ちこと
2019-08-14 00:50:01
7268文字
Public poke小説・SS
 

森のさなかに

SMの頃に書いたグラ+サトです。

 聞き覚えのある鳴き声がして、頭の上を羽音が通りすぎていった。

 ツツケラやケララッパたちの群れだろうか。しかし上を見上げるサトシに反応を示さず、こちらを見もしないということは、サトシの知る彼らではなさそうだ。違う島の群れなのかもしれない。
 背の高い樹々が木漏れ日をつくる森のなかで、サトシはひとつ、ため息をついた。
「まいったなぁ」
 大きな木の幹に背中を預け、両脚を投げ出してぺたりと座りこみ、ここから動けなくなってどのくらい経っただろうか。伸ばした先の右足首はじんじんと痛み、歩くことはまだできそうにない。そしてサトシのまわりには、モクローも、ルガルガンも、ニャヒートも、メルタンもロトムも、ピカチュウすらいないのだった。
 ポケモンスクールの裏手の森ならいざ知らず、ここはサトシも今日初めて足を踏み入れた場所だ。知り合いが通りすがるとも思えない。
 日が暮れるまでに戻らなければ、きっとみんなを心配させてしまう。
 だが動くに動けず、いまの状況をみなに知らせることもできないままで、サトシは途方にくれた。
「まだ動かない……ほうが、いいよなぁ」
 右足首をうらめしく見やり、顔をしかめる。
 森の天気は穏やかで、やわらかな風がそよぎ、あたたかい木漏れ日がサトシに降りそそぐ。それでも気持ちは晴れず、またため息をついてしまった。
 そのときふと、サトシの耳に、さく、と軽やかな音が聞こえた。
「!」
 顔を上げ、音のほうを見る。
 草むらの向こうから、見知った黒い影が現れた。
「グラジオ!」
――サトシ?」
 エメラルドグリーンの瞳が瞬き、サトシを映す。整った眉を一瞬だけしかめ、グラジオはひとつ呼吸した。頷いたようにも見え、その表情に、なにかはっとしたものを感じたが、それがなんなのかサトシにはわからなかった。
 グラジオが近づく。
「こんなところで、どうしたんだ」
 目線を合わせたいところだったが、サトシは立ち上がることができない。
「いや、それがさぁ。ちょっと動けなくって困ってたんだ」
 見上げるままのサトシを見て、グラジオは気づいたように、サトシの足へと目を向けた。
 つられてサトシも自分の足首を見る。さっきより腫れているように見え、つい顔をしかめた。
 そこにグラジオのほうがしゃがみこみ、片膝をつく。
「どうした」
 先ほどと同じ言葉だが、声色にかたさが滲んだ。
――えっと」
 なぜかどきりとし、言葉を紡ぐまでに一瞬間が空いた。
 サトシの返事を待たずに、グラジオが右手を伸ばす。白く長い指が、サトシの、靴とズボンのすきまから覗く足首に触れた。
「いっ」
 思わず肩をすくめる。
「痛むのか」
……うん」
「じっとしていろ」
 言葉と同時にグラジオはウエストポーチを開け、なかから小箱を取り出した。半透明の容器越しに消毒液や薬瓶が見えたので、簡易的な救急箱なのだろうとわかる。
 そこからの処置は迅速だった。グラジオは無言で手を進めていった。患部をあらため、汚れを拭き、湿布を当ててテーピングで固定する。ぐるぐると白いもので巻かれた足首を眺め、サトシは息をついた。
「ありがとう」
「応急処置だ。なるべく早く医者に診てもらえ」
「うん」
……ピカチュウたちはどうした」
 サトシのそばにいなければ違和感のあることだと、グラジオも承知しているらしい。サトシは困ったように微笑んだ。
「はぐれちゃったんだ」
「この怪我と関係があるのか」
「うん――
 サトシは言葉尻をさまよわせた。経緯を語ろうとすれば長くなる。その迷いを察してか、グラジオは立ち上がり、腰からボールを取り出した。
 白地に赤の縁取り。プレミアボールと呼ばれるこのボールに誰が入っているのかは、サトシも知っている。
――シルヴァディ」
 けして大きくはないグラジオの声が名を呼ぶとともに、大きな体躯とたてがみをもって、彼の相棒が姿を現した。グラジオが目線と仕草でなにかを促し、それだけで心得たように、シルヴァディが膝を折る。
「サトシ、立てるか」
「え……
 サトシの視線はシルヴァディに吸い寄せられていたのだが、声のほうを向くと、グラジオがこちらに手を差し出していた。サトシを見つめる目に気づく。やや驚いたものの、差し出された手をすなおに取った。無傷の側に体重をかければ、立ち上がることはできた。
 目線の高さが近づいた。サトシの手を取ったまま、グラジオは促す。
「乗れ。まだ歩けないだろう。――シルヴァディ、頼む」


 シルヴァディの歩みは静かなもので、むやみに振動をかけないようにしてくれているのだとわかる。グラジオがそこまで細かに指示したようには見えなかったので、サトシはふたりの信頼関係に感銘を受けた。わかっていたつもりだったが、彼らの間にあるものは、強固で深い絆だ。
 片足首に負担をかけられず、サトシはシルヴァディに横向きに乗っていた。またがろうとしたのだが、グラジオに止められたのだった。
 そのグラジオは、サトシを乗せたまま進むシルヴァディの横に、ぴたりと付いて歩いていた。ときおりシルヴァディの首筋をやさしく撫でている。
 すこし歩みを進めたところで、グラジオがおもむろに口を開いた。
「何があった?」
「あ……うん」
 先ほどの話の続きだとさとる。シルヴァディに身を預けたまま、サトシは語り出した。
「今日はさ、おれ、ピカチュウとロトムと一緒に森に来たんだけど……

 ピカチュウとロトム以外のポケモンたちは、今日は家で留守番をしていた。かるい散策のつもりで踏み入った森のなかで、野生のポケモンたちと出会い、しばし仲良く時を過ごした。
 アクシデントがあったのはしばらく経ってからのことで、気を荒くした複数のヤングースたちが、突然輪のなかに入り込んできた。ポケモンたちは驚いて散り散りになり、サトシはそのなかで、一体のアマカジをかばっていた。
 いちばんの問題は、騒動のあった場所が、思いのほか崖に近かったということだった。ピカチュウたちが平定に奔走するうち、騒動のはずみで、アマカジがその崖の向こうに放り出されてしまった。サトシはがむしゃらにでも飛び出すしかなく、結果、アマカジを腕に抱きとめたまま、崖を滑り落ちてしまったのだった。
「ぴかちゅ!」という相棒の声に、サトシは「大丈夫だ」と応えた。崖の下からでも声を張ることができたし、落ちてすぐのころは、特に痛みも感じていなかったのだ。
 ピカチュウはいまにもこちらに駆け下りてきそうに見えたが、サトシは崖上の平定を頼んだ。道を見つけて合流するから、それまでポケモンたちのことを任せたいと。実際、足を挫いているとは思っていなかったので、サトシはそのままアマカジを抱いて、崖下をさっさと離れてしまった。
 痛みが出てきたのはしばらくしてからのことで、やがて辛抱できなくなり、サトシは近くにあった木の下に腰を下ろした。その頃には右足首はすっかり腫れ上がり、ほんのすこしの休憩で座ったつもりでも、もう一度立ち上がって歩くことができなくなってしまった。それがわかったサトシは、アマカジに「先に行ってくれ」と頼み、言われたアマカジは渋々とこの場を後にした。
 それからしばらくののち、グラジオがこの場を通りすがったのだった。

 サトシがひとしきり話し終えたのを見てとり、グラジオは再び口を開いた。
……そのアマカジに、ピカチュウたちを呼ぶようには頼まなかったのか」
「うーん……それも考えたんだけど、ヤングースたちのことがおさまってるかわかんなかったし……ちょっと休んで、足が大丈夫になったら、追いかけようと思ってたんだ」
「大丈夫になるとでも思ったのか」
「思ったんだけど……
 現実にはそのままで快復するはずもなく、やがてサトシは途方に暮れた。どうしたものかと思いあぐねいていたところだったのだ。
 グラジオは目を閉じ、小さく息をついた。サトシにはため息のように聞こえた。
……そういうことなら、ピカチュウのところまで連れていく。方向はわかるか」
「うん、多分」
 することがない分、太陽の位置だけは確認していた。おおよその方向はサトシにもわかるはずだった。それを示すと、グラジオはシルヴァディにひと声かけ、進む道を変えさせた。

 シルヴァディの背に乗ることは、サトシにとってはもちろん初めてのことだった。首も四つ脚もたくましく、サトシひとりを乗せたくらいではびくともしない。しっかりとした足取りは、ひとを乗せることに慣れたものだった。
 彼の背に跨がり、グラジオも地を駆けていたことを思い出す。サトシの記憶では、それはどちらもウルトラホールの向こう側という特異な場所だったが、慣れたようにシルヴァディを駆るグラジオの姿を考えると、あの場に限らず、ふたりの旅路のなかでは当然にあることなのだろうと思えた。
 グラジオをまねて、サトシもシルヴァディのたてがみを撫でてみた。白い毛並みはすこし硬く、だが温かかった。シルヴァディに拒むようすは見られなかったので、サトシは気をよくして、もうすこし長めに撫でることにした。嬉しくなってしまい、ぽろりとこぼす。
「シルヴァディの毛、気持ちいいな」
 グラジオはこちらを見、ほんの一瞬だけ目を見開いてまばたいた。だがすぐに目元をほそめる。やわらかな目つきだった。
「ここを撫でてやると、安心するんだ。戒めがとれる前は、とくにそうしていた」
 そう言ってグラジオが頭のそばを撫でると、シルヴァディが喉を鳴らすのがわかった。
「ほんとだ」
 こみあげるものがあって、サトシは心から笑んだ。ふたりが屈託なく喜びを感じられるようになったことが、たまらなく嬉しい気持ちだった。じかに触れているシルヴァディのからだはやさしく温かく、それがまた、嬉しい心を沸きたたせた。
 サトシの笑みに対するように、グラジオもまた目元を和らげた。心地よい穏やかさが、泉が清く澄みわたるようにして広がるのがわかった。サトシの言葉とふるまいに喜ぶグラジオの、シルヴァディへの想いが伝わって、サトシの心をも温かくさせた。

 グラジオは口数の多いほうではけしてないが、サトシが話を振れば、とくにいやがるようすもなく応じてくれる。サトシが聞きたいと思ったことには、必要な言葉を過不足なく返してくれるし、グラジオのほうから話題を進めることもあった。むりのない言葉の交わしあいだったので、ふいに話題が途切れても、気詰まりになることはなかった。
 サトシがふと呟いたのは、そのようにして話題がひとつ終わり、森の音がよく聞こえるようになったタイミングだった。
「そういえば、グラジオはなんであそこにいたんだ?」
 そもそもサトシは、グラジオがメレメレ島に来ていることも知らなかった。サトシがたまたま足を踏み入れた森は、狭くはない。たまたま同じ森に入ることはあるにせよ、示し合わせることもなく出会えるとは、なかなかに珍しいことに思えた。
 何気なく口をついて出た問いだったが、グラジオはしばらく応えなかった。口を閉じ、前を向いたまま進む。シルヴァディに乗っているから、いまはサトシのほうが目線が高い。それでも、グラジオの金の前髪が目元を隠してしまい、束の間、表情がうかがえなくなった。
……グラジオ?」
 唯一見える口元が、ほんのすこしだけ開き、また閉じる。しばらく閉じていたと思ったら、ややあって、また開かれた。言葉を探しているようにも見える。
――アマカジが」
「アマカジ?」
「そうだ……守っていたと話していただろう。そいつが、俺に頼んだんだ」

 シルヴァディたちを鍛えるため、グラジオは久方ぶりにメレメレ島を訪れ、野生のポケモンたちとの鍛錬に励んでいた。かつて秘密の特訓をしたテンカラットヒルでしばらく過ごしたのち、この森に入った。
 サトシの話したトラブルには気づかなかったが、森のなかを往くグラジオの前に、突然ちいさなポケモンが躍り出た。たった一体のアマカジは、バトルを挑むようすもなく、ただグラジオの足元に駆け寄って、なにかを訴えかけてきた。
「まっじ、まっじ」
 どうやら、ある方角に向かわせようとしているらしい。懸命に示すそちらの方向は、グラジオが進んでいた道を外れるものだったが、アマカジはずいぶんと真剣に見えた。
「向こうに、なにかあるのか」
 グラジオが意をくみ、足をそちらへ向けてみると、アマカジは目に見えて安心したようだった。まあるい頭を、頷くように何度も動かす。
「わかった。ようすを見てこよう」
 言葉が通じたのかはわからなかったが、アマカジはほっと笑顔を見せた。ほかに行くべきところがあったようで、自らの道を進みつつも、何度も何度も振り返り、見えなくなるまでグラジオのほうを気にしていた。
 グラジオは、アマカジの仲間がいるのかと思っていた。野生のポケモンが、ともに暮らす仲間の窮地に、通りすがる人間に助けを求めることは、これまでにも何度か経験があった。今回もそうしたケースかと思ったのだ。
 足を向けたその先で、ピカチュウも連れずたったひとりで座りこむサトシを見たとき、グラジオは驚いた。驚いたあとで、アマカジが伝えたかったことを知ったのだった。

「そっか、だからあのとき」
 サトシを見て、グラジオはなにかに気づいたような顔をしていた。その理由がやっとわかったのだ。
「アマカジ、おれのことを心配してくれたのか」
 すなおに嬉しい気持ちになり、サトシはくすぐったさから微笑んだ。アマカジの思いやりが温かかった。
 あとから追いかけるつもりでいたサトシは歩けなくなっていたので、実際、アマカジの機転はとてもありがたいものだった。もしもグラジオが来てくれなければ、いまだにあの場所で途方に暮れていたに違いなかった。
 サトシの笑みに、しかしグラジオは、表情を変えなかった。グラジオはまだ前を向いていて、サトシに顔を向けていない。結んでいた口を、静かに開く。
……そうだ。アマカジは、お前をひどく心配していた」
 その声に硬さが混じったことに気づく。サトシの怪我に触れたときに、声色が似ていた。
「グラジオ……?」
 漏らしたサトシの声に、グラジオが、こちらを向いた。足を止め、はっきりとサトシを見た。
「お前は、どうしてそうなんだ」
 エメラルドグリーンの瞳に、サトシが映る。
「随分な無茶をして、なにかあったらどうするつもりだった。俺は、お前とまたバトルをしたいと思っていたのに。万が一のことがあって、それが叶わなくなることを少しでも考えたのか」
 それは、グラジオのなかに巡っていたものだった。サトシの手当をするときも、シルヴァディに乗せるときも、ともに森を歩んでいる間にも、静かに胸のうちに渦巻いていた。それがいま、言葉をともなって、とうとうサトシにぶつけられたのだった。
 グラジオの声はけして大きくはなく、それでも、込められた気持ちはサトシの胸に届いた。怒りと心配がない交ぜになった心が伝えられる。
 グラジオが心配してくれたとわかって、サトシはまず嬉しいと思った。グラジオも、すくなからず、サトシとバトルしたいと思っていてくれたのだ。それから、申し訳ないという気持ちが浮かび上がった。アマカジに対してもだが、好ましく思う相手に心配をかけてしまうのは、悪いことをしてしまったという気持ちになる。
 だが、サトシの口をついて出たのは、感謝でも、謝罪でもなかった。
……グラジオも、おれとおんなじことすると思う」
 無意識に出てきた言葉だったので、サトシ自身驚いた。グラジオはもちろん、もっと驚いたように目を見開いていた。
「な――なぜ、そういう話になるんだ」
 怒りと心配に、今度は戸惑いが混ざった。口から出てしまったものはしかたないので、サトシは続けた。
「だって……グラジオだって、ポケモンのこと大好きじゃんか。シルヴァディを見てたら、よくわかるよ」
 シルヴァディだけではない。ブラッキーがイーブイだった頃、幼いグラジオが懸命に助けようとした話を、サトシはジェイムズから聞いている。ルガルガンだって、あんなにも立派に進化したのは、間違いなく、グラジオとの絆あってのことだった。ルガルガンのことは、サトシにも経験があるからわかるのだ。
 グラジオはポケモンが大好きで、その気持ちは、きっとリーリエにも、サトシにも負けていない。グラジオの優しさを、サトシはよく知っている。だからこそ確信を持ててしまうのだ。
「グラジオだって、ぜったい、アマカジを助けようとするよ。おれの知ってるグラジオは、そういうやつだもん」
 グラジオの瞳を見つめかえす。話しているうちに熱がこもり、前のめりになっていた。
 力説するサトシに見つめられたグラジオは、驚いていた顔をとうとう緩めた。目を閉じ、小さく息をつく。今度はため息には聞こえなかった。
……お前は、おかしなやつだな」
「そんなこと、ないって」
「だが……それでいいんだな」
 開かれた瞳は、もう怒ってはいなかった。

 木々の向こうに、いくつかの聞き慣れたポケモンたちの声が聞こえた。じきに目的地に着くのだ。
「ありがとう、グラジオ」
「礼はいい。それより、早く足を治すんだな」
 グラジオがまたサトシを見る。エメラルドグリーンの瞳は、今度は挑むように、サトシを見上げた。
「次にバトルするとき、万全の体調でなければ困る。俺はお前のゼンリョクが見たいのだから」
「おれだって。グラジオ、今度はぜったいバトルしような。おれ、ぜったいばっちり治しておくからさ」
 サトシもまた、挑むような高揚感から笑んだ。ふたりとも、今日いちばんの不適な笑みだった。