溶けかけ。
2024-10-29 21:01:32
2495文字
Public ほぼ日刊
 

後に悔いると書いて───『後悔』

天使と悪魔パロ。

もし、誰か一人でも彼女を信じていたのなら────結果は全く違うものであったかもしれない。

 ───僕たちは違う羽根を持って生まれてきた。

「一人は厄災を、もう一人は我らに繁栄を齎すだろう……
 僕らが生まれたとき、天界の神々が下した予言。天使たちは、悲しみに暮れ、空は一ヶ月も涙を流し続けたという……。僕らの母親は悪魔と姦通したという疑いから裁判にかけられた。裁判の間、母はずっと僕らは天使なのだと主張し続けた。

 だが、神々は母の言葉を信じなかった。

 母はありとあらゆる拷問にかけられ、その度に殺してくれ、と叫んでいたという。それはそうだろう、天使の死は神が直々に殺すと決めたとき、それ以外には訪れない。例え、四肢をばらばらにもがれようと、串刺しにされようと、真鍮の器で燻されようと……少しすれば、身体は傷すらなかったことになってしまう。それでも、僕らの母親は悪魔の子ではないと言い続けた。百年経って、彼女を憐れに思った死の神が、母に死ぬことを赦した。母は僕らが生まれてから百年と一日後、ようやく死ぬことが出来たのだ。それは、きっと、神なりの恩赦であった。
 母が亡くなったことで、生まれ落ちた僕たちの運命は二つに分かたれた。僕の姉、フォカロルスは天界の天使として、神々の神殿の見習いになった。そして、妹である僕は、羽根を毟られ魔界へと落とされた。

「アンタ、今日も人間界へ行くのかい?」
 僕を拾った悪魔が問いかけた。人間界、とは文字通り人間たちが住まう地だ。僕らの世界は階層構造になっていて、天使と神々が生きる「天界」と悪魔たちが生きる「魔界」そして、神々によって作られた人間たちが暮らす「人間界」に分かれている。天使の仕事は人間を「管理、監視すること」で、僕ら悪魔の仕事は人間を「堕落させること」である。
「うん。行くよ。だって、それが仕事だから」
「アンタくらいだよ、仕事だからって人間界に行く悪魔は────ああ、すまなかったね。アンタは『天使』だもんな」
 悪魔が僕の頭を撫でた。別に、僕は天使でなくても良いんだけどな、と彼女の愛撫を受け入れる。
「いってらっしゃい、気を付けて」
 ふぅ、と紫煙が吐きかけられる。ヤニの匂いもしないそれは、彼女の魔法のようなものだ。
「いってきます。美味しいお菓子があったら買ってくるよ」
「ふんっ……いらないよ、人間が作ったものなんて。それより無事に帰ってきな。土産はそれで十分さ」
 フリーナはきょとんとした表情を浮かべたあと、花が咲くような笑みを浮かべた。
「それは難しいお土産だ……じゃあ、今度こそ、行ってくるね」
「いってらっしゃい」
 ぱたんと軽い音を立てて、扉が閉まる。悪魔は紫煙を燻らせた。
………………もう、帰ってくるんじゃないよ。じゃあね、フリーナ。アンタとの生活……煩わしいけど嫌いじゃなかったよ」

 フリーナは紙袋を抱えて走っていた。今日は彼女にどんな話をしようか、と考えるだけで頬が緩む。彼女は人間のお菓子が嫌いと言いながら、こっそり食べているのを知っているし、僕が歌劇場で覚えた歌を披露すれば耳を傾けてくれることも知っている。早く、色んなことをキミに話したいんだ。顔も知らない母の代わりに母になってくれた優しい悪魔。
「────開いてる……?」
 ノブを捻れば、簡単に開いたドアに違和感を覚える。可笑しいな、彼女は戸締まりを忘れることはないはずなのに……。警鐘が鳴り響く。このドアの向こうには行ってはいけない、とフリーナの本能が囁いてくる。フリーナは本能の忠告を無視してドアを開けた。
……………………───────────────え?」
 初めに目に入ってきたのは強烈なまであか。それらは壁の色と同化して、元からその柄だったかのような錯覚を覚える。次いで、甘ったるい匂いが鼻を突いた。噎せ返るほどの濃厚な香りは悪魔の血の匂いだ。フリーナは立ち尽くす。部屋の中央にいるのは────だって、彼女は正真正銘の天使のはずで、あんな酷いこと出来るはずがないのだ。
 一歩後退ったフリーナは、ぐぢゅり、という音を聞いた。それはどうやら、彼女の足元から聞こえてくるらしい。フリーナの視線がゆっくりと下へと落ちる。
「うわあああああ!」
 フリーナの足の下にあったのは、悪魔の潰れた目玉だったものだった。なんで、なんで、と壊れた玩具のようにフリーナは繰り返す。
「しょうがないことだったんだ」
 不意に声が聞こえた。暗闇でも輝く銀糸は月のように血で染まった部屋を照らす。いや、事実、彼女は僅かに光を帯びていた────天使であるが故の人を導くための光を。
「だって、悪魔は殺さなければいけない……そういう命令だったのだから」
 暗闇から現れたのは血を分けた双子の姉、その人のはずだ。こんな、フォカロルス────僕は知らない。
 フリーナは尻もちついた。失ったはずの羽根がズキズキと痛み訴える。フリーナの育ての親を殺したはずの彼女は────しかし、返り血の一雫すら、着いてはいなかった。神々しいとすらいえる輝きは悪魔の血如きでは穢すことすら出来ないと言うかのように。
「ほら、帰ろう、フリーナ。キミを悪く言う者たちはみーんな、居なくなったよ」
 フォカロルスの色違いの瞳が鈍い光を放つ。フリーナは震える声で彼女に問いかけた。
「みんな、って……
 フォカロルスは口元に手を当てて優雅に微笑んだ。
「みんな───僕らを引き離した神々から……母さんを拷問した天使まで、かな?」
 フォカロルスが手のひらを翳す。彼女の周りに集まる光の玉は七色あった。
「それは……神たちの……
「うん。そうだよ〜。これは……『神々の権能』だ」
 フリーナの瞳から雫が伝う。止め処なく溢れる水滴で濡れる頬をフォカロルスの細い指が拭う。
「フリーナ。キミを苦しめていた者は全部なくなったよ。ああ、それとも、キミにとってこの悪魔が大事だったなら……もう一度作り直そうか。ねえ、フリーナ」

 ──────────キミはどうしたい?









「ああ、泣かないで。僕の可愛いフリーナ……キミに泣き顔は似合わないよ」