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くじ
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穂荒
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錨
お好み焼き18歳組が旅行先で山に登る話。
ほんのりホラーでほんのり穂荒な全てがほんのりした話です。
夏場の炎天下と言えど、鬱蒼と生い茂る木々が日射しを遮ってくれるおかげで、茹だるような暑さも幾分か緩和されている。
だが、この耳を劈く蝉の声だけはどうにもならない。絶え間なく降り注ぐ蝉時雨に、今が真夏だということを否が応でも思い知らされ、まるで鼓膜の内側からチリチリと焼かれていくような錯覚すら覚える。
縦に列をなしながら、もうかれこれ一時間以上は山道を歩き続けていた。一体あとどのくらい進めば、目的の場所に辿り着くのだろう。
わざわざボーダーの休暇を取って旅行に来たというのに、何故こんな見知らぬ山なんて登っているのか。
事の発端は数時間前に遡る。
今は八月。世間一般の高校生なら夏休みを満喫している時期だ。
たとえ夏休み期間中であっても、ボーダーに所属している以上は防衛任務等が勿論発生するのだが、幸いボーダーはある程度の融通が利く組織である。隊員達には学校のそれとは別に、希望さえすれば休暇が与えられる。
せっかくの夏休みなのだから何処かへ旅行でもしようと、当真・影浦・北添・村上・荒船・穂刈の六人は合わせて休暇を取り、二泊三日の旅行計画を立てた。
飯が美味いところが良い、海鮮が食えるところが良い、他の観光客が少ないところが良い、景色が綺麗なところが良い、行ったことのないところが良い、なるべく旅行費用は安く済むところが良い。
あれやこれやと各々の好き勝手な希望を総合した結果、六人は三門市から電車やバス、そしてフェリー等を延々と乗り継いで、とある離島まで遥々やって来た。どうやら此処は観光地としてそこまで栄えている訳ではないらしく、この島でフェリーを降りた観光客は自分達の他には誰も居なかった。
波止場から十分程歩くと、今回の旅の宿泊先である民宿に到着した。てっきり小ぢんまりとした古民家を想像していたものの、実物は広々とした庭付きの大層立派な屋敷だった。
何でも宿の主人の先祖は地元の名家であり、主人の父の代でその屋敷を民宿として改装したのだとか。愛想の良い女将にそんな話を聞かされながら案内されたのは、離れにある大部屋だった。
女将が静かに戸を閉めて部屋を出たのを合図に、全員が荷物を適当な場所に放り出して畳の上に腰を下ろす。窓から景色を眺めたりテレビをつけたりお茶を淹れたり冊子を眺めたり、各々しばらくの間ダラダラと過ごしていた。
賑やかな蝉の声と穏やかな波の音に混じって、窓辺に掛けられた小さな風鈴が時折涼やかな音を立てるのが心地良い。旅の疲れも相俟って、気を抜くと眠ってしまいそうだった。
休憩もそこそこに、さて、ではこれからどうするという話題になった時。
「今の時期は祭がやってるらしい、あの山の中にある村で。行ってみねーか」
穂刈が部屋の窓から見える山を指差して、突然そんなことを言い出したのだ。一同の怪訝そうな視線が穂刈に向けて注がれる。
「村があんのか? あんな山の中に」
「普通に歩いていける距離なのか? 登山なんてできる装備じゃないぞオレ達」
「あるんじゃねーか、歩いて行ける道が」
「おい、適当なこと言ってんじゃねーぞコラ」
影浦が穂刈の肩を小突く。痛いぞ、と穂刈が言う。
この男が祭好きであることは周知の事実であったが、こんな見知らぬ土地の、それも山の中にある村の祭の情報まで仕入れているとは思わなかった。そういえば、旅行先をこの島に決めたのも、この宿を取ったのも穂刈だった。以前からその祭とやらに興味を持っていたのかも知れない。
だが、どうにも村に関しても祭に関しても情報が曖昧で、眉唾ものといった感想が否めなかった。
「でも、お祭なんて楽しそう」
「だな。夏らしくて良いんじゃねーの」
北添と当真は穂刈の提案に乗り気なようだった。元々羽根を伸ばすということ以外は大して目的もやることもない旅行である。心配そうにしていた村上も、みんなが行きたいなら、と反対する素振りは見せない。渋々といった様子ではあったが、どうやら影浦も彼らに付き合ってやるつもりではあるらしい。
穂刈はちらりと隣に視線を移し、最後の一人の答えを待つ。
「海で泳ぐよりはマシだ」
湯呑に三杯目の緑茶を注ぎながら荒船がぶっきらぼうに答える。その言葉に異議を唱える者が居ないことを確認すると、決まりだな、と穂刈が満足そうに頷いた。
山の入口まで行ってみると、穂刈が言った通り、確かに山中へと続くハイキングコースらしき道があった。大掛かりな装備が必要な程険しくもなさそうだったので、とりあえず登れそうなところまで登ってみようということになり、一行は見知らぬ山ヘと足を踏み入れた。
足場の悪さなど物ともせずに穂刈が先頭を進み、そのすぐ後ろに荒船と村上が続く。そこから少し距離を空けて影浦、そして北添に押されたり引っ張られたりしながら、早くも当真が息を切らして最後尾を歩いていた。
初めのうちは軽い雑談を交えながら歩を進めていたが、道が険しくなっていくにつれて、蝉時雨に気圧されるように、みんな口を閉ざしてしまった。
途中何度か分かれ道が現れたが、先頭を歩く穂刈は躊躇う様子もなく道を選んで進んで行く。その足取りは、とても初めて訪れる山道を歩いているとは思えない程迷いがない。その後に続く荒船達は、そんな彼の背中を追うのがやっとだった。
「待て」
いよいよ後続との距離が開き始めてきた頃、荒船の声が穂刈を制止した。それまで後ろを振り返ることのなかった穂刈がピタリと足を止め、荒船の方へ顔を向ける。
「どうした」
「カゲ達が遅れてる。このままじゃはぐれるぞ」
「ん?
……
ああ、悪い」
穂刈は影浦達が自分達の遥か後方を歩いていることに初めて気付いたようで、小走りで荒船の元へ駆け寄って来た。
この男が周囲の様子に気を配らないなど、珍しいこともあるものだと、荒船は内心首を捻る。祭と聞いて相当気が逸っているのだろうか。
とは言え、このまま進んでも後続との差は開く一方なので、荒船と穂刈は一旦山道の脇に生えた木々の露出した根に腰を下ろし、影浦達が追いついてくるのを待つことにした。
荒船が細く息を吐いて帽子を取り、それを団扇がわりにしてパタパタと扇ぐ。弱々しい涼風が、隣に座る穂刈の頬を微かに擽った。
「
……
暑い」
「疲れたか、流石に」
「馬鹿言え。この程度でバテるかよ」
その言葉は決して強がりではないようで、真夏の山道を長時間歩き続けている割には、荒船の呼吸は随分と落ち着いている。首筋を伝う汗を拭うと、彼はバッグから中身が半分まで減ったペットボトルのお茶を取り出し、それを一気に飲み干した。穂刈も同じように、すっかり温くなった水を飲む。
山に入る前に全員が自販機でバッグに入るだけの飲み物を購入しておいて正解だった。こうして順調に水分が消費されていっているおかげで、買い過ぎて余るという事態にはならなさそうだった。
しばらくして、息を切らせた影浦がよろよろと追いついて来た。真夏でも相変わらず口元を覆うマスクと真っ黒なハイネックパーカーが、一層彼の呼吸の息苦しさを際立たせている。
「おう、来たか」
「このっ、ボケ
……
テメーら
……
は、早ぇんだよ、歩くのが」
「足りてねーな、鍛え方が」
「うるっせーよっ筋肉馬鹿。誰の所為で、こんな、山道、歩いてると思ってんだ
……
!」
絶え絶えの呼吸混じりに穂刈に恨み言を吐きながら、影浦はどさりとその場に腰を下ろす。まだ何やらぶつくさと文句を言っているようだったが、荒い呼吸にかき消されてよく聞こえない。穂刈はと言えば、影浦の言葉を気にする様子もなく、涼しい顔で水を飲んでいる。
「鋼はどうした」
空になったペットボトルをベコベコと音を立てて潰しながら、荒船はへたり込んだ影浦を見下ろす。途中まで自分の後ろに続いていた筈の村上が、一向に姿を見せないのが妙だった。
「ああ
……
あいつなら、当真の面倒見に、引き返しに行った。もう、死にそうだったぜ、当真の奴。
……
今頃死んでるかもな」
ぜぇぜぇと息を漏らしながら、影浦が途切れ途切れに言葉を口にする。その様子は随分と苦しそうだった。荒船や穂刈程ではないにせよ、影浦も決して体力がない男ではない。そんな彼ですらこんな状態なのだから
……
と名前が挙がった友人の顔を思い浮かべて荒船と穂刈は顔を見合わせる。
「ぞっとしねぇな」
縁起でもない軽口を言い合いながら、残りのメンバーの到着を待つこと更に数十分。北添と村上に両脇を抱えられるようにして、生まれたての仔鹿のような覚束ない足取りになった当真がようやく姿を現した。
「はぁ〜やっと追いついた〜」
「悪い、遅くなって」
「よぉ、生きてたかよ当真」
「
……………………
」
ようやく呼吸が落ち着いた影浦が投げかけた言葉に対する返答はなく、代わりに北添の肩にもたれ掛かりながら項垂れた当真の片手が、頼りなく僅かに持ち上がる。どうやら今は呼吸するので忙しいらしい。こんな状態の当真を長時間引っ張って歩いてきた所為か、体力自慢の北添と村上の顔色にも流石に疲れが見えた。
「ゾ、ゾエさんちょっと休憩していい
……
?」
「オレも
……
ちょっと休ませてくれ」
「ああ、ここ座れ」
荒船と穂刈が腰掛けていた木の根から腰を上げ、村上達をそこへ座らせる。
「
当真
《
トーマ
》
くん。お茶飲めそう? 水の方がいい?」
「
………………
水」
ようやく腰を落ち着けて、各々が水分補給をしながら乱れた呼吸を整える。
みんなが休憩している中、穂刈だけが少しそわそわとした様子で道の先を気にしている様子だった。
「おれ、もう立ち上がれる気しねーんだが
……
」
やっと顔を上げた当真は、やはり体力の限界が近いようだった。普段の不敵さは鳴りを潜め、か細い声で弱音を吐いている。
「頑張れ、もうすぐ着くから」
「
……
さっきから気になってたんだが」
当真を励ます穂刈の言葉に、怪訝そうに眉を顰めた荒船が口を開いた。
「おまえ、道わかってんのか? 途中の分かれ道でも、迷ってる様子がなかったが
……
」
「んん?」
荒船の問いに、穂刈がきょとんとした表情で不思議そうに首を傾げる。
「だって立ってたろ、看板が」
「看板
……
?」
「見てないか?」
初耳だった。道中の記憶を辿っても、出てくる光景は木、木、木ばかりで、荒船には看板なんて一つも見覚えがない。あの時はどんどん先を進む穂刈を追うのに必死で、気が付かなかったのだろうか。
だが、彼が分かれ道でも躊躇わずに道を進んでいたのは、その看板のおかげだったのかと考えれば、一応の納得はいく。
「
……
そんなのあったか?」
荒船が抱いていたものと同じ疑問を口にしたのは当真だった。彼も荒船同様、穂刈の言う看板とやらに気が付かなかったらしい。しかし、それを隣で聞いていた村上と北添が困ったように笑う。
「途中いくつか立ってたな」
「
当真
《
トーマ
》
くん、一つも見てなかったの?」
「そりゃずっと項垂れて歩いてちゃ見えねーだろ」
「あー
……
ナルホドね」
影浦の言葉に納得したのか、それともここまでの道のりを思い出してまた疲れが出てきたのか、当真は北添の肩にもたれ掛かり盛大なため息を吐いた。
どうやら穂刈だけでなく、北添と村上、そして影浦もその看板を見ていたらしい。
「
……
見てないのは俺と当真だけか」
「どうせぼーっと歩いてたんだろ」
荒船が無言で影浦を肘で小突く。疲れもあって避けきれなかったのか、鳩尾にそれを食らった影浦がぐっと呻き声を上げた。
「まあ、かなり古ぼけた看板だったからな。気付かなくても無理ないだろ」
お互いに小突き合いを始めた荒船と影浦の様子を眺めながら村上が苦笑する。「やめろ、疲れるから」と窘める当真の声で二人がようやく大人しくなると、その傍らから穂刈が歩み出た。
そして、長く高く続く道の先を指差して、
「進むか、そろそろ」
と静かに告げた。一同はああ、と返事ともため息とも取れる声を漏らす。
いつの間にか、蝉の声は止んでいた。
陽はまだ高い場所にある。
「見えたぞ」
穂刈の声に顔を上げると、確かに視界の先の木々の間から、屋根のようなものが見えた。もうすぐ着く、と言った穂刈の言葉は本当だったらしい。
そのまましばらく道を進むと段々道が開けていき、森を抜けて晴天の下に出た。数刻ぶりに浴びる陽射しの眩しさに、荒船は咄嗟に帽子のつばを下げた。
ふと、道の傍らに看板が立っていることに気付く。穂刈達が見たという看板も、こんな風に草葉の陰に隠れるようにひっそりと佇んでいたのだろうか。村上曰くそのどれもがかなり古ぼけていたらしいし、だとすれば、自分と当真が気が付かなかったのも無理はないと思った。
荒船はみんなの列から少し外れて、その看板に近付いてみた。恐らく村の名前が書かれていると思われるが、かなり劣化が進んでおり、辛うじて「この先、」という文字を読み取ることしかできなかった。
村への道を指し示してくれる筈の看板がこれほど劣化していては、訪れる客も困るだろうと思ったが、そもそも滅多に外部から人間が訪ねて来ることなどないのかも知れない。
そんな村の存在を、そんな村で行われている祭の存在を、穂刈は一体どうやって──
「荒船」
名前を呼ばれて振り返ると、いつの間にか穂刈が背後に立っていた。知らず知らずのうちに考え込んでしまっていたらしく、声を掛けられた拍子に大袈裟に肩が揺れてしまって何だかばつが悪かった。
「驚かせるな」
「こっちの台詞だ、そりゃ。どうしたのかと思ったぜ、急にふらふら歩いて行くから」
「看板があった
……
けど、全然読めねぇ。多分、村の名前が書いてんだろうが」
荒船が看板に絡みつく細い蔦を手で払う。いくら払ってもちぎっても、看板はなかなか全貌を現さない。その様子を、穂刈はじっと目を細めて眺めていた。
「
……
■■だ」
「え、なに」
耳馴染みのない言葉に、荒船は蔦を払う手を止める。
それから穂刈の方へ顔を向けようとした瞬間、強い力で腕を引かれて看板から引き剥がされた。あまりにも突然のことで上手く体勢が整えられず、荒船は思わずよろめいてもう片方の手で咄嗟に穂刈の肩を掴んだ。
大丈夫か、と頭上で声がした。荒船は顔を上げて、その声の主を睨む。
「おまえが急に引っ張るからだろ」
「悪いな。でも、もうやめとけ。切れてるぞ、指が」
「あ? ああ
……
」
言われて自分の左手の指に目を遣る。痛みはないが、確かに蔦を払ううちに軽く切ってしまっていたようで、ところどころ薄く血が滲んでいた。
そこに穂刈の指が重なり、荒船の血を拭う。
「早いとこ戻ろう。どやされるぞ、カゲに」
もう一度、今度は優しく穂刈に腕を引かれる。荒船は素直に頷いて、影浦達の待つ方へ並んで歩き出した。
先程穂刈が口にしたのは村の名前だろうか。よく聞き取れずに聞き返してみたが、結局その答えが穂刈から返ってくることはなかった。
数時間掛けて山道を歩き続けた先には、確かに村があった。
ようやく目的地に辿り着いたという安堵感と、本当に村が存在したという驚きで、示し合わせる訳でもなく、自然と全員が村の入り口まで駆け出していた。
だが──どうにも様子がおかしい。
入口のすぐそばに建つ、背の高い雑草に囲まれた木造の家屋は、梁や柱の腐食が進み、殆どの窓ガラスが割れていた。当然住人の気配はない。村の中を見渡してみても、他の家屋もどれも似たような状態で、とてもここで祭りが行われているどころか、人間が生活しているとは思えなかった。
「
……
穂刈が言ってた村って、ここなのか?」
「
……
だと思うんだが、多分」
「でも、ここは
……
」
村上から不安げな視線を向けられて、穂刈も怪訝そうに眉を顰める。言い難そうに言葉を切った村上が言わんとしていることは、続きを聞かなくてもわかる。
誰がどう見ても、ここは廃村だった。事前に聞いていた話とは全く違う様相に、炎天下に居ることも忘れて、六人はしばらくその場で茫然と立ちつくして陽射しに焼かれていた。
「中に入ってみねーか、少しだけ」
沈黙を破ったのは穂刈だった。
自分の提案でここまで来た手前、無収穫のまま戻りたくはないのかも知れない。それとも、単に別の好奇心を刺激されただけか。
「危なくないのか」
「そ、そうだよ。クマとかイノシシとか住んでるかも知れないし
……
!」
「すぐ引き返す」
「建物には近付くなよ。いつ崩れるかわからないからな」
「おう、了解」
「おい
……
荒船と当真も行く気なのか?」
口調こそ冷静だったが、この状況に好奇心を刺激されたのは荒船も同じなようで、穂刈が村の中に入ろうとすることを咎めようとはしなかった。その言葉に頷く当真の表情も、先程まで浮かんでいた疲れは消え失せて、いつもの不敵な笑みが戻っている。
だが、心配そうに顔を見合わせる村上と北添を尻目に、三人が村の中へと一歩踏み出した瞬間、
「やめとけ」
突然弾かれたように影浦が先頭の穂刈の肩を掴んで引き止めた。
てっきり彼は面白そうだと廃村探検に乗ってくるものだと思っていたから、予想外の行動にみんな目を丸くする。
「おい、カゲ。大丈夫か? すげー汗だぜ」
長い前髪から覗くその険しい顔に滝のような汗を浮かべているのは、この暑さの所為だろうか。
「
……
数が合わねぇ」
「数?」
全員の視線が影浦に注がれる。
彼は心底不快そうな表情で、自分の肩を頻りに擦り続けていた。その仕草が彼の持つ
副反応
《
サイドエフェクト
》
の影響によるものだということはすぐにわかった。
北添が心配そうに「カゲ?」と声を掛けると、影浦は忌々しげに舌打ちする。
「刺さってくる感情の数がおかしい。
……
多すぎる」
「“多すぎる”
……
?」
影浦の言葉に、もう一度村の中を見渡す。やはり人の気配はない。
人の 気配は ない。
「わかった。ここから離れよう」
荒船が短く告げる。意見を一転させた彼に反対する者は居なかった。
尋常ではない影浦の様子に皆ただならぬ雰囲気を感じ、一刻も早くこの場から離れなければ、と急ぎ踵を返す。
当真に北添が、影浦に村上が付き添いながら、足早にその場から離れて行くのを荒船が見送る中、穂刈だけがまだ村の方を見つめて佇んでいた。
「穂刈」
荒船が穂刈の腕を引く。ハッと我に返ったかのように見開かれた穂刈の瞳に映る自分の姿は、何とも不安そうな顔をしていた。
「カゲ達は」
「先に行った。おまえがぼーっとしてる間にな」
「
……
そうか、悪い。行くか」
そう言うと穂刈はすぐさま荒船と共に歩き出す。
来た道を戻る間、穂刈が後ろを振り返ることは一度もなかった。それでも何故か妙に心がざわついて、荒船は影浦達と合流するまで、穂刈の腕を離す気になれなかった。
大急ぎで山道を駆け下りてきた為か、帰り道は登った時よりも随分短く感じた。
その後、得体の知れない廃村から逃げるように山を下りて、宿に戻った一行は、皆が皆疲れ果てていて、誰一人としてしばらく口を開こうとはしなかった。今朝方この宿に到着した時と同じように、荷物も体も畳の上に放り出したまま、静かに時間が過ぎていく。
あれほど爛々と天高く輝いていた太陽も徐々に傾きだし、昼間とは違う蝉の声が窓の外から聞こえ始めていた。
「悪かった、付き合わせて」
畳の上で目を閉じて大の字になった穂刈がぽつりと呟く。その近くで仮眠を取っていた村上が顔を上げて、穂刈の顔を覗き込んだ。貴重な余暇を使ってみんなを山登りに付き合わせた責任を感じているのか、目当ての村が廃村だったことを残念がっているのか、その表情は何とも寂しそうに見える。
「気にするなよ。穂刈も残念だったな、祭がやってなくて」
「ああ
……
」
「そもそも、どっから仕入れた情報だったんだ、その祭って」
座卓を挟んだ反対側から伸びてきた影浦の足先に軽く小突かれ、薄く目を開けてうーん、と唸りながら穂刈は天井を見つめる。
「よく思い出せねーんだよな、誰から聞いたのか」
「ハァ? 何だそりゃ」
「確か、山に行く前にガイドブックみたいなの読んでたじゃねーか。それに書いてたんじゃねーのか?」
言いながら当真はマガジンラックから、穂刈が今朝読んでいたものと同じ小冊子を手に取り、パラパラとページを捲ってみる。しかし、掲載されているのは地元の小料理屋だとか釣りや遊泳におすすめのスポットだとかそういった類の情報ばかりで、あの村に関するものは一切載っていなかった。
「どう?
当真
《
トーマ
》
くん、何か載ってた?」
「
……
いや、何もねーな」
「穂刈はここに来る前から祭があるって知ってたんだろ? だから旅行先に選んだんじゃなかったのか?」
「ンーー
……
どうだっけな、それも」
「おいおい、穂刈ぃ〜。おめー祭が好きすぎて勝手に想像上の祭作っちまったんじゃねーのか?」
「ハ、有り得るな、それ」
「
……
仮に祭がこの馬鹿の想像だとしてもだ」
呑気に笑い合う穂刈と当真を睨みながら荒船が重々しく口を開く。
「村は実際にあった」
「でも、ありゃどう見ても廃村だろ」
「それもかなり古そうだったよね。その
……
えーと、何だっけ、村の名前」
「知らねぇよ、覚えてねぇ」
「何で。おまえら途中で看板見たんだろ? なんて書いてあったんだよ」
「そうなんだけど
……
」
当真の質問に、穂刈も北添も影浦も一様に「覚えていない」と首を横に振るばかりだった。
「鋼は?」
荒船と当真は村上に目を遣る。話を振られるまで何だか気まずそうに黙っていた村上は、困ったような表情を浮かべた。
「それが、オレも
……
よく思い出せないんだ。村の名前も、村への道順も」
「おいおい、何か妙な話になってきたな」
そう言う当真の声色は随分楽しそうだった。
確かに当真の言う通り妙な話だった。不可解だった。何もかも不可解で不気味だった。
穂刈がどこでいつ誰から耳にしたのかもわからない村の情報も、当真と荒船だけが道中気が付かなかった村へと案内する複数の看板も、影浦の
副反応
《
サイドエフェクト
》
が捕らえた得体の知れない無数の気配も、そして、村の名前を誰一人として──村上でさえも思い出せないのも。
「
……
あのまま村に入ってたらどうなってたんだろうな」
「そりゃあ
……
やっぱり食べられちゃってたんじゃない? クマの群れに」
「クマって群れるんだっけ? そもそもカゲが感知したのって結局クマだったのか?」
「ナメんなよオイ。動物と人間の区別くらいつくわ」
「ってことは、動物じゃなかったのか?」
「違うね。野生動物があんな感情刺してくる筈ねぇからな」
「それじゃあやっぱり、人が居たのか
……
? あんな状態の村に?」
「な、何か怖くなってきたから、もうやめない?」
影浦達の会話に黙って耳を傾けながら、荒船はあの朽ち果てた看板の前で穂刈が口にした言葉を、必死に思い出そうとしていた。
あの時穂刈は何と言ったのだろう。あれは村の名前ではなかったのだろうか。
けれど、当の本人が村の名前を覚えていないと言っている以上、さして意味のある言葉ではなかったのかも知れない。
■■、■■、■■
……
。
「なあ、カゲ。あの時どんな感情が刺さってきたんだ?」
村上に問い掛けに、影浦がにやりと歯を見せて笑う。その笑みに嫌な予感がしたのか、北添の顔がさっと青くなった。
「
……
歓迎されてたぜ、俺達」
窓から見える空が夕日に焼けていく。真っ赤な空をバックに、大きな山々が真っ黒な塊に変わっていく姿が、妙に不気味に思えた。
しかしながら、夏休みの旅行で浮かれた男子高校生の思考回路など実に単純なもので、広い浴場で熱い湯に浸かって、美味い食事にありつく頃には、もう昼間のことなど誰も気にしなくなっていた。
食後には「若い子達がこんなに大勢で泊まりに来てくれることなんて、滅多にないから」と気を利かせた主人と女将が用意してくれた手持ち花火を手に、宿の広い庭を借りて子供のようにはしゃぎ回った上に、よく冷えたスイカまで馳走になった。
それから部屋に戻り、各々がトランプやら花札やらDVDやら漫画やら、夜更かしのお供になりそうなものを色々持ち出してきたが、やはり昼間の疲れもあってか、敷かれた布団の上に寝そべっているうちに、一人また一人とみんな気を失うように眠りに落ちてしまった。
その夜、穂刈は目を覚ました。
布団から身を起こし、窓から昼間登った山の方角を覗き込むと、小さな赤い灯りが連なっているのが見えた。微かに聞こえる笛と太鼓の音。あれはきっと提灯と祭囃子だ。布団からそっと身を起こし、穂刈はその灯りをぼんやり眺めていた。
楽しそうだ、と思った。窓を開けて、身を乗り出して眺めたいと窓のクレセントに指を掛けようとしたその時、
「ほかり」
名前を呼ぶか細い声に振り向くと、布団から少し身を起こした荒船のシルエットが薄暗い室内にぼんやりと浮かび上がっていた。
「荒船」
起こしたか、と窓から離れて荒船の枕元に膝をつくと、たどたどしい動きで伸びてきた左手に腕を掴まれる。どうやら半分寝ぼけているようだった。
「荒船」
「ん、」
静かに名前を呼んで、穂刈は窓の外、ぽつぽつと赤い光が灯る方角を指差す。荒船の瞳が、促されるままそちらへ視線を向けた。
「見えるか、何か」
「何も」
「聞こえるか、何か」
「何も」
こうして荒船と話している間も祭囃子は続いている。赤い提灯が揺れている。それなのに、荒船には何も聞こえてはいないし、見えてもいないと言う。
すると、途端にあの祭囃子や提灯の灯りが酷くつまらないものに思えてきて、穂刈はすっかり興味が失せてしまった。
「
……
おまえはすぐ、寝ぼけたことを言いやがるから」
「そうだな」
荒船の手があやすように穂刈の頬を撫でた。心地良いその感触と温度が、再び穂刈を微睡みへと誘う。
「今日だって、何かよ
……
おまえ、」
「
……
ああ」
変だったろ、と言うその声は消え入りそうなくらい小さく、そして震えていた。
あの村から離れる直前、こちらの腕を引いて不安そうに見上げていた彼の表情を思い出しながら、穂刈は頬を撫でる手の平に自分の手を重ねる。
「そうだな。
……
悪かった。悪かった、荒船」
「
……
もういい、もう寝ろ。寝坊して朝飯食いそびれたって知らねぇぞ」
「荒船」
「
……
ん」
「握ってていいか、おまえの手」
「ん、ん
……
好きにしろ」
頷きながらも、きっと彼の意識のほとんどは既に眠りに落ちている。
布団の中に戻り、握りしめた手の平で荒船の体温を感じながら、穂刈は再び目を閉じた。
穂刈を引き戻してくれるのは、繋ぎ止めてくれるのは、いつだってこの手だ。
祭囃子はまだ続いている。
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