バレー部の練習が終わり、職員室に鍵を返しに行った先生に付き合った、その帰り道であった。月明かりに照らされる学校の廊下はどこか不気味で、だがしかし幻想的でもあった。
廊下の曲がり角で立ち止まったのは、偶然であった。先生と、向き合う形になったことも。そして何かに気がついたらしい先生が、あ、と声を上げて烏養の腕を軽く引っ張ったのも。その偶然の積み重なりが、それまで烏養が気付くことのなかった一つの可能性の鍵を開けた。
「烏養くん、肩に何かついてますよ」
先生に指摘され、え、どこに、と言いかけて息を飲んだ。見つけた自分が取るつもりなのか、いつもより少し近づいた顔にどきりとしたところで優しく肩に触れられ、その手が撫でるようにさっと肩についているのであろう恐らく埃か何かを払った。
「取れましたよ。もう大丈夫です」
言いながら遠ざかっていた距離が、それでもいつもの距離より近いところで止まった。埃を払ってくれたお礼とか、突然動きを止めた先生への疑問とか、投げかける言葉や行動はあるはずなのに何故か烏養も動けなくなる。
目が、あってしまった。
それだけで、搦め捕られてしまった。生唾を飲み込む。同じタイミングで、先生の喉もこくりと動いた。月明かりが照らすだけの廊下で、二人の影は今にも触れ合いそうな距離で夜の闇の中薄ぼんやりと揺れている。
先に動いたのはどちらであったか、それはもう些細な問題でしかなかった。二人の影の境界がじんわりと滲んで溶け出した。
まるで小さな子供のお遊びのような、触れるだけのキスに特別な快感はないけれども、緩く締め付けられたような心臓の感覚は好きだった。
自然と息を止めていたのか、はあと小さな吐息が漏れ、混じり合った影の境界は再び元通りとなる。眼前の先生の表情は月明かりだけでは判然としなかったが、どうしても見ていることは出来なくてふいと顔を逸らした。
夜の学校という独特の空気に呑まれてとんでもないことをしてしまった気がする。そして取り繕う前に顔を逸らしてしまったことで言い訳の機会を逃してしまったのではないかと、背筋が冷える気がした。
だが自らの指先に、自らのものではない指が触れたとき熱は再び烏養に戻ってきた。その指はそっと優しく烏養の指先を撫でさする。
「何だかとても、いけないことをしている気分ですね」
ふふ、と笑い声さえ混じる先生の声に烏養はうまく返事も出来ない。実際に、いけないことはしているのではないだろうか。そう思ったけれども、先生は柔らかく笑うだけであるからいけないことではないのかもしれないと錯覚を覚える。
「そろそろ、帰りましょうか」
烏養の方を向いていた先生が玄関へと歩き出す。その二歩後ろを、烏養は付いていく。本当は気まずさからまだもう少し距離を取っていたかったけれども、それが何となく許されていない気がしたのは、優しく撫でられていた指の一本を先生は緩く掴んだまま離そうとはしなかったからだ。
左手の薬指。その指を掴まれたのははたまた偶然か、それとも。
緩い輪っかを作っている先生の指が、おもちゃの指輪を連想させて、烏養はまた先生から顔を逸らしたけれども、触れている部分の感触は離されなかった。
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