yoqips
2018-11-06 05:18:20
5501文字
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10/15----青い亀裂

シシィちゃんのPASTに寄せて


 街をうろついたあと、時間の決まりもなく薄闇のなか帰路についている。aloneで過ごして半月、自然とできたルーティーンに従って歩いていく。ホワイトベージュと青い壁に大屋根。オレンジブラウンの扉の隣の部屋には、今日も明かりがついていない。
 10月12日以降、ミルドレッドによるとシシィは倒れて入院することになったらしい。理由はよくわからない。何度か見舞いに行ってみたが、面会謝絶ということで顔を見ることは叶わなかった。まだ人の気配のない二つの家に帰るのが突然嫌になり、シドは踵を返して来た道を戻る。あれからずっと胸騒ぎが止まらなかった。

 病院への道を大股で歩いていると、前方からゴロゴロと大きな荷物を引きずったシルエットに出くわした。長い黒髪と白面にコントラバスケース。地下でのシドのバンドメンバーに加入した、「ジョン・ドゥ(名無しの男)」だ。

「やあ、リーダー」
「ジョン! ああそうか、もう来る時間か? 悪ィ、今からちょっと出かけてくるから……先にスタジオ使っててもいいぜ」
「時間の使い方に困っているわけじゃないけれど」
「選択肢が多いのはいいことだろ」

 ポケットに無造作に入れていた鍵を外してジョンに投げると、彼は反射的に受け取ってきょとんとした顔になった。元より時間の約束をしていたわけではなかったが、待たせてしまうのも忍びない。コントラバス奏者はしばらく鍵を手の上に置いて眺めていたが、スタジオに用でも思い出したのか、コートの内ポケットにそれを仕舞った。

「どうやら急用みたいだね」
「いや、まあ、そうかもな。もしかしたら今日はシシィに面会できるかもと思ってよ……
「へえ、聞かない名前だな」
「あ、会わせたことなかったっけか? オレの隣に住んでる12,3歳くらいのガキンチョだよ。長い黒髪で、細っこくて目が白い、大人しいやつ。今ちょっと入院してんだ」
「ああ」

 見覚えがあるのかないのか、ジョンは薄い霧の向こうにあるような表情を浮かべる。瀟洒な顔つきにやや下がった眉が、いまひとつ何を考えているか悟らせない。落ち着いた声色と瞳の色がシシィに似ているな、とふと思う。
 シドは彼に何かを尋ねようとして口を開き、尋ねるべき質問が思いつかないことに気づいた。胸騒ぎの原因を聞いても仕方がないだろう。悩みや迷いのすべては問いが見つかったとき解決するとはよく言ったものだ。意味もなく上げた手のひらを返して挨拶に代える。

「じゃあな、またあとで」
「よき日を」

 そういえば彼は自分の名前を憶えているんだろうか。こっちだって彼の本当の名前を知らないのだから、どっちだって構わないが。ジョンの落ち着いた呼吸につられたのか、シドは先ほどよりも少しだけ胸が整っていた。


-------


 病院は静まり返っている。
 2区のリカルダクローンたちの気配も遠く、話し声のひとつも聞こえない。患者も見舞い客もあまりいないようだ。この街の病人が少ないことは喜ばしいが、こんな寂しいところにずっといるのかと思うと、隣人の少女が少し気の毒になった。
 誰も見ていないのをいいことに入口から受付も通さず、まっすぐに目的の病室へ向かう。白いスライドドアがわずかに開いている。心なしかいつもより明るく見える部屋に足を踏み入れると、カーテンを開けているミルドレッドの後ろ姿が見えた。

「ミルドレッド、そいつ起きたのか!?」
「おや」

 勢いのままカーテンに手をかけて中に入り、体を起こしているシシィを見てぎょっとする。初めて会った日だってこんなにひどくはなかった。いつも重力に従って真っすぐ落ちている黒髪がばさばさと顔にかかり、肌つやも悪い。元々細いとは思っていたが、手などもうひとまわり痩せているように見える。
 目元も赤い。泣いたのだろうか、彼女は。まぶたの下の赤くなった肌が痛々しかった。ミルドレッドがこちらを振り返り、いつもの華やいだ笑顔になる。

「彼も同席しても構わない?ずっとお見舞いにきてたんだよ。キミの気分が優れないからって会えなかったけど」
「シシィ、」
「いい、どうでも。……誰がいたってかまわない。別になんにも、大した意味なんてないもの」

 ―――なにもない。
 随分、自棄になったような声だ。こんなに強く言葉をさえぎられたのは初めてかもしれない。なにか強い違和感が頭に警告音を鳴らす。彼女はあの祝いの日を境に、何かがおかしくなってしまっているんじゃないか。
 PAST。14日のアナウンス。
 シシィが口を開く。

 語られたのは、彼女の無惨な家庭環境だった。けれどシドにとっては聞くに堪えないほどの話ではない。この世界には驚くほど残酷なことがたくさん起きる。似たような話を他人から聞かされたこともある。ニュースになって少しの間ワイドショーを騒がせたあと、世間から忘れられるかもしれない過去の話。
 それでも、怒りは湧いてくる。
 シシィの語り口がそうさせたのか、彼女の家族が登場した「兄さん」によって殺されたとき、それが気の毒とは思わなかった。小さい子に暴力を振るうなんてロクな奴らじゃなかったねと笑う彼に、その場にいれば同調すらしたかもしれない。血の繋がらない兄とのままごとのような生活の幸福が、シドには痛いほどよく分かる。分かってしまう。小さなナイフが痩せた子供の腕で体に刺さり、一緒に傷が切り開かれていく気分だった。

――――――――――
「(これ、続けさせて、いいのか?)」

 冷たい予感が背中に走る。もういい、と止めてやりたかった。隣で笑顔のまま平然と聞けるミルドレッドが羨ましいくらいだった。だが止めたところでどうなる。過去を吐き出させることこそが彼女を救うのかもしれない。出会って半月のよく知りもしない少女の人生に、口を出す権利なんてありはしない。
 シドが戸惑っている間に、シシィの話は進む。兄の所業を黙認していた自分を、ザクザクと切りつける言葉を携えて。


「兄さんはいつも血の匂いがした。家に来た子供は次の日には知らない人に連れていかれた。
 ええそう、兄さんは佳い人間じゃなかった。佳い人間であるなんて一度だって思わなかった。でも『シシィ』はそれでよかった。だって兄さんしか居なかったもの。兄さんの為の『シシィ』だから」

 シシィは次第に声を震わせ、全身全霊で自身を嫌悪するように表情を歪めた。彼女が見た不幸な運命の子供を投影したかのように、がくがくと体を震わせて。シドは脳裏の警告音が大きくなってくのを感じていたのに、石に変わったように体が動かなかった。ああ、このままでは。

――そうやって、そうやってわたしは、わたし、は……

 ―――蓋が。
 ―――蓋が開いてしまう。

「わたしも、理不尽に誰かを踏みつけてしまったの!!」

 叩きつけられた声に息を呑む。だってそうだろう。誰が聞いたってそれはシシィのせいではない。当然のように子供を虐げる人間もいた。笑顔で人を殺せる人間もいた。シシィはそのどちらでもないというのに、誰よりも罪人のつもりでいる。それが抱えきれないのなら、蓋をしなければ生きていけないのなら、そうしていればよかったのに。
 いいや、もう箱は開かれてしまった。
 手遅れだ、デクのぼう。強引にでも止めれば良かったと後悔しても何もかも遅い。パンドラの箱が開く。対処のしようもない、取り返しもつかない厄災がやってくる。今さら悪人は誰なのかあぶりだす裁判は意味がない。それは誰も救いやしないだろう。
 けれどだったらどうすればいいんだ。
 暗闇を超えた先には光があるんじゃなかったのか?

「こんな、こんなわたしばかり、わたしばかり生きようとして……

 シシィの手が点滴の管を乱暴に抜く。
 目の前でぱっと散った赤色。とたんに思考の海から意識が戻り、考えるより先に体が動いた。一気に思い出して錯乱しているのか、シシィは焦点の合わない目で抵抗する。

「シシィ!バカ、何やってんだ」
「やめて、やめて」
「血ィ出てんぞ。ミリィ、これどーすりゃいい?」
「そのうち止まるよ。ともかく落ち着いて」

 興奮すると血が止まらない。押さえつけようとするとシシィは力なく暴れ、どうにかもがいて逃げようとする。これほど激しい感情を見せるのは初めてだ。当然だ、彼女は人間で、いうことを素直に聞くばかりの人形じゃない。
 それに甘んじていたのは自分だ。
 シシィの様子がおかしいことくらい、前から気が付いていた。誰よりも早く気づいていたかもしれない。この少女が人よりも泣いたり笑ったりしないからといって、何も感じていないわけじゃない。それに目を向けなかったのはシドの怠惰だ。手遅れになって後悔するくらいなら、はじめから中途半端に気にかけるべきではなかったのだ。

「"わたし"は死んで、"シシィ"はもういらない。どうして生きているんだろ。ミルドレッドに合った日だってわたしはわたしが生きることばかり考えてたんだ」
……、」
「"わたし"の生まれた意味なんてなかったのに、本当はわたしはあの日からずっとそうだったのに。『無意味な延命』?これ以上?」

 シシィの手がシドのシャツを力いっぱい掴む。涙が褐色の両腕に落ちていく。その感触がどこか遠く、頭がいやに冷静だった。細く小さい手。痛々しくてたまらない。押し寄せる絶望がこの子供を塗りつぶしてしまう。
 神よ、これほどの苦しみは彼女には余るんじゃないか。今こそあなたが必要なのではないか。どうして過去の余罪をあなたに押し付けようとする、役立たずのオレをこの場に運んだんだ。

「あさましいにも、ほどがある……

 震える手が、声が、涙が。
 シドはどうしようもなく、自分が他人に寄り添うことのできない人間だと思い知る。何が正解なのか分からない。頭の奥が点滅して目が痛い。ここにいるのが自分でなければどうしただろうか。両親の愛情をたっぷり受けて育ったハークなら、いつも凪のように落ち着いているジョンなら、小さな子供に慣れているチハルなら。
 でもここにはシドしかいない。
 未だ己が何者かわからない自分しか。

―――もしオレが今シド・バレットじゃなくなったら、オレにはもう意味なんてなくなるのか?)

 声にならない声が喉を押さえる。
 シドは自分の不出来な共感能力に反吐が出そうになった。これはオレの話じゃない。けれど背筋が寒くなった。ここに来てから自分は、他人に背を向けているばかりだったんじゃないか。相手の心がわかるフリばかり上手くなって、するすると逃げ回って。
 いまさら言葉が毒になるのか薬になるのかもわからない。あるいは何にもならないのかもしれない。でもどうにか繋ぎとめたい。今何もしないでいれば、きっと大きな後悔をすることになる。たまたま傍にいただけの他人だとしても、どうしても、伸ばされた手を振り払うようなことはしたくなかった。

 シドは一度ぐっと目を瞑り、膝を折ってシシィを見る。血のついた手も構わず、彼女の痩せた両頬に触れてどうにか視線をあわせた。

「シシィ、聞いてくれ」
………いや、」
「聞け! オレは……お前みたいに、今まで何度も何度も自分を殺してきて、そのたびにもう終わりにしたいって思った。でもどれだけ死にたいと思っても腹は減るし、眠りたくないのに眠くなる。人は何があったってどっかで生きてたいって思うし―――しゃらくせェことに、体が勝手に生きようとするんだ」

 これは事実だった。友達をなくしたときも、家を失ったときも、仲間や家族や世界がいっぺんに消えてしまったときも、暗闇のなかでひとり生きていたときも。きっと目の前で人が死んで、誰かを犠牲に生きていたとしても。自分の親しい相手がだれかを傷つけ続けていてもそうだっただろう。
 ひどい話だ。それは、人が生まれたときから持つ罪というやつなのかもしれない。今が幸福でなくても、正義でなくても、死がどれほど救いにみえたとしても、一度でも生きる喜びを知ってしまえば浅ましく命が惜しくなる。
 でもそれを誰が否定できる?
 誰だって生まれたからには生きたいはずだ。

……オレにはまだ音楽があって、寸前のときにミリィが来てくれた。それがどれだけ嬉しかったか、今でも覚えてる」
………
「シシィ、誰がお前を責められるんだ? どうすりゃ分かってくれる? オレは、おまえに教えたいんだ。諦めたくない。人間はそいつにとっての『なにか』があれば暗闇から抜け出せる。思い出でも言葉でも誰かでもいい。ずっと墓にいる必要はないんだ。オレはそれが分かったんだ」

 もっと、うまい言い方があった、と思う。
 シシィは真っ白の瞳からぼたぼたと涙をこぼしたまま、食い入るようにこちらを見ている。自分の声は彼女に届いているだろうか。扉のまえでノックをするくらいの音量はあるだろうか。喉が詰まって苦しくてたまらない。この少女の前ではときおり、いつものように滑らかには喋れなくなる。ここに歌があれば。ここに曲があれば。でもやはり、ここにはシドしかいない。
 それきり言葉は途切れた。シドが自分の人生をありったけ込めても、絞り出せたのはたったそれだけの台詞だけだ。静かな病室にシシィの鳴りやまない嗚咽が、小さく小さく響いていた。