいいな。近くのリカルダクローンから、5つの風船を受け取ってね―――


 10月8日―――朝の8時。
 街中に響いたあの明るい声のアナウンスで、シドは重いまぶたを無理やり開いた。窓の外から聞こえる気がする小鳥の鳴き声は幻聴だろうが、寝不足の状態から強制的に起こされたせいで猛烈に眠たい。
 最近はどうにも連日作曲がはかどってしまい、昨日も寝るのが遅かった。シドは大の字に開いていた腕を目の上で組み、なんとか目を光からかばう。こういった研究所からのアナウンスがたまに流されるが、どうやらシドが使用しているものとは違う回線を使っているようだ。
 しかし、二度寝するには勿体ないことを聞いてしまった。

「バルーンか、いいね……

 シドはこういったイベントに否応なしに気分が盛り上がってしまう人間だ。こだわりのないこと以外では流行に乗る主義ともいう。楽しいことには自分が一枚噛まなくてはならないという信念の元に起き上がり、気合を入れるように両手で髪をかき上げた。
 ベッドから出てすぐに洗面所に向かい、身支度を整えてワックスで髪のセットをする。チェーンピアスを点けて左右の顔をチェックし、鏡に向かって笑ってから、シドはリビングに勢いよく登場した。

「おはようハーク! アナウンス聞いたか?」
「おはよう。風船がどうのっていうやつ?」
「そこまで分かってンなら善は急げだ。早くシリアル食えハリーハリーハリー!」
「うるさい……

 先に起きてシリアルを食べていたタンクトップ姿の迷惑そうなハーテイクを急かし、壁にかけていたジャケットを羽織って姿見でもう一度全身をチェックする。自分の朝食は街のどこかで調達するとしよう。少年がシンクに器を下げ、いつもの青い上着を着たらさっそく出発する。
 家を出てすぐ、同居人の少年を伴って隣の家のチャイムを鳴らした。既にいつもどおり身支度を整えていたらしいシシィが扉を開けると、シドは何の説明もなく親指をグイっと後ろに向けて「here we go!」のジェスチャーで隣人を誘う。

「風船もらいに行こうぜ!」
「うん」

 即答だ。相変わらず喜んでいるか嫌がっているのか表情ではわからないが、何にせよ話が早くていい。シシィは素直に一度戻って準備したあと、サイズの合っていない青いブーツに足を入れてぱたんとドアを閉めた。

 最近は仕方がないとはいえ、スタジオと自宅の往復ばかりしている。顔を合わせるのは皆綺麗な顔とはいえ男と子供ばかりで、生活に女性の潤いが足りていない。これはちょうどいい機会だ。
 シドは美人が好きだ。不細工とはお茶をしないというわけでもないし、性欲に突き動かされているのとも若干違うが、整った造形は男でも女でもそれだけで貨幣のように価値があると思っている。ホテルから見えるならきれいな景色がいいとか、毎日見るなら美しいグラスがいいとか、着るなら気に入った服がいいとか、そういったレベルの意識で美しい姿の人間が好きなのだ。
 早い話がナンパしたい。
 知らないだれかと気分よく話がしたい。そしてそれは高確率で、美しい女性が満たしてくれる。

「ほんとに嫌なときはちゃんと言えよ、シシィ。悪い奴じゃねぇけど、ゴーインなんだよ」
「ええ」
「聞こえてんぞォ、ハァーーク」

 後ろでは好き勝手に言われているのを聞きながら、何だかんだとついてきている少年少女たちの足音を聞いて笑う。近頃は家を空けることが多かったが、昼や夜はタイミングが合えばシシィも誘って3人で食事に行く回数も増えてきていた。シドが先頭を歩いてシシィとハークがそれに続き、早く歩きすぎて彼らを置いていきそうになったら立ち止まる。そうやって歩くのにも慣れてきたころには、シドもある程度彼らのキャラクターがつかめてきた。

 ハーテイク―――最初の頃からだいぶ解れてきてはいるが、はじめはきっとシドに警戒心を抱いていたはずだ。彼の言葉通り「悪いやつではない」と思われてはいたのだろうが、初対面の髪を逆立てたピアス男には正しい対応だとシド自身も思う。
 きっと良識と愛にあふれた両親に育てられたのだろう。育ちの良さが端々に生活に現れ、たまに若者らしい強気な言葉にも慣れていない様子すらあった。それが思春期にさしかかる少年らしい少年という感じで、扱いやすくもある。

 シシィ―――シドは相変わらず彼女にかなり幼い印象を受けていた。ハーテイクに輪をかけた世間知らずで、ああしようこうしようと周りが提案することに「ええ」と何も考えず答えてしまう、親についていく雛鳥のような従順さがある。
 それでいて一人でもしっかり暮らしていける生活能力と甘えのない性格がひどくミスマッチだった。最近は特に、いつからだったかははっきりと記憶しているわけではないが、なにか考え込んでいるような、逆に何も感じていないような様子が気になってはいる。

「いいじゃねぇか、風船。気晴らしにゃ丁度いいだろ?」
……? そうね」

 それはシド自身にも、同居人の少年にも、隣人の少女にも向けた言葉のつもりだった。しかしハークは自分に気晴らしなど必要ない、という小生意気な視線でこちらを見つめてくるし、シシィに至っては何故そんなことを言われたのかも分からないという風だった。
 それが危ういと思う。
 地下の街にきてまだ一週間と少しだ。自分の周りにあった何もかもを失うという経験はまさに災禍としか言いようがなく、どうあがいても短い時間で消化できる出来事ではないのだ。他でもないシドが言うのだから間違いない。だからはっきり言って、彼らの「大丈夫」は、シドにしてみればすべてが嘘なのだ。

「あー……ま、なんかあったら話してみろよな」

 だから吐き出せ、とは言わなかった。
 隠しているのなら暴く必要がないし、気付いていないのなら開ける必要もない。もし本当に傷付いていないのならそれは、自分以外に何の情も抱けない人間か、地上での暮らしでもっと大きく深い傷を負いすぎていて、この出来事が些細な傷でしかない―――そういう人間ということになる。
 どちらにせよシドの手には負えない。
 コントラバス奏者が演奏していた噴水のある広場に出ると、2区の長い金髪をツインテールにした少女のクローンたちが、体が浮いてしまわないのか心配になるほどたくさんの風船を抱えていた。つやつやと光るカラフルな丸い風船たちは、集まるととたんに軽やかな愉快さを演出してくれる。

「オレ、この色な」
「んー……じゃあこれ」
「これ」

 彼らはそれぞれ近くのリカルダクローンが持つ風船のひとつを指差すと、彼女らは笑顔のまま5つの同じ色の風船を参加者に渡した。シドはピンク色、ハーテイクとシシィはオレンジ色だ。この「BALLOON」というイベントの趣旨を考えたら全員違う色で交換するのが効率のよい方法かもしれないが、3人とも景品のコンペイトウを積極的に集めるといった気概は今のところないようだった。
 もちろんシドにもない。数日過ごしてみて、地下世界においてコンペイトウは地上の貨幣とまったく同じ重さの存在ではないと分かったからだ。音楽活動に必要なだけあればそれでいい。やり直しがきくという話だったから、気に入った住人――主に可愛い女の子――に話しかけるネタにするついでに、ラジオと顔を宣伝するために使わせてもらおう。ポケットに突っ込んだマジックペンでアドレスを書く準備はできている。

「なんだシシィ、同じ色にしたのか」
「じゃ、オレからはピンクな!」

 シシィの頼りない小さな手に、ピンク色の風船を一つ握らせる。思い切り会話するには向いていないが、もちろん彼女だって可愛い女の子の一人だ。褐色の手から伸びた紐の先でふわふわとオレンジにピンクが混じり、それを少女がぱちぱちと瞬きをしながら見上げているのが少し可笑しかった。
 シシィはほとんどそういうプログラムを施されたAI機械のように「ありがとう」と静かな高い声で言った。彼女から送られた言葉が拒否でも謝罪でもなかったので、シドはそれで満足だった。

「なんでピンク?」
「カワイイ色の風船をカワイイ女の子にあげるために決まってんだろ。クッソ楽しみだな! つーわけでハークくんにピンクの風船はありませェーん」
「ハァ? 欲しいなんて言ってないし」
「悪いなハーク、オレの愛はこの世の美女と可愛い女の子だけに捧げるって決めてンだ」
「だから欲しくないって!」

 シドは反応が良いハーテイクをからかって遊んでいると、いつのまにか彼らの傍を離れたシシィが街角を曲がろうとしていた。オレンジとピンクの風船がふわふわと浮きながら白壁の向こうに消えていくのを見送り、男二人はなんとなく言葉をなくして顔を見合わせる。
 シシィはときどき不意に、ああしてふらりとどこかに行ってしまうことがある。気分を害したというわけはないらしい。それを急いで追いかけるのもしっくり来ない気がして、何度かそのまま見送ったこともあった。シドは彼女の保護者でもなければリードを付ける飼い主でもない。本来ならいちいち気にする必要もないのだが。

 空を見上げると街のだれかが手放してしまったのか、青い風船がぽつんと飛んでいくのが見える。遊園地でふと楽しい時間が止まってしまったような、なんとなく寂しい光景だ。シドでは飛んだ風船を取ってやれない。けれどどこかで子供が泣いていなければ、それが一番いいと思った。