yoqips
2018-11-24 20:06:32
3922文字
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転がる石のように

10/3-4 ラジオ回 



 スタジオを手に入れたその日、シドは結局夕食の時間を超えても家には戻らなかった。同居人の少年がそれほど心配するとは思わなかったが、19時を超えたあたりでこれは夜通しかかりそうだと思ったので、一瞬だけ自宅に戻って書置きを残してはいる。シド・バレット参上、深夜のご連絡は下記までと簡単な地図を添えて。
 インディーズバンドの企画・運営の作業量というのは、おそらくメジャーバンドのそれとは比べ物にならないほど多い。もちろん金銭的余裕があればいくつかの作業を業者に分配することはできるが、この地下ですぐに入用の技術者が見つかるとは思えなかった。

 地上でシドがリーダーを務めていたバンド「BLUE REVOLVER」は、元々バズ・ライトニングとの二人デュオから始まった。バズはエッジィで卓越したギターテクニックを持っていたが、それを披露して知名度を上げる術を路上ライブくらいしか思いつかなかったアナログ人間である。つまり、諸々の編集やメディアに書き起こす作業は(もちろんいくつか手伝わせてはいたが)、基本的にシドが担当していた。
 曲のストックはシドの頭の中にある。ミルドレッドが選定して地上から持ち出してくれたという荷物のなかに、シドが長年音楽をデータ化して持っていたHDD類も含まれていたときは、今度こそミルドレッドにハグとキスをしてしまったくらい喜んだものだ。

 楽譜の書き出し、メンバー募集のチラシ制作とこの街でライブをやる企画構成、もし面子が足りなかったときはどうするかの計画。時間がいくらあっても足りないほどだった。音源が確保できたら編集とCDにする作業も入れて、どこかに販売できればいいが。

「23時過ぎか……そろそろかな?」

 壁掛け時計を見てシドは一人そう呟く。ラジオの枠は他に使用者もいないので、時間は好きにしていいと言われたとき、すぐ思いついたのはやはり深夜だった。太陽の死んだ星の地下だからなのか、この街はあまりに静かで、夜の気配が濃すぎる。ベッドに一人で抱きしめあう恋人もいなければ、眠れない日が続くこともあるだろう。
 シドが地上で過ごした最後の日々がそうだったように。
 この世界に起きているのは自分一人ではないのだと耳や肌で実感するのは、夜の孤独への特効薬だ。シドはスタジオに設置された机と椅子に座り、マイクを置いて準備をする。コントロールルームのスタッフまで自分でやらねばならないのが大変だが、これはこれで楽しい。新しいことが走り出す瞬間というのはいつだって愉快なものだ。
 
……23時30分。ここからは「ミッドナイド・ビズ」、オレのコレクションからランダムで曲を流しまくる音楽トーク番組だ。21世紀のシド・ヴィシャス。この世界の最後の反逆児、シド・バレットの終末ギグにようこそ!地球の最果てaloneじゃ静かすぎて眠れないやつ、xxx局でやってたBLUE REVOLVERのラジオを聴いてたやつも引き続きついてきてくれよな」

 ラジオ番組の名前は結局、地上でやっていた頃の名前を少し弄って使うことにした。あのコンサートホールにいたおよそ500名のなかに、かつての繋がりをもった人間が、万が一にでもこの地下に存在していることを少し期待して。
  ―――23時45分を超えたころ、彼の予想を遥かに超えて早くかつダイレクトに、かつてのラジオリスナーであった1区のナツ・シノミヤがスタジオに飛び込んでくることをシドはまだ知らない。




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「よう、悪かったな急に引っ張り込んで」
「ううん、全然! 楽しかった!」

 時計の針が12時を超えたころ。
 突然ゲストとして引っ張り込まれたナツは、それでもスタジオで快活によく笑ってラジオを盛り上げてくれた。いつも聴いていた番組が流れてきて、居ても立ってもいられずに駆け付けてくれたという。実を言うと彼らは顔を合わせたことはなく、彼女がサマーというペンネームで何度か手紙を送ってくれたことがあって、それに返事を書いていたから覚えていただけだ。
 もちろん彼女のほうはシドの顔を知っていただろうが、ナツはその名前のとおり小麦色の肌と笑顔が眩しい、夏の空のように青い瞳の女の子だった。彼女はまだ少し興奮しているのか頬を上気させているが、ふと思い出したようにポケットから一枚のカードのようなものを取り出した。白いフレームで囲まれたポラロイド写真には、見覚えのある男が写っている。

「そうだこれ、これ覚えてる? ファンレター送ったらお返事でくれたの、懐かしくて持ってきちゃった」
「ああ!三周年記念の……

 写真を受け取ってうわっと声が出る。これは違う、"間違い写真"だ。バンド三周年記念ということでファンに何かしようと、なかば酒の席で決まって実行されたメンバーのポラロイドは、悪ふざけが加速して化粧までした写真まで出来上がった。
 だがなぜかそれがここにあるのか。もちろんその前にもっとカッコつけた男前の写真も大量に撮ったはずだが、選り分けたはずのお遊び写真が混じっていたのだろうか。あの時は相当酒が入っていたのでもはやおぼろげにすら記憶にない。いつもはあまり酒に飲まれないネモやバズすら相好を崩して笑い転げていたことを、瞬きするだけで昨日のことのように思い出せた。

「いやあ悪い悪い、もうちょっとイイ写真送る予定だったんだぜ? もっとこう最高にキマってるやつを」
「これ、ライブ衣装のままだもんね」
「そうそう、これは一年前くらいにジョークで撮ってよ……

 ふと、不思議な感覚に陥る。
 自分の体が空洞になり、そこを冷たい風が抜けるような寒さで、浮かべていた笑みが消えてしまう。何故寒さなど感じるのだろうか。ここにシドがいて、かつてラジオを聴いていた人間もいる。スタジオや楽器や機器まで揃っている。自分がシド・バレットとして生きるのに過不足なく揃ったこの街に、間違いなく彼らはいないということが、はっきりと分かっただけ。
 そんなことはわかっていたはずだ。
 力が抜ける。崩れる。何かが。膝から下が消えてなくなったのか、それともコンクリートで固められた地面が柔らかく沈んだのか。いいや違う。沈みかけているは自分のほうだ。奥歯を噛んで必死に足に力を入れる。今崩れたらきっと何もできなくなる。残された時間はもうないというのに。

「わるい、オレちょっと行くわ」

 今日はありがとな、と声を絞り出したのを最後に、シドはナツの返事を待つことなく背を向けてスタジオに足を向けた。彼女を驚かせてしまっただろうか。それを振り返る余裕もない。走る。崩れ落ちそうな足を引きずってドアを開け、身体を中に滑り込ませた。
 誰もいないスタジオ。
 は、は、と犬のように浅い呼吸を繰り返す。誰もいない場所に来ると、とたんに―――限界まで張り詰めたなにかが破れて溢れて―――眼球が燃えるように熱くなる。喉までせり上がった叫び声をかみ殺す。ぐっと何度も殺す。それでも耐えられなかったものが、少量の涙になって目の縁からこぼれていった。

「う、」

 寒い。肩や手が震える。自分がなぜ泣いているのかわからなかった。どうすることもできずに硬直したまま、人の形を保って呼吸をする方法が急にわからなくなる。己の熱のこもったうめき声が耳に入って、堪らなく情けない気持ちになる。

 シドは―――地上のいたころが幸福の絶頂だった。やっと手に入れることができた最高のバンド、作り上げられた音楽、向けられる称賛と名声、歌に耳を傾けてくれる人たち。それでも足りずにもっと手にしたいと足掻いているのが、楽しくて楽しくて仕方がなかった。明日が来るのが待ち遠しかった。すべてがすばらしく輝きを放っていた。
 それももう過去の話だ。
 すべてがあまりに現実味がなくて、この街の夢のような雰囲気に呑まれて、今の今まで信じられなかった。あの黄金の日々が、既にシドの後ろで粉々に壊れてしまったあとだなんて。

「夢、じゃ、ねえんだな……

 たいてのシェルターは地下にある。この街のようにどこか別の場所に避難して生きている可能性だってないわけじゃない。けれどもし彼らが死んでしまっていたのなら、いったい間際に何を思ったのだろう。自分と音楽をやっていた時間を短い人生の浪費だったとは思わなかっただろうか。会いたい。会って、尻でも蹴飛ばして、馬鹿だなと笑い飛ばしてほしい。
 両手で顔を覆うと、本当の闇が目の前にやってくる。彼はドアの前にずるずると座り込んで、それきり静かになった。誰にも見咎められないことなど分かっていたが、世界の誰にも今の自分を知られたくなかった。こんなところでひとり陰気に絶望に暮れて、立ち上がることもできないような無様な姿を。

 ―――いいや、オレにはまだ音楽がある。

 シドは頭を振って涙の気配を強情に追い出し、期せずして開いてしまった蓋をひとつひとつ丁寧に閉じていく。過去は過去だし、未来は未来だ。そこにあるだけで悪さはしない。だから傷付く痛みすら幻のはずだ。だから30分、それだけ休んだらもうやめよう。まだまだやることがあるんだ。そうしてやり過ごせばきっと無敵で最強の「シド・バレット」に戻れる。
 この街は静かだ。風や鳥の声もなく、住宅も明かりの漏れている建物は少なく、夕闇がゆっくりと淡い夜に変わり、暗く低く、窓から降りてくる。それを眺めながら、シドは背を丸めて、ただ体から悲しみが去るのを待つしかできなかった。