永劫の幸福

伏羲の話。モブ視点。

「一人で淋しくないかな」

まもなく冬になろうという日の夕暮れに、旅人がやってきた。男はひと晩泊めてほしいと言い、父はしばらく思案した後「小屋でよければ」と答えた。
「この辺りは数年前に焼けてしまって、まだ立ち直れていません。申しわけないが、そこで寝ていただけますか」
小屋といっても家畜が逃げぬよう端材を継ぎ合わせただけのものだったが「雨風がしのげればかまわない」と男はなんども頭を下げた。
父もほんとうは断るつもりだったのだろうが、間もなく夜になる、旅人を狙ってやってきた獣に家畜を襲われてはたまらないという気持ちもあったのかもしれない。

夕飯を持っていってあげなさいと父に言われ、小屋へ向かった。夜中はいっそう冷えるだろうと、薄い掛布と汁物を手渡すと、男は「かたじけない」と手を合わせた。
「お父上とお母上にくれぐれもお礼を言ってくれるか」
「お母さんはいません」
男ははっと目をみはった。
「僕が生まれてすぐ死んだんです、このあたりで大きな戦があって」
ちょっと前までこの世界には仙人さまとよばれる人たちがいて、その人たちが空の上で戦をしたのだと父に聞いた。そのときの飛び火で村は全焼し、母は赤ん坊である自分をかばってひどいやけどを負った。
「王様が薬をくださったけれど、間に合わなかったんだって」
男はどこか呆然としたように耳を傾けていたが、やがて目の高さを合わせて膝をつき、深く、深く頭を垂れた。
「ほんとうに、ほんとうに、申しわけなかった」
会ったばかりの子供にする謝罪ではなかった。彼はさっきこの村にやってきたばかりで、十年以上前にあった戦のことなど知らないはずなのに、なぜそんなに謝ることがあるのだろう。
いつまでも頭を上げない男に、つとめて明るく「いいよ」と答えた。
「お父さんは村のためにがんばっているし、村のみんなもとてもやさしい。王様は村を気にかけてくれてるから、このボロ小屋ももうすぐきれいになる。だからちゃんと食べてちゃんと寝たほうがいい。いつもお父さんがそう言ってる」
一気にまくしたててようやく、男は顔を上げた。おそるおそる探るように向けられる目は、この世のすべてに許しを請う色をしていた。
ずいぶん経ってから、男はもう一度ゆっくりと一礼した。
「おぬしたちが永劫、幸せであることを祈っておる」
永劫がどれほどの時間か見当もつかない。でもきっとこの人はほんとうに、ずっと長い時間、祈ってくれるような気がして「きっとだよ」と頷いた。

次の朝、起きたときには男はもう出立した後だった。日の昇りきらぬ時間に家を出たらしい。
「また来てくれるかな」と呟くと父は「もう来ないよ」と笑った。
「こんな村はさっさと通り過ぎて、ずっと遠くへ行きなさるのさ」
「遠くって?」
「いつまでもたどり着けない場所だ」
「一人で淋しくないかな」
自分たちのために祈る人が、淋しいのはかわいそうだと思った。父はどこか遠くを見る目で「そりゃあ淋しいだろう」と言った。
「とても淋しいだろうが、あの人はきっと淋しいのをけっして手放しはしないんだよ」
父はまるで男がだれだかわかっているようだった。
「それでもきっと祈り続けるにちがいない。あの人はそういう人だから」
もうすぐ冬になり、雪が世界を覆う。
どうかあの人が凍えませんようにと、心の中にそっと祈った。