yoqips
2018-11-05 03:34:38
3170文字
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9/23-----君よ、大いなる星よ

ミルドレッドがシドを見つけたとき



 9月23日。
 正確にはシドの認識と数日ずれていた。時計は電池で動き続けていたが、最初の数日間で止まった電気とスマートフォンの切れた充電のせいで、彼は日付を正しく認識していなかった。災害時にライフラインが切れて3日で救助が来なければ生存はデッドレースという話がある。そういう意味では、シドは長続きしていたほうだ。
 何度街を出歩いても交通機関もまったく動きを見せず、乗用車どころか人の影ひとつ見当たらない。電気の供給の途絶えたゴーストタウンでは、かつて明るく光っていたであろうモニターやネオン看板が空しく沈黙していた。電池式の充電器で携帯を復活させてもみたが、そもそも電波がやられてしまっているらしく圏外のまま。どこかに連絡することも叶わない。地上から失われた電気の恩恵は、美しく見える満天の星空だけだ。

「よう、シド・バレットだ。あー、たぶん9月21日。そっちはどうだ、兄弟? 星はよく見えそうかな。食い物と暖房が十分だったらいいんだが。こっちはそれよりも水が問題だ。飲み物には困らねえんだけど、生活水がストップするとこんなに辛くなるもんだったとは……熱いシャワー浴びたいぜ」

 窓の外を眺めながら、シドは相変わらずトランシーバーに向かって話しかけていた。この非常事態において幸いだったのは、他の人間と食品や物資の取り合いにならないこと。完全に凍ってダメになってしまわない限り、近所にある大きなスーパーマーケットの品物を一人で自由に使えるわけだ。もともと寒い地域の片田舎だけあって、アナログなキャンプのようなセットがいくつもあって、電気のいらない灯油ストーブやら、暖炉やらで火を絶やさないようにするのも簡単だった。
 シドは本能的に、とにかく体を冷やさないことと、空腹を感じなくともなにか口にするのを忘れないことを守った。光と水と暖かさが手に入ることがどれだけ幸福を毎日感じているところだ。とはいえそれらはすべて不幸中の幸いというもので、相変わらず状況が芳しくないのは確かだった。

「こういう非常時のために、スイスなんかはシェルターが各家にあるんだっけか。人類が滅んだとき用に色んな種類の種を集めてんのはスウェーデンだっけ? それともフィンランドか? 昔テレビで観ただけだから自信ねえな。どっちにしろ、イギリスでも導入しとけばよかったんだ。核戦争が起きた世界で生きるっていのもしょうがねえ話だけど。
 それともやっぱ、オレの知らねえ間に宇宙人の襲撃があって全員連れ去られたとか、溶かされたとか……いや、それは想像すると怖ェからやめよう。皆順当に逃げ切ったと思うのがやっぱり上等かな」
「だとすると『何』から逃げたんだ?」

 『滅亡』だったら笑えないな。
 絶え間なく訪れる暗闇がシドの不安をあおる。元々太陽の元より夜のライブハウスが似合いの男だったが、寝ても覚めても暗いままでぼんやりとした火しか明かりがないとなると、あの灼けるような光が恋しくなるのも当然だった。
 次は寒さ。どうやらこの家に来てから気温は下がり続けているらしく、シベリアというのも冗談ではなくなってきた。家に置きっぱなしにされていたバズの古いコートと、ネモが持ち込んだ毛布で暖を取ると、見知った人間の気配が耳元をくすぐる。それだけでわけもなく泣けてくる。「本当に地球で自分しか生きていないのではないか」という嫌な想像が、シドの頭を支配しはじめていた。

……二度と太陽が昇らねえなら、あんなに嫌わずにちゃんと見ておけばよかったな。人間あたりまえのことには目を向けられないもんだ。ライブハウスも人の声も電話も、今は全部死ぬほど恋しいぜ」

 極めつけに、孤独。
 暗闇で一人トランシーバーに向かって話し、電源を切る。この瞬間の孤独は、シドの短い人生のなかでも最上級のものだ。布団と毛布とコートにくるまって、火と風の音を聴いて、食料の心配も終わってなにもすることがなく、冷えた指先や髪の先がゆっくりと闇に溶けていき、自分の輪郭すら薄れていく感覚。
 応答のない電波に話すたびに、体の中身が空虚になっていく感じがした。それでも声を上げ続けずにはいられない。部屋に反響する自分の声すらなくなってしまえば、ついには気が触れてしまいそうだった。電源を切って数分後、耐えられずにすぐまたダイヤルを回す。

「よう、シドバレットだ! もう限界だ、歌でも歌うか。静かすぎるのは嫌いなんだよ、ホント。最初からそうしてりゃよかった。歌いたい歌ならいくらでもあるしな」
「さすがに今更、助けが来ると思ってるほどバカじゃねえけど」
「あー、自分以外の声が聞きてえ……男でも女でもいいし、話の通じねえヤク中でもいい。犬でも鳥でも。今なら誰が相手でもディープキスできる……

 泣き言を言うと、急に眠たくなってきた。
 落ちそうな瞼を何度か瞬きさせると、暖炉の火が小さくなっているのが見える。ぼうっとした頭で、そろそろ薪を足さないとまずいと思ったが体が動かない。ベッドにトランシーバーを投げ出したまま、シドはデビューシングルの歌を掠れた喉で口ずさむ。
 これを作ったときまだネモはいなかった。あいつを引き抜きたくてウズウズしてたっけ。粗削りで上手くはねえけど気に入ってる歌だ。視界が白く霞む。だんだん寒さを感じなくなりつつある。声が震える。歌が歌えない。死神の鎌の刃先が喉笛に触れた、まさにそのときだ。


――――こちらミルドレッドです。ミスター・バレッド、聞こえますか?どうぞ』


 幻聴か、と思った。
 音はトランシーバーから繰り返し聞こえる。男とも女ともつかない明るい声。ミスター・バレットなんて呼ばれるのはいつぶりだろうか。一気に体にガソリンが入れられたように跳ね起き、シドは通話口にかぶりつくように大声で応える。

「ミルドレッドって言ったか!? 聞こえてるぜ、もちろん、ハレルヤ!! ハハハ!」
『やあ、気軽に「ミリィ」って呼んでくれ。驚いた、キミはけっこう元気だね。それじゃあ何から話そうかな……

 ミルドレッド―――ミリィは嬉しそうに声を弾ませ、太陽がどうだとか、惑星がどうだとか小難しい話を耳元でシドに語りかけたが、永遠ぶりに聞いたような気がする人の声に男は浮足立っていた。さっきまで意識に流れていたエンディングのような切ないバラードが、遊園地のように明るいアップテンポのロンドに切り替わったせいで、まったく頭が回らない。
 もっとも素面であってもシドはミリィの話など理解できなかっただろう。学術的にも、感情的にもだ。脳内麻薬がドバドバと分泌され、体の痛みも忘れて舌が走り出す。

「ミリィ、声が聞けて死ぬほど嬉しいぜ。今ならアンタの言葉には無条件で全部「イエス」だ! つうか、ちょっと頭が回らねえ。会ったらキスさせて欲しいんだけど、急に眠くなってきてよ」
『限界みたいだね。近くまで来てるんだ、迎えにいくよ』

 じゃあ、そのまま少し眠っていて。
 その言葉を境に、シドの頭がぐらりとベッドに倒れこむ。いつもは完璧にセットを施した髪はぼさぼさで、唇は荒れて血が滲み、ピアスから温度を奪われた耳たぶが赤く爛れている。けれど永遠に続いた拷問に耐えきって、やっと報われた気分だった。安物のアパートに置かれた暖炉の薪がパチパチと小さく弾けて音を立てている。神よ、命が終わりゆく瞬間に、どうして声が届いたのか?
 優しく燃えている。
 光をさえぎってシルエットが入ってくる。


 ―――君よ、大いなる星よ。いったい君の幸福もなにものであろうか、もし君に光り照らす相手がいなかったならば!


 星のように明るいその男は、とても嬉しそうに笑ってみせた。