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endoftheyo
2024-10-29 21:23:36
3433文字
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懐
山縣さんが伊藤に贈り物をするだけの話。
伊藤が明治政府に取り立てられた祝いとして高杉さんが伊藤に洋装を仕立てたという話が他の人間から耳に入った。
やれ高杉さんにあれを買ってもらった、これを奢ってもらったと聞いてもいないのに報告してくる彼奴が言ってこなかったということは、わしに気を遣っているのだろう。
祖母のことがあって数年。まだ引きずっているかと聞かれたら、口では割り切ったなどと強がることはできるようになった。しかし伊藤に服を仕立てて贈れるかといえばそれはできないだろう。
だとしても、伊藤や高杉さんの気遣いが申し訳ないのだ。
今日だって伊藤の昇進の祝いとして三人で上野の料亭で酒を酌み交わすというのに伊藤は高杉さんに送られた洋装を着てこず、普段着で現れた。
いつもなら、「気に入りました」「毎日使いたいくらいです」などと贈られたものをベタ褒めするのにも関わらず、今日は洋装について一切口にしない。
礼儀として触れるべきだろう。そうは思うがせっかくの二人の気遣いを自分が台無しにすることはできなかった。
たらふく酒を呑んだ帰り道、高杉さんが不忍池を散歩したいと言うので三人で不忍池の方へと歩みを進めた。
すぐ横に広がる不忍池は枯れた蓮の残骸だけが残り、美しいとは言えない状態だ。三人で並ぶと幅をとるので高杉さんと伊藤が少し前を、わしはその後ろを歩く。そして何を贈ってやったらいいだろうかを考えた。少し前から考えてはいたのだが、これというものがなかなか思い浮かばない。筆も違う、靴も違う
……
。
洋装を贈ってやれたら迷わずに済むのだろうが
……
。顎髭をいじりながら伊藤の後ろ姿をしげしげと眺めていると、伊藤と話していた高杉さんがこちらを振り返って歩みをとめた。
「伊藤、この前時計買ってたよな?」
「ん、ああ、これですか?」
そう言って伊藤はゴテゴテと金色の装飾がついた懐中時計を懐から取り出した。
本来ならば時計を贈るはずだったのだ。つい最近壊れたと言っていたのでちょうどいいと思った。そのはずが、こちらで時計を買った翌日に伊藤は自分で時計を買ったのだとわしに見せてきた。その時計はあまりにも無駄に装飾がついていて趣味が悪かった。
「高かったんですよ!」などと言う伊藤に趣味が悪いといつもなら言えただろうが、自分が買ってきたものよりはかなり質の良いものであるのは確かであるために何も言えなくなってしまったのだった。
「貸してみろ」
高杉さんはそう言うと伊藤から時計をひったくってしげしげと眺める。
「趣味が悪いな。伊藤には全く似合わん」
「やっぱりそう思います?」
高杉さんにバッサリと切られるも伊藤はニヤつく。自覚はあったらしい。
「どうせ、貿易商の娘が可愛かったのなんので一番高い物を買わせられたんだろ」
「へへ、バレました?あ、でもいちばん高いのは買えなかったです。時計って上は青天井みたいなものですし」
その経緯を聞いてため息が出る。実に伊藤らしいが本当に間の悪い。いや、間が悪かったのはわしか。
高杉さんは伊藤の話をへぇ、と聞くと突然その時計を持った手を振りかぶって投げた。
「えっ?」
「えっ
……
あ゙〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?」
伊藤は池のギリギリまで走るも、時計はその遥か先の水中に飛沫をあげて沈んでいった。池の底はぬかるんだ泥だ。そう簡単に時計が見つかることはないだろう。
「高杉さん!!!何してんすか!!えっ、俺の時計!!」
伊藤は池の前で膝から崩れ落ちて頭を抱える。そんな伊藤をよそに高杉さんはこちらを振り向いてにぃと笑った。
「悪い。あんまり趣味が悪いもんで投げちまった」
高杉さんは伊藤の方に向かって行って神妙な顔でそう言う。
「いや、さすがに意味わかんないですって」
「まあ、別に気に入って使ってたわけじゃないんだろ?」
そうですけどぉ
……
とグズグズと言っている伊藤の肩を高杉さんとんとんと叩く。
「じゃあ、いいじゃないか。今度時計の代わりに別のもので返してやるよ」
「ええ
……
。
……
分かりました、絶対ですよ」
高杉さんはわかったわかった、と言って自身の時計を確認した。
「っと、この後予定があったんだ。二人とも気をつけて帰れよ」
高杉さんはそう言うと振り向かずに頭上で手を振りながら颯爽と去っていった。
「なんだったんだ
……
もう。
……
明日から時計どうしよう」
相変わらず伊藤は池の前で項垂れている。
伊藤のために買った時計は懐に入っている。せっかく質の良いものを買ったのだし、と元々持っていた時計は自室に置いて新しい方を使っていた。
渡すべきだろうか。時計を懐から取り出して手のひらに乗せた。蓋を見てふと気づく。だめだ、これは、今渡せない。というか、よくこんなもの自分で持ち歩いてたなと今更恥ずかしくなった。
慌てて時計をしまおうとすると、それに気付いた伊藤がこちらに寄ってきた。
「山縣さんって時計どんなの持ってましたっけ?また下手なもの買うと高杉さんに捨てられちゃいそうなんで参考までに見せてくださいよ」
「なんの柄もない。さっきの時計が特別趣味が悪かったんじゃろ。そう何度も捨てられることもなかろう」
そう言いながら時計を懐に押し込んだ。
「あれ、買い直したんですか?前は何か模様があったような
……
」
此奴は変に記憶力がいい。前使ってたものの柄を言えばよかったのか、と後悔した。
伊藤は時計を探そうと懐に手を突っ込もうとする。
「やめい、柄などないと言っておるじゃろ」
「いいじゃないですか。柄がないからって全部一緒というわけじゃないでしょう?」
伊藤の手を避けようと身を捩ると、着物の中でうまく帯に挟まっていなかったらしく時計が足元に落ちた。急いで取り上げようとするが伊藤の方が素早い。伊藤は時計を拾い上げるとわしの手が届かぬように背を向けて時計を確認した。
「上がり
……
藤?」
見られてしまった。上がり藤は伊藤の家紋だ。彫りを入れられると聞いてせっかくだからと無地の蓋に上がり藤を小さく彫らせたのだ。
「はよう、返せ」
後ろから伊藤の持つ時計に手を伸ばすが、伊藤は時計を握りしめてわしの手から遠のかせる。
「これ、俺に
……
ですか?」
そう言われてしまえば降参する他なかった。そもそも、伊藤の家紋が入ったものをわしが今後使うわけにもいかぬ。
「祝いの品として買ったんじゃ」
「なんで言わないんですか」
「おぬしが自分で買ってたからもういらんかと
……
」
「いらないわけないでしょう!」
伊藤はこちらに向き直ってそう言った。
「ああ、もう。高杉さんがあの時計ぶん投げてなかったら気づかないところでしたよ」
「言っておくが高杉さんには何も話しとらんぞ。ましてやおぬしの持っていた時計を捨てろなどとは
……
」
「わかってますって。高杉さんの勘を舐めたらダメですよ。全部気づかれてたんでしょうね」
「じゃろうな」
思わずため息が出る。いつから気付かれていたのやら。
伊藤はふと顎に手をやり何かを思いついたような顔をした。
「というか、今までうちの家紋の入った時計使ってたんですか?それはそれで
……
いいな」
一番気付かれたくないところに思い至ったらしい。
「違うわい。おぬしに渡す機会をうかがっておっただけじゃ」
「そういうことにしておいてあげますね」
伊藤はそう言ってにんまりと笑った。
「じゃあ、これ、貰っちゃいますね!ありがとうございます」
「ああ」
伊藤はいそいそと自分の懐へ時計を仕舞い込む。
「これからずっと、ここに入れておきます」
そう言って、伊藤は胸をトントンと叩いてはにかんだ。
「ねえ、宿とりません?」
帰ろうと池に背を向けて歩き始めると、伊藤はすり寄るように近づいてそう囁いた。
「は?」
「俺、家まで我慢できなさそうです」
「
……
吉原にでも行ってこい」
「いや、そういう流れじゃないでしょ。それにちょっと歩けば湯島ですよ」
湯島は天保の改革後も江戸に唯一陰間茶屋が残っていたため、未だに男同士で気兼ねなく使える宿がある。わしらがこそこそと宿を使ったところで誰も気にも留めないだろう。
伊藤はわしの手をとって「ね?」とわしの顔をうかがった。
「仕方のないやつじゃ」
今まで気を遣ってくれたことに免じて、許してやることにした。
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