yoqips
2018-10-26 16:57:51
3679文字
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10/16-----ワンダーラストの帰巣



 10月16日、2区の家に帰宅する。
 日中の予定も少なく、酒を飲み歩いてラジオを終えたいつもどおりの時間。既に寝ているか自室で過ごしているハークは、まだ帰っていないようだった。あの少年にしては珍しいことだ。この広い街をふらふらと出歩くことはあっても、何だかんだとここを家として戻る習慣があるようだったから。
 珍しく夜遊びでもしてんのかな。
 どこかの物好きがこの街でイベントを起こしたおかげで、昼でも夜でも人通りは多い。自分だって一声かけるにしても朝帰りをすることだってある。肩をすくめて散らかったテーブルに持っていた譜面を放り、着の身着のままでソファに寝転がった。今日も時間の作れる限り曲を作っていたので、暫し体を休めるだけのつもりだったが、シドはそのままうとうとと意識を失ってしまった。


 この家では夢ばかり見る。



 は、と目が覚めた。
 ジャケットも脱がずに寝転がったまま眠ったおかげ体が痛い。何か夢を見ていた気がするが忘れてしまった。時計を確認するとすでに深夜1時だ。数時間眠ってしまったらしい。大きくあくびをしながら体を伸ばし、ブーツの底で床を踏みしめて、一応確認のために同居人の部屋をのぞく。
 しかし中には誰もいない。
 軽く整えられたベッドには人の気配はなく、自分が眠っているあいだに帰ってきた様子もなかった。時計の針の音だけが響き、うるさいほどの静寂が下りる。あの同居人がこんな時間まで帰らないとは初めてのことだ。首を傾げてリビングに戻り、ダインングの椅子に腰を落ち着ける。譜面に走る音符を目で追いながら、ふと頭に考えがよぎった。

……そういや、昨日自殺者が出たんだっけか)

 ドク、と胸に嫌な衝撃が走る。
 こんな極限状態だ。耐えきれず自ら命を絶つことはあってもおかしくない。広いといっても狭い地下の界隈にその噂は瞬く間に広まり、死体が研究所の者たちによって回収されることも判明した。顔見知りだった者もそうでない者にも、少なからず動揺が走った。
 ハークはそれを知っているのだろうか。
 シドは途端に落ち着かなくなって立ち上がり、所在なく部屋をうろうろと歩き回った。朝の様子は普通だったと思うが。単に戻るのが嫌になったのかもしれない。いいや、他人の考えが正解かどうかなど絶対に分からない。帰る者のない家の空気がシドを圧迫して、呼吸が苦しくなる。なんて動揺の仕方だ。そんなのおかしいだろ。だってハークはオレの家族じゃない。言い聞かせる頭と裏腹に、男は衝動でそのまま玄関のドアをひねっていた。

 食堂や図書館など思いつく場所はあったが、シドはまっすぐに研究所に向かった。今頭を支配している嫌な予感を一刻も早く拭い去りたかった。夜でも煌々と光をたたえる無機質な建物のなかに足を踏み入れると、まるですべてを予知して待ち構えていたかのように、ミルドレッドがシドを出迎える。

「やあ、シド。ライブの準備は順調かな」
「よう、ミリィ。オレはいつでも順風満帆だ。それで今日は、聞きたいことがあってきた」
「何なりと聞いてくれ」
「『ハート・エイク』はaloneの死亡者リストに入ってるか?」

 男のあまりに単刀直入の物言いに対しても、ミルドレッドは相変わらず星色の瞳を輝かせ、いっそ胡散臭いほどの清らな笑顔を浮かべる。

「いいや。15日以降の死亡者は1人だけ。それはキミの同居人の少年じゃない」
「そうか、あと……
「なんだい?」
「いや、いい。ありがとな」

 今シドに嘘をつく意味はない。それは本当だろう。シドは軽く礼を言ってすぐ踵を返し、研究所を後にした。彼がどこにいるのか探せるかと尋ねようとしてやめたのは、「そこまでする義理はない」と頭のどこかで理性が囁いたからだ。自分は彼の兄でも親でもない。つい最近もそれを確かめたところだというのに。
 だったら、オレは何のために走ってる?
 歩き出した足がいつのまにか急いて速くなり、それを自分で制御できていなかった。シドはあの生意気な少年が、誰と仲が良くて、誰と交流を持っているのかすら知らない。自分たちはお互いの話などしなかった。一緒に住む相手に必要なだけ距離をとった、赤の他人だったからだ。

 こんなときに限って、頭には音階が浮かんでは消えていく。ガンガンと音楽が鳴り響く。人のいない街をあてどなく走る。思いつく限りの場所に足を運んだが、疑似太陽の光が白く霞むころまで探しても、シドにハーテイクは見つけられなかった。




--------



 ソファに体をもたれさせると、伝った汗が流れて皮膚が冷えていく。全力でライブをした後の状態に似ているが、エネルギーのみなぎるような充足感はなく、ただ徒労だけが残っていた。
 何もする気が起きない。
 もしかしたら入れ違いで帰っているかもしれないからと一旦帰宅したら、何もかも限界で動けなくなってしまった。頭に浮かんだ音を譜面に書き留める気力もない。一人でいると悪い想像ばかりが浮かんでくる。なにかがはじまる前に終わってしまったような、途方もない空虚がシドを支配していた。もう一度ミリィを訪ねるべきかと考えた、その時。

 ―――ガチャン

 隣人に遠慮したような、控えめな音が転がる。シドは思わず跳ねるように立ち上がった。ドアの向こうに見慣れたサンドブロンドと青い瞳がある。それに胸を撫でおろすよりも先に、ぐちゃぐちゃになった配線が一気に切れたように感情が弾け、爆発的な怒りがせり上がってきた。

「あれ、なんだ起きて……
―――どこほっつき歩いてたんだテメェ!!」
「ッ……ハァ!? 別にオレがどこ行ってようがオレの勝手だろ!」

 反射的に言い返された言葉に、さっと血が冷えるような感覚を覚える。シドは自分の口を押さえ、激しく狼狽して喉をひきつらせた。ハークの言う通りだ。シドが彼の行動を制限できる理由などひとつもない。そんなことを言う筋合いなどまるきりないのだ。
 違う、オレはただ、そうじゃない。
 この少年の前では、なるべく大人でいようとしていた。別段そう決めていたわけではなかったが、あのホールで青白い顔をして俯いた彼の顔が、まだ印象に残ってしまっているのかもしれなかった。力の入った拳を無理やりほどいて、シドはぐっと目を瞑る。

「違う。わりぃ、オレはもうちょっと……ホントに、もう少しマシなこと言おうと思ってたんだ。怒鳴って悪い、ハーク」

 シドが取り繕うように謝罪を口にすると、ハークもすぐにはっと悲しげな表情になった。そうだ、ハークはこういうやつだ。こんな素直な子供に怒りのまま怒鳴るつもりなんてなかった。次々と後悔が押し寄せてくる。口を開くとまた失敗しそうで暫く黙っていると、今度は少年がためらったようにシドに話しかけた。

……探した?」
「あー、まあ、ちょっとだけな」
「わるい、番号わかんなかったから」
「いや、そうだよな。いいんだ、オレが……こんなこと言えた義理じゃねえけど、一応、メールでも入れといてくれると……ありがてえかも」

 ハークは歯切れの悪いシドの言葉に素直に頷いて、ポケットから自分のモバイル端末を取り出した。こんな状況だと、不思議なことに地下でこれらが使用できることすら忘れてしまう。シドが自分の携帯を渡すと、ハークは一生懸命に文字列を見て、丁寧に番号を入力していった。
 なんて情けない気分だ。
 はあ、と息を吐いたところで、番号の交換が終わったようだった。思い切り怒鳴ったが、怖がられていないだろうか。ハークがはじめ自分を少し警戒していて、強い言葉を使っていたことくらいシドには分かっていた。どうして自分はいつまでもこんなに子供なのだろう。いつものように手を伸ばして撫でても逃げられないことに酷くホッとしてしまう。
 手のひらから体温が伝わる。
 ハークは生きている。

 彼は懲りずにここに帰ってきた。それはいったい何故だろうか。他人の考えが正解かどうかなど絶対に分からない。だからもうすこし、ハーテイクという人間と話す機会が欲しいと思った。だがそれは、また次の機会になってしまいそうだ。

……オレちょっと寝てくるわ。気にせず図書館でもなんでも行ってこい、な」
「うん」

 疲れが急激に表面に出てきて、シドは足から力が抜けそうになるのをなんとか堪える。外は既に朝のように明るい。風呂にも入りたいし酒が飲みたいが、それ以上に深く眠りたい。ふらふらと自分の部屋に消えようとする同居人の背中に向かって、ハーテイクは追いかけるように声を投げかける。

「心配かけてごめん。もうしない」

 不器用でまっすぐすぎる言葉に、シドは振り返らずに軽く手を振って、パタンとドアを閉めた。返せる言葉が見当たらない。問いかけの答えも見つからない。オレはやれることを全部やれただろうか。長い一日が終わる。この街で暮らし始めてから、ちょうど半月ほどのことだった。