ちこと
2024-10-29 20:46:21
4830文字
Public poke小説・SS
 

ぬくもり

めざポケ編1話後に書いた妄想でした。

 
 朝焼けにとけるようにして、ラティアスの姿は見えなくなってしまった。もう、どこにいるかもわからない。見送りもできなかった。
「また会えるかな」
 サトシがぽつりと漏らした言葉が、ピカチュウの耳に届く。また会いたいね、とピカチュウも思った。
 騒動はそれで落ちついて、いつもの日々、旅の空に戻る。日は高く昇りつつある。昨日の焚き火のあとを片づけたら、サトシはさっそく出発するのだろう。ピカチュウも、仲間たちも、同じように思っていた。
 けれど実際は、その日が傾くころになっても、ピカチュウたちとサトシは、昨夜と同じ焚き火の場所にいた。


 森は徐々に暗くなってゆく。起こしなおした焚き火の炎が、静かにぱちぱちと爆ぜる。
 その炎に照らされながら、サトシは眠っている。ときおり、からだをぶるりと震わせるので、オンバーンがそばにうずくまり、首元にサトシの頭を乗せた。大きな翼ごと、サトシの体を包みこむ。
「う……
 まぶたを震えさせながら、サトシの口もとから声が漏れる。それを聞きとめ、ピカチュウは耳をぴんと立て、乗っていたオンバーンの肩口から首を伸ばした。
「ぴかぴ」
 ひたいに浮かぶ汗を、ぺろ、と舐めとる。


 ラティアスと別れ、サトシは出発しようとした。焚き火を片づけ、荷物をまとめて、いくらか歩いた。しかしさほど進まないうちに、その足取りが重くなる。やがてその場にくずおれ、うずくまってしまった。ピカチュウたちが慌てて駆けよりようすを見ると、サトシの体は熱く、たくさんの汗をかいていた。
 ロケット団の仕業を思い出し、あっと気づく。ラティアスを助けようとしたあのとき、体を冷やしすぎてしまったのだろう。いまのままでは、とても出発などできない。
 ジュカインがサトシを抱え、全員で焚き火の場所へと戻った。オンバーンが体を横たえ、サトシはそこに寝かされる。ピカチュウがサトシのリュックからタオルを取りだすと、ブイゼルがそれを湿らせた。折りたたんで、サトシのひたいへと乗せる。ドンファンが見当たらないと思ったら、すぐに草むらをかきわけて戻ってきた。長い鼻に、青いきのみをいくつも抱えていた。
 そんなふうに手分けをして、ピカチュウたちはサトシの世話をした。太陽が頭上を通りすぎ、山の向こうに沈むくらいの時間が経ってもなお、サトシは熱にうなされている。
「ぴかぴ……
 なかなか開かないまぶたを見つめていると、ピカチュウの耳がへたりと下がる。自然とまるくなってしまう背中を、なにかがぽんと叩いた。
 ピカチュウが振り返ると、ジュカインが青いきのみを手に持ち立っている。
「じゅ」
「ぴか」
 かけられた声に頷く。ジュカインも頷きかえすと、手もとのきのみを〝リーフブレード〟であざやかに切った。
 ピカチュウはサトシの水筒からコップを取りだした。ぱかりと分かれたオレンの実、その半身の下に容器を添える。ジュカインが手にぎゅうと力をこめると、果汁がぽとぽととコップにたまっていった。
 ドンファンが集めたきのみはたくさんあった。青いオレンの実は、体力を回復させる効果を持っている。だがサトシの口もとに差しだしてみても、サトシは目をうっすらと開け、困ったようにぎこちなく笑い、「だいじょうぶ」としか囁かない。
 だから、果汁にして口へ含ませることにした。サトシはゆっくり飲みくだすと、ほうと息をついて目を閉じた。
 朝も昼も同じで、夕方になってもようすは変わらない。夕飯になるはずのきのみは、ほんのすこしのジュースになって、サトシの口もとへ運ばれる。
 体を支え、コップを口に添わせるジュカインに、サトシは「ありがとう」と囁いた。ジュカインがちいさく頷くと、まぶたがまた閉じられる。ピカチュウはそれを見て、また耳を垂らしてしまった。
 いつもなら。朝も昼も、そして夕も、お腹を大きく鳴らし、たくさんの食べものを一緒に食べているころだったのに。ピカチュウがお腹を空かせるときにはサトシも同じ顔をして、「はらへったなぁ」と笑うのに。ちょっぴりのきのみジュースでは、まったく足りないはずなのに。
 コップを片づけると、ピカチュウはまたオンバーンの肩口に飛びのった。サトシの頬の汗を舐めとるが、すぐに次の粒が浮かんできてしまう。ひたいのタオルもぬるくなっていた。ブイゼルが手をのばし、新しく湿らせたタオルと交換する。
 きょうはこのまま、ここに野宿となるのだろう。ドンファンとジュカインが頷きあい、焚き火とサトシに背を向けて立った。今夜の見張りをうけおったのだ。
「ぴかぴ」
 囁いて、頬に頬を寄せる。いたいほどに熱かった。


 昼間とはちがう鳴き声が、星空の下にぱらぱらとこだました。夜行性のポケモンたちが活動をはじめている。
 ピカチュウはオンバーンに乗ったまま、サトシのそばでまるくなっていた。眠る気分ではまったくなかったのだが、気を張り続けた反動か、いつのまにかうつらうつらと舟をこいでいた。
 へたりと頭に添っていた耳が、ふいにぴんと立つ。一拍遅れて目を開けると、ピカチュウはすぐにサトシを見た。
「う、あ……っ」
「ぴかぴっ」
 うなされている。たくさん汗をかいていて、体にかけられたタオルをきつく握りしめ、眉間と眉はぎゅうと歪んでいる。頬に手をのばすと、夕方に触れたときよりもずっと熱かった。
「ぴかぴ!」
 たまらず叫ぶ。ピカチュウの声に呼ばれるように、仲間たちも集まってきた。
「ばお……!」
 オンバーンがたまらず身じろいだ。動揺したのだ。サトシの体はとても熱い。
「ぶい!」
 ブイゼルは〝れいとうパンチ〟を発動させていた。氷を宿した拳を、すぐにサトシのひたいに添える。しかし、それもじわじわと溶けてゆく。
「ぴかぴ、ぴかぴ」
「じゅらっ」
「どんふぁっ」
 かわるがわる呼ぶが、サトシのまぶたは開かない。かたく閉じられ歪んだままだ。
「う、ぅ」
 呼ぶ声への応えはないのに、わずかに開いた口もとから、うめきともつかない声が上がる。
「ぴかぴ……!」
 ピカチュウの視界が潤み、サトシのすがたがぼやけた。ぎゅっと目を閉じ、ぶるぶると首を振る。悲しんでいる場合ではない。なんとかしなければいけない。だけど、どうしたらいいだろう。
 ピカチュウはたまらず、サトシにぎゅうとすりよった。体の内で暴れる熱を、ほんのすこしでも分けてほしかった。
 触れるだけでも熱い。こんなにも熱い。熱い、熱い――
……ぴ?」
 ぎゅっと閉じていた目を開ける。――サトシの頬が、温かい。
 顔を上げ、辺りを見まわす。ジュカインたちもピカチュウと同じ顔をしていた。
 サトシをとりまく空気が、一変している。
 しかめられていた眉がゆるみつつあった。荒かった呼吸は、徐々に穏やかになっていく。真っ赤に染まっていた頬が、やわらかな赤みを取りもどしてゆく。その頬に、ピカチュウはもう一度触れた。
 いたいほどに熱かったはずだった。それがいま、心地よいぬくもりに転じつつある。
――ぴ」
 ふいに、サトシのひたいへと視線が向いた。乗せられていたはずの濡れタオルは、うなされるうちに落ちてしまったようだった。前髪があちこちに乱れてへばりつき、ひたいの真ん中あたりはむき出しになっている。
 タオルは落ちてしまったから、いま、そこには何も乗っていない。ピカチュウの目には、サトシのひたいだけが見えている。
……ぴかちゅ」
 そこに、なにかがある。
 目には見えないなにか。空気がわずかに揺らぐときだけ、その存在を感じられるようななにか。
 ピカチュウの脳裏に、空にとけるように消えていった、ラティアスの姿が浮かんだ。



 ――あったかい。
 苦しくない。――気持ちいい。
 全身を蝕んでいたはずの熱が、蒸発するかのように消えていく。その熱を塗りかえるかのように、やわらかいぬくもりがサトシのからだを巡る。頭のてっぺんから、指先まで。
 ぬくもりのはじまりは、サトシの目もとよりすこし上のようだった。タオルが乗っていたはずのところに、なにかが――だれかが、触れている。
 重いまぶたを、ゆっくりとこじ開けようとする。
 すこしずつ、外の光が入ってきた。視界はゆらぎ、はっきりとしない。
 ぬくもりの主は、どこにも見えない。
 けれどサトシは、たしかに感じた。見つけた、と思う。ぼやけた視界に、ほんの一瞬、あざやかな赤と白が映った。



――ラティ、アス」
 音が口からこぼれるのと同時に、サトシは今度こそ目を開けた。
「ぴかぴっ!」
「ばお!」
「じゅらっ」
 かわるがわるサトシの顔を覗き、ピカチュウたちが喜びの声をあげている。
「ピカチュウ、ジュカイン、ブイゼル、ドンファン、……オンバーンも」
 オンバーンの上に寝かされていることに、サトシはやっと気づいた。オンバーンのほうはというと、なにも苦でないかのように、もう一度「ばお!」と笑う。
「みんな……
 まばたきをくり返し、サトシはあたりを見回した。最後の記憶ではまだ朝だったはずなのに、とうに日が落ちて真っ暗になっている。それに驚いたあとで、自分のシャツが汗でぐっしょりと濡れていることに気づいた。
「おれ……
「ぴかぴっ」
 オンバーンの上から、ピカチュウが顔を伸ばしてきた。黄色くてやわらかい毛がサトシの頬をくすぐる。――あったかい。
 サトシが思わず微笑むと、ピカチュウは嬉しそうに「ぴか!」と満面の笑みを浮かべた。
……みんな、看病してくれたのか」
 脇に落ちたタオルや、いつの間にか転がっていたコップに、向こうに積まれたオレンの実。そして、安堵の瞳でサトシを見つめるポケモンたち。
 サトシの胸がいっぱいになる。
「ありがとな……
 あふれた声は、しかし直後に、大きな音にかき消された。
 ぐう。
……あ」
 随分と大きな腹の虫だ。サトシは思わずお腹を押さえる。
 直後、五つの腹の虫が同時に鳴いた。
「ははっ」
 サトシが吹き出すと、ピカチュウたちもつられるように笑い出す。あはは、ぴかぴか、と笑いあって、ふうと息を落ち着けたころに、ピカチュウがぴょんと飛び出した。
「ピカチュウ?」
 駆けていく先には、うず高く積まれたオレンの実の山がある。そのひとつを口にくわえ、ピカチュウはすぐに駆け戻ってきた。
「ぴかぴっ」
 ちいさな両手で差しだされたオレンの実は、つややかで、みずみずしくて、この世のどんな食べものよりもごちそうに見える。
「サンキュー」
 と、からからになった喉をごくりと鳴らし、サトシはピカチュウからきのみを受けとった。
 しゃく、とかじりつく。
――うまい!」
 笑みをこぼしながらそう言うと、ピカチュウは溢れんばかりの笑顔で「ぴか!」とうなずいた。



 星空の下、森のなかで、競うようにきのみを食べるポケモンが五体、人間がひとり。
 その頭上をゆるやかに旋回し、じ、とかれらを見つめてから、目に見えない影は、今度こそ飛び去った。


 きのみを口に運ぶ手が、ふいに止まる。なにかの気配を感じた気がして、サトシは顔を上げた。
「ぴかぴ?」
「うん、――助けてくれた、気がして」
 すがたはほとんど見えなかった。いま、星空に目をこらしても、やっぱりなにも見つけられない。
 だがサトシの相棒は、こくり、と大きく頷いた。
「ピカチュウもそう思う?」
「ぴーか」
「そっか……
 見上げた空には、星ばかりがまたたく。
「お礼、言いたかったな」
「ぴかちゅ」
……また、会えるかなぁ」
「ぴか!」
 相棒の頷きは力強くて、だから、サトシにはとても心強い。
……そっか。そうだよな」


 その「また」が、やがて訪れるときを、サトシは楽しみに待つことにした。