千代里
2024-11-01 18:17:22
12448文字
Public リーブラ14話
 

リーブラの針は問う・14話・その7


「お星様の魔法は、皆を守るために神様が貸してくれた力なんだよ」
そのように語ってくれたのは、誰だっただろうか。耳が覚えている声は、凛とはしていても少し嗄れたものだったので、きっと年配の女性だったのだろう。
おばあさんは、星の魔法がとても上手だった。きらきら輝く光の粒と、くるくる回る光の輪っかに、自分は虜になっていた。
転んで膝を擦りむいた時も、彼女の魔法にかかればあっという間に癒えていく。文字通り、魔法のような光景に大はしゃぎした後に、自分もできるようになりたいと一番弟子を所望したとき、おばあさんは『お星様の魔法』をそのように説明した。
だったら、早速自分でもやってみたい。やり方を教えて。
そうして意気込んでみせる自分に、おばあさんはこうも言った。
「だけど、これは危険な魔法でもある。お星様の魔法に限ったことじゃない。怪我を治す魔法っていうのは、皆危ないところも持ち合わせているんだよ」
どうして、と自分は尋ねた。これは皆の怪我を治す魔法だ。病気や傷が癒えるのに、危険なことなどあるわけがないだろう、と。
だが、おばあさんはゆっくりと首を横に振って、
「怪我を治したいという気持ちばかりが先走ってしまうと、自分が魔法を扱う限界を迎えてることに、気がつけなくなってしまうかもしれない。そうすると、何が起きると思う?」
首を傾げる自分に、おばあさんはその胸へ掌を当てて言った。
「知らず知らず、誰かを癒すために今度は自分の命を使ってしまうんだ。そうと知らないうちに、お前は、お前自身の命を傷ついた人のために使ってしまうことになるんだよ」
それを聞いた時、自分はとても恐ろしいことのように思い、震え上がった。
けれども、今は違う。なぜなら、自分の命が消えることよりもずっと恐ろしいことを知っているから。
自分は知っている。大火傷を負い、動かなくなった青年の姿を。魔物のために力を使い果たし、崩れ落ちる仲間の背中を。
それを支えるために、自分の命を使う必要があるというのなら。

……それの、何が怖いのでしょうか。おばあさま」

◇◇◇

は、と自らの息を呑む音と共に、目を覚ます。暗転していた視界に急速に光が戻り、五感が自分の体に戻ってくるのがわかる。どうやら、魔法を行使し続けて体が疲労するあまり、意識が一瞬飛んでいたらしい。
……デット、オデット」
とんとん、と遠慮がちに体を叩かれる。サルヒのように小さな手だが、彼女のほっそりとした手に比べるとやや大きい。サルヒと違って、まめやたこのない滑らかな手は、オデットにとってはまだ馴染みのないものだ。
目が覚めた直後のようなぼんやりとした感覚に襲われてから、ようやくオデットは我に帰る。視線の先には、白と赤の色を持つ娘が、心配そうにオデットを覗き込んでいた。
……わたし、今何していたんでしたっけ」
「天幕で寝ていた人たちの様子を見終わったから、宿の中に移動して、一階に寝かせてもらっている人に魔法をかけていたんだよ。それも終わったから、階段を上って二階に行こうとして、その途中でふらっとして」
そこまで聞いて、オデットは慌てて自分がいる場所を確認する。
見覚えのある石造の壁と、木組みの建物。それ自体は、街道沿いの宿の内装として見慣れたものだ。
今の自分が立っているのは、二階に続く階段の踊り場の途中だった。もし、自分が階段の途中で意識を失っていたなら、間違いなくオデットは真っ逆様に階下へと落下していただろう。
ゲルダは意識を失ったオデットの体調を気にして、そばで目が覚めるのを待ってくれていたようだ。
……すみません。急に倒れて、驚かせてしまいましたよね」
「驚いたけど、それはオデットが謝ることなの?」
オデットは体に力を入れて身を起こそうとして、その姿勢のまま目をぱちくりとさせた。
もしこの場にノエたちがいたならば、謝らなくていいよと言ってくれただろう。そのやりとりは、彼らがオデットにとって親しい相手であるが故のものだ。
だが、今ここにいるのは、オデットにとってはまだ赤の他人の域から出ていないゲルダだ。なのに、彼女は数秒の間すら置かずに、呼吸をするように疑問を口にした。
「オデットがふらついているのは、魔法を使いすぎているからだって言ってたよね。魔法を使うのは怪我をしている人がいるからで、怪我をしたのは魔物のせいだから……オデットが私にごめんなさいする理由って、ないと思うよ」
「ゲルダさん……
ノエのように諭すためではなく、ヤルマルのように励ますためでもない。ゲルダは単に事実だけをつらつらと並べ立てるように話している。
それがどこか異質だと感じる一方で、質感はともあれ、この発言は激励の一つだとオデットは受け止め直す。
「そう……ですね。ありがとうございます、ゲルダさん。受け止めてくれて」
今度こそ、ゲルダはオデットに向かって笑いかけ、彼女の手を取った。
オデットより少し背の高いゲルダの指は、オデットがまた倒れないようにと思ってか、最初に手を繋いだ時よりしっかりと力が込められていた。
「二階にも怪我をした人がいるって話だけど、魔法を使いすぎたら、また倒れない?」
「だ、大丈夫です」
嘘だ。大丈夫の領域は、すでに越えかけている。今だって、頭のてっぺんがすぅっと透明になっていくような貧血の感覚が残っているし、これ以上無理をすれば暫く寝込むだろうことも容易に想像できる。
ノエがこの場にいたなら、間違いなく強制的にベッドに連行されていただろう。
だが、今ここにノエはおらず、いるのは魔法については詳しくなさそうなゲルダだけだ。そのことを、オデットはノエに申し訳ないと思いつつ感謝していた。
(まだエーテル回復用の錬金薬が残ってますし、わたしは他の人よりもエーテルの保有量が多いみたいですから)
自分への言い訳を何重にも重ねた上で、オデットは足に力を入れて階上に向かう。
ふらついていた体であってもしっかり嗅ぎ取ってしまう、血の鉄錆びた匂い。扉越しにも聞こえる、命が消えていくことを恐れる人々の嘆き。ほんの数日前までは当たり前のように明日が続いていくと思っていた人々は、今こうして自身の終わりの足音を聞いて震え上がっている。
かつて、ドラゴン族と戦う者の砦に立ち寄った時、ノエは救護室に向かったと話していた。そこで何を目にして、何を耳にしたか、彼は多くを語らなかった。
今なら、それが何なのかがわかる。オデットには伝えまいとした、彼の優しさも含めて。
(兄さんがわたしを気遣ってくれたことは分かっています。ですが、わたしは自分の力でより多くの人を助けられるのなら……その機会が少しでもあるなら、誰かを助けるために全力を尽くしたい)
最早麻痺しかけていた鼻でもわかる血の臭い。それを口や鼻ではなく心で吸い込むように大きく息を吸い、オデットは最後の段を踏み越えた。
……行きます」

***

『サルヒ、右斜め二時の方角から!』
ヤルマルの声を聞き、撒き散らされた雪煙の向こうから急接近するミロドンの巨体にすぐさま対応する。牙と爪を伴った突進は脅威ではあるが、ヤルマルの的確な指示とサルヒの対応能力があれば回避は可能だ。実際、今のところ、多少牙が掠る程度で済んでいる。
(だけど、これは決定打じゃない)
ルーシャンが魔法で気温の調整をしてくれているので、この場所に到着した直後よりは体は動く。自身を駆り立てる獣の衝動を体内の熱として浪費せず、戦闘に全て割り振れるのはありがたい。後ろから支援してくれているヤルマルの指示も的確だ。
だが、それは相手の足止めをしているだけにすぎない。どちらの行動も決め手に欠けており、このままではずるずると悪戯に戦闘を長引かせることになる。
ミロドンも焦ったく思っているのだろう。度々、スプライトの方を見やったりヤルマルの位置を確認しようとする素振りを見せている。
そのような絶妙な拮抗の末ーー痺れを切らしたのは、ミロドンの方だった。
突如駆け出したミロドンの向かう先は、サルヒがいる正面でもなく、ヤルマルが陣取る斜面に向けてでもない。
彼は、今もノエと戦っているスプライトに向かって駆け出したのだ。
「二対一になるつもり……?!」
『そうはさせないよ!』
リンクパール越しにヤルマルの声が響き、彼女の放った数本の矢が、スプライトに向かいかけたミロドンの進行方向に数本突き刺さる。それは単なる矢ではない。エーテルを纏った矢は、これまでもミロドンの肉を何度か削っていた。
ミロドンはそれでもお構いなしに、スプライトに向けて一目散に突っ込もうとする。させじと、サルヒも追撃を続ける。
サルヒがミロドンを追いかけ、ヤルマルが先を進むミロドンを食い止めようと矢を放ち続けていた。
その時だった。
「ヤルマルさん、そこから逃げてください!!」
リンクパール越しからも、肉声でも聞こえる、スプライトの足止めをしていたはずのノエの声。一体何事かとサルヒは身構え、
「ーー!!」
彼女も気がつく。スプライトが一際輝きを放ち、その向きをくるりと回転させたことに。
スプライトがどちらを向いているかなど、サルヒにはわからない。だが、スプライトにもし目鼻があったなら、それは間違いなくヤルマルに狙いを定めていた。それだけはすぐにわかった。
「ヤルマル!」
サルヒの目には、スプライトの輝きが強くなっただけのように見えた。だが、それは魔法の発動を示す合図だったのだろう。
ヤルマルと繋げたリンクパール越しに、氷属性の魔法が発動した時に聞こえる、ガラスを引っ掻いたような甲高い異音が響く。それは通信を繋げっぱなしにしている四名にも聞こえたことだろう。
「ヤルマル、無事!?」
「サルヒさん、そちらにもきています!!」
ノエの警告を聞き、サルヒはミロドンが自分に向かって、大きく跳躍し、迫っていることに気がついた。突進が効かないならば、純粋に重量で押しつぶすつもりなのだろう。
……まずい」
今は姿勢が悪い。大きな敵と力比べをできる構えを取れていない。ヤルマルの指示に頼りすぎていたと、サルヒは内心で舌打ちをする。
躊躇の間にも時は進む。のしかかってきたミロドンの巨体を、サルヒは斧の持ち手と己の膂力でどうにか受け止めた。
……重、いっ」
物理的な質量と、上乗せされた勢いが相待って、腕の骨が軋むのがわかる。辛うじて拮抗の隙間を縫い、ミロドンの腹の下から逃げ出したものの、
「まだ、尾が……っ」
転がり出るようにミロドンの腹部の下から逃れたサルヒの眼前に、高速で迫るミロドンの尾。ありし日のエイビスとの戦いを思い出し、咄嗟に武器を盾とする。極太の殴打を受け止めーーしかし、完全に受け止め切れるには至らず、振り抜かれた尾により、サルヒの体は大きく弾き飛ばされた。
いくらサルヒに力があれど、体重の差は容易に覆せない。吹き飛んだ弾みで手から斧が滑り落ち、少し離れた場所に転がっていくのが見える。
(このままじゃ、あいつがノエたちのところに……
サルヒとヤルマルがミロドンを受け持っていたのは、スプライトを攻撃するノエたちの邪魔をさせないためだ。
だが、今、ヤルマルはスプライトの急襲を受けて身動きが取れない。サルヒはミロドンから離れて武器を取り落とす失態を演じている。
ならば、ミロドンはすぐにでもノエたちに迫ると思った。
だが、予想に反してミロドンは悠々とスプライトやそれと戦うノエに背を向けると、ある一点に焦点を当てていた。
(あいつ、どこを見て……
雪煙がひどくて、視界は非常に悪い。だから、最初すぐにそれがわからなかった。
ミロドンが駆け出すために足に力を込めた瞬間、敵の視線の先を追って、ようやくサルヒは気がつく。ミロドンが向かう先、無防備に残されたルーシャンがいることに。
「ーーーー!!」
迷いは一秒もいらない。ミロドンが走り出すと同時に、サルヒもまた雪を蹴って駆け出していた。
ミロドンの巨体に己の矮小な歩幅では届かぬなら、全身を巡っている血の一滴ですら己の突撃に使う。たとえ膝の血管が千切れようと、腱が切れようと構うものかーー!
(ルーシャン……!)
今この場を保たせている男がやられれば、全員が凍え死ぬ。それは歴とした事実だ。
しかし、サルヒはそのような打算で動いたわけではない。
(あの人は、私が守る)
サルヒを駆り立てたのは、もっと純粋な衝動めいた感情だけ。
(誰にも、あの人を傷つけさせないーー!!)
雪を蹴立ててルーシャンとミロドンの間に割って入る。その間、わずか二秒。瞬き一つ分の距離を膂力だけで詰めたせいで、体が痛い。だが、間に合ったならそれでいい。
「サルヒ!? おい、お前武器がーー!!」
「いいから、旦那様は黙って集中していてください!」
一瞬喋っただけで火属性のエーテルの制御が崩れ、彼の手を焼きかけたのが見えた。私に構うなと吼えるような一言を叩きつけられ、ルーシャンは口を噤む。
間髪入れず、ルーシャンめがけて突っ込んできたミロドンの姿が、サルヒの片側だけの視界に大写しになる。武器がない体で一体、どうやって突進を受け止めるか。逡巡など必要ない。
「うぐ、ぅ、ぁあああーーーーっ!!」
己を鼓舞するための叫びと共に、サルヒは正面からミロドンの突進と衝突しーー『組み合った』。さながら、猪の突進を両手で受け止めるかのように。
流石のミロドンも面食らったようだが、それで押し止まるほど獣は賢くない。そのまま押し切ろうと、ミロドンは巨体に力を込める。
「負ける、ものか……!!」
武器がない。斧がない。
だが、それが何だというのだ。
(私には、力がある……!!)
かつては忌み嫌った力だ。引き出すだけで自我を消し飛ばす呪いだと嘆いた。
だけど、サルヒはもう知っている。その獣の手綱を握るために必要なことを。
(たった一つ、思い出せばいい。あなたの顔を思い出せば、それだけでーー!!)
ただ隣にいたい。その願いを胸の中で刻みなおし、己の中で荒れ狂う獣を限界まで引き出す。
燃え上がった闘気は、アイススプライトの寒気すら消し飛ばすほどの熱が込められていた。その瞳は赤い光を淡く帯びるどころでは済まず、溢れかえったエーテルが本流となったかのように輝いている。
体力もエーテルもただ純粋な力と破壊の衝動へと変換する。それは、生まれついてサルヒが身につけていた獣性の秘めた力だ。
正面からぶつかったミロドンと一歩も引かずに組み合ったまま、サルヒは唸る。
「ヤルマル……いつまで寝ている、つもり……
通信が途絶えた弓使いへ、彼女は奥歯を噛み締めて呼びかける。
「そんな情けない姿、オランローに見せられるの……?!」
あの強かなヴィエラ族の麗人が、そう簡単にやられるわけがない。そう思ったからこそ、彼女が最も鼓舞される形で叱咤する。
果たして、返事はーーあった。
『ーーその言葉は、少しずるいんじゃないかなあ』
ざざ、と微かな雑音の後に耳馴染みのある麗人の声が届く。がさがさと聞こえるのは、矢を発射するために姿勢を整えるためか。
……準備をしていたところなんだ。そのまま引き留めておいてくれよ』
「動かしたら、当たらない?」
『まさか』
「だったら……当ててみて!」
言うや否や、サルヒは獣の如き吼え声をあげ、己が組み合っていたミロドンの体を横へーー地面へと引き倒すために力をかける。
ミロドンが目を見開くのも無理もない。自分より遥かに小さな生き物が、その腕力だけで魔物をひっくり返そうとしているのだから。
動揺が魔物の全身を伝う。そして、その動揺が今回に限っては命取りだった。
「あなたなんかを、ルーシャンの元には行かせない!!」
グオオ、とあがった魔物の声は、もしミロドンが人語を介したのなら「馬鹿な」と叫んでいただろう。
己の体をひっくり返す、自分より遥かに小さな生き物。しかし今、自分はその生き物にひっくり返されそうになっているのだ。ならば、純粋な腕力ならこの生き物は自分より上であると認めざるを得ない。
ミロドンの視界が反転する。だが、驚きはそこで終わらない。
『ーーナイスショット』
宙に浮き空を一瞬仰ぎ見たミロドンは、さらに見る。直上から襲いくる、放たれた鷹のような猛襲の一矢を。
『こんな大道芸、君と組まなきゃ早々する機会もないだろうさ』
ヤルマルの言葉と共に、ほぼ垂直に打ち上げられ、滞空時間を経て真っ逆さまに落ちてきた一矢が、ミロドンの横腹に深々と突き刺さった。

***

「ヤルマルさん!!」
ノエの警告は、果たしてヤルマルに届いただろうか。ノエたちを眼前にしているにも拘らず、スプライトは自分に迫ってきたヤルマルの矢衾を察知して、その発射元である彼女をを攻撃した。
より直接的な己への脅威を優先したとも言えるが、おそらくは違うとノエはこの短い戦闘の間で理解していた。
「こいつ、やはりエーテルの動きを感知して行動している」
ノエが大技を放つためにエーテルを体内で循環させれば、すかさずスプライトは妨害のためにノエへと魔法を発動させる。ヤルマルに対してもそうだ。より自分に向けて敵意の強い強力なエーテルの動きを察知して、そちらに攻撃したのだろう。
『厄介だな。オレもあんたも、大技となると魔法に頼るしかないだろう』
「ああ。幸い、アイススプライトの核は物質のようだけれど……
魔法の発動と停止のわずかな隙間から見える、眩い光のかけら。それこそが、極端に偏ったエーテルの澱みが生み出した物質なのだろう。偏属性クリスタルか、あるいはクリスタルにすら成り損なった未知の物体か。今はその正体について問う場面ではない。
『オレの武器では、そいつにとっての致命傷には至らないだろうな。せいぜい、表面を削り取るだけだ』
「だけど、今の僕の剣ではーー」
ノエは相手の意識を自分に向けさせるため、短く雷の魔法を唱える。すかさずこちらを向いたスプライトに肉薄するも、スプライトから放たれる冷気がノエを蝕み接近を簡単には許してくれない。
脅威となるのは、吹き付けられる冷気だけではない。冷気と共に生まれる無数の小さなスプライトたちが、生まれると同時にノエのそばで小規模の爆発をしていた。
スプライトに上下関係はないのだろうが、この小さな部下たちの攻撃はなかなかに厄介だ。破裂による衝撃波とスプライトが撒き散らす氷の破片が重なることで、ガラスの破片を高速で撒き散らすような凶悪な攻撃に様変わりしている。
「馬鹿正直に突っ込むだけじゃ、近づくことすら許してくれなさそうだ」
『だったら、どうする』
「策はある。ともあれ、まずはあいつを守っている冷気を吹き飛ばさないと」
アイススプライトから距離を置き、ノエはじっとそれを観察する。幸い、スプライトはノエたちが極端に近くに来ないか、近くでエーテルに働きかけるような挙動をしない限りは冷風を出すだけのオブジェと化してくれている。
「オランロー。とびきり強い技を練ってくれ。あいつの冷気を吹き飛ばせるような」
『核を露出させる気か』
「ああ。その後は僕が受け持つ。それまでの下準備の間も、僕があいつを惹きつける」
『分かった。だが時間は……二分、いや一分は必要だ。エーテルも多少は漏れるだろう。……本当に惹きつけられるのか』
オランローの確認は、ノエに全ての責任を被せていいのかという確認だった。必要に応じて自分が負担の一部を引き受けてもいい。そう言おうとしたのだろう。
しかし、ノエはその申し出をありがたく受け入れーーなかった。
「なあ、オランロー。僕は戦いが始まる前に、ルーシャンさんにこう言われたんだ」
剣の柄を握り、数分前に自分にかけられた激励を思い出す。
「『ちゃんと敵を惹きつけてこいよ、盾役さん』……って」
その言葉の意味を悟り、オランローはリンクパール越しでもわかる笑みをこぼす。
きっとその激励は、いまだ己の行く道を決めかねている青年にとって、少なくとも戦いの場における自分の立場を何よりもはっきりと示したはずだ。自分には守るべき人が背にいて、そのために盾を持ち、どんな敵をも通さない壁になるのだ、と。
……分かった。あんたがオレを守る盾になってくれると信じる』
「その信頼に応えてみせるよ。じゃあ、準備が整ったら連絡を」
『任された。あんたも、余力は残しておいてくれ』
「もちろん」
短いやり取りを交わし終えて、ノエは己のエーテルに働きかけながらアイススプライトに再度接近する。ノエのエーテルの高まりを検知し、スプライトは再び白々とした輝きを放ち、周囲に冷気を撒き散らし始める。
(大丈夫、まだ動ける)
ここに来てすぐの状態だったなら、ノエは自身の低体温を防ぐためにエーテルを巡らせていただろう。体温維持のためにエーテルを使っていれば、己の膂力や防御の壁を作るためにエーテルを割く余裕はなくなる。その状態では到底勝ち目などなかったが、
(ルーシャンさんのおかげで、僕はまだ戦える……!)
彼が微調整した火属性のエーテルは、この極寒の地ですら、ヒトが戦闘可能な領域の温度へと調整してくれている。熱で動けなくなることもなく、かといって寒さで凍え死ぬほどでもない。環境を整えるなどという所業が楽なことではないのは、魔道士が暖をとるために焚き火や暖炉といった自然現象から生じる熱に頼っていることからして明白だ。けれども、彼はやってのけた。自分が倒れる前に全ての敵を信じてくれているからこそ。
……仲間にこれ以上無理はさせられない」
意思を言葉に載せ、スプライトが打ち出した氷の魔法をエーテルで作り上げた障壁で受け止める。ぱらぱらと霰か雹のように飛び出てきた小さなアイススプライトたちは、再びノエの周りで氷の小爆発を起こし始める。
(これぐらい、なんてことない)
全身の魔力を一気に防御へと割り振る。あまりに高密度のエーテルが駆け巡ったせいで、刹那、その魔力の奔流は青く輝いたようにすら見えた。
ぴりぴりと肌を走る冷気。しかし、体そのものが凍りつくほどではない。
一つ、二つ、鎧の表面で氷が爆ぜる。障壁で防ぎきれない分が、自身の体に薄く霜として積もる。寒いという感覚すら意思でねじ伏せ、意図的にノエは光でできた雷をスプライトに向けて放つ。
(よし、きちんと誘導できている)
傷を受けるのは、盾役の役目だ。剣を持ち、盾を構える戦い方をすると決めた時点で、その覚悟は済ませている。
……きっと、心に負う傷も)
その全てを、無心のままに受け止めることはまだできない。そうするのが正しいのかもわからない。
けれども、今はまだ戦える。これは間違っていると思うもののために剣を振るえる。
そして。
「お前達が、街道を通ろうとする人を苦しめる原因なら……僕はそれを止めさせる」
それこそが、今のノエの意思だ。
牽制のために何度も小規模な魔法をスプライトの前で発動させ、敵の気を引く。相手もノエを直近の脅威として警戒してくれているようだ。
だが、そのやり取りを永遠には続かせない。
『ノエ、合わせてくれ』
合わせられるか、ではなく。こちらに合わせろという乱暴な誘いに、ノエは「ああ」と短く答えた。
『二、一ーー』
打ち合わせなどない。問答無用のツーカウントの末に、ノエは防御に割り振っていたエーテルを即座に攻撃へと切り替える。
「お前の相手はこちらだ!!」
レクイエスカットと呼ばれる、雷を落とす小規模の魔法。続けて、それを引き金に続く魔力でできた剣を落とす魔法。
本来ならば、そこから更に繋げられるのだろうが、アイススプライトが放った強烈な冷気がノエの集中を乱し、それ以上の追撃は許さじとする。
だが、そこまで時間を稼げば上々。
ノエへと体の向きを半回転させていたアイススプライト。
その死角から高速で激突したのはーー一羽の光る鳥。正確には、鳥に似た形に固められた、武の舞により高められた魔力の塊が、アイススプライトが纏っていた冷気を根こそぎ吹き飛ばす!
『今だ!』
オランローの合図を聞くまでもなく、ノエは走り出していた。
「そこ、かあぁあああーーーーっ!!」
雪を蹴り、一直線に振り上げられた斬撃が、一条の光となり、スプライトの中心を貫く。
剣が触れただけで高速で凍りつく低温の核に、それでも物おじせずに、ノエは剣を振り抜いた。
シャン、と。ガラス細工が壊れた時のような、美しいものが破壊された時のみ聞くことが許される澄んだ音が、ノエの長い耳の奥に響いく。だが、その美しい断末魔に耳を傾けている余裕はなかった。
「痛っ」
着地と同時に半身に走る、熱した針で全身を刺すような痛みに着地の姿勢が崩れる。剣を杖代わりにしてどうにか顔から倒れることだけは避けたが、ノエの半身はうっすらと霜が積もっていた。正確には、剣がスプライトの核に触れたところからびっしりと霜が広がっていたのだ。
「まったく、とんでもない冷気だな。立てるか、ノエ」
聞こえてきたオランローの声に、ノエは頷きながらどうにか体に力を込める。近づいてきた彼も、アイススプライトの反撃を少しばかり受けたのか、防具がわりのジャケットの上に溶けない氷がこびりついていた。
「でも、こいつを倒したならーー」
ミロドンを仕留めるのは随分と楽になる。
そう言おうとした矢先、ずん、と地面に走る振動に思わずノエは震源地を探る。それは、すぐに見つかった。
「ヤルマルのやつ、またとんでもない矢を放ったな」
「今の、イシュガルドの竜騎士みたいな一撃でしたね……
魔力を纏わせて一気に加速した矢を、直上から落とす。言葉にするのは簡単だが、敵がどこにいるか、どんな動きをするか、味方がどのように立ち回るかを見定めた上で放つとなると空恐ろしいまでの精密射撃である。
この様子ではミロドンもひとたまりもあるまい。そう思ったノエの予想通り、駆け寄った震源地の先にいたミロドンは、横腹に大穴を開けてわずかにみじろぎするばかりであった。
肩で息をするサルヒは徒手空拳であり、こちらに向かって走ってきているヤルマルも、オランローと同じように顔に氷の欠片をへばり付かせている。
無事なものは、この中には誰一人とていない。だが、何はともあれ、死傷者はいない。
その最大の功労者は、サルヒに守られるように屹立していた。
「ルーシャンさん。支援、ありがとうございました。おかげで、討伐に集中できました」
いまだにレイピアから手を離さず瞑目していた男は、ノエに声をかけられて、ようやく瞼を押しあげた。その額には、この寒冷の只中にもかかわらず、うっすら汗が滲んでいる。
……ん、ああ。終わったのか。そっちの魔物の方は……っと、聞くまでもなかったな」
彼はレイピア地面から抜いて腰の鞘に戻すと、額に手をやり何度かかぶりを振る。やはり相応に消耗しているのだろう。
「ともあれ、これで討伐は終わったわけだね。そっちの魔物の爪でも剥ぎ取って、無事に退治したと報告しに行こうよ」
ヤルマルがルーシャンを労うように、軽く肩を叩く。消費した魔力を補うために、ノエも鎧下にくくりつけていた錬金薬入りの皮袋を取り出して飲み干した。
ミロドンを退治しても、魔物はどこに隠れているかわからない。凍りついた体に魔力を回し、活力を戻していると、
「悪い。ノエ、お前の分を少し分けてもらえるか。さっきの仕掛けを維持するのに、自分のは全部使っちまったんだ」
「構いませんよ」
ルーシャンに頼まれ、ノエはもう一つの革袋を取り出す。巻きつけてある小さな麻紐の手触りから、間違いなくエーテル回復用の錬金薬だと確かめて、ルーシャンへと差し出した。
「どうぞ。全部飲んでもらって構いませんよ」
「おう、悪いな」
何気なく伸ばされた、彼の手。その指は、ノエの差し出した皮袋を受け取ろうとしてーーすり抜けていく。
指の隙間から皮袋が落ちる。同時に、急激に力を失い、傾いだ彼の体がスローモーションのようにノエの視界の横を通り過ぎていく。
「ルーシャンさん!」
「旦那様!」
ルーシャンの顔面が地面に激突する前に、ノエとサルヒが倒れかけたその体を支えた。
体が触れた衝撃で地面にパタパタと何か水のようなものが落ち、何気なくそれを目にしたノエは血の気が引くのが感じた。それは、雪原にはあまりに鮮やかな赤色だった。
「ルーシャンさん、怪我しているんですか!?」
「あー……いや、違う。そんな、大層なもんじゃ……ない。ただの鼻血だ」
体に力が入らないのか、ノエにもたれたままルーシャンが呟くように言う。
彼の言葉通り、その体には他に出血はない。体が楽になるように一度横にすると、ルーシャンの鼻から血がだらだらと流れ落ちているが見えた。
……火属性ってやつは、調節が難しくて、な。体に中途半端に熱がこもって、それで、細い血管が、切れたんだろ……
「旦那様、話さないでください。動けないのは体に残っている熱のせいですか」
ルーシャンは、ゆっくりと首を横に振る。
「じゃあ、ボクのときと同じく、エーテル切れのせいかい」
ヤルマルの厳しい声に、今度は不承不承な様子ではあったが首が縦に振られる。
実際、ただ火属性のエーテルが体に溜まって火照ったとは思えないほどに、ルーシャンの体には力が入っていない。先ほどまでは開いていた瞼も、すでに殆ど落ちている。
だが、ヤルマルのときと違って全体重を預けるほどに衰弱はしていない。意識は落ちたとしても、死なない程度のエーテルは残しておいたといったところか。
「エーテルを活性化させるための錬金薬も、これでは殆ど飲めないだろう。一度休める場所に移した方がいい」
「オランローの言う通りだ。ノエ、ルーシャンを担いでいけるかい」
「はい。その場合、僕の両手が塞がってしまいますので、前衛は他の方に頼みます」
他の方などと言われずとも、この中でルーシャンを担ぐほどの体格がなく、且つ前衛を頼める相手など一人しかいない。サルヒはゆっくりと頷くと、拾ってきた斧を担ぎ直した。
……ノエ、旦那様をお願い」
「はい。……ルーシャンさん、あまり無茶ばかりするものではないですよ」
小言のようにノエが呟くと、意識が半ば落ちていても声は届いていたのか。予想外にも、返答があった。
……たとえ、俺一人がどうにかなろうと、それで成果が出るのならーー」

ほう、と吐き出すように、それだけ言って、男は意識を手放した。

ーー俺は、それでいいんだよ。