岬ロカ
2024-10-31 12:45:39
1025文字
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「歌は残る」

少しだけ未来の一場面。
どんな状況で交わされたやり取りかは、ご想像にお任せします。

「歌が、この手の中に残せたらいいのに」

 ひとつのうたが終わった時、ゾフィーがポツリとつぶやいた。
「ん? どうしたんだい、急に」
 リュートの弦から手を離し、アジューダは彼女の方に顔を傾ける。
……音楽は、一度きりのものです。絵や彫刻のように、空間にとどまることがない。綺麗なのにどこか寂しいのは、そのせいでしょうか」
 今聴いたこの歌声を、大切にしまって残しておけたらいいのに。
 いつからか、彼の詩を聴くたびに、彼女の心にはそんな願望が生じるようになっていた。
 一方のアジューダは数秒間、いつもの無表情で何かを考えていた。かと思うと次には、こんな言葉を口にした。
「いずれ、そうではなくなるかもしれないよ」
「え?」
 少し驚いたように、ゾフィーは振り向き、彼の黒い瞳を見上げた。
「今から数年前に、音の波形を記録する装置を作った人がいる。次は再生する手段さえ見つかれば、記録された音は何度でも繰り返し、聴くことができるようになるだろう」
「そんなことが、できるようになるのですか……?」
「きっと、そう遠くないうちにね。人間の持つ技術は日々、進歩している。このリュートの音も僕の歌声も、そのままで記録して、ずっと遠くにいる人や、後の時代の人たちにも届けられるようになるかもしれないな」
 それを聞いたゾフィーは、信じられないといった様子で小さく首を左右に振る。それから、やや複雑そうな声色になって言った。
「まるで、夢みたいな話です。譜面でも歌詞でもなく、歌そのものが届けられるなんて」
「そう。僕が消えても、うたは残る。本に書かれた言葉や、カンバスに描かれた絵と同じように。……その時、〈詩人の民〉の力はどうなるのだろうね。機械に刻みこまれた歌の中に留まり続けるのか、それとも消えてしまうのか」
 ゾフィーは、書物が好きだった。それは、書いた人がいなくなった後にも、その人の言葉が残るから。そのような言葉を残すことを許された人々に対し、羨望の情を抱いてもいた。
 ならば……歌は?
……やっぱり、寂しいです」
「どうして?」
「だって、歌は残り続けるのに……うたった人だけがいなくなるなんて」
「矛盾しているね。さっきは残したいと言ったのに」
「だって──」

 声は途切れ、通り過ぎる風がふたりの影をゆらす。
 楽器が下ろされ、黒い瞳が、すみれ色の瞳をまっすぐに捉えていた。

「わかっているよ。君の言いたいことはね」