yoqips
2018-11-11 01:26:51
6806文字
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10/15-----新しい光

シシィちゃんのPASTに寄せて 2


「『なにか』が、見つからなかったらどうしよう」

 シシィの手がわずかに触れ、躊躇いをたっぷりと含んだ声が、自分に不安をこぼしたとき。シドはようやく体から鉛が抜けたように息をついた。
 人に言葉を言うのに、これほど緊張したことはない。誓って上辺の嘘など言っていないし、きっと何時間考えて出しても似た答えになっていた。たぶん自分は―――何もかもぶち壊しはしなかった、と思いたい。安堵が喉を緩めて、やっといつもどおり声が出る。

「そんときゃオレも一緒に探してやるよ」

 その台詞はかんたんに口から出た。
 呼吸の落ち着いた、けれどいまだに所在なくたたずむ迷子のような少女のベッドに腰掛け、ゆったりとした会話が続ける。ことの様子を静観していたミルドレッドはいつも通りの薄い笑顔のまま、しかしいささかの感慨を瞳に浮かべているような気がして、シドは少し意外に思った。
 ミルドレッド。太陽の異常を誰より早く察知していたという、胡散臭い天才科学者。この街の出来を見る限り、すべてがホラとは思わないが。シドはふと浮かんだその考えを横において、またシシィに顔を向ける。

「退院するときは一緒に帰ろうぜ」
「うん」
「ま、今日は無理だろうけどな」
「ん? そうだね、今日の退院は無理だよ! だって君、点滴引き抜いちゃったからね。打ち直しだ。次は引き抜かないでね、お願いだから」

 ミリィが邪魔だと言わんばかりにシドを退かし、シシィの腕で乾いて固まりつつある血をアルコール綿で拭って、再び点滴を施す。いつのまにかいた後ろのリカルダクローンが、真新しいシーツ一式を抱えて指示を待っていた。
 これ以上は確かに邪魔になりそうだ。
 シドは病院に不釣り合いな黒い革ジャケットを翻して立ち上がる。こちらを見るシシィの目元を指の背で慰めるように撫で、「また明日な」というと、少女はもう一度こくりと素直に頷いた。



△▽



 さて。
 偉そうに言ったはいいものの、一般的に人生において「何か」や「誰か」を見つけるのには、一生はひどく短いらしい。ましてや背中に火のついた最後の一か月すら封が切られ、残り半月を過ぎた今ではなおさらであろう。
 シドの人生は―――傍からみれば"生き急いでいる"としか言えないものだ。穏やかな家庭生活や心の安寧、健康や安定。長く人生を生きるのに必要な福祉をすべて犠牲にして、音楽にすべてを捧げている。神の福音よりも悪魔との契約に近い。自分の人生に後悔などないが、他人に示すには酷だということくらいシドにも分かっていた。

(もっと話を聞いてりゃ良かったな)

 己のなかに鋼のような芯を持っていたバズや、自分の幸福を誰よりも深く理解していたモルド、冷静に自分と他人を見渡すことのできるネモ。シドが尊敬すべき彼らに、今こそ話を聞きたかった。
 が、残念ながらそれは叶わない。
 去来した心細さを押し込め、大股でスタジオへの道を歩く。コントラバス奏者はあのままスタジオに行ったのだろうかと考えていると、ちょうど同じ方角からキーボード(もといサポートメンバー)のチハルがこちらに向かって歩いてくる。グレーのダウンジャケットにジュラルミンケースを持った男に、シドは駆け寄って声をかけた。

「チハル! もしかしてスタジオ開いてなかったか?」
「やあ、ちょっと寄って今帰るところだよ。シドさんが遅いなんて珍しいね。ジョンさんはまだいるみたいだ」
「アー、なら良かった。悪いな、今度鍵のスペア作って渡しとくからよ」
「いや、いやいや、会って半月の相手に鍵を渡すのは、ちょっと不用心だと思うけど……
「だって不便だろ。ジョンにもさっき渡したし、チハルも憂さ晴らしに機材をブッ壊す以外なら好きに使ってくれていいぜ。それにお前、オレが用心深い男に見えるのかよ?」

 見えない、と大声で言っているような表情だった。アジア系の顔立ちがそうさせるのか、チハルは年齢のわりに若々しく、おそらく本人が思っているよりも顔に出やすい。それがあからさまに善良な人間という感じがして、シドは毎回笑ってしまう。彼の生み出す音はなかなか反抗的だからだ。
 そういえば、今でこそバンドのキーボードを担ってくれているが、その前は天体観測所勤めだったと聞いた。はた、と今度ははっきりと尋ねたいことが浮かぶ。だがもしかしたらこれは彼の琴線に触れてしまうかもしれない。少し考えたあと、シドは頭のなかで言葉を選びながら口を開いた。

「なあ、急ぎじゃなきゃちょっといいか。15分もかからねえ」
「構わないよ」
「なんつーか……そうだな。チハル、地上にいた頃の仕事好きだったか? なんで『これがいい』とか『これしかない』って思った?」

 チハルは涼しげな目を意外そうに丸くするので、シドもなんとなく恥ずかしくなった。自分でも似合わない質問だとは思う。まるで進路に迷うハイスクール生の台詞だ。シドが取り下げる様子もなく答えを待っていると、チハルはややあって返答する。

「んー、そうだな。仕事はたぶん好きだったと思うよ、人にも恵まれたしね」

 まだ苦みのある思い出を追想しているのか、投影されはじめた空の星をちらりと薄茶色の瞳が見上げる。やはりこの話題は良くなかっただろうか。仕事を好いていた人間にとって、それを取り上げられるのは悲劇だろう。

「まだ発見されていない天体を自分で見つけたいと思って始めたんだけど、僕にはソフトウェア開発だのなんだの補佐する役割の方が向いてたみたいでさ。まあそれで望遠鏡周りの仕事をやってたわけ」
「へえ、なるほど。まあ向き不向きってのは確かに誰にでもあるよなァ」
「きみにもあるのかい」
「オレだってジミ・ヘンドリックスのギターに憧れた時期はあったさ。向いてねえからすぐやめたけど」

 肩をすくめて笑ってみせると、チハルがつられて朗らかに笑う。それからは二言三言新しい曲について話したあと、連れの少女を迎えにいくというので、礼を言って別れた。
 スタジオの窓からは聞いたとおり光が漏れている。ポケットからもう一つの鍵を取り出して中に入ると、ジョン・ドゥがまるで家主のごとくソファで横たわってくつろいていた。シドは自分のことも相当マイペースな方だとは思うが、この男にはつくづく敵わない。

「リラックスしてんなー、お前」
「やあリーダー。隣のお嬢さんには会えたのかい」
「おう、目的達成。暫くすりゃ退院できんじゃねえかな。なんか飲んだか?」
「いいや、さっきピアニストの彼が来るまではずっと演奏していたから」
「待ってろ」

 控え室のラックから一本、タンカレーの緑色のボトルを手に取る。今までも何度かここで酒をやったことはあるが、ジョンと飲むときはやはりドライジンの減りが早い。備え付けの冷蔵庫からグラスを2個と割り用のソーダを出し、ストックを確認して閉める。
 酒瓶以外を持って戻ると、ジョンは意外そうな顔をした。今日は誰かのその表情をよく見る日だ。

「飲まないの?」
「ああ、ちょっと素面で聞きてェことがある」
「らしくないことばかりだね」

 それでも興味はあるのか、彼はソファから体を起こして座りなおした。向いに座ってテーブルに置いたグラスにジンを注ぐと、華やかでさわやかな、非常にそそる香りが立ち昇る。シドはすぐに誘惑されかけたが、我慢して自分のグラスに同じ無色透明のソーダ水を入れた。

「まあなんつーか、深く考えずに聞いてほしいんだけどよ。あんたはいかにも音楽一筋って感じだろ? バンドにもすぐ乗ってくれた。それで、いつ『音楽しかない』って思ったんだ?」

 ジョンは唐突な質問に目を丸くしたあと、わずかに視線を虚空に彷徨わせる。その姿はなんとなく猫に似ている。彼にしか見えない魚でも回遊しているのかと、シドはわけもなく振り返ってみたくなった。

……さあ?」
……あー、聞いちまうけど、その「さあ」は、話したくねえって意味か? それともマジで覚えてないってことか?」
「明確にいつとは覚えていないな。物心ついたときには家の近くにギターの修理工房があってね。子供のころからそこで遊んでたし、それより楽しいことはその先も見つからなかった」
「ほおー」

 この男の子供時代というのはまるで想像できない。地球に生まれついたときは既にこの姿だったんじゃないかという完成された存在感がある。どんな人生を経ていても、彼はこうだったと思うが、自動車修理工場でスパナを握っていたり、飲食店でレジ打ちをするところはますます想像がつかない。音楽をやっていないところは他になにもだ。
 そして話を聞いてとても羨ましくなった。物心ついたときに既に音楽に触れていたというのは、音楽家にとって大きなアドバンテージだ。

「これしかないと思ったことはなかったけど、確かにそうだな、もし耳を落としてしまったらもうどこにも価値はないね」
「ああ、そりゃ、よくわかる」

 まったくもってシドも同意見だ。最悪、太陽や電気の光がなくなるのはいい。しかし音というものが世界から消えてしまったら、文字通り彼らは生きている意味がない。シドは言葉を交わすたびに、自分とはまったく似ていないように見えるこの男と、どうしようもなく似通っている部分があると思い知る。
 音のない世界では、自分には価値がない。
 それはおそらく魂に近い部分の叫びみたいなものだ。

「まったく偏屈しかいねえな、バンドマンってやつは」
「そうかな」
「音楽で食ってこうなんて考えるやつは、たいていどっか気がおかしくなってるのさ」

 手に持たれているグラスに自分のグラスを当ててチン、と音を立ててからソーダ水を一気に飲み干す。喉に炭酸が一挙に流れ込んできて抜群に目が覚める。彼はその白面に似合わぬ男らしさで、ジンを同じようにグラスごとあおった。夜まで時間はある。演奏をはじめよう。



△▽



 結局誘惑に負けて一杯飲んだ。
 まあ、ジン一杯なんて数のうちに入るまい。歌い続けた心地いい疲れに身を預けながら、ゆっくりと家への歩みを進める。空にはすでに色濃く夜空が投影されていて、ここが地下であることを忘れさせる。先ほどと違って電気がついている家に帰るのは気分がよかった。

「ようハーク、元気か?」
「ん、まあまあ」

 夜遅くに酒浸りで帰ってこなかったからか、ハークの表情は心なしか柔らかい。まあ確かに自分が眠っているときに酔っ払いが帰るのは迷惑だろう。シドも音を立てまいとするのだが、辛うじて帰宅したときはたいてい玄関でそれに失敗する。
 ソファで本を読んでいるところを邪魔するのも悪いかと思ったが、ハークは本を閉じてこちらを見たので、ぼすんと隣に座って体をクッションに預けた。

「おまえもうメシ食ったか?」
「ああ、食堂で食べた」
「そうか。今日、シシィのとこに行ってきたぜ。面会謝絶だって聞いてたからどんなもんかと思ったけど、ミリィの話じゃあと数日で退院できるんじゃねえかって話だ」
「シシィ、前も入院してたんだっけ」
「そうそう、ここに来たばっかりのときな。お前も心配してただろうから、一応と思ってよ」
……そっか、良かった」

 ハークははじめ会ったときからシシィをずいぶん気にかけていた。自分より年下の人間はちゃんと守りなさいと教えを受けているのか、それとも女の子には優しくする性格なのかもしれない。並んでいると似てない兄と妹のようで微笑ましかった。
 ホッとしたように表情を緩めるハークの頭を無造作に撫でると、最近は恥ずかしそうにはするが、それほど突っぱねられることもない。シドはほかの二人にも聞いたことを彼にも質問をしようかと思って、少し言い方を変えて尋ねてみることにした。

「まあ、それでちょっとそんな話になったっつーか、これはオレがちょっと聞きてえってだけなんだけど」
「なんだよ」
「ハーク、おまえ夢とかあるか? これだけは譲れないとか、これがなきゃ生きてけねえみたいな。オレにとっちゃ、それが音楽なんだけどよ」

 ハークは「まさかそんなことをこの同居人から聞かれるとは思っていなかった」という驚きを隠しもせず顔に出した。シドは笑いそうになったのを辛うじて耐えた。ハークは話にのぼったシシィの名前に考えさせられたのか、しばらくのあいだ黙り込んだあと小さな声で答える。

「学者になりたい……とは思ってる。譲れねえとか、シドみたいに”なきゃ生きていけない”かはわかんないけど」
「あー、おまえ勉強好きだもんなァ」
「親がそうだった、ってゆーのもある。多分僕は新しいことを知るのが好きだから」
「うんうん」

 正直言って、シドには「勉強が好きだ」という気持ちはさっぱり分からない。転校を繰り返しているうちに授業にはついていけなくなり、サボりまくって出席日数もギリギリでなんとか卒業したレベルの男だ。
 しかし新しいことを知るのが好きだという気持ちはわかる。ライブを盛り上げるためには衣装やメイク、照明や音響のことを知らねばならないと気付いたときから、シドは音楽を作る傍らそれらについて出会ったプロに聞きまわり、技術を盗んで学んだものだ。
 同居人の反応が悪くないことにハークは調子が出てきたのか、ソファから腰を浮かせて力説をはじめる。自分のまだ肉の薄い腕を上げて手を握ったり開いたり、動きをシドに実演してみせる姿は、さながら小さな教師のようだった。

「だってさ、僕らフツーに生きてるけど、たとえば腕がどうやって動いてるのかわかるか?」
「へ? いや、考えたことねえ」
「このパーツひとつでも、骨とか神経とか筋肉とか細胞とか血液とか色んなもんが全部組み合わさって……うまくできてんだよ」

 いつもは利発さのせいか冷めたように降りているまぶたを大きく開き、ハークの青い瞳に好奇心がきらきらと輝いている。それからハッといつのまにかほとんど立ち上がっていた自分に気づいたのか、ソファにぶっきらぼうに座り直し、ちょっとぶすくれた顔をする。どうやら照れているらしい。

……まあ、そういうこと」
「なるほどねェ。いや、サンキューな。マジでお前は偉い。オレが同じくらいの歳の頃なんか何も考えてなかったと思うぜ」
「シドの子供のときって、なんかあんまり想像つかないな」
「いやあ、やっとひどい陰気が治ってきたくらいか。毎日退屈だったし、生きるのなんてちっとも楽しくなかったぜ」
「そうなのか?」
「だからオレは、もう音楽がない人生なんて考えられねえのさ」

 ハークはほんの少し、その話を聞きたそうな様子を見せた。しかし彼の生来の優しい性格がそれを邪魔しているように言葉に詰まったので、シドはそれをあえて黙殺した。過去について話したくないというほどでもなかったが、子供相手に話すにはヘビーな話もあるし、うっかり哀れまれてしまったら困ってしまう。
 シドはもう一度感謝とともに、おやすみと彼に言って自室に戻ることにした。ジャケットを脱いでベッドに寝転ぶと、今日あったさまざまな出来事が頭に浮かんでくる。


 その人間にとっての「なにか」。

 生きる理由。夢や生きがい。愛と財産。
 本来ひとつとは限らない。優先順位すらない場合もある。人生のさなかに触れて興味を持ったり、あるいは育った環境に組み込まれていたり、長く手放さずにいたり、生き方に合わせてそれを変えたり―――そうしながら、他のものと折り合いをつけていく。
 シドだってそうだ。あの日借りたCDが例えばベートーヴェンやモーツァルトだったのならクラシックに関心を持ったのかもしれないし、あるいは音楽そのものに興味をそそられなかったのかもしれない。何も見つけられずに、漠然と生きていた可能性もある。

 シシィはどうだろう。部屋を見た限り本は好きなようだから、やっぱりハークと一緒に図書館にでも送り出せばいいかもしれない。あるいはデザイン、映画、スポーツ、ゲーム、料理。この街なら娯楽には事欠かない。自分ばかり近くにいてもしょうがないから、もっと他の誰かと話すのだっていいだろう。小さな光でも、なるべく多く見つかるといい。

 ああ、でも音楽は一度聞いてほしい。
 シシィが帰ってきたら誘ってみようか。

 体を横にして考えごとをしていると、徐々に意識が沈んでいくのを感じた。思ったよりも疲れていたのかもしれない。夕食を食べるのも風呂に入るのも忘れて、シドはそのまま浅い眠りにつく。そっとドアから差し込まれた少年の手が、パチン、と部屋の電気を消した。