私は眠ったふりをして、ベッドの上、暗闇の中でお前を観察する。でも眠っていないのはお前にはバレていて、お前は私に繰り返しキスをする。おやすみなさいって、いい夢をって、私を抱きしめて。強く抱きしめて。
何も、迷宮に潜るばかりが私の仕事じゃあない。若くして外交官に任じられたパッタドルへのアドバイスも、女王から与えられた私の役目の一つだった。今日はそんな彼女の王との面会の手助けに私は呼ばれ、だから黄金城での文化交流に駆り出されたのだった。また彼に会える、今朝別れたばかりの彼に会えると、心の底では思いながら。
しかし会場となった貴賓室の王の側には珍しく側近であるカブルーの姿はなく、聞けば書類仕事が忙しくて、ほとんどパーティーじみていた文化交流――エルフの手仕事や、メリニで受け入れられたエルフ特有の風習などを、私たちは貴族たちに披露していた――には来られないのだという。人間観察が趣味のカブルーらしくないとは思ったものの(彼ならこんな場には仕事を急いですませてやって来そうだった)、それくらい仕事が忙しいのだろう、と私は勝手に納得して、笑いさざめく貴婦人たちをかき分け、朝露を使って編んだすべらかな布をライオスに献上し、貴賓室を去った。早くカブルーに会いたかったのもあるし、笑い声が頭にこびりついて離れない部屋が苦手で、少しでも先に抜け出したかったのもある。
とにかく、私は愛しい男に与えられている、つまり宰相補佐に与えられている執務室を目指し、螺旋階段を下った。
その途中、廊下に取り付けられた大きな窓からは、黄金色の太陽の光が入って来ていて、一日の終わりを感じさせた。窓を覗き込めば、やはり黄金色の麦畑が見え、収穫に励む人々の姿が豆粒大に見ることができた。
もうこの国は二度目の秋を迎える。ライオスは政治経験がないながらも善き王で、国民が税に苦しむことも、飢えることもなかった。交易の一大都市として機能するこの国は、さまざまな人種が行き交うことで問題も多かったが、それでも役人たちはそれらをうまく処理していた。伝統に守られ、新たに蘇ったこの国の展望は明るかった。だからこそ、女王はパッタドルを外交官として留まらせ、私にその補佐を命じたのだろう。
そのおかげで、私は愛しい男とともにいることができているのだから、この国の情勢に感謝すべきなのかもしれない。自分でも甘ったれていると思うけれど、私は残りの人生を彼に捧げるつもりでいた。とはいえトールマンは短命種だ。たった六十年、カブルーの年からいえばあと四十年。それくらいしか、私はあの男とともに生きることができない。二人に残された時間が分かっていての選択なのかとシスヒスは尋ねたが、あの時、私はどんな顔で頷いたのだったか。寂しい別れがやってくると分かっていて誰かを愛するのは、どんなに苦しいことなのか、私は多分心の底からは分かっていない。今はただ彼が欲しくてたまらず、だから悲しい現実から目を背けて、逃げるように彼を愛していた。
そう、私は彼を愛していた。心から、まるでままごとみたいな幼さで。
執務室にたどり着き、ノックをしても、扉が開くことはなかった。私は最初のうち、仕事に集中しすぎて聞こえないのかと思った。でも彼を邪魔せぬようなるべく静かにと扉を開くと、そこには冷えた紅茶とインク壺に指先を触れさせ、机に突っ伏して眠っているカブルーがいた。
(眠ったふりか……?)
あまりにもその顔が穏やかだったので、私はまずそれを疑った。眠ったふりをして、私を観察しているのかと思ったのだ。いつもの私みたいに。
私はそんな恋人の頬をつつき、くしゃくしゃになった巻き髪に指を差し入れて、こめかみにキスをする。しかしカブルーは起きない。そろそろ大時計が鳴り、役人たちの仕事が終わる時間だ。そう思った時、ドアが大きくノックされた。もちろん、カブルーは深く眠り入って起きない。
やって来たのは紅茶のおかわりを持ってきた侍女と、書類を差し出しにきた役人だった。私はそれらを受け取り、扉を静かに閉める。カブルーはまだ起きない。疲れているのかもしれない。
それにしても、こんなに眠るなんてカブルーにしては珍しい。彼は朝、私が起きると、それがどれだけ早くともつられて起き、ともに朝食を取るような仲だったから。だから彼の寝顔をこんな長い時間見るのは、私にとっては少し喜ばしい経験だった。
昔の私は何も知りたくないと思っていたし、何も見たくはないと思っていた。今はその頃とは違って、お前を見ていたいし、もっと知りたいと思う。カブルー、どうか何も隠さないでくれ。私に秘密ごとはよしてくれ。お前のすべてが知りたいんだ。たとえ短い間でも、心の底からお前を愛したいから。
頭の隅に、シスヒスの言葉が蘇る。彼女は自分の監視役だった私を慕ってくれていて、だからこそ私に尋ねたのだろう。
――二人に残された時間を、分かった上での選択ですか?
私はあの時ただ頷いたけれど、もっと言葉を返せばよかった。そうしたら、彼女もあんなふうに曖昧に笑うこともなかっただろうに。
かぐわしい香りがたちのぼる紅茶を冷めたそれと取り替え、役人からの書類を机の上に置く。するとその甘い香りと、インクの匂いで目がさめたのか、カブルーが身体を起こし、目をぱちぱちとまばたきさせた。青い、まるで晴れた日の空のような、やはり晴れた日の海のような瞳に、私の姿が映る。そしてその時、大時計が鳴り、鐘の音が城中に響き渡る。
その音に、ようやくカブルーは自分が眠っていたことに気づいたようで、私の姿を見、こう叫んだ。
「起こしてくださいよ! この書類の山! このままじゃあ徹夜仕事じゃあないですか!」
カブルーの顔から血の気が引いてゆく。でもたっぷり眠ったせいか肌艶はよく、最近よく目の下に作っていたくまもなかった。私はそれが嬉しくて、そしてさっきのキスがバレていないことを知って、彼にこんなふうにささやく。
「それじゃあ、私はその間お前を見ていることにする」
私はカブルーの髪を撫で、机に寄りかかりながら愛しい男にキスをする。香ばしくて、どこか甘い体臭。香水とは違う、少し汗ばんだ果物のような香り。私はそれを吸い込み、何度も何度も彼を起こさなかったことをキスで詫びる。
「まったく……今度はちゃんと起こしてくださいよ」
「善処する。お前が眠っている顔は可愛らしかったよ。ずっと見ていたいくらいだった」
「本当に、善処するんでしょうね?」
私は笑って、お前も眠ったままの私を眺めてるじゃないかってつぶやいた。その言葉からは今朝のキスや抱擁の気配がして、私は自分でもその夜の匂いに少しだけどきりとした。そろそろ夜の始まりだ。秋が来て、闇が来るのも早くなった。そんな中でランプを灯して、ともに過ごすのもいい。
「あぁ、善処する。だから今日はお前が仕事をしているのをずっと見つめているよ。その最中、私が眠ったらいつもみたいにキスをしてくれ」
私がそう言うと、カブルーはちょっと気まずそうな顔をして「ここは執務室ですよ」と口を動かした。私はそれに、愛を込めてこうつぶやく。彼に近づきながら、ささやくようにして。
「お前の懸念は全部知ってる。全部知った上で、愛されたかったんだ」
「厄介な人だな」
カブルーが笑う。私はそれに嬉しくなって、でも、シスヒスの問いを思い出す。
――二人に残された時間を、分かった上での選択ですか?
今なら多分、私は頷くのではなくこう答えるだろう。
分かっている、だからともにいるのだと。だから誰よりも愛しいこの男とともにいるのだと。たとえそれがままごとみたいな愛だと誰かに断じられても構わないくらい、私はカブルーを愛しているから。
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