ポケモンスクールの授業のひとつに、体育がある。通常のものと違うところは、ほとんどの種目で、ポケモンと一緒に挑戦するという点だ。バスケットボールにベースボール、数多ある種目のなかで、担任のククイが本日掲げたのは、なわとびだった。
「仲間が増えたり進化したりして、以前とは顔ぶれが変わっている者もいるだろう。前にやったときとの違いを楽しみながらやってみよう」
スイレンはナギサと、カキはリザードンと、マーマネはクワガノンと挑戦してみせた。リーリエは前回とおなじくシロンを選んだが、息の合いかたは前の比ではない。重ねた日々と絆が見てとれる。
マオはシェイミを誘って跳んでいた。ちいさなシェイミが、つまずきそうになりながら懸命になわを跳びこえるのを見かねてか、最後にはマオが抱きあげてやり、ふたりでにこにこと微笑んでいた。
「おれは……ニャヒート! きみに決めた!」
サトシは高らかに宣言した。乗ってくれないかとも思ったが、ニャヒートは快諾してくれて、サトシの隣でめいっぱいなわを跳びこえている。いい鍛錬になると思ったのかもしれない。タイミングを合わせて地面を蹴ると、跳びあがった空中で、ニャヒートと目が合う。ほんの一瞬、それが心地よく、どちらからともなくにやりと笑んだ。
だからサトシにとって、このなわとびは楽しかった。そのはずだった。
ネッコアラが鐘を鳴らし、授業が終わる。後片付けをし、みんなで校舎のほうへ歩きだす。
ふいに、サトシは立ち止まった。そのまま後ろを振り返る。
「ぴかちゅ?」
足元で、ピカチュウが不思議そうに見上げてくるのがわかる。それでもサトシの目線は、先ほどまでいたグラウンドのほうに向いたままだった。
忘れ物はない。残っている友だちもいない。グラウンドと、白い柵と、その向こうに森があるだけ。
それらをぼんやりと眺めたままでいると、急に左肩が重くなった。
「ぴーか」
頬のすぐそばで相棒の声がし、サトシはやっと振り返った。ピカチュウの毛並みが頬と首筋をくすぐる。
我に返ったような心地になった。
「うん、なんでもない……なんだろ?」
眺めてみたところで、グラウンドのなかにも、その向こうにも、なにも見つけることはできない。
それでもサトシは、しばらくの間、グラウンドを去りがたかった。なぜなのか自分でもわからないまま、後ろ髪を引かれるような思いを振りきって、クラスメイトたちのあとを追った。
放課後になっても、サトシはどこかぼんやりしたままだった。
「サトシ、どうかした?」
「元気ない、気がする」
「具合でも悪いのですか?」
マオとスイレンとリーリエが、揃って声をかけてくれた。
「なんでもないない、大丈夫」
「でも、確かに今日、なんかぼーっとしてるよね」
「おいおい、大丈夫か? リザードンで送ってやろうか?」
「ほんとに大丈夫だって」
家の手伝いで忙しいはずのカキがわざわざ申し出てくれるあたり、よほどようすがおかしく見えたのだろう。サトシはすこし反省する。
だが、サトシ自身、理由がわからないのだ。ただ、胸の奥になにかがぽつんとあって、それがこごったまま動かずにいる。その名前がわからなくて、だけどもなにかは、確実に胸を占めている。それに気をとられてしまうから、なんだかぼうっとしてしまうのだった。
「今日はまっすぐ帰るロト」
「うん、そうする」
校門でみんなと別れ、ピカチュウとロトムと連れだって、サトシは通学路を歩いた。
帰り道も、サトシはおかしなままだった。校門からふり仰ぐポケモンスクールの校舎も、海沿いの道から見える真っ白な浜辺も、見慣れたククイの研究所さえも、目にするたびにサトシの胸を締めつけた。
――朝は、べつにそんなことなかったのに。
きっかけはたぶん、午後のなわとびの授業だった。あれ以来、なにかがサトシの胸に居座ったまま動かない。なにもわからないままだったが、それだけはわかるのだった。
その晩、なんとも珍しいことに、サトシは熱を出した。
だからだったのか。ククイの大きな手のひらで体温を測られながら、バーネットの手製のお粥を食べさせてもらいながら、サトシは心のどこかで納得していた。
――おれ、だから変だったのか。
ソファベッドの上で毛布をかぶり、まどろみながら考えた。おかしくなってしまったのは、きっと本当に、具合が悪かったからなのだ。
「ぴぃかちゅ」
「がる……」
「もー」
「にぃ」
枕もとに、ピカチュウとルガルガンとモクローがかわるがわる顔を覗かせた。メルタンもモクローの頭に乗っかっている。視界のはしには、オレンジと黒の尾っぽがちらりと見えた。ニャヒートも、声はかけずとも、今夜はずいぶん近くに腰を落ち着けているようだった。
顔ばかりが火照って、背筋は寒い。全身がだるくて、頭のなかがぼんやりする。さいわい、寄りそってくれるピカチュウたちの匂いとぬくもりが心地よいので、サトシはあっというまに眠りに落ちていった。
目を開けると、サトシは星空のなかにいた。
ほかに形容のしようがなかった。頭上も、足元も、どちらが上で下かわからなくなるくらいに、いちめん同じ光景だった。
最初、サトシは単純に夜空だと思ったのだが、よく見れば単なる闇色ではなく、藍と紫と青と、緑と白、桃色が複雑に絡み合って、風景すべてを彩っていた。その空を背景にして、大小さまざま数えきれないほどの光の点が、いちめんに散らばっていた。気が遠くなるほど果てしない光は、どうみても星々のようだった。
サトシの脳裏に、ピカチュウと見た星空が思い出された。あれはたしか、夜にビーチをふたりで散歩していたときのことだった。なんの気なしに見上げた夜空が、ちょうどいま見ている光景のように、さまざまな色に輝いて溢れんばかりだった。あの日見上げた星空が、サトシをぐるりと取り囲んでいるかのようだ。
「すっげえ……」
ほとんど無意識に、サトシは声を漏らした。実のところ、あまりにも非現実的な光景なので、これは夢なのだろうなと頭のどこかで思っている。それでも呟かずにはいられないほどに、目の前の星空はサトシの胸を打っていた。
とても見事な光景だから、いくら夢とはいえ、ひとりで見ているのがもったいなく思えてきた。せっかくなら、ピカチュウと、ロトムと、モクローと、それから、それから……。
「――あれっ」
ちらりと、なにかちくりとするものが、サトシの胸をかすめた。それは昼間、グラウンドでつかまえそこねたものに似ていた。
ふいに、背後に気配を感じる。ずうん……と、なにか重いものが静かに降り立つような音がした。
振り返り、サトシは目をまるくした。夢だとしても信じられなかった。
サトシの前に降り立ったのは、白くたくましい前肢だった。それは胴体にすらりと繋がっていて、追うように目線を上げれば、見間違いようのない顔がそこにある。
太陽のように広がった、白く大きなたてがみ。星空をそのまま詰めこんだような目元。
「――ソルガレオ!」
太陽の化身、サトシのほしぐもがそこにいた。
どうしてだとか、やっぱり夢なのかなとか、そういった疑問が浮かんでくるより先に、サトシは地面を蹴っていた。
「ソルガレオ!」
つまずきかけても気にせずに駆けて、全身で飛びこむ。ソルガレオはすこしだけ屈んで、大きなその顔でサトシを受け止めてくれた。
ぐっと抱きついて、頬を寄せる。太陽みたいに温かい。間違いない。サトシの、サトシたちのソルガレオだ。
「ソルガレオ……元気だったか?」
頷くように、ソルガレオは喉を鳴らした。大きな目をにこりと細めてみせる。サトシはほっと安堵した。
最後に会えたのは、かがやきさまの事件のときだった。すべてが解決して、もとの世界にサトシたちを連れて戻ってきたあと、ソルガレオはルナアーラとともに、またあっという間に姿を消してしまっていた。
あのときも、それから、ウツロイドの世界からみんなで戻ってきたときもそうだった。ソルガレオは、みんなを最後まで守ってくれるのに、自分はいつの間にかどこかへ行ってしまうのだ。
だからサトシは、ソルガレオをぎゅうと抱きしめた。たとえ夢だとしても、こうして会えたのならば、すこしでも一緒にいたい。
サトシの気持ちを知ってか知らずか、ソルガレオはその場を去ろうとはしなかった。サトシに頬を寄せるように、やさしく顔を近づけてくれる。
「……あれ。へんだなぁ」
サトシが呟くと、ソルガレオは首をかしげた。
「おれ、今日は熱出しちゃったんだよ。それで寝てたんだけど……いまはぜんぜんつらくないや。夢のなかだからかなぁ」
すると、ソルガレオはサトシから顔を離した。かと思えば、今度は鼻を寄せてくる。まるでルガルガンのように、サトシの匂いをかぐかのような動作だった。
それからまた顔を上げる。ソルガレオと目を合わせようとしたサトシの視界が、急にレモン色いっぱいになった。
「うわっ」
ぺろり。ソルガレオはその舌で、サトシの顔をめいっぱい撫でたのだった。
ソルガレオの舌は、ピカチュウやルガルガンのそれと同じように、温かくて、すこし湿っぽい。それがサトシには心地よかった。眠りに落ちる前、サトシのからだを苛んでいた熱やだるさも、すべてすくいとってくれるような温かさだ。
「ふふっ」
くすぐったくて、サトシは微笑んだ。微笑んで、そのまま、ソルガレオの頬に自分の頬をくっつける。ソルガレオも、くすぐったそうに目をほそめた。
――あっ。
ふいにサトシのなかで、パズルのピースが合わさった。胸をかすめてつかまえそこねていたしこりを、今度こそ捉えた。
そうか。そうだったんだ。
ソルガレオの白く立派なたてがみを撫でて、サトシは呼びかけた。
「ソルガレオ……おれ、おまえに話したいことがあるんだ。聞いてくれるか?」
アローラの太陽の化身は、ゆっくりと頷くと、膝を折ってその場に腰を下ろした。
ソルガレオに寄りそうように、サトシも座る。自然、ふたりで星空を見上げるかたちとなった。
サトシの胸のなかが、じんわりと満たされていく。――これは、サトシがかつて望んだことだった。
「……おれ、おまえといっしょに、空を見たかったんだ」
先ほどサトシの胸をちくりと刺した、その正体だった。あれはたしか、ククイとバーネットの結婚式前夜のことで、ピカチュウといっしょに浜辺で星空を見上げて、サトシは呟いたのだ。
――ソルガレオと見たかったなぁ。
サトシの胸を占めていた、すべての正体はこの気持ちだった。サトシの、ソルガレオへの想いがすべてだった。いま、その想いが叶い、サトシはソルガレオといっしょに、奇跡の星空を見上げている。ソルガレオは、ここにいる。
サトシがたてがみを撫でると、ソルガレオは目をほそめて喉を鳴らした。その目がまた開き、サトシを見つめる。きりりとして、強く、勇敢な意志を感じさせる瞳の色は、ほしぐものころにはないものだった。
大きくなったなぁと、サトシはあらためて思った。そのように感慨に浸れる時間は、ほしぐもがソルガレオに進化した日輪の祭壇でも、ほんのすこしの間しかなかったのだ。
ソルガレオは、もう、あの幼かったほしぐもではない。だから、いまさら言うことでもないのかもしれない。だが、せっかくつかまえた心のしこりを、いまは最後まで出しきりたかった。
わがままかも、と思う。おれ、ソルガレオに、わがままを言おうとしてる――。
「なぁ、ソルガレオ。おまえは寝てたからわかんなかったかもしれないけど……」
あの日。ちょうどきょうと同じ、ポケモンとともに挑む種目が授業であった。サトシはまずピカチュウと挑んで、それから、それから……。
「おれ、……おまえとなわとびがしたかったんだよ」
きょうと同じあのグラウンドで。ほしぐもが、あの日寝ていなかったら。ほしぐもが掠われて、あんな事件に繋がって、そのあとすぐに姿を変えてしまわなかったら。
――それは結局、叶わなかったけれど。
「おまえと、もっといっしょにいたかった。かくれんぼもいっぱいしたかったし、金平糖ももっといっぱいあげたかった」
ほしぐもとやりたいことが、サトシにはたくさんあった。今日、ふとそのことを思い出してしまったから、なわとびも、通学路も、我が家の光景すらも全部、ほしぐもとの日々を思い出すよすがになってしまって、できなかったことの苦しさが、容赦なくサトシの胸を締めつけて離さなくなっていた。胸に残るしこりの正体は、淋しさだった。
それらがもう叶わないだろうことは、サトシにもわかっている。きっと、立派に進化した瞬間から、ソルガレオにはソルガレオの使命がある。それに、ほしぐもがソルガレオに進化したからこそ、ルザミーネを、みんなを助けることができたのだ。ソルガレオの進化は間違いなく喜ばしいことで、それでもサトシの胸の奥の奥には、淋しい気持ちがどうしても残っていた。
せっかく夢で会えたのだ。次にいつ会えるのかわからないのだ。よくもわるくも溢れんばかりのサトシの気持ちを、伝えたいという思いが止まらなかった。途方もない星空が、サトシをほんのすこし、わがままにさせていた。
ソルガレオは、しばらく黙ったままだった。だがやがて、ゆっくりと立ち上がった。
「ソルガレオ?」
ぶわりとたてがみが広がる。サトシのすぐそばで、息をめいっぱい吸うのがわかった。
――おぉん。
ソルガレオの咆哮が、星空に響きわたる。
サトシはとっさに目をつぶり、また開けた。そして、ふたたび目をまるくした。
「――え?」
先ほどまでこの空間には、サトシとソルガレオ以外だれもいなかった。それがいまは、目の前に、見慣れた相棒たちがびっくりした顔で尻餅をついている。
ピカチュウ、ロトム、モクロー、ルガルガン、ニャヒート、メルタン。サトシのベッドのまわりで寝ているはずの彼らが、揃って星空のなかにいた。
「ビビビ! これはいったいどういうことロト~!? ここはどこロト? なんでソルガレオがサトシといっしょにいるロト?」
「おれにもわかんない……」
真っ先に反応を見せたのはロトムだったが、驚きようはピカチュウたちも負けず劣らずだった。突然現れた光景に目を白黒させている。だがピカチュウは、ソルガレオのそばに立つサトシを見ると、すぐさま肩に駆け上がった。
「ぴーかちゅ?」
「うん、なんでかはわかんないけど……ソルガレオ、おまえが呼んでくれたんだな?」
見上げると、ソルガレオは目をほそめて頷いた。笑ったように見えるその顔は、先ほどよりも途端に幼く、サトシに、ほしぐもの無邪気な笑顔を思い起こさせた。
ロトムはいまだ混乱のさなかにいるが、モクローやルガルガン、ニャヒートはそうそうに立ち直り、ソルガレオの元に駆けてきた。呼びかける声はそれぞれ温かく、どこか懐かしそうに聞こえる。
「そうだ。紹介するよ、ソルガレオ」
言いながら、サトシはモクローに腕を差しだした。導かれるように留まったモクローの頭上には、メルタンがちょこんと乗っている。
「こいつ、メルタンっていうんだ。おれたちの新しい仲間だよ。ソルガレオは初めてだよな?」
「に?」
「メルタン、ソルガレオだよ。おれたちの大事な仲間なんだ」
手のひらに乗せて掲げてやると、メルタンはソルガレオをきょとんと見上げた。ソルガレオも顔を近づけ、メルタンをじっと眺める。ふたりの大きさがあまりにも違いすぎて、サトシはなんだか笑ってしまった。そこに、ロトムがふよふよと近寄る。
「サトシ……ボクにはまだぜんぜんわからないロト。ここはいったいどこロト?」
「おれにもわかんないんだ。ソルガレオがみんなを呼んでくれたみたいなんだけど」
サトシだけでなく、ピカチュウたちみんなでソルガレオに会えるというのは、思ってもいなかった喜びだ。だが突然のことだったので、サトシもソルガレオの意図するところはわからなかった。
ふと、腰の下あたりを押される感覚があった。振り向くと、ソルガレオが鼻先で、サトシのズボンのポケットをつついていた。
そのポケットは、やたらに膨らんで、なかのものがすこしはみ出ていた。ひゅるりとした紐の先に、白い取っ手がついている。
サトシはポケットの中身をひっぱり出した。見間違えようもなく、それは大なわとびのなわだった。
「――これって」
どきんと、サトシの胸が鳴った。これがここにあり、ソルガレオが示したことの意味が、サトシが先ほどソルガレオに語った言葉が、くるくる回ってひとつになって、サトシの胸を高鳴らせた。
熱いものがこみあげてきて、うっかり目頭にまで達しそうになる。溢れかけるのをぐっとこらえて、すべて笑顔に回す。
「みんなで、こいつでなわとびするぞ!」
きょういちばんの笑みを浮かべて、サトシは言った。
回し手はロトムとモクローが請け負った。授業でも同じ役をつとめたロトムはまだしも、モクローはやりにくいかと心配したが、案外と器用に片翼で飛び、ロトムと息を合わせてなわを回してみせている。
ぱしん、ぱしん、ぱしん。規則的に地を打つなわは、まるで星空に浮かんでいるかのようで、不思議な気持ちを起こさせる。そのタイミングを見計らって、サトシはまずピカチュウとともに飛び出した。
「せーの!」
「ぴーか!」
以前にもいっしょに跳んだことがあったから、お互い慣れたものだ。あっという間に流れをつかみ、息を合わせてなわを跳びこえる。
「次はルガルガンだ!」
「がぅっ」
ルガルガンは無意識にか、ふさふさの尻尾で調子をとっていたようだ。何度目かのタイミングに合わせ、大きな体をものともせず、なわの輪のなかに入ってみせた。その頭の上には、ちゃっかりメルタンも乗っている。「にー、にー」とはしゃいでいた。
「うまいうまい! よーし、ニャヒート、いまだ!」
「にゃうっ」
昼間に息を合わせたばかりとあって、ニャヒートも難なく成功した。みんな横並びになって、同時に星空の地面を蹴り上げる。繰り返せば息は上がってくるが、それすらも高揚感に変わる。サトシは友人の笑顔を思い出していた。
――リーリエも言ってたもんな。みんなで跳べるの楽しいって。
ポケモンに触れるようになってすぐのことだったから、喜びもひとしおだったろう。あのときのリーリエの気持ちが、サトシにもよくわかった。みんなで跳ぶなわとびは、こんなにも楽しい。
いよいよ、最後はソルガレオの番だった。
飛び抜けて大きなからだも入れるよう、ロトムとモクローはじゅうぶんに距離をとってなわを回していた。ソルガレオの入りこむスペースはとってある。
「いっけー、ソルガレオ!」
サトシの声を受け、ソルガレオは星空を蹴った。なわに飛びこむ瞬間、サトシはソルガレオの顔を見る。きりっとした瞳はすっかりほそめられ、ひとめ見てわかるほどの笑顔だった。
なわが地を離れるタイミングで、ソルガレオはサトシの隣に着地した。
「うまいぞ!」
サトシは歓声を上げた。ソルガレオも声を上げる。喉を鳴らすゴロゴロという音は、なんだか甘えているようにも聞こえた。
いよいよなわが下りてくる。サトシは跳びこえようと地を蹴って――
「あっ」
ぺしりと力ない音を聞いた。同時に、すぐ隣でソルガレオが転んだ。ずぅん、という振動が、地面とサトシたちのからだを揺らして、サトシとピカチュウたちも釣られて転んだ。
なにが起きたか一瞬わからず、目をぱちくりと瞬かせる。すべてを見ていたのはロトムだった。
「つまずいたのはソルガレオロト。前足は跳べたけど、後ろ足がひっかかったロト」
公明正大で正確なジャッジだ。自信満々のその声を聞いて、サトシはたまらず笑い出した。
「そうだよ。ソルガレオ、なわとび初めてだもんな」
サトシに釣られるように、ピカチュウも笑い出した。モクローも、ルガルガンも、ニャヒートも、メルタンも。ロトムはちょっと首を傾げていたけれど、すぐにディスプレイに笑顔のマークを映した。
当のソルガレオは、腰を落としたまま、唸るように喉を鳴らしていた。悔しかったのかなと思うと、サトシはやっぱり笑いが止まらなかった。サトシたちのソルガレオは、そんな仕草が無性にかわいかったのだ。
ひとしきり笑ってから、ちょっと落ち着いて息を整える。
いつの間にか、空が白みはじめていた。天も地も同じ色をするこの空間にも、まもなく朝がやってくるようだ。
ソルガレオがのっしりと立ち上がり、サトシに顔を向ける。その瞳は、きりりとした太陽の化身に戻っていた。
それでサトシも察する。この夢は、もうすぐ覚めるのだ。
じきに訪れる別れのときを思うと、また胸がちくりと痛んだ。これはもう仕方のないことで、何度経験しても慣れることはない。それでもサトシの心は、寝入る前とは打って変わって、すがすがしく晴れやかだった。
こんなに長いこと、いっしょに穏やかな時を過ごしたのは、いつぶりだっただろう。
「ソルガレオ、ありがとな」
温かいたてがみを撫でる。何度目かもわからなくなったその手を、ソルガレオは心地よさそうに受け入れてくれる。
サトシはふと思った。ソルガレオは、なぜここに来てくれたのだろう。
ピカチュウたちを呼び寄せたように見えたことからも、この空間はソルガレオの意思に則ったもののように思える。ソルガレオはここの主なのだろうか。それとも、もともと存するこの空間に、ソルガレオもやってきたということなのだろうか。ウルトラホールを抜けたわけでもないのに、どこまでも不思議な場所だった。
ソルガレオは知っていたのだろうか。サトシが淋しかったことを。ほしぐものことを思い、寂しさを持て余していたことを。それとも、ほんとうにたまたま、サトシと同じタイミングで、この空間に現れたのだろうか。
サトシはどちらでもよかった。ソルガレオに会えた、それだけで全身がふるえるくらいに嬉しい。
ソルガレオも、サトシに会いたいと思ってくれていたのだろうか。そうだったらいいなと思った。ソルガレオはサトシの手のひらに、すり寄せるように頬を当ててくる。金平糖をねだるほしぐもを思い出し、せっかくなら金平糖ケースを持ってくればよかったと思った。
空はどんどん明るくなり、やがてこの場全体が白く光り出す。ソルガレオがその光の向こうに消えてしまう前に、サトシはもうひとこと、なにかを言おうと思った。
ソルガレオは立ち去ろうとはしなかった。最後まで、サトシの目の前にいてくれるようだった。それがソルガレオの心を表しているかのようだったので、サトシは自然と浮かんできた気持ちを言った。
「――またやろうな。ソルガレオ」
今度は、いっしょに練習して、うまく跳ぼうな。
真っ白な光の向こうで、ソルガレオが微笑んだ。
目が覚めると、そこはソファベッドの上で、頭上には朝空を切り取る天窓が、ベッドの下には板張りのロフトの床があった。
「ソルガレオっ……」
飛び起きる。夢だ夢だと自分でもわかっているつもりだったのに、ほんとうに夢だったのかと疑う気持ちが抜けなかった。
もちろん、ロフトのなかに太陽の化身の姿はない。
だが、起き上がったサトシを見るピカチュウたちの表情は、そっくり同じものだった。その顔がすべてを物語る。みんな同じ光景を見て、同時に飛び起きたのだ。
「――ソルガレオ、いたよな?」
こくり。ピカチュウとルガルガンとニャヒートが頷く。
はっと気づき、サトシはズボンの後ろに手を回した。ポケットはぺたんこで、なにも入っていなかった。
当たり前だ。やっぱり、あれは夢だったのだ――
「ビビッ! サトシ、見るロト!」
「えっ?」
自分の寝床から飛び出したロトムが、ディスプレイいちめんになにかを映し出していた。写真のデータのようだ。
「ボク、これを撮った記憶がないロト。でも、この光景はしっかり覚えてるロト!」
必死に訴えるロトムのボディを両手でつかみ、サトシは目の前に引き寄せた。ピカチュウたちもソファベッドに乗り、みんなでロトムを覗きこむ。
「あ……」
サトシの口元から、声がこぼれる。自分でも押さえられないほどに、顔の全部がゆるんで笑顔になっていく。
ロトムのディスプレイに映った写真は、いちめんの星空を背景にしていた。大なわとびのなわが、回し手を失ったように力なく落ちている。
そのすぐ近くで、サトシとピカチュウと、モクローとメルタンと、ルガルガンとニャヒートと――アローラの太陽の化身、サトシたちのソルガレオが、みんな同じ満面の笑顔を見せていた。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.