【カブミス】その手を離さないで

ミスルンが死ぬ夢を見てうなされるカブルーと、そんなカブルーに誓いをするミスルンの話。

 最近、不思議な夢を続けてみる。それはありえない、不可解な、考えられない夢で、俺はだからその中で混乱していた。そしてそれは悲しい夢のはずなのに、混乱ばかりする俺は、涙も出ないのだった。
 夢の中で、俺は薄暗い中墓場にいて、深深く掘られた穴に埋められてゆく、いくつもの花束が置かれた一つの棺を見ている。周りのみなは泣いていて、ライオスさんもファリンも、マルシルも泣いていて、なのに俺は涙すら出なかった。
 早く目覚めたいと思いながらも、俺は棺から目が背けられない。でも花束がいくつも置かれた棺が墓守によって埋められてゆくのを見て、俺は胸が締めつけられた。そしてつらい、やめてくれ、どうかその人を俺から奪わないでくれと、いつの間にか泣き叫んでいた。周りのみなはそんな俺を気の毒そうに見つめ、けれども何も言わなかった。
 だから俺はさらに取り乱し、墓守を突き飛ばして、棺に取り付けられた小さな窓を開ける。俺は土を払って、花束を落として、その窓から愛しい人を眺める。
 そう、その棺の中にいたのは、ミスルンさんだったのだ。
 
 
 そんな夢にうなされて目がさめても、隣にいるはずのミスルンさんの体温はなかった。俺はそれを残念に思い、まばたきを何度かして、まだ、薄暗いじゃないかって、辺りを見回す。でも目はぼんやりとかすんでいて、俺は自分を慰めるように目をこする。すると指先に朝露のような涙があたって、そんなに、取り乱すほど俺はあの人が恋しく、愛しかったのかと思った。
 ため息をつき、ベッドの上でごろごろと寝転がると、ランプのあかりとともに扉が開く気配がした。そしてこんな声も聞こえた。涼しくて、感情があまり表に現れない、でも優しげな、あの人の声が聞こえた。
「カブルー」と。
 俺はその声に嬉しくなって、自分でも現金だと思うけれど、夢のことなど忘れて彼に向き直った。そこにはランプと、ガラスのピッチャーを手にしたミスルンさんがいて、俺をじっと黒い、夜の闇の色をした瞳でこちらを見つめていた。
 手にしたピッチャーには水がたたえられ、千切ったミントの葉と、レモンの薄切りが浮かべられている。彼がわざわざ用意してくれたのだと思うと嬉しく、俺は小さな喜びで心がいっぱいになった。
「ミスルンさん、おはようございます。朝、早いですね」
「お前はうなされていた」
 ミスルンさんが短く言い、ベッドに腰掛け、ランプを床に置いて、サイドテーブルのグラスに水をそそぐ。すると爽やか匂いが漂って、俺はいつの間にかからからに乾いたのどを、早く潤したいと思った。でも、さっきミスルンさんは俺がうなされていたと言った。ということは、この人にはすべてお見通しなのだろうか? いや、夢の内容までは分からないだろう。だから適当に誤魔化して、この人に甘えてしまおう。俺はそう考え、ミスルンさんからグラスを受け取りながら、彼のこめかみにキスをする。
「あぁ、夢ですから。大丈夫ですよ」
 心配してくれるんですか? 嬉しいな。
 俺たちはそうやって言葉を交わして、水を飲みながら何度か口付けあう。でも、ミスルンさんは少し不服そうだ。わざわざ飲み水まで用意したのに心配を追いやられて、嫌だったのかもしれない。それともやっぱり、俺が何かを隠すことが、気に入らないのだろうか?
 俺たちは繰り返しキスをして、グラスをサイドテーブルに置いてベッドに寝転がる。すると灰色がかったミスルンさんの銀の髪が、床に置かれたランプに光る。赤みの差した真っ白な頬もオレンジ色のランプに照らされ、いつもより少しばかり興奮しているように見える。でも、ミスルンさんはやっぱり不服そうだった。俺が何も言わないのが、きっと気に食わないのだろう。
「夢でも口にすれば楽になる」
 ミスルンさんが俺をじっと見つめながら言う。でもその言葉に、俺はすぐには答えられない。つらい、やめてくれ、どうかその人を俺から奪わないでくれと、いつの間にか泣き叫んでいた夢。周りのみなはそんな俺を気の毒そうに見つめ、けれども何も言わなかった夢。
 俺は深く掘られた墓の中に、埋められてゆくこの人を見ていられなかった。自分の手から消えてゆくこの人を見ていられなかった。だから泣き叫び、棺についた窓を開けたのだ。きっと夢の中ではさよならをすでにすませたのに、また追い求めてしまった。何度も何度も、追い求めてしまった。
 もし、あれが――
 あれが現実になってしまったら。
……夢が現実になるかもしれないのに?」
 全部、馬鹿な言い伝えだ。
 悪い夢は人に話せば現実にはならない。でも魔術を扱う者がみる悪い夢は、どうやっても逃れられない。それは夢ではなく、予言の類だから、逃れられないのだ。
「話したくないのならいい。誰にだって秘密はあるだろう」
 夢魔の類じゃないかは、一応確認しておいた方がいいだろうが。お前が帰ったら見ておくよ。そう言って、ミスルンさんは優しく俺に口付けた。俺は何も言えなくなる。苦しい、つらい、悲しい。夢の中での感情が呼び起こされる。でも打ち明けたところで、一体何が変わるのだろう? 打ち明けたところで、この人を不安にさせるだけではないのか。でも、自分に置き換えたら? 俺は小さな秘密でも、この人に関することなら知りたいと思うのではないか? 俺たちは秘密を持たないと誓った。だったら、それを果たさねばならないだろう。
……あなたがいなくなる夢をみました」
「私が? 私はここにいる」
 そう、確かにミスルンさんは今俺の側にいる。俺に抱かれ、キスを受け取り、淡いレモンの香りの中にいる。窓はぴったりとと閉じているから、昨日の夜の残り香もする。愛しあった後の気配もする。それは幸せなことだった。確かに、俺たちは幸せの中にいるのだった。でも、言わなくては。秘密を持たないと誓ったのだから、この人を少しでも不安にさせてはならない。
「違う、あなたが死ぬ夢です」
 俺はきつくミスルンさんを抱きしめながら言う。彼は言葉をなくす。そして俺から少し離れ、俺を覗き込む。それはそんなこと、考えたこともないって顔だった。そりゃあそうだろう、彼は長命種で、俺は短命種なのだから。
「私は死なない。少なくともお前を残しては。そういう定めだから」
「本当に? 危険な迷宮に潜っているっていうのに?」
 俺は少しいらいらして、いつもなら飲み込む言葉を口にしてしまった。それにミスルンさんは、さらに目を見開く。でも、これは俺の真実の声だ。心の中では心配だった。いつも安全な場所にいて、彼の帰りを待つだけの自分が嫌だった。
「私はお前より先に死なない。必ずお前を看取ると誓う」
「それ、プロポーズみたいですね」
「どうとらえても構わない。私はお前を離さないから」
 ミスルンさんが、俺をぎゅっと抱きしめる。鮮やかな花の香りがして、やはりこの人はミントを摘みに庭にまで行ったのだと知る。愛しい人は俺を看取ると言った。なんて言葉だろう、俺はこの人に愛されて死ぬのだ。本当は最後の瞬間を同じにしたいけれど、そんなことは無理なのだ。悲しいけれど、何も起こらなければ俺はこの人より先に死ぬ。それは避けられない未来で、悲しいけれど仕方のないことだった。それが分かって、俺たちは愛し合ったのだから。
「ねぇ、もう一回言ってください。俺を離さないって、もう一回だけ」
「仕方のない子どもだな」
「嫌だな、子どもじゃあないですよ。俺はちゃんとあなたを悦ばせられます」
……それを子どもって言うんだ」
 俺はミスルンさんを抱きしめる腕を強くする。
 もう夢は怖くない。この人を離さないと決めたから。この人が俺を離さないと言ってくれたから。もう夢は怖くない。この人は俺を絶対に離さないから。それが、俺たちの誓いだから。