桐子
2024-11-01 00:31:17
1692文字
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楽園のつがい(中)


久しぶりに見る父の背中は広くて大きかった。彼は鬼太郎を振り返ると、「大きくなったな」と呟いた。
「あの結界を破るとはたいしたものじゃ」
父親は穏やかな目をしていた。
水木が死んだあとの狂気を宿した荒んだ眼差しとは違う。鬼太郎の知る、優しいのんびりとした父の姿だった。

鬼太郎にとって父は、この世でただ一人の肉親だ。そういう意味では水木よりもずっとずっとつながりが強い。いつも優しく穏やかで博識な父が、鬼太郎は好きだった。
だから、水木が死んでからおかしくなってしまった父を見ているのはつらかった。

ーーーどこじゃ、どこにおる水木。
ーーーうるさい!水木が見つかるまで休むことなぞ許さんぞ!
ーーー水木の魂をどこへ隠した!言えぬというなら、その体引き裂いてくれる!!

穏やかだった父が目を血走らせ、仲間たちへ怒声を浴びせるようになった。寝食も忘れ、壁に向かって不気味にぶつぶつ何事か呟いていたと思ったら、日本中を駆け回り何ヵ月も帰ってこない。地獄でも閻魔相手に大立ち回りをして、鬼たちから白い目で見られた。
「父さん、どうしちゃったんですか」
「親父さんがそんなでは鬼太郎がかわいそうじゃ」
「そうじゃそうじゃ」
だが、鬼太郎の声も、他の仲間たちの声も父には届かなかった。

ようやく水木が見つかって、これで父も元に戻ると安堵していたが、一度壊れたものはもう二度と元には戻らない。父は他の男との結婚が決まっていた水木をさらい、陵辱した。
父に組み敷かれて涙を流す水木の姿は、未だに鬼太郎の脳裏に焼き付いている。水木にまで害を及ぼす存在になってしまった。もう閉じ込めておくしかないーーーそう考えて穴ぐらへ封印した。
予想外だったのは、そうされても水木が父のことを恨まず、あろうことか自ら父の腕の中に飛び込んだことだ。
穴ぐらの中で激しく交わる姿を見て、父も彼女も狂っていると思った。

「鬼太郎」

父は大切な宝物のように、鬼太郎の名を呼んだ。
「お前はわしの大切な倅じゃ。亡き妻ののこした愛しい忘れ形見。わしにとって命よりも大切な者じゃよ……それでもわしは、お主のことを許せんのじゃ」
赤い瞳は暗い光を湛えていた。鬼太郎はその目を知っている。水木を助けたときにも、父はこんな目をしていた。
「父さん」
「お主はわしから水木を奪った。倅といえどもこればかりは許すことができん」
彼が言っているのは、陵辱される水木を見ていられなくて助け出し、父を穴ぐらへ封印したときのことだろう。
彼は寂しげに笑った。
「わしの中には地獄がある。自分ではもう蓋をすることができん、底無しの地獄じゃ。これ以上一緒にいたら、わしはお前さえも手にかけてしまう……
優しかった父はそう言って、カラコロと下駄の音をさせながらこちらへ近づいた。昔は見上げるばかりだった父とは、もうほとんど目線が変わらなくなっている。
幽霊族は大人になるのに時間がかかると言われている。しかし、鬼太郎は父たちに捨てられたあと、すぐに大きくなった。庇護してくれる者がいなくなり、無意識のうちに成長したのだ。
「お前はもうわしの手を離れ、自分の道を歩んでおる。地獄には水木が付き合うてくれる。お前とはこれが今生の別れじゃ」
父は鬼太郎の肩に手を置いた。その手が微かに震えているのを鬼太郎は感じた。
……僕は、父さんたちと一緒にいたかったです。でも、父さんがそれを望むなら、そうします」
父はその言葉に、嬉しそうに笑った。
「お前は本当に、わしにはもったいないくらいできた倅じゃのう」
そう言って笑う父の目尻には笑い皺ができていた。もう見ることもない父の心からの笑顔を、鬼太郎は心に焼き付けた。

「こんなことを頼める義理はないが……いつか、あの子たちが外の世界へ出たときは、よくしてやっておくれ」

父と水木、そして義妹に見送られ、鬼太郎は小屋をあとにした。
「ばいばい、おにいちゃん」
あどけない笑顔の義妹に手を振り返す。
愛し合う男と女、その子どもたち。この世界は狭く、閉じていて、美しい。
喪われた楽園そのものだった。