toko-honey
2024-09-16 12:45:32
5151文字
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牢屋の中で

拠点でしょうもない喧嘩をして牢屋に謹慎処分になった支援Cのレオンとタクミが、哲学書について語り合って少し仲良くなる話

 レオンは泉の浅瀬に両手を浸した。丸くて艶のある石をまとめてすくい上げる。泉のほとりに石をざらっと広げると、目的のものはすぐに見つかった。鉱石だ。今まで見つけたものと一緒に置いておく。
 レオンの昼間の拠点当番は泉での鉱石採取だった。何度か石をすくい上げ、目標の数まで鉱石を集める。後はカムイに渡すだけだった。
 早めに仕事を終えたので、本でも読もうかとレオンは立ち上がった。泉の周囲には日陰がない。日陰になっている場所でないと、本を読むには明るすぎるのだ。
 見渡すと、すぐ隣の岩山が目に入った。鉱石の岩山だ。ちょうどこちら側に大きな影ができている。
 レオンは岩山を背にして座り込んだ。本を開く。何度か読んでいる気に入りの本だ。背後から、カンカンと岩を砕くハンマーの音がした。
 数ページ読んだところで上の方から「あっ」と声がした。直後に小石と共にハンマーが降ってきて、レオンの横の地面にドスッと落ちた。採石用のハンマーは片手で扱える程度のサイズだが金属部分はそれなりに重たい。尖っている部分もあるし、もし当たっていたら大惨事だ。
 移動しようとレオンは立ち上がった。本を読む場所を間違えたようだ。
 ハンマーを拾って岩山を見上げる。落とし主の姿を認めた途端、レオンは顔をしかめた。ハンマーを落としたのはこの拠点で最も気の合わない相手、タクミだった。
「あっ、ごめん、怪我は……
 タクミの方でもレオンに気が付いたのだろう。謝る言葉が途中で途切れた。すまなさそうな顔で見下ろしてきていたのが、一瞬にしてしかめっ面になる。
「何だよ」
 じっと見上げていると、ぶっきらぼうにタクミが言った。
「『何だよ』とはずいぶんな言い草だね。もっと他に言うべき言葉があるんじゃないの」
 拾ったハンマーを片手でもてあそびながら言う。タクミがむっとしたのが気配でわかった。
……悪かった」
 横を向いてぼそっと言う。おおよそ謝罪する態度には見えない。
「聞こえないけど」
「『僕が悪かった』って言ったんだよ!」
「ふうん」
 かっとなって怒鳴ってくるのを適当に受け流す。
 タクミがくやしそうに顔をしかめるのを見てレオンは薄ら笑いを浮かべた。今はこちらにアドバンテージがある。わざとでなくてもタクミがハンマーを落としたのは事実だし、そのせいでレオンが怪我をしそうになったのも事実なのだ。
「これ、いるんじゃないの?」
 タクミによく見えるようにハンマーを掲げて左右に振る。タクミはしかめっ面のまま、しぶしぶといった態で岩山を下りてきた。黙ってレオンに片手を差し出してくる。
 レオンはハンマーの持ち手をタクミに向けた。タクミが持ち手をつかんだところで頭の部分をぐっと握りしめる。
「言うことは?」
……ありがとう」
 心のこもっていないセリフを聞いてレオンはぱっと手を放した。ハンマーを受け取りつつぎろりとにらんでくるタクミの態度があまりにも予想どおりで吹き出しそうになる。
「ま、今回のことは水に流してあげるよ。岩山の鉱石採取なんて、白夜の王子サマには難しすぎる作業だろうしね」
「なっ。馬鹿にするなよ、このくらい僕にだって」
「現にできていないじゃないか。ハンマーひとつ、まともに扱えないようだし」
「これはたまたま手がすべっただけだ」
「手伝ってあげようか」
「はあっ?」
 タクミが怪訝そうな顔になった。
「そんなものを使わなくっても、僕のブリュンヒルデならもっと楽に採掘できるんだ。こんな風にね」
 レオンは魔道書を構えて片手を岩山に向けた。呪文を唱えると岩肌の一部が吹き飛ぶ。岩だけが細かく砕け散り、残った鉱石がごろっと転げ落ちた。
「ほらね」
 レオンは勝ち誇った顔で小石の山の中から鉱石を拾い上げた。タクミに手渡す。
 唖然としたタクミの顔が、みるみる怒りの表情になった。レオンが渡した鉱石を投げ捨てる。
「余計なことするなよ! あんたの当番はここじゃないだろ!」
「ああ、そうだね。こっちだよ」
 レオンは泉を指さす。
「だったらそっちをやればいいだろ! さぼって本を読んだり人の仕事に首を突っ込んだりするなよな」
「さぼってなんかいないよ。自分の仕事が早く終わったからやりたいことをやっていただけさ。何が悪いんだ」
「どうせ浅いところで拾いやすいのを拾っただけだろ。もっと真剣に取り組んだらどうなんだよ」
 レオンはふんと鼻を鳴らした。
「浅いところで拾おうが、深いところで拾おうが、鉱石に違いなんてないじゃないか。目的が達成できるなら手段なんてなんでもいいんだよ」
 タクミはしたり顔になってこちらを指さした。
「ああ、そうだよな。あんたたち暗夜人は目的のためなら手段は問わないよな、忘れてたよ」
 レオンは目をつり上げた。暗夜王国そのものを馬鹿にしてくる態度にさすがにカチンとくる。
「そういう白夜人は礼儀がなっていないね。仕事を手伝ってくれた相手にそんな態度なんだ?」
「誰も頼んでいないんだよ、お節介!」
「何だって、この恩知らず!」
 鼻息も荒くにらみ合っていると横から声がかけられた。
「レオン、そのくらいにしろ」
 はっとなってそちらを見るとマークスが立っていた。あきれと怒りの混ざった顔をしている。
「マークス兄さん。なんで……
「お前の臣下から知らせがあった。くだらない言い合いを止めるように言って欲しいとな」
 自分たちの所業を「くだらない」と一刀両断されてレオンは目をそらした。
 同じようなやり取りはタクミの方でも繰り広げられていた。
「タクミ、暗夜側とのもめ事はどんな些細なことでも厳禁だと言ったはずだが」
「リョウマ兄さん。これは……、その」
「言い訳無用!」
 一喝されたタクミはしゅんとなり、レオンと共に長兄たちに連行された。



 牢屋の中は薄暗くて静かだった。床も壁も硬くて冷たい。ときたまパラリと本のページをめくる音だけが響いた。
 レオンはマークスに謹慎を言い渡されていた。明日の昼まで、丸一日牢屋の中だ。
 立場もあるのに恥ずかしいし情けない。謹慎なら宿舎の部屋でもいいはずで、牢屋はやり過ぎではないかとマークスに意見してみたのだが、「他の者に示しがつかない」と一蹴された。
 牢の中はすることもなく退屈だ。臣下の訪問も許されていない。本の持ち込みは禁止されなかったので、レオンは昼間の本の続きを読んでいた。レオンがページをめくると、それに遅れて本をめくる音が隣から聞こえた。
 謹慎処分を受けたのはレオンだけではなかった。タクミも一緒だ。レオンとタクミは隣同士の牢にそれぞれ入れられていた。お互いに一言も発さないし姿も見えないが、気配だけは感じられた。
 牢屋の硬い床は座り心地が悪くてずっと同じ姿勢でいると尻が痛くなってくる。しょっちゅう姿勢を変えなければならず、レオンの読書への集中はたびたび中断された。
 脚を組み直して壁によりかかる。
 本の内容に集中できない頭の中に、マークスの説教が響いた。
『王族としての自覚を持て』
『愚かな優越感など捨てて、全体の利益を優先しろ』
『仲良くしろとは言わないがせめて波風が立たないようにふるまえ』
 その他にもいろいろと言われた。気に入らない人間にそれなりの態度を取っただけで、なぜあそこまで言われなければならないのか。自分をまるごと否定されたように感じて、レオンの胸にはくさくさした気分がわだかまっていた。
 こんなことになったのは隣にいるタクミのせいだ。
 少しからかっただけで過剰に反発してくる方がどうかしている。まったく子どもっぽくて嫌になる相手だ。言い合いになってしまったのは失敗だったが、タクミでなければ言い合いにまでは発展しなかった。こちらの言うことに真っ向から言い返してくること自体が間違っているのだ。
 外がだんだんと暗くなる。届けられた夕飯を食べ終えるころには、昼でも薄暗い牢の中はますます暗くなっていた。明かりは牢の外の通路を照らすランプしかなく、とても本が読める明るさではない。
 レオンは魔法の光で手元を照らした。それで本の続きを読む。パラリとページをめくる音は、レオンが立てるものだけになっていた。
 隣からごそごそと衣擦れの音がした。暗くなって本も読めず、いよいよすることのなくなったタクミが横になって寝ようとしているのかもしれない。別にどうでもいいことだった。本に意識を戻す。
 ふいにタクミが話しかけてきた。ひかえめな声だった。
……レオン王子。その、昼間のことだけど……
 レオンは返事をしなかった。黙って本の続きを読む。
「ごめん。怪我、しなかったか」
「してないよ」
 レオンは短く答えた。今さらその話かと思った。怪我をしていたのなら、とっくにそう主張している。
 タクミが「そうか」とつぶやくと、また牢屋の中は静かになった。パラリパラリとページをめくる音が小さく響く。
 しばらく読み進め、本が終わりに差し掛かったときだった。
……なにを読んでいるんだ」
 また声がかけられて、レオンはうんざりした。タクミはまだ寝ていなかったらしい。いくらすることがなくて暇だからといって、こちらを暇つぶしの道具にしないで欲しい。
「『理非の天秤』」
 どうせ聞いたところでわかりっこないのだから黙っていろというつもりでタイトルを告げる。哲学の専門書だ。ある程度哲学の知識がある人間でなければ、聞いたこともないだろう。
 今まで、レオンの読書の趣味に付き合える人間は一人としていなかった。本が好きでも哲学が好きな人間はなかなかいない。レオンが哲学書の書名を告げ、タクミは適当に曖昧な返事をし、また牢内に静寂が戻る。そうなると信じていた。
 実際にタクミから返事が返ってくるまでは。
「それ、僕も読んだことがある」
 レオンはぱっと本から顔を上げた。
「『理非の天秤』を?」
「ああ」
「本当に?」
 思わず尋ねる。
「本当、だけど」
……どう思った」
「えっ」
「読んだのなら言えるはずだろ。どう思った」
 疑り半分興味半分で聞いてみる。もしもタクミが嘘を吐いていて下手にごまかすようならば、からかう材料になるとの算段もあった。
 そうだね、と前置きをして、タクミはすらすらとしゃべりだした。
「人はどんな風にして道徳的判断を下すのかを心理的に深く掘り下げているのが面白かった。あと、個人の自由と社会的責任との兼ね合いの難しさでは、身につまされたように感じた。それによって対立が起きる構造の解説もわかりやすかった」
 レオンは目を見開いた。タクミが話したのはまさしく本の内容そのものだ。
 レオンは寄りかかっていた壁から背を離した。
「感情と理性の章があっただろう。両極端には傾かず、中庸を探るべきだっていう結論はどう思った」
「結局はそうなんだろうなって思ったよ。でも、そこに至るまでの考え方が興味深かった。感情のみで動くとどうなるか、理性だけで動くとどうなるかで挙げられた例が話としてもどれも面白くて、よく深掘りされていると思った」
「僕もそう思った。ただ結論を述べるだけじゃなくてどうしてそうなるのかを理論的に説明しているところがこの本の魅力だと思う。他人の頭の中をのぞいているみたいで面白いから気に入っているんだ」
 タクミにつられてレオンも饒舌になっていた。静けさと退屈しかなかった牢屋の中が急に賑やかになる。
 タクミが尋ねてきた。
「『幸福論』は読んだ?」
「どの『幸福論』? 有名なのは三冊とも読んだけれど」
「僕も三冊とも読んだ。レオン王子はどれが好みだった?」
「そうだな、僕は――
 レオンは本を閉じた。タクミがいる牢の方へと身体を寄せて自分の考えを話す。レオンが話すと、それを受けたタクミの意見が返ってきた。それを聞いてレオンはまた自分の意見を返す。先ほどまでレオンにうんざりする気分を与えていたタクミの声は、楽しみを与えるものへと変化していた。
 幸福論の話が一区切りつき、暗い牢屋に静寂が少し戻ってくる。
 レオンは静かに言った。
「ねえ、タクミ王子」
「なに、レオン王子」
 タクミの声ははずんでいる。しかめっ面で見下ろして「何だよ」と言っていた声よりも、こちらのほうが好きだと思った。
「明日になってここを出たら、お互いに顔を見ながらこの話の続きするのはどうだろう」
 レオンが提案すると、少ししてからタクミから返事があった。
「悪くない、かもね」
 気まずさが消しきれていない言い方に、ふふっと自然に笑いがもれた。