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yoqips
2018-10-23 01:18:04
2696文字
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10/17-----汝の隣人を愛せよ
10月17日。天気は晴れ。
aloneに雨が降っているのは、当たり前だが見たことがない。シド・バレットはうららかな午後に珍しく同居人のハーテイクを交えず、今日めでたく退院を果たしたシシィと二人でスタジオに向かっていた。
この小柄で物静かな隣人が、どうやら大きな音が苦手らしいとシドがやっと気付いたのは、先ほど彼の携帯から大音量で音楽が鳴ったときだった。普段は脱力しているように薄く伏せられた瞼がピク、とひきつって声すら上げなかったのが、やけに痛々しくみえてしまって。
「静かな曲のほうが好きか?」
シドに思わずそう言わせたのは、ミュージシャンとしての本能のようなものだった。答えに詰まり黙ってしまったシシィに「実際に聴いてみりゃいいさ」とやや強引に話を運び、スタジオ代わりに借りた部屋に来客用の椅子を置いたのが今だ。
もうこの地下最後の楽園にいくらかの斜陽が射している。練習の間の息抜きに借りていたアコースティックギターを抱え、癖で足を組む。少女は大人しく席につき、相変わらず静かにまばたきをした。
さて、何がいいかな。
どうせなら観客の好みの歌にしたいが、シシィの音楽の趣味は残念ながらとんと分からない。シドはほんの少し考えを巡らせたあと、すこしチューニングをしてから、弦に指の腹を添えて曲を弾きはじめた。
「She's a good girl, loves her mama(彼女はいい子だった、ママを大切にしてた)
……
」
コンクリートを打ちっぱなした広い部屋にギターの音と声が消えていく。美しい旋律と切ない声のバラード。トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズが1989年にリリースし、2007年にはジョン・メイヤーがカバーした「フリー・フォーリング」は、シドがたまたまラジオで聞いて手慰みのように覚えた曲だった。それで、あまり望まれたことがないので披露した回数も少ない。
ーーー彼女はいい子だった。ママを大切にしてた。神様だって信じてたし、自分の国も大好きだった。エルヴィスに首ったけで、馬と恋人を心から愛している。
歌詞はあまり重要じゃない。寂しくてやるせない、傷付いた心に染みわたる雨のような、この柔らかく優しいメロディがこの少女には似合うような気がした。
シドがシシィに構うのには、なにかはっきりと言語化できる理由があるわけではない。音楽仲間たちのように互いに必要とする要素があるわけでも、ロマンのある運命的な出会いがあったわけでもなかった。アガペーからもたらされる慈愛でもない。身もふたもない言い方をすれば、あの日たまたま様子が気になって以来の、単なる成り行きでしかないのだ。
「He's a bad boy 'cause he doesn't even miss her(彼は悪い男だ。彼女を解放してくれもせず)」
ただ敢えていうならーーーシシィの「兄さん」の話のせいかもしれなかった。彼女の口から語られる兄の所業は、第三者からすれば彼の死が神の鉄槌ではないかとすら感じ、それなりに警察にお世話になったこともあるシドが、そりゃ死んでも仕方ないんじゃないかと思うような人物である。社会的にも、倫理的にも。
けれど、シシィにとってはよき兄だったのだ。
愛するに相応しい人間を、相応しいときに愛せるとは限らない。子供は特にそうだ。どんなに残酷な人間でも、誰かを不幸にし続けている人間でも、どうしてもそばにいる相手を必要として、愛してほしいと思う。自分にとって優しい人間であるのなら尚更、いくら他人から言われようと慕うことをやめられない。ちょうどシドにとって母親がそうだったように。
彼女にとって兄がすべてであるなら、今シシィのなかには何も存在しないことになる。すべてを失って戻らず、新たに得てもいないのなら、この少女は誰もいない夜をどうやって過ごしているのだろう?
シシィを前にすると、彼はときどき傷付きやすかった少年のころに戻ったような錯覚を覚える。過去は忘れて今を楽しめと外に連れ出したくなる。うつろな部屋に音楽を鳴らしたくなる。シシィにとっては迷惑な話だ。ただ誰かに、こうして欲しかったことを覚えているから。
うまく言葉にできない感覚だ。
シドは別に、いまさらこんな地の果てで自分の言葉が誰に届かなくても構わなかった。ただ歌だけが寄り添えばいい。理由なんてあとから付けてしまえばいい。世界を少しでも楽しく愉快に。それには大賛成だ。自分がやっていることはどこまでも己の欲望のために他ならない。街の中心から位置の変わらない太陽が差し込み、部屋はひたすらに煌々とまぶしかった。
「Yeah I'm free, free fallin(そう、俺は何にも縛られることなく、自由に落ちていく)」
最後の一小節を終えて弦を指から離す。部屋から音が消えると、ここから遠くで彷徨っていた意識が戻ったような気分になる。ふとギターから顔を上げると、シシィの目尻から緊張が解けているのが分かった。なんとなく答えを聞きたくて、シドはギターをテーブル代わりに肘をついて観客に尋ねる。
「よう、どうだった?」
「
……
こっちの方が好き。うん
……
こっちの方が好きだと思う」
少しばかり躊躇ったあとの言葉に、思わずまじまじと彼女の顔を見てしまう。唇はあいかわらずきゅっと小さく閉じられているが、やはりほんの少し表情が緩んでいるように見えた。拍手も賞賛もなかったが、たぶんシシィは彼女なりに、精一杯言葉を絞り出してくれたのだと思う。食事をしても洋服を選んでも好き嫌いのひとつも口にしないこの少女が。
シドは久々にじんわりとした暖かさが血に通った感覚に、嬉しそうに笑って息を吐いた。なにか過去に置き去りにしたものがひとつ報われたような、そんな感覚だった。
「ライブはバラードも入れなきゃな」
「ライブ」
「そ、まだ目処が立ってるわけじゃねえけど、一ヶ月の間に絶対やるつもりだ。今回で懲りてなきゃ、シシィも来てくれるか?」
少女は細い脚には大きいブーツで椅子から立ち上がり、ぶかぶかの上着をずり落ちないように腕で抱える。首から下げた祈りのためではない銀の十字架が揺れ、それでもゆっくりとシドを見上げて、シシィは唇を開いた。
「うん、きっと行く」
ーーー父と母を尊敬し、自分を愛するように隣人を愛しなさい。シドは少女の本当の声を、そのときはじめて聞いた気がした。
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