シノハラ
2024-10-30 20:18:58
2862文字
Public カヴェアル♀
 

お付き合いしているカヴェアル♀で帰りが遅い先輩を待ってる後輩の話

2023/12/27初出

 カーヴェだって本当はあんな雑談ばかりの打ち合わせなんてさっさと切り上げたかったのだ。仕事の時間は仕事の話しかしてはいけない、なんて主張するつもりは毛頭ない。円滑に仕事を回すにあたって双方が相手にそれなりの親しみを感じるのは大切な事だし、そこから仕事の上で有益な話に転じることも少なからずあるわけだ。
 とはいえものには限度というものもあり、昨日隣の人が遊びに来てなんて話を合計二時間は続けられてしまうのは困る。そもそもこの依頼人はそうなのだ、とはカーヴェも理解しているものの、今日はどうしても許せなかった。
 だって、今日は朝からどうしても恋人を構いたくて仕方がなかったのだ! カーヴェのかわいいかわいい後輩でもあるその人がそれを望んでいたかどうかはともかくとして、カーヴェは今朝ぱちりと目を醒ましてから彼女を可愛がりたくて堪らなかった。
 温かい飲み物を淹れてやって、お気に入りの菓子を用意して。最近気に入った本の話をたっぷり聞いて、彼女の頭の中にあっただけの物事をカーヴェのものにもさせてもらう。それから手に触れてやって頭を撫でて髪を梳き、頬を包んでキスをして抱き締めてそれから。
 けれど悲しいかなアルハイゼンはもちろん仕事で、カーヴェも朝早くから遠方に打ち合わせに出る予定があった。だからカーヴェの身支度が終わる頃に私室から出てきた寝ぼけまなこの彼女を抱き締めて触れるだけのキスをしてから、アルハイゼンを構い倒したいのだけれど帰るのも遅くなるのだとカーヴェは泣き言を吐くしかない。
 突然ぎゅうぎゅうと抱き締められたアルハイゼンは特に抵抗もなくカーヴェの腕の中に収まって、おはようと告げた後にいってらっしゃいと続ける。当然ながら名残惜しさなんてものは皆無で、むしろ早く放してほしいとすら思っていそうだった。まあ、朝の忙しい時間帯に恋人にウザ絡みをされているのだから反応は理解できる。できるが悲しい。
 それでもぎゅうぎゅう抱き締めていると、出ないでいいのかと問われてしまい半ば強制的に外に放り出された。酷くないかいとメラックに文句を漏らしたが、大事な工具箱はどちらかというと主人ではなく主人の恋人の反応を評価したいらしい。正しい。ただ、その正しさはカーヴェの慰めにはならない。
 何とか打ち合わせを切り上げて、スメールシティに帰ってきた頃には日はとっぷりと暮れていた。今頃アルハイゼンはとっくに風呂を済ませて、私室に引っ込んでいるだろう。もしかしたらもう夢の中かもしれない。
 気疲れした頭で玄関の戸を開け、鍵を締めてから共同の鍵置きに自分の分の鍵を戻す。室内は静まっていたが、明かりは点いたままだった。カーヴェが帰ってくるだろうからとそのままにした可能性も高いが、ひょっとしたら居間にまだいるのかもしれない。
「ただい、ま……
 少しだけ甘えさせてくれたら僥倖だな、とくらいに思っていたのだ。人がいるかも分からない居間に立ち入りながら帰宅を告げる声は、末尾に行くにつれて尻すぼみになった。
 だって、発声なんかに気を使っている場合ではなくなってしまったのだ。いてほしいと思った人がそこにいた。そこまでは非常に喜ばしいことである。ありがとうアルハイゼン、ハグさせてほしい。
 でもそこからが問題というか、カーヴェが予想外だった部分だったのだ。おかえり、と返事をしてくるアルハイゼンの声と表情はとろりと緩んでいる。普段は浅く腰かけているだけのカウチに背をつけるばかりか、踵まで上げてゆるりと膝をアルハイゼンは立てていた。普段は露にしないせいで真っ白な太腿の間に手が入り込んでいて、おそらく下着もつけていない。
 自慰だ。恋人に夢中なカーヴェの飛躍した発想なんてことはあり得ないくらいに分かりやすく、確実に自慰である。なんならカウチが汚れないように尻の下辺りにバスタオルまで仕込んでいて、多分軽く性欲を発散する程度ではない気合いの入った雰囲気まで伝わってくる。
「なんで?」
「君がこういうのも好きかと思った」
 ゆるりと股から指を引き抜くときに、小さく水音が響いた気がした。それから一呼吸分おいてアルハイゼンが回答して、カーヴェはくらくらしてしまう。
 ひょっとして、朝のカーヴェの主張を今の今まで意識してくれていたのだろうか。それで、カーヴェが遅くなるのも承知の上で帰りを待っていてくれたのだろうか。あのアルハイゼンが恋人に構われるために、こんな時間まで。
 足早になって妙な威圧感を与えないように気を付けながら、カーヴェは彼女のいるカウチまで足を進めつつ考える。カーヴェがしたがった構い方を夜が更けるまでつらつら考えて、彼女は恋人に触れられる事を意識したのかもしれない。その疼きを晴らすついでにタイミングさえ合えばその姿を見せてよいと、カーヴェの恋人は思ったようで。
「すごく好き……
 すとんとカウチの前で腰を下ろして、カーヴェはアルハイゼンの頬にかかった髪を避けてやる。それから頬を包んでから額に口づけて、愛しい人に愛を囁いた。カーヴェのわがままに応えて生活リズムを崩して待っていてくれた上に、こんなにも期待をしてくれていたこの人がかわいくて仕方がない。
 そう伝えるに相応しい甘くてとろりとした声にアルハイゼンが目を細めるのが分かった。それから少し呆れた調子で吐息だけで彼女が笑う。あれ、ちょっとこれおかしくないか。
――あっ! 待ってくれ、そういうことだけじゃないからな⁉ 君が起きてて待ってくれてたのが嬉しいとかそっちの気持ちが大半で、君の自慰が見れたのは……いやそれも嬉しくはあるけど!」
「そうか」
「信じてないだろ!」
 絶対に分かってくれていない。この男も性的なものには抗えないんだなあという目をアルハイゼンはしている。いや、抗えないんだけれど、もうちょっとその感想に対する比率を下げてほしい。君の心の動きを愛おしく思っているのだと、つらつらと赤裸々に説明を重ねるのにアルハイゼンは話半分でカーヴェの主張を聞いている。
「カーヴェ」
「はい!?」
 あからさまな愛情の吐露が恥ずかしくなってきて頬に熱を感じ始めた頃になって、アルハイゼンがカーヴェの言葉を遮った。突然意識に混ざり込んできた声にピンと背筋を伸ばすと、カーヴェを見上げてくるまなこと目が合う。
「構わないのか?」
 君の望みだろうに、と促す声にはじれったさが混ざり込んでいたように思えた。カーヴェの幻覚かもしれないが、彼女はカーヴェに触れられることを考えていたはずなので無理筋とまではいかないだろう。
 こくんと自分の喉が鳴るのが分かる。もしかしたら、アルハイゼンにもカーヴェの喉仏が動くのが見えたかもしれない。
 今は彼女が示唆する通り、全ての賛辞を飲み込んでしまうのがいいのかもしれない。誘われるままアルハイゼンに口づけた丸まる背に彼女の手が滑る感触に目を細めて、カーヴェはアルハイゼンの前歯を窺うように舐め上げた。