yoqips
2018-10-27 00:31:38
4235文字
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10/21-----輝く空の生贄に

まつながちはるさん、よいとまりちゃんとORIONの夜


 なにか事情があるとは思っていた。
 地下で新たに結成した「BLUE REVOLVER」にキーボードとして(元はサポートメンバーという名目で)加入していたマツナガチハルと、その連れ子のトマリという少女。年齢的に親子でもおかしくない組み合わせではあるが、自分の目上のように「お嬢」と子供を呼ぶあたり、血は繋がっていないのだろう。
 シドにとって重要なのはチハルのピアノの腕前であって、彼の地上での歴史ではない。気にならないといえば嘘になるが、無理に事情を聴きだすつもりもなかった。それを今、シドは少し後悔している。

「チハル!なんとなく追いかけてるが、これでいいんだな?」
「ああ、すまないね、ちょっと、一人じゃ厳しかったんだ」

 10月21日、オリオン座流星群をプラネタリウムに投影するというミリィから用意されたイベント。浮かれて参加した先で、シドの足にたまたまぶつかった少女。黒髪に青いリボンをつけて、ぬいぐるみを抱いた小さなシルエット。
 慟哭のように呼ばれた名前。
 反射的に逃げる後ろ姿を追いかけているうちに、彼らの並々ならぬ事情が浮き上がってくるように見えた。この街に「事情」のない者などいないだろうが、いつも落ち着いた彼の切羽詰まった表情はどうだろう。少女が駆けていくのは研究所の方角だ。小さな足だというのにどうにもすばしっこく、障害物が多くてなかなか追いつけない。
 それでもなんとか食らいついて走っていると、研究所までの一直線のルートの先に、子供の小さな背中をついに捉えることができた。

「見えたぞ、チハル!」

 扉が開く。その先にはやはり、彼らが飛び込んでくることを知っていたかのように、青いヒールと白衣を身に纏ったミルドレッドが立っていた。チハルは酷く焦って何かを阻止しようとしている。
 そしてトマリが口を開いた瞬間、それは"手遅れ"になった。

「この”かんそくじょ”に、とまりのパパはいますか!」

 ああ、と力が抜ける。
 ミルドレッドはチハルの必死の形相などお構いなしに、少女に言葉を返す。シドはやっとこの街に来てから一回として曇ることのなかった、少女の笑顔の理由を理解した。彼女は乗り越えたわけでも理解できなかったわけでもない。単に「知らなかった」だけだったのだ。
 頬を伝って顎から汗が落ちる。事の顛末を息を飲んで見守ることしかできない。観測所と天文台に残る愛しい相手の面影。けれど血の繋がらないチハルがトマリを連れて歩いている以上、その答えは。

「ここには、ボクとリカルダしかいないよ」

 少女はその場にしゃがみ込んだ。
 頭のなかで処理しきれない情報と感情が漏れ出るように、泣き声ともつかないような、短く痛々しいうめき声があがる。少しずつ崩れていくガラス細工を見ている気分になって、隣で硬直しているチハルに声をかける。これは自分の役割ではない気がしたから、どうしても気後れした。

「チハル」
………
「抱き上げて、大丈夫だって、言ってやれ」
………、」

 チハルはどこか遠い場所にいるように反応しない。シドは迷った。これで正しいのかは分からない。けれどこのままじゃ駄目になる。このままでは、シドの好きだった2人のすべてがグシャグシャに壊れてしまう気がして、勝手に体が動いた。

「う、ぁう……
「よしよし、大丈夫だ。大丈夫、な」

 シドは少女の体を抱き上げ、彼女がいつも抱えるぬいぐるみのように無抵抗なその子を抱える。大丈夫だと口でいいながら、これが解決になるのかは分からなかった。ここにただひとり打ち捨てられることはないんだと、自分がそうして欲しかったときのことを思い出し、何度も背を優しく叩く。こちらを見るチハルにも視線で訴えながら。

 だって今、この子にはお前しかいないんだ。
 オレじゃ駄目なんだよ、チハル。

 彼は呆然とした表情のまま、シドが伸ばした腕からゆっくりと少女を受け取った。ぎこちない仕草と小刻みに震える指先。それでも落とすようなことはなく、ぎりぎりまで見開かれていたトマリの黒い瞳がやっと閉じられるのをみて、シドはようやく息を吐く。たぶん、これで良かったのだ。
 そばで笑顔を浮かべるばかりのミルドレッドを睨んでも仕方がない。こいつははじめからこういう奴だ。チハルの背を手で支えながら研究所を出ると、空には次々に落ちていく流星に人々が歓声を上げている。星座には詳しくないが、美しいことだけはわかる。星の観測者であった男と、観測者の娘であった子供の代わりに、目に焼き付けておく必要がある気がした。




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 研究所から一番近いスタジオにやってきた。
 一日の多くを過ごすために、下手をすれば自宅よりも物が揃っている。チハルはソファーにトマリの小さな体を乗せ、光をさえぎるように毛布をかけてやっていた。彼の分の毛布や簡易ベッドを控室から移動させておいて、ついでに取っておいた上等のウィスキーとグラスを机に置く。
 チハルはまだ少し呆然としているが、長く積み重なった習慣がそうさせるのか、自然にグラスを受け取った。酒が飲める年齢になると、たびたび素面では話せないときがやってくる。今がきっとその時だろう。彼は注がれた琥珀色の液体を口に含むと、それを皮切りに一気に喋り始めた。「まつながちはる」が何故地下に至ったのか、その顛末を。

「そうか」

 それらすべてを聞いたとき、なにかまた、不思議な喜びが胸に流れ込んできた。自分を信頼して話してくれたことが、彼に認められた証のようで嬉しかった。
 チハルはすべて吐き出したあと、まだなお眉根を寄せて苦悩しているように見えた。それは、今ソファで眠っている彼女のことだろう。

「僕は、どうすべきなのか、というのを、考えていたんだ。お嬢に、僕らの全てを話すべきなのか。彼女の……が、もう、しょくむ、職務を……いや、死んでしまったことを」

 あと数日間ですべてが終わってしまうのに。

「真実を、伝えるべきなのか」

 助けを求めるように送られた視線に、シドは答えを探して頭のなかを掻きまわす。その善し悪しを考えなければ、彼の答えは驚くほどすんなりと決まっていた。だがそれを伝えるには、自分も過去の扉を彼に開かねばならないと思った。何かに至るには道と理由がある。説得したいわけではなかったが、そうしたいと思った。ミリィに提示されたどおりになってしまったのは、いささか悔しいが。

「PAST——これはオレの昔話だ」

 とんでもないアバズレ女の元で育った。夜逃げ癖が酷く、何度も引越しては一からやり直しになってしまっても、どうしても母親のことを愛していた。少年時代に出会ったロックミュージックのおかげで、今こうして生き延びている。そして色々な手違いのせいで、一人ここにやってきたということまで。
 語ってみれば陳腐で楽しい話ではない。それでもチハルは真剣な眼差しでこちらを見続けていた。自分の傷や人生を開示することは、思いのほか体力のいることだ。「でだ。チハル」と軽く前置きを挟み、直に飲んでいた酒瓶から一気に喉に流し込んで、やっと本題に入る。

「オレは真実を伝えてやるべきだと思う」

 その言葉はチハルの望んでいた答えではなかったのだと思う。彼はほんの少し怯んだように震え、顔をわずかに俯かせる。

「子供は大人が思ってるより『分かってる』もんだ。特に都合の悪いことを隠す嘘は、だいたいバレちまう」
……ああ」
「信じてくれりゃいいが、バレたら最悪だぞ。トマリにはいまあんたしか頼りがないのに、信頼してもらえなくなる」

 偉そうに、と誰かが頭のなかで罵倒する。これでチハルがトマリに真実を伝えて、今度こそ彼女の心が粉々に砕けてしまったらどうするのだと、考える頭もある。けれど信頼している大人に―――どうせ理解できないだろうとあしらわれたとき、子供は自分が「人間以下」に扱われたようなみじめな気分になる。真実を認めてもそれが悪化することはない。それをシドはよく知っていた。
 彼がどちらを選んでも、止めるつもりはなかった。口にした言葉は地面に沁み込んでしまった水のように、取り返しはつかない。チハルは薄茶色の髪を垂らし、ゆっくりと顔を上げてこちらをみた。落ち着いた、いつものあの瞳だった。

……お嬢に嘘はつかない。全てを話すよ」

 大人だからね。
 その言葉に思わず目を細めてしまう。シドがこの答えに行きついたのは、歩き方を知る前に走り出してしまった、体の大きな子供のままだからだ。子供の気持ちに寄り添えても、大人になるのはまだ"振り"の域を出ない。羨ましい、とも思った。もしかしたらこれが、シドが彼を慕う理由のひとつかもしれなかった。
 この決断が託されたとき、同じように振る舞えるだろうか。相手の心を壊してしまう可能性まで背負って、なにかを伝えることが。いまだに目覚めない少女とキーボードの青年を見て、シドはふとブロンドとブルネットのことを思い出した。

(他人―――でもいいのか?)

 例えば、チハルとトマリのように。
 奇妙な気分だった。家が一緒でなくても、血が繋がっていなくても、特別な役割がなくても、互いにいるだけでなにかが赦される。神の家のものが祈らない者すら拒まないように。それは心のどこかで、自分がずっと欲しかったものではなかったか。
 自分は兄でも親でもない。
 そうなる必要はどこにもない。
 もしも、それでもいいなら。

 そんなのはムリだと分かっている。

 シドはほんの一瞬だけ思考の海に沈み、ふっと自嘲の笑みをこぼした。すぐに残りのウィスキーを飲み干して、新しい瓶を開ける。流星群を見損ねてしまった大人の友人に、自分の感動を一緒に注ぐように空のグラスを満たす。あまり感傷的に慰めると彼は泣いてしまう気がして、代わりに改めて乾杯をした。
 彼らがうまくいきますように。
 シドは久々に、祈るような気持ちになった。彼女の笑顔が失われていませんように。彼らのぎこちなくとも穏やかな関係が、この先も続きますように。グラスがチン、と音を立てて、それから馬鹿みたいに酒を飲んだ。楽しく愉快に。それなら、シドの手だって届くだろう。