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普賢のまわりの人たち
トルソー
リクエストいただいた、夏の現パロ望乙です。仕立て屋太乙と客の太公望。
ありがとうございました!
「あとは二週間後に仮縫いに来てくれるかい」
刺すような日差しを避けて、重い扉を開いた。部屋を冷やす風を外に逃がさないよう、急いで身を滑り込ませて背中でドアを閉める。
やや照明を落とし気味にした部屋のせいで、一瞬目の前が暗くなった。瞼を閉じて、また開いて、ようやく慣れた目で店の主を探せば、はたして一番奥の大きな棚の前にその背中を見つけた。
「なんだ、仕事中ではないのか」
汗を拭いながら近づいて声をかければ、「仕事中だよ」と呑気な声が返ってきた。
ずらりと並ぶ布地はどれも海外の有名メーカーのものだという。さっき冬用のウールが入ったばかりなんだと言いながら触れるのは、厚めの濃紺のツイード。暑そうだのうといえば「出来上がる頃にはちょうどよくなるさ」と笑った。
「準備は出来ているよ、さあ向こうへ」
促されて大きな姿見の前に立った。そっけないシャツとよれよれのジーンズはわれながらパッとしないが、太乙はそんなものに気を止めもせず、メジャーを取り出して体に当てていく。首、裄丈、着丈
……
。ブツブツと呟きながらメモに数字を書きとめていく間、何度も行ったり来たりする横顔を太公望は目で追った。真剣なこの表情を見られるのはこのときだけだ。
祖父の代から付き合いのある古いテーラーだった。太公望も三代目なら太乙も三代目。今時こんな店流行らないよねと言いながら、迷いなく祖父の店を継いだ太乙とは、なにかと顔を合わせることが多かった。学生時代に一度進学で地元を離れたけれど、結局太公望も家業を継ぐことになって、今もこうして折にふれ洋服を頼みに足を運ぶ。今回は正月に発表される役員就任に合わせて、スーツを新調するため。偉くなったねえとしみじみ呟く太乙に、なんと返事をしていいかわからぬまま黙り込んだ。偉くなったもなにも、家に戻っただけだし、家業の業績が思わしくないのを太乙も知っているはずだが
「そういうときこそ、ちゃんと一張羅を誂えたほうがいい」
そういって舶来の生地をすすめた。
「安物の服を着ている人に銀行は金を貸さないからね。見栄を張るのも戦略だよ」
「
……
背が伸びたかい?」
踝のところに触れてズボンの丈を確かめながら、太乙が訊ねる。
「さあ
……
測っておらんから」
「すこーしだけ伸びたんじゃないかな。前回より」
「前回はもうだいぶん前であろう。入学式?」
「そうだっけ? いつ卒業だい?」
「もうしたわ、ダアホ」
本気で覚えていないのか、それともからかっているのか。文句を言ってやろうと身を捩ると「じっとして」と顔の向きを戻された。
なすがまま体のあちこちに触れられるのは、何度やっても慣れない。その間の、自分を見ているようで数字しか見ていない太乙にも。もしやこやつの中でわしは数字に変換されているのではと思ってしまうほどだ。薄暗い店の隅の、作りかけの仮縫いが着せてあるトルソーみたいに、中身が変わっても気づかない。
「オッケー。お疲れさま」
長い時間かけて全身採寸され、ようやく解放され、太公望はやれやれと肩をぐるぐる回した。太乙が出してくれた冷たい麦茶を喉に流し込めば、ようやく汗が引いていく。太乙も自分のマグカップに同じものを入れてひと息に飲み干した。ずっしり重そうな作業机の端にかるく腰かける。
「お正月に就任なんだって? えらく急だね」
「新年のあいさつに紛れさせてしまえば、おめでたい空気も手伝って反対するやつが少ないだろうという魂胆であろうな」
「反対されているのかい?」
「売り
家
いえ
と
唐様
からよう
で書く三代目というし、よほどにわしを頼りないと見る向きも少なくないのだよ」
きみも大変だねえと太乙は目を丸くする。
「ま、大丈夫だ。私が作ったものを着ていれば、そんなに頼りなくも見えないはずだからさ」
「あとは二週間後に仮縫いに来てくれるかい」
戸口まで見送った太乙にそう言われて眉を寄せた。
「めんどうだのう。何度も作っているからわかるであろう」
なんだかんだ言いながら、店に通ってくだらない話をするのは嫌いではないが、なんとなくいつもの減らず口を叩いた。太乙はにやりと口の端を上げる。
「特別に寝室まで持っていってあげてもいいけど」
「はあ?!」
「なんならきみの寸法は、測らなくても全身くまなく把握しているからね?」
うるさいと捨て台詞を吐いて扉をバタンと閉めた。隙間からこぼれ出た笑い声が、ぬるい空気に溶ける。こやつが帰るときに夕立でも降ればいいのにと思いながら、太公望は眩しい夏空を見上げる。
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