機械設計技術者・施工管理経験者募集。月給17万円~年齢・経験を考慮の上決定。昇給年二回。資格手当、通勤手当ほか時間外手当あり。繁忙期は残業あり。入社から三カ月は試用期間とする。退職金制度あり(三年以上勤務)
「電光掲示板を見ました」といって彼がやってきたのは、まだ寒さの厳しい頃だった。
よくある、しかも今どきそれほどいいとは思えない条件の仕事を、たまたま見かけただけで応募してくるなんて、よほどの変わり者なんじゃないかと、人事担当者は訝った。そもそもの求人広告だって、以前から付き合いがあった広告代理店の担当者に「今、お試しで半額キャンペーンやってるんです」とそそのかされ、それならと三日間だけ、空きテナントが目立つビルの電光掲示板にさらりと流しただけなのだ。その時点でだれも期待などしていなかった。
面接で彼は「昔、技術者だった」と説明した。「事情があって少しだけ現場から離れていましたが、たぶんひと通りの機械は扱えると思います」
半信半疑で工場に連れて行くと、ぐるりと一瞥しただけで「なるほど、だいたいわかりました」という。疑り深い工場長が試しにやらせてみたところ、昔ながらのプレス機から、最新のレーザー加工機、はては旋盤加工機まで器用に扱いこなした。
「こんな人材、いまどきどれだけ金積んだってうちになんか来てくれないですよ」
工場長は前のめりに力説する。
「まだ若いのに腕も知識も熟練工と同じかそれ以上です。十年かそこらで身に着くものじゃない。あれは何者なんです?」
履歴書には工学系の地方大学を卒業して十年と書いてある。ブランクがあったというが、その技術を裏付ける詳しい経歴はわからない。なんかやばい仕事でもしていたのではと、一瞬頭をよぎったが、それを見ぬふりしてでもほしい人材だと、工場長は譲らなかった。前歴が何であれ、人手不足は深刻にはちがいない。
「明日から来てください」
そう伝えると、彼は人懐こそうな笑顔で「ありがとうございます」と頭を下げた。
文句のつけようのない働きぶりだった。難しい加工も設計もなんなくこなす。これまでうちの技術では無理だと断っていた注文も「私ならできますよ」と横から口を挟み、三日とたたず仕上げて見せる。しかもいずれも完璧な出来ばえで、新入りなんだから黙って見ていろという小言を先輩社員に飲み込ませた。
かといって、自分のキャリアを誇示してもともとあった人間関係をギスギスさせるわけでもなく、どんな難しいことも聞かれたら余すところなく教えるし、逆に分からない手順や電話の内容は素直に訊ねる。まるで十年前からここにいたように、職場に溶け込むのに時間はかからなかった。
「なんでうちになんか来たんです?」
工場を起こしたのは三代前の社長だ。たたき上げの腕一本で、十人足らずのしがない零細企業を引っ張ってきた。大手メーカーの下請けの下請けとはいえ、この町の中ではある程度信頼されているし、卑下するつもりもない。ただどうにも不思議でそう訊ねると「ここの技術も設備もすごいじゃないですか」と彼はからりと笑った。
「億単位の投資ができる大企業ならともかく、この規模の工場でこれだけのものを揃えているのはすばらしい。しかも現場にいるすべての人がそれを使いこなせている。こんな職場はめったにありません」
これを、と彼は手元の切削機を愛おしげに撫でた。
「初期のモデルです。部品を作っているメーカーがとっくになくなってしまったから、壊れたら自分たちで修理するしかないんですが、ここはこんなにきれいに使っているでしょう。まるで新品みたいだ。それに工場の中がこれほど整理整頓されていて掃除が行き届いているところを、私は他に知らない」
機械類や工具類の手入れや、日々の掃除については、先々代がたいへんに口うるさかったからだが、それを指摘してほめてくれる人は今までいなかった。
「なぜここに、ではなく、ここだから私は働きたいと思ったんですよ」
夕方五時の終業を過ぎても、彼は工場に残ることが多かった。残業代は出ないよと再三声をかけたが「仕事じゃないからかまわない」という。周りは住宅地だから七時までだよと釘を刺した。照明を落とした工場の中で、一人で背を丸め、何かに没頭している姿を、何人もが目撃している。
使った工具を磨き上げ、工具箱に丁寧に並べた。白熱灯の電気スタンドがまるく手元だけを照らしている。もうすぐ七時だ。人気がなくなった工場でふと顔を上げた先、閉めたはずの入り口に人影が見えた。
「ずいぶん時間がかかっているな」
どこか高圧的な声に、太乙は肩をすくめた。
「いやあ、なんか楽しくなっちゃってさ」
「楽しい必要がどこにある。こちらはお前の連絡を待っているのに」
「だって最近こんなに機械に囲まれて注文されたものを作ることってめったにないから」
悪びれなくそう答えると、燃燈はいかにも不快そうに眉を寄せた。「それで、どうだ」
うん、と太乙は腕を組む。
「結論からいえば問題ないね。確かにすこし停滞してはいるけれど、まあ大丈夫だろう。これもよくある自然な流れだよ」
滞りなく流れていた歴史が、どこか二の足を踏んでいるような停滞を見せていると、報告があった。こちらから何かを働きかけて促すわけにはいかないが、もしその原因がかつての「歴史の道標」のようなものなら――そしてその火種がのちの世の崩壊につながるようなものなら、放っておくわけにはいかない。
「私が見てくるよ」
手を上げたのが太乙だった。どうせ暇を持て余しているからねと、偽の履歴書を楊戩に用意させたものの、それきりぷつりと連絡がない。しびれを切らした燃燈が赴いた先で、宝貝オタクは水を得た魚のように、辣腕をふるっていたのだった。
「こんなことだろうと思っていたが。もっと公私の区別をつけろ」
「シスコンのきみには言われたくないねえ」
渋い顔の燃燈にそう言い放ってから
「ま、たいしたことはなかったから、もうそろそろ帰ることにするよ。名残惜しいけれど」
「放っておいても問題ないと?」
大丈夫、と確信めいた口調で太乙は頷いた。
「時間は前にしか進まないけれど、テクノロジーは一進一退を繰り返す。ゼンマイ動力のおもちゃの車を、いったん引いてから放せば勢いよく走り出すのと同じだよ」
一見、技術は衰退して見えるかもしれないが、決して悪いことではない。ここで働く人たちは日々の仕事に誇りをもって、人目につかない場所で役に立っている。変わらないということは、見えない形で前に進んでいるということだ。
「要するに、きみや私が口を出すことじゃない。大丈夫だよ」
それならいい、と燃燈はかるく息を吐いた。
「後始末をして帰ってこい。用もないのにいつまでも留まっているのを黙って許すわけにはいかないからな」
わかってるわかってる、といかにもめんどくさそうに言って、太乙は立ち上がった。
「これだけ片付けたらね。ここの工場長は整理整頓にうるさいから」
立ち去ろうとした燃燈を、「ああ、それから」と呼び止めた。
「普賢に伝えてくれるかい? きみが愛する科学は今もちゃんと人の役に立っている……だれかを幸せにしているって」
科学技術が、誰かを傷つけあうことに使われていないか、歯止めのきかない方向へ転がりはじめていないか、ずっと心を痛めていた。よしんば、そうならないよう踏みとどまるやさしさと強さが、人々の中にあると教えてあげたい。
怪訝そうに「自分で言えばいいだろう」という燃燈に、太乙は「私は慎み深いから」と臆面もなく笑う。
闇の中に彼の姿が溶けて消えるのを確かめてから、太乙は電気スタンドのスイッチを消した。
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