柚子子
2024-11-02 14:07:38
10811文字
Public ベリーベリー
 
850792

切島と芦戸とふたり(+8)

爆豪長編『ベリーベリー』の番外編。本編最終話のネタバレを含みます。

名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前名前苗字名前名前名前名前名前名前名前名前苗字 俺こと切島鋭児郎と芦戸が爆豪の家をおとずれたのは、爆豪と名前ちゃんの結婚パーティーが無事に終わって、しばらく経ったある夕方のことだった。
 その日はもともと俺と爆豪でメシの約束をしていたのだが、ちょうど同じ日に芦戸も名前ちゃんと飲む約束をしていることが、のちに判明。そういうことなら、せっかくだし四人でという話になるのは、いたって自然な流れだった。
 結婚パーティーの幹事を引き受けたお礼もかねていたから、最初は外で何かごちそうにという話になっていた。が、芦戸の「それよりふたりの家にいきたいー!」という遠慮ない一言が炸裂した結果、店ではなく家での集まりに変更された。
 俺はてっきり「なんでてめえらをもてなさなきゃなんねンだ」くらい言われるかと思ったが、意外にも爆豪は快諾だった。実際、家の方が何かと気楽ではある。特に爆豪はここのところ、何かにつけて目立ちがちだったので、もしかするとそのあたりにも快諾の理由があったのかもしれない。
 夕方で仕事を片づけて、途中、芦戸をピックアップしてから、俺の車で爆豪の家へと向かった。
 爆豪が半年くらい前から新婚生活を始めたマンションは、都内のかなり便利な立地にあって、同期の目から見てもさすがと言いたくなってしまう高級マンションだ。正直、爆豪の懐事情はなんとなく想像がつくから、あいつ結構無理したなぁという感想にはなる。
 当の爆豪も「ジーパンのツテ頼りゃ、いやでも選択肢が金持ち向けになるわ。提示された選択肢ンなかじゃ、相当ランク下げたほうだぞ」と言っていた。ためしに、この間現場で一緒になったファットに聞いてみたら「そらジーニストのツテはな。セレブ御用達やろ」と笑っていた。
「ていっても、名前ちゃんは一般人だし、セキュリティのレベル落とすわけにもいかないもんねぇ。何かあってからじゃ遅いだろうし」
 助手席の芦戸がいう。俺の「すっげえマンションだよなぁ」という言葉を受けての返事だった。
 爆豪が高級マンション、というとどうしたってあいつの派手なところを連想しがちになるが、そういう事情も考えればこの物件のランクも、爆豪たちにとっては妥当なところなのかもしれない。いずれにせよ、締めるところはきちんと締めて、出すところには惜しまず出すというのは、爆豪らしい話ではあった。

 爆豪家に到着すると、玄関のドアを開けてくれたのは名前ちゃんだった。
「ふたりとも、いらっしゃい。今日は来てくれてありがとう」
名前ちゃん、パーティーぶりっ! 元気だった?」
「うんうん、元気元気。芦戸さんも元気そうで何よりだよ。切島くんも、駐車場の場所わかった?」
「おう、爆豪から聞いてたから」
 じゃれつく芦戸をいなしつつ言う名前ちゃんに、俺は笑ってうなずいた。学生のころから、わりと落ち着いたタイプの子だったような気がするが、こうして久しぶりにきちんと対面してみると、名前ちゃんもすっかり大人の女の人っぽくなっていた。これだけ時間が経てば当然ではあるものの、俺のなかでは「爆豪の他校の彼女」の印象がなかなか抜けないから、どうにも変な感じがする。
「爆豪くん、なかでご飯の準備してるよ」
「えっ、爆豪がつくってんの?」
 芦戸がぴょんと飛び跳ねる。思わず鼻をひくつかせると、部屋の中からはめちゃくちゃいい匂いが漂ってきていた。
「買ってきたお惣菜と、ちょっと作ったものって感じかなぁ。爆豪くん今日、仕事休みだったから。私はさっき帰ってきたところ」
「爆豪の手料理楽しみー!」
 芦戸の歓声に、俺も全面的に同意した。
 爆豪が家事全般を苦にしないことは知っている。料理も今日だけのことではなく、普段からそれなりにやっているのだろう。
 何せ爆豪はあの気質だから、食べさせる相手がそばにいれば、料理でもなんでも案外しっかりやりそうだ。ついでに完璧主義だから、クオリティも保証されている。
 と、そこで名前ちゃんがハッとした顔をする。
「や、待って。誤解しないで。家事の比率は全然ふつうに半々だから」
「俺まだなんも言ってねえけど」
「爆豪くんにばっかりやらせてると、そんなふうに思われてそうな気配がした」
「さすがにそこまでは」
「比率はともかく家事の質は俺のがすべて上!」
 リビングと廊下を隔てるドアの向こうから、爆豪の大声が聞こえてくる。俺たちの会話が聞こえていたらしい。相変わらず地獄耳だ。
「すべてじゃないし。スーパーで割引価格計算するのだけは私のが早いし……
 それ以外はだいたい爆豪くんのが上手だけど、と悲しくなるような反論を小声でこぼし、名前ちゃんはドアの向こうの爆豪を透視するかのように、ドアをむすりと睨みつけた。
 ともあれ、名前ちゃんが出してくれたスリッパにはきかえて、俺たちは部屋のなかにお邪魔した。
 俺たちが到着するのを見計らっていたように、ダイニングには食事の用意が整然と並べられている。「さすが爆豪くんだよねぇ」という名前ちゃんは、もうさっきのやり取りを引き摺っているように見えない。切り替えが早いというより、あれくらいのことは日常茶飯事なのかもしれない。
 俺はテーブルのそばに立つ爆豪に近付き、持ってきた紙袋を差し出した。
「今日は招待してくれてありがとな! これ、芦戸が選んだなんか美味そうな菓子」
「招待つーか、押しかけてきてんだろ。主に芦戸が」
「まあまあ、女子ふたり楽しそうにしてるしいいじゃねーか」
「チッ……。んなことより、駐車場の場所分かったか」
「おう、大丈夫だった」
 名前ちゃんと同じことをいう爆豪に、思わず笑いそうになった。よく分からないところで息があっている。
 名前ちゃんとまだ何か話していた芦戸が、ようやくこちらにやってくる。
「爆豪久しぶりー! それ美味しいお菓子、あとで食べようね」
「自分が食いてえもん買ってきやがったな」
「当たり前じゃん」
 挨拶を済ませ、手土産も献上したところで、俺たちは早速テーブルについた。
 うまい飯と気心知れた友人が集まれば、自然と話は弾むものだ。加えてここにいる四人のうち、三人が現職ヒーローで、残りひとりはヒーロー業界と密接にかかわりを持つ研究職。名前ちゃんは元A組の顔ぶれにはだいたい覚えがあるようで、かつそれなりに情報も追っているようだった。
 話題はそれぞれの近況報告から、最近の目立った事件やヒーロー業界の動向、ついでにやや下世話なゴシップまで、とりとめもなく流れていく。今日はアルコールを入れない会だったので、盛り上がりつつも羽目を外しすぎることもない。
 隣同士で座っている爆豪と名前ちゃんは、夫婦とはいえ恋人、ややもすると友人同士のような距離感で、想像していたほどの新婚ぶりは微塵もない。もちろん俺たちの前だからというのはあるだろうし、そもそも俺がそういう気配に敏い方ではない、というのはあると思う。それでも下手をすると、名前ちゃんの正面に座り、しきりに絡みに行こうとする芦戸のほうが、よほど名前ちゃんとの親密さを見せつけてくる。
 実際のところ、このふたりの距離感ってよく分かんねえんだよな……
 料理をもぐもぐ咀嚼しながら、ふと俺は考えた。
 爆豪とは高校時代、かなり仲良くしていたという自負がある。が、それはそれとして、俺は名前ちゃんのことはあまり知らない。
 俺が知っている名前ちゃんといえば、爆豪にデートの約束をドタキャンされてしょんぼりしていた姿と、爆豪が入院中に足しげくお見舞いに通っている姿、それから自分の受験勉強のために爆豪と別れ、のちに復縁して結婚したという現在の様子くらいだ。
 こうして改めて思い返すと、あまりにもエピソードが薄くて驚いてしまう。とはいえ友人の彼女との距離感なんて、このくらいが普通なのだとも思う。
 相思相愛なのは見てれば分かる。というかまあ、結婚までしてるんだから、相思相愛じゃないわけがない。ただ、爆豪と恋愛というそのふたつが、どうしたって俺のなかでは結びつかない。このふたりが、たとえばふたりきりのときにどういう雰囲気なのかとか、まったく想像できなかった。
「そういえば爆豪、結婚してからめちゃくちゃモテるようになったよねー」
 と、芦戸がふいに、そんなことを言い出した。何の話かと思ったが、賑やかしのためにつけていたテレビでちょうど、今月からの新ドラマの番組宣伝が流れている。その内容が既婚者同士の不倫ものだったので、そこからの連想なのだろうと想像がついた。……いや、よりによって新婚家庭のふたりを前に、そんな話題をぶちあげるなよ。
 ひやっとする俺とは対照的に、名前ちゃんは「へえ」と少しだけ面白そうに笑って、
「そうなの?」
 爆豪ににやにやと聞いている。爆豪の返事は「知るか」とそっけない。そんなふたりを見て、芦戸が首を傾げた。
「あれ、名前ちゃん、あんまネットの記事とか読まないの?」
「うーん、読まないってことはないんだけど、そういえば最近はあんまりだったかも……
 芦戸の問いに、名前ちゃんは首を傾げる。
 芦戸の言うとおり、爆豪の女性人気はここ半年ほどで、じわじわと上昇してきている。ちょうど女性誌で爆豪のインタビューが大々的に掲載されたのと、電撃結婚発表が重なったあたりからだろうか。
 爆豪は何せツラがいいから、もともと女性人気がないわけではない。が、そうはいっても日頃の誤解を招きやすい言動のせいで、人気以上にアンチの多さの方が目立つ。それがここ半年ほど、はっきり分かるほどに新規ファンが増えていた。
 ファンの増加にともない、爆豪のメディアでの取り上げられ方にも、顕著な変化が出てきている。本人が嫌がり断った仕事もあるだろうから、実際にはもっと露骨に女性人気を意識した仕事のオファーもあったはずだ。
 俺と爆豪の現場が重なることはあまりないが、それでも爆豪に黄色い声援が飛ぶようになったな、くらいの変化は感じる。爆豪本人がさほど気にしていないから、周りも特に何も言わないやつが、口さがないことを言うやつもまったくいないわけではなかった。
 しかし名前ちゃんは、今一つぴんとこないという顔で言う。
「結婚するより前は結構、爆豪くんの動向とか評価とか、もろもろ気にしてたんだけど……、そういえば結婚してからは、あんまりそういうのチェックしてないなぁ。グッズも結局、そんなに買ってないし」
「あえて見ないようにしてるとか?」
 尋ねる俺に、名前ちゃんは首を横に振る。
「いや、そういうわけでは……。単純に、家に本人がいるからかな。私が知っておいた方がいいことがあったら、爆豪くんが教えてくれると思うし。というかそういう記事とか見たところで、そんないいこと書いてあるわけでもないし……
「こういうやつだ、こいつは」
 横から爆豪が口をはさんだ。なるほど、と俺は半笑いでうなずく。興味がないというわけではないのだろうが、率先して見に行くわけでもない。地に足がついているとは思う。
「あ、でもこういうのって一通り目を通しておいた方がいいもの?」
「いらん。時間の無駄」
「でも妻として、誹謗中傷まがいの記事は強気に訴えた方が」
「おい! なんっで俺が誹謗中傷されとる前提なんだ」
「なんでもなにも、爆豪くんってあんまりいいこと書いてもらえないじゃん。マスコミに嫌われがち……
「最近はそうでもねえって話だっただろうが!」
 目の前でかわされる会話に、俺と芦戸は思わず視線を交わした。芦戸はにこにこと、やけに嬉しそうに笑っている。
 なるほど、これがこの夫婦なりのいちゃつきかたなのか。そう思って見てみれば、たしかにじゃれあっているように見えなくもなかった。微笑ましい気もする。
「それにしても爆豪くん、結婚してからモテてるんだ。なんで?」
「俺に聞いてんじゃねえ!」
 名前ちゃんの質問に、爆豪が吠える。俺は思わず苦笑した。
「なんでって、それを本人に聞くのもすげーけどな」
「むしろそれを一番知ってそうなのは名前ちゃんなのに?」
 芦戸に水を向けられ、名前ちゃんは「そうだけど、そうじゃなくて」と答える。
「爆豪くんのモテそうな要素なら、それはさすがに私だってちゃんと分かるよ? でも今の話って、ここに来てにわかにモテだした、って話だよね。なんかそんな、最近追加されたモテる要素、爆豪くんにあったかなと思って」
「だからそれは、結婚したからだろ」
 俺が言うと、名前ちゃんは怪訝そうに眉根を寄せた。
「どういうこと? 普通、結婚したら人気って落ちるものなんじゃないの?」
 たしかに、名前ちゃんの言うことも一理ある。とはいえ、この手の話を第三者が説明してもいいものか。ためしに爆豪に視線を送るも、爆豪は舌打ちをひとつ打つのみだ。自分の口で説明しようというつもりは、一切まったくないようだった。
 爆豪の場合は、おおむね好意的に世間に受け止められた結婚だが、場合によっては炎上まがいのことにもなりかねない。これは俺の推測だが、轟が急に結婚報告を出したりしたら、若干どころではすまないほど、世間の女子が嘆き荒れるだろう。
 同じように、八百万や波動先輩が結婚しても同じことが起こると思う。良い悪いの問題ではない。人気商売である以上、トップ層のヒーローは誰しも実力とは別に、そうしたファンに活動を支えられてもいる。それは事実だ。
「まあでも、爆豪の場合はちょっと特殊だよねー」
 芦戸が俺を見て言う。俺もうなずいた。
「若い女性人気がなかった、というか薄めだったのって、もとはといえば爆豪のガラ悪い部分ばっか強調されてたからだろ」
「だから既婚者になったことで、逆に人気が出ちゃったんだよね。『あっ、ダイナマイトって女の人を大事にしたりする情緒あるんだー!?』っていう」
「カスみてえな評価をくだしやがって……
 イライラと爆豪が毒づく。名前ちゃんはといえば、やっと納得したような顔をして、ぱんっと両手をあわせた。
「ははあ、なるほど、そういうこと……。首輪もリードもついてない野犬は怖いけど、首輪つけてたら怖さが目減りする的なことだ」
「てめえは喧嘩売ってんのか!?」
「いや、褒めてるんだけど」
「どこがだ!! つーか俺に首輪なんざついてねえんだが!?」
「分かってるけど、あくまで世間の皆様からの印象の話だよ」
 名前ちゃんは笑いながら、しきりに「それにしても爆豪くんがねぇ」と繰り返している。がるるるると唸り声を立てる爆豪が野犬だとすれば、名前ちゃんは野犬使いということになるのだろうか。そのうちがぶりと喉笛を食いちぎられそうで、見ているこちらがひやひやする。
 ヒーロー科の女子が爆豪を相手取るのと、名前ちゃんが爆豪に遠慮なしの絡み方をするのとでは、やはり見ている側の印象がずいぶん異なる。どちらも対等な立ち位置からの言動ではあっても、そもそもの土俵が違うというのか。
 同業者ではない、完全な一般人の身で爆豪の隣に対等に立つというのは、どういうもんなんだろうか。ついついそんなことを考えてしまうが、今はそういう話ではない。結婚発表後の爆豪が、モテまくっているという話だ。
 爆豪が学生時代、意外と女子にモテなかったことは知っている。緑谷の話では中学時代からそうだったというから、名前ちゃんにとっても爆豪がモテているというのは、はじめて目の当たりにする現実だと思う。
 しかし名前ちゃんは必要以上に驚くでもなく、ひるむでもなく、わりとどうでもいい情報として「爆豪がモテている」という事実を受け止めているように見えた。
 どうでもいい、というか、なんというか。見ていて、なんとも複雑な気分になってくる。俺が名前ちゃんの立場だったら、頭ではそういうものと分かっていても、心穏やかではいられないように思う。
「次のビルボードチャートまで、この泡沫の人気が続くといいねぇ」
「いらねえわ。んなカスみてえな支持がなくても、俺は次こそトップに立つ」
「人事を尽くすのは大事なことじゃん。とれる支持はとっていかないと」
「うるせえ、俺のイメージ戦略に口出してんじゃねえ」
「口出すつもりはないけども。そもそも爆豪くんにイメージ戦略とかあるんだ」
 相変わらずじゃれるような掛け合いをしているふたりに、気付けば俺は問いかけていた。
名前ちゃんは嫌だったりはしねえの?」
「嫌って、なにが?」
「爆豪が、既婚って知れ渡ってるにもかかわらず、モテてることが」
 俺の言葉に、名前ちゃんが少しだけ驚いたような顔をする。爆豪は怪訝そうに俺を見ているが、隣の芦戸だけは「たしかにねぇ」と理解を示してくれていた。
「切島が言ってるのって、名前ちゃんがどうとか、爆豪がどうとかではなくて、あくまで世間一般の話だよね? ファンからの人気はありがたいものって、大前提はあるとして、そうはいっても自分の恋人がモテすぎるのはちょっと……っていうのは、まあよく聞く話だし。本音と建て前、っていうか」
「そう、それ。そういうことだ」
「あとはやっぱ、そういうファン層が増えていくと、純粋に応援してくれる人だけじゃなくて、ちょっと過激なファンもつきやすいしねぇ」
 芦戸のフォローに俺はおおいに頷いた。
 人気商売であるこの仕事で飯を食っていく以上は、ある程度はいろんな事情を呑み込んでいく必要があるのは、俺も爆豪も、それこそオールマイトレベルだって変わらない。むろん仕事を選んでいくことはできるし、ファン層なんてものはブランディング次第でどうにかなる部分も少なくない。
 けれど、自分を推してくれているファンに対し「迷惑だ」なんて言えるヒーローはいない。その応援の気持ちがどういう要素で構成されているのかなんて、他人の目で判断できるものでもない。そうして判断できないものを受け入れているうちに、過激なファンが紛れ込んでしまうことは往々にしてあると聞く。
 張本人である爆豪はともかく、一般人の名前ちゃんにそこまでの覚悟をいきなり求めるのも、なかなか難しいことだと思う。まして、爆豪がモテだしたのは結婚してからなのだから、分かっていて結婚したんだろ、という強弁は通用しない。
 爆豪は黙って話のなりゆきを眺めている。が、それとなく名前ちゃんの雰囲気をうかがっていることが、爆豪の正面に座る俺には察せられた。
「そういうのって嫌だと思った方が、いいものかな」
 名前ちゃんは真面目な顔で爆豪に尋ねる。
「知るか」
 爆豪の返答は、やはりざっくり、そっけない。名前ちゃんは、しばし悩むように顔をしかめてから、今度は俺と芦戸に向けて問いかけた。
「その嫌っていうのは、単純に爆豪くんが女子にキャーキャー言われるのが嫌って話じゃなくて、爆豪くんに言い寄る女性がいるかもしれない、っていう意味だよね」
「まあ、乱暴に言うと」
「そういうことになるかなー」
「なるほどねぇ」
 名前ちゃんは、また考え込む。その姿を見ながら、もしかすると俺は余計なことを言ってしまったかもしれないと、今更ながらに後悔のようなものが押し寄せた。
 ファンが増えることについては、この仕事をしている以上歓迎するしかない。理由がどうあれ人気が出るのはありがたいことだし、爆豪にかんしてはその言動のせいで、これまで世間に誤解されてきた節がある。
 今の爆豪の人気だって、泡沫人気というよりは、本来得るべくして得た評価ということもできる。それを俺が外野から、とやかく言うものではなかった。厄介なファンの存在にしたって、爆豪のことだから大ごとになる前に、適切に自力で処理するだろう。それこそ名前ちゃんの頭を悩ませるより早く、名前ちゃんに気付かせもせず。
 そんな俺の遅すぎる煩悶をよそに、名前ちゃんはしばらく悩んでから言った。
「別に、嫌とかはないかなぁ……
 ねぇ、と名前ちゃんが爆豪の方を向く。爆豪はどうでもよさそうに、名前ちゃんの視線を横顔に受けたまま、麦茶の入ったコップを傾けていた。
「だって、爆豪くんってそういう人のこと、絶対好きじゃないよね?」
「あ?」
 爆豪に問い返され、名前ちゃんは言葉を選ぶように、視線をさまよわせる。俺と芦戸もいつのまにか、釣り込まれるようにして、名前ちゃんの次の言葉を待っていた。
「なんていうかなぁ……、ファンの人が増えるのは普通にいいことだと思うし、そうじゃなくて既婚者に言い寄る人がいるとかって話は、結局モラルの感覚が私たちと違うのかなって思うんだけど……、そういう感覚がずれてる人って、爆豪くんの好きなタイプじゃないっぽいなと思って、……違う?」
「違わねえ」
 その短い返事に、名前ちゃんは少しだけ、表情をやわらげた。
「じゃあ、うん。それなら別に、嫌とは感じないかな。どういう層が相手であれ、人気は人気だし、爆豪くんがその手の人にたぶらかされることって絶対ないだろうし」
「たりめーだろ」
「ていうかそもそも、結婚したからって爆豪くんは何も変わんないのにねぇ。中高のときと今の比較ならともかく、結婚の前後で爆豪くんに変わったところとか、全然ないよね」
 あっけらかんと言う名前ちゃんとは対照的に、もの言いたげな顔をして舌打ちをした爆豪の顔が、俺にはみょうに印象に残った。

 ★

 芦戸と名前ちゃんが結婚パーティーの映像を見るとかなんとか、とにかく席を外したことで、俺と爆豪はダイニングにふたりで取り残された。からになった皿を片づける爆豪を手伝いつつ、俺は爆豪に話しかけた。
「今日はありがとな。メシうまかった」
「そうかよ」
 ぶっきらぼうな返事だが、不機嫌というわけではないことは、長い付き合いのなかでよく分かっている。テーブルの上のコップを片づけつつ、俺は爆豪の様子を盗み見た。同時に、さっきまでの会話を頭の中で反芻する。
 うっかり失言をしてしまったかと危ぶんだものの、ふたを開けてみれば、名前ちゃんが爆豪のことを信頼していることがよく分かり、なんとなくいい感じに話題は終了した。そのあとはまた、最初と同じような雑談になったのち、結婚式と結婚パーティーの話にうつり、そうして女子ふたりが離脱した、という流れだ。
 もともと俺は爆豪と、芦戸は名前ちゃんと約束していたわけだから、当初の約束のとおりに分かれたともいえる。コップを爆豪に手渡し、俺は言った。
「俺、名前ちゃんのことそんな知らねえけど、名前ちゃんといるときの爆豪がどんな感じなのか、なんとなく分かった気するぜ」
「はァ? 別に普段と変わんねえだろ」
「まあ、たしかに。思ってたよりは変わんなかったな!」
 もっとも、爆豪が人によって態度を変えるタイプではないことは、重々承知している。恋人を前に態度が変わるとは思っていなかったが、とはいえ想像していた以上に変わらなかったな、とは思う。
「俺、爆豪と名前ちゃんのパワーバランスって、もっと爆豪ががんがん名前ちゃんのこと振り回してる感じなんだと思ってたわ」
「どこがだよ。あのクソ根暗女、振り回されるどころか自分の陣地に根ェ張って、一歩も動きゃしねえぞ」
「な。思ってたより動じない感じなんだな」
 本音を言えば、少し意外だった。俺の知っている高校時代の名前ちゃんの印象とは、今の名前ちゃんは多少ぶれる。
「高校んときのイメージが今も残ってたから、なんか今日会って、よかったと思った。いい意味でイメージ変わった」
「イメージって、根暗のか」
「俺のなかでは名前ちゃんって、いっつも不安そうな顔してたって印象ばっか、みょうに残ってんだよな。別にそんなことなかったはずっていうか、単に俺が名前ちゃんに会うタイミングが悪かった、ってことなんだろうけど」
 そこまで言って、俺はあわてて付け加える。
「あ、別に爆豪にあてこすろうとか思ってねえから!」
「わーっとる。実際、切島のその印象も間違っちゃいねえんだろうしな。けど俺から見りゃ、今の根暗は昔の、それこそ中学ンときくらいの苗字に戻ったってほうが近ェ」
「へえ、そうなのか。俺はそのころの名前ちゃんを知らねえからなぁ」
「あのクソほどふてぶてしい感じ、まじでガキの頃から変わんねえ」
 そう言うわりに、爆豪の表情は楽しそうだった。その顔を見て、俺は今更のように、爆豪が名前ちゃんと別れた理由を理解したような気がした。
 きっと爆豪が好きな名前ちゃんは、今爆豪と一緒にいる名前ちゃんなのだろう。俺のイメージのなかにいる、不安げで、献身的でおとなしい感じの名前ちゃんではなく。
 そして今ここにいる名前ちゃんは、一度爆豪から離れたからこそ、取り戻せた名前ちゃんの姿だ。爆豪は名前ちゃんを信じて手を離したし、信じていたから待った。
 八年もひとりの女の子を待ち続けるというのは、いったいどういう気分なんだろう。俺には途方もないことのように思えて、想像もつかない。
 と、爆豪が、
「なんつーか、世話かけたな」
 唐突にそんなことを言い出す。本当にまるくなったよなぁ、と半ば本気で感心しつつ、俺は「かけられてねーから大丈夫だ」と返事をする。
「うるせえ。黙って受け取っとけ」
 爆豪が舌打ちとともに、眉根を寄せた。もちろん怒っているわけではなくて、どちらかといえば照れ隠しにちかい。そのまま俺が黙っていると、爆豪は視線を俺からそらしたまま、訥々と言葉を発した。
「おまえが思っとる以上にな、俺ァ高二から結婚するまでのあいだ、苗字がどうのとか新しい恋がどうのとか、そういうクソみたいな話題をおまえが一切振ってこなかったことに、それなりに感謝してんだ。これでも」
「へーえ、そうだったのか」
「アホの返事やめろ」
 ほとんど暴言みたいな返事をされても、嫌な気分にはならなかった。爆豪にここまで言われたのだ。友達冥利に尽きる、どころの話ではなかった。
 閉じたドアの向こうから、女子二人の楽しそうな声が聞こえる。その声を聞きながら、俺は爆豪に笑いかけた。
「ま、終わりよければって言うし。何にせよよかったな、爆豪」
「アホ、気がはえーわ。よかったかどうかは、こっから次第だろ」