吾妻
2024-10-31 23:41:53
4341文字
Public アークナイツ
 

The biter is sometimes bitten.

題訳:ミイラ取りがミイラに
パズ博♀です。わかりにくいけど付き合ってる。
あまり甘くならなくてごめんなさい。かっこよく、ヴイーヴルらしいパワフルさでお仕事を完遂しているパズルくんが書きたかった。

 深夜の執務エリアはひっそりと静まり返っている。
 非常灯以外の照明も落とされ、生物の気配は感じられない。
 監視カメラの位置や警備巡回の周期は既に把握済みだ。技術レベルはクルビア等に引けを取らないが、セキュリティはそこまで強固であるとは言い難い。いくら業務時間外とはいえ、最重要機密を取り扱っているはずの戦術指揮官の執務室に、ここまで容易に近づけるとは思わなかった。
 各国の要人が関わりを持つ製薬会社というから身構えていたものの。
「所詮はただの一般企業――
 こぼれ落ちた言葉は、しかし、背後から喉元に押し当てられた刃によって封じ込められてしまった。
……
 心臓が早鐘のように鳴り出す。息を飲めば、喉元すれすれに押し付けられたナイフに皮膚が触れた。一体いつの間に。気配をまったく感じなかった。
……本来、このような仕事は私の領分ではないのですが」
 氷のように冷ややかな声が、耳から滑り込み、冷や汗と共に背中を伝って落ちていく。
「本日は私が秘書を仰せつかっているので、ここから先へ行かせるわけにはいきませんね」
「あ、あんたは……
 掠れた声を絞り出す。〝秘書〟という言葉でピンときた。
 〝仕事〟としてだけではなく、個人的にも注視していた男だった。
 何しろ〝同業者〟だ。今回の仕事においても、最も警戒すべき因子だと思っていた。だが、しがない産業スパイとは比べ物にならないほどの上客を相手にしていた優秀な密偵は、既にその牙を失っているように見えた。
 身分を偽るわけでもなければ、経歴を隠しもしない。日がな一日、能天気な指揮官にやれ書類整理だやれ雑用だとこき使われている。
 〝フィッシャー〟はもはやスパイとしての顔を捨て、毒にも薬にもならない余生を送っているものとばかり――
「計画の推移が順調であればあるほど、警戒を強めるべきです。そのような心構えは、我々にとって常識であるはずですが」
「な、何を言ってるかさっぱり……俺はただ迷っちまって……
「下手な芝居は結構。貴方の素性も調べがついています」
 はなから誤魔化し切れるとは思っていなかったが、取り憑く島もないあしらい方に舌打ちがこぼれた。
「てっきりあんたは、もうこの稼業から足を洗ったと思ってたが……
 両手を挙げて降伏の意を示しつつ、善良な一般市民の仮面を脱ぎ落とす。
「こんな政争とは程遠い、生ぬるい場所で雑用係に甘んじているなんてな」
生ぬるい
 背後の男は小さく笑った。さもおかしなジョークを聞いた、とでもいうように。
「なるほど、これで腑に落ちました。貴方がなぜそのように無防備なのか。演技でもなんでもなく、ただ我々を――ドクターを侮っていただけなのですね」
「な」
「泳がされているかもしれないと、一瞬たりとも考えなかったのですか? 同業者として失望を感じざるを得ませんね」
「失望?」
 今度はこっちが笑う番だった。急におかしくてたまらなくなった。
「失望した、はこっちのセリフだ。あんたこそ、仕事に私情を持ち込みすぎなんじゃないのか? まるで臣下が主君に預けるような忠誠だ。監視対象に絆されて、尻尾を振るだけの飼い犬になっちまったのか?」
 背後の〝フィッシャー〟は答えなかった。少なくとも的はずれな指摘ではなかったようだ。
 確かにこちらはしがない産業スパイだが、それでも数多の修羅場をくぐってきた身だ。窮地を脱する術なら心得ている。
 幸い、奴はさほどガタイがいいわけではない。
 相手の動揺を誘い、一瞬の隙を見計らって突き崩せば、勝機はある。
 ナイフの刃が首をかすめるのにも構わず、振り向きざまに細身の男を組み伏せ――ようとした。
 しかし、ほんのわずかに体を動かした次の瞬間、強固な縄のような何かが足に絡まりついてきて、そのまま床に引き倒されてしまった。
「ぐぁ……っ!」
 それがヴイーヴルの尾であると察する頃には、〝フィッシャー〟の膝が床に這いつくばる産業スパイの背にめりこんでいた。
 ああ、しくじった。
 背にのしかかる有無を言わせぬ圧力に、自身の失態を思い知った。いくら細身に見えても相手はあのヴイーヴルなのだ。
 強靭な尾は今も片足に絡みついたまま、血流が心配になるほどに強く締め上げてきており、その膝は的確に背を抑え込んで自由を奪ってくる。
 更に思い知る。相手がただのヴイーヴルなどではなく、ヴィクトリア軍の中枢で立ち回っていた諜報員なのだと。そしてようやく、背筋を寒気が伝って落ちた。どうしようもなく失敗したのだと、実感が追いついてきた。
――もし、貴方の言う通り、私が〝あの人〟に絆されていたとして」
「ぐ、ぅ……
 膝に体重をかけ、〝フィッシャー〟が屈み込んでくる。冷ややかな声が、耳から臓腑へと入り込んでくる。まるで磨き上げられたナイフが骨の隙間から皮膚を貫いて差し込まれたかのように。
「それは他人には関わりのないことです。特に、〝あの人〟の本質を見抜けない、貴方のような人には」
 押し当てられた膝から、向けられる眼差しから、明確な憤りが伝わってくる。
 もしも視線で人を射殺せるのだとしたら、自分はもうとっくに絶命していることだろう。
……あ」
 命乞いをしようとしたのか、釈明をしようとしたのか。自分でももうわからない。
 喉から間の抜けた言葉が零れた次の瞬間、項に強い衝撃を受けて、意識は闇に沈んだ。


            *


 組み敷いた男が昏倒したのを確認して、パズルは男の足に巻き付けていた尾を解いた。
 だらしなく伸びている不届き者は指先ひとつ動かさない。誰の依頼で、どこから送り込まれてきたのか。既に大方の情報は出揃ってはいるものの、流石にここで殺してしまうわけにもいかない。パズルは今、ヴィクトリアの諜報員などではなく、ロドスのオペレーターなのだから。
 男を押さえ込んでいた膝をどけるのと同時に、背後の闇がゆらりと動いた。
 闇から溶け出すように現れた〝彼女〟が誰で、いつからそこにいたのかも、パズルはきちんと把握していた。この喜劇じみた捕り物を、はじめから見張っていたのだ。
 背後の影に構わず、パズルが服の埃を払っていると、足音も立てずに歩み寄ってきたサルカズの女が隣に並んだ。目深に被ったフードから、大きな二本の角が伸びている。
「あとはS.W.E.E.P.こちらで預かる」
 アスカロンはそれだけ告げると、床に転がっている男の体をやすやすと肩の上に抱え上げた。
「ご随意に」
 こちらも短く応じれば、薄桃色の双眸が鋭くパズルを一瞥した。
 物言いたげに目を眇め、しかし、アスカロンは何も言わずに歩み去る。すぐに廊下に蟠る闇の中に滑り込み、姿を消してしまった。
 アスカロンの消失を目で追ったのち、パズルは小さく嘆息した。彼女の鋭い眼光は、間違いなく自分にも向けられているものなのだろうと感じた。
(ドクターに免じて許されている、ということでしょうか)
 その警戒心は正しい。自分が彼女の立場だったとしても、同様に神経を尖らせるだろう。
 薄汚い血で汚れてしまったナイフを辟易と拭ってからしまい込み、パズルは。
 私室へ戻るでもなく、スパイの目的地であった執務室の扉に向き直った。
 既に深夜を迎え、明かりも消えて、誰もいないはずの執務室の扉は、なぜかすんなりと横滑りに開き、パズルを迎え入れた。
「超過労働ですよ」
 暗闇に包まれた部屋の奥へ呼びかける。
「自分の立案した作戦には最後まで付き合う主義なんだよ」
 闇の向こう側から声が返った。間を置かずにデスクライトが灯り、この部屋の主の姿が浮かび上がった。泰然とデスクチェアに埋まっているドクターは、どこか得意げな笑顔を浮かべている。
 確かに、産業スパイの存在をごく初期段階から把握しながら泳がせ、パズルに情報収集と監視を命じ、本日の捕獲を画策したのは他でもない彼女――ドクターだ。彼女が常に部下の身を案じ、できるかぎり作戦区域に留まろうとする人物であることも、パズルはよく知っている。
 だが、彼女を必要以上の危険に晒すのは、パズルの本意ではなかった。ドクター自身がターゲットであり、囮になる必要があるならまだしも、諜報員の目的はロドス・アイランド製薬の機密であって彼女ではない。だから、別にドクターが執務室いる必要など欠片もなかったのだ。
 無防備すぎる護衛対象は頭痛の種だ。上司としても、プライベートのパートナーとしても、もう少し大人しくしていてほしいのが本音ではある。
「待機する場所は私室でも支障はなかったでしょう。もし私がしくじったり、寝返りでもしたらどうするつもりだったのですか?」
 口にしてから、余計な心配だったと自嘲した。万一パズルがしくじったとしても、アスカロンが手を下せばそれで済む。保険をかけてあるからこそ、ドクターはあのように余裕を保っていられるのだろう。
「パズルがしくじるはずがないだろう? 寝返るなんてもっとありえない」
 だが、パズルの口元に浮かんだ自嘲は、朗らかな女の声のおかげですぐに消えてしまった。
「私は、人を見る目には自信があるんだ」
 ドクターはデスクに両肘をつき、組んだ指の上に顎を乗せ、どこか蠱惑的な上目遣いでパズルを見上げる。
 毒気を抜かれ、パズルは気づけば苦笑していた。まったく困った人だ。どこまでが計算ずくかわからない。それほどの信頼を向けられて、誰が裏切ることなどできるだろう?
 苦い笑みを浮かべたまま、パズルは執務机に歩み寄る。主人の座る椅子の傍らに立ち、普段はフェイスマスクの内側に隠されている髪を一房、手に取った。
「では、任務完遂の報奨をいただけるのですか?」
 掬い上げた髪に口吻をし、密やかに褒美をねだれば、今度はドクターが苦笑を浮かべる番だった。
「君のお願いなら、ご褒美なんかじゃなくてもなんでも聞いてあげるけど……
「『なんでも』なんて、容易く口にしてはいけませんよ」
「君相手だからなんだけどな」
「だとしても、ですよ。どんな目に遭うかは、もうお分かりのはずでは?」
「はは、今日はまだ週中だから、お手柔らかにお願いしたいんだけど」
 引っ張り起こしてほしいのか、パズルに向けてドクターの細い腕が伸べられる。力を込めれば折ってしまえそうな頼りない指先を捕まえて、その爪をそっと指で撫でながら、パズルは。
「なんでも願いを叶えてくださるのでしょう?」
 細腕を引き、椅子からつんのめるように立ち上がった恋人を、腕の中に閉じ込めた。



【おわり】