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ユナユナ
2024-10-30 20:42:57
3063文字
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頁【赤黛】
本のページをめくる黛と、そんな彼を見るのが好きな赤司のお話。
黛の、頁をめくる仕草が好きだった。
紙をたわませる、押し出すような親指の動き。できた隙間にそっと人差し指を挟み込んで、そうして持ち上げた頁の端を、反対の手でつまむ些細な仕草。それが、好きだった。
練習前の僅かな時間に手持ち無沙汰に開いていた月バスの最新号。遠征での移動中に確認していた英単語帳。それから、彼が好んで読んでいたライトノベル。読んでいるのがどんな本でも構わなかった。それこそ、それが本ではなく、バスケ部の活動日誌だったとしても。彼が頁をめくる、その仕草さえあれば。
どうして彼のその仕草が好ましいと思うのだろう、と考えたことがある。ほかの人間が同じようにしていたところで、目を向けることすらしないというのに。意識の端の端で行われる、ほんの瞬き程度の思考ではあったが。
彼の仕草が特別洗練されている、というわけではない。粗雑というほどではないが丁寧とも言い難い、そんなごく一般的な──というのもおかしな表現だが──仕草だと思う。それなのに何故、こんなにも視線が引き寄せられるのか。
その答えには存外あっさりと辿り着いた。自分は、本の頁をめくるときに彼が纏う静けさが好きなのだ、たぶん。
文字を追って小刻みに揺れる夜の凪いだ海のような瞳と、どこか気怠さを感じさせる指の動き。視界を遮るように落ちてきた淡色の髪を、億劫そうに払い除ける仕草。手元を見つめるその横顔は冬の空のように冷めていて、そこに感情が浮かぶことはほとんどない。
そうやって、ゆっくりと本の頁をめくる彼のまわりには、いつだって不思議な静謐さがあった。どれほど周囲が騒がしくとも、決して侵されない静寂があった。どんなにささくれだった心でも、その横顔を見るだけで自然と凪いでいってしまうような、そんな静けさだった。その静けさが好きで、だから赤司は、彼のその仕草を見るのが好きだったのだ。
そんな答えに引きずられるように、もうひとつ、気付いたことがある。ふと顔を上げた黛が、赤司の視線に気付いて、うわ、と眉を顰めるその瞬間。それが、どうしようもなく好きだった、ということだ。
誓って言うが、彼の嫌がる顔に興奮するだとか、あるいは冷たくされて悦ぶだとかいう倒錯した趣味があるわけではない。ただ、少しだけ。滅多に人に視線を向けられることのない彼が、赤司の視線を当然のように受け止めて、その冷めた表情を崩している姿を見ると、ほんの少しだけ、気分が良くなるのだ。その理由の、その感情の正体を知ることは、決してなかったけれど。
不意にそんなことを思い出したのは、引退式を堂々と欠席した黛を探してやってきた屋上で、初めて言葉を交わしたあの日のようにライトノベルを読んでいる彼の姿を見たからかもしれない。
「黛さん」
フェンスを背に座る彼に歩み寄りながら、そっと彼の名前を呼ぶ。は、と驚いたように顔を上げた黛は、赤司を視界に入れると「なんだ赤司か」と気が抜けたように言った。
「ていうか、さん? タメ語は」
「あれは部活のときのみ、キャプテンとして。今はもう、ただの一年と三年です」
そこで言葉をとめて、真っ直ぐに黛を見る。真冬にしては暖かな風が吹いたのを合図に、赤司はもう一度口を開いた。
「今までお疲れ様でした」
「
……
おう」
それは、あまりにも静かで、穏やかなやりとりだった。もしかすると、今までのやりとりのなかで一番かもしれない、と思うくらいには。
「よかったんですか、引退式に出なくて」
「別にああいうの好きじゃねぇし、チームに愛着もねぇしな」
特にステキな思い出があったわけでもなし。黛はそう嘯きながら立ち上がると、「
……
けどま」と小さく呟いた。
「最後の一年は悪くなかったよ。おかげさんでな」
報われた、と。赤司の心の奥底で何かが震えた。それはたぶん、今は眠りについたもう一人の自分だ。この一年間は、ともに過ごしたあの日々は。それが敗北という結果で終わったとしても、悪くなかったと。それは、これ以上ないくらいに力強い肯定の言葉だった。「僕」にとっても、そして赤司にとっても。自分の存在/弱さを、認めてもらえたような気がして。
込み上げてきた感情を表に出さないように気をつけながら、はい、と短く返す。本当はもっと言いたいことはあったけれど、いま声を出したら情けなく震えてしまいそうで、赤司は逡巡ののちに口を閉ざすことを選んだ。これ以上、彼に格好の悪い姿を見せたくはなかったから。
「
……
つーわけで、卒業まであとはそっとしといてくれ。これで明日フツーに話したりすると、なんかカッコ悪りーから」
そんな赤司の様子を知ってか知らずか、黛は冗談混じりに笑いながらフェンスに寄り掛かると、これで話は終わりだというように読みかけのライトノベルを開いた。
頁の擦れる微かな音が耳に届いて、まるでそれに導かれるように、赤司の視線は彼の手元に吸い寄せられていく。最後に読んでいた場所を探すように何度も頁をめくっていくその仕草は、相変わらずひどく静かだ。
「
……
なんだよ」
一向に立ち去る気配のない赤司に気付いたのか、ふと黛が顔を上げた。深い夜色の瞳が真っ直ぐに赤司を射抜くと、僅かに眉が寄せられる。じろじろと見られていたことに対する不快さというよりは、不可解さが滲んだ表情だった。その顔に、ああ、そうか、とひとり納得する。
「やっぱり好きだな、と思って」
そんなことを考えていたものだから、その言葉はするりと赤司の口から滑り落ちてしまった。
「
…………
は?」
「そうやって、黛さんが本のページをめくっているのが」
それから、そうやって黛が赤司の言動によって表情を崩すのが。という言葉は、内心でこっそり付け足すだけに留めた。口に出したら本格的に機嫌を損ねてしまいそうだ。
「それは、また
…………
変わったご趣味で
…………
」
困惑した様子でそう言うと、黛はその言葉の真意を探るように赤司の瞳を覗き込んだ。けれど、そこに言葉以上の意味がないことを悟ると、ますます困惑を深めたように眉尻を下げる。
「え、何? オレはそれにどういう対応をすりゃいいの?」
「別になにも。思ったことをつい言ってしまっただけなので」
「いやマジで何? 怖
…………
」
黛は心底引いたと言わんばかりに半歩下がると、これみよがしにため息を吐いてみせた。
「敬語になった程度でお前の意味不明さが変わるわけねぇよな。期待したオレが間違ってました」
「
…………
」
「今度はなんだよ」
ぱちり、と大きく瞬きをして動きを止めた赤司に、黛がやや不機嫌そうに尋ねる。赤司はその声に我に返ると、静かに首を振った。
「
……
いえ、なんでも」
「あっそ。じゃあもう行けよ」
「ええ」
面倒くさそうに言いながらしっしっと犬猫を追い払うように手を動かす黛に苦笑して、赤司は今度こそ黛に背を向ける。
心のなかで、そうか、ともう一度繰り返す。黛からすれば、自分は何も変わっていないのか。そのことに、また心のどこかが震える。
「僕」は、黛の本の頁をめくる仕草が好きだった。それから、彼が自分を見てその冷めた表情を崩す瞬間も。
そして自分もまた、それら全てを好ましいと思った。
そうか、ともう何度目かわからないそれを繰り返す。その先は、上手く言葉にできなかったけれど。
いつか、この感情の正体を知ることはできるだろうか。
できたらいい、と思った。
理解したい、と。そう思った。
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