ちこと
2016-10-17 23:50:07
1794文字
Public poke小説・SS
 

貴方の吐息

タイトルはツイッターのお題アンケートにてトップだったものです。ゲコ+サトです。ほのぼののつもりです。

 はぁ、という吐息が、まどろむゲッコウガの耳に届いた。
 夢うつつのあたまでも、誰のものなのかはもちろんわかる。だからゲッコウガは、すこし心配になった。
 常よりも多くの息を吐きだすそれは、普段の呼吸で出るものではない。「ため息」と呼ばれもする、なにかを憂えているときに出てくるもののはずだ。
 どうしたのだろうか。ゲッコウガが、心地よい日なたに誘われて居眠りをしているうちに、なにか、かれの心を曇らせることがあったのだろうか。
 いまだ眠気ののこるまぶたを無理やり押しあげ、視界にかれを探す。
 ぼやける目もとを二、三度こすれば、かれはすぐに見つかった。
「あれ、ゲッコウガ。起こしちゃったか?」
 ゲッコウガの耳に届いたのは、何気ない、あまりにも何気ない、いつもどおりのサトシの声だった。

 ゲッコウガのもたれかかっていた巨木は、葉が覆い茂り、心地よい木漏れ日を誘いこんでいる。
 サトシは、うたたねをするゲッコウガのとなりに、腰を落ち着けていたようだった。
 ゲッコウガの心配などどこ吹く風、むしろときおり、鼻歌まで聞こえてくる。
 サトシはしきりに、右手を動かしていた。
 はぁ、と、ゲッコウガが聞き留めた音を漏らせば、その手に持ったモンスターボールが白く曇る。
 その曇りを、まっしろな布できゅっと拭き取ると、モンスターボールはぴかぴかに輝いた。
 吐息の正体に、ゲッコウガはようやっと思い至る。そういえばサトシは、ときおりこうして、モンスターボールやジムバッジを磨いている。
 サトシ自身は、身なりというものにさして頓着しない。髪はいつも起きたときのままで、ブラシを通すところなどは見たことがほとんどないし、服を泥だらけにしては、しょっちゅうセレナたちに諫められている。
 だけどかれは、モンスターボールとジムバッジを、いつも、ていねいに磨いている。
 その理由がわからないゲッコウガではない。ケロマツのころから、ずっとサトシのそばにいた。モンスターボールとジムバッジを丹念に磨くかれの心を、ゲッコウガはきちんとわかっている。
 わかっているから、すぐそばで見ていると、なんだか胸の奥が、むずむずとくすぐったい。頬がほころんで、先ほどの杞憂もどうでもよくなってしまう。
 ふと、サトシがつぎのモンスターボールを手に取った。
……こう」
 ゲッコウガは、わずかに目を見開く。
 それに気づくと、サトシは、「ああ」と目をほそめた。
「ちゃーんと、きれいにしてやるからな」
 はぁ、と吐息がかかる。
 どこかいたわるように、それでいていつくしむように、サトシは、ゲッコウガのモンスターボールを、ていねいに磨きあげていく。
 ゲッコウガは、そのようすを、じいっと見つめていた。
 サトシに想いを伝えるとき、ゲッコウガは二度、このモンスターボールを介している。
 そのモンスターボールを、サトシは、ぴかぴかになるまで磨きあげていく。
 自分の心までぴかぴかになるみたいだと、ゲッコウガは思った。

――――よし、終わり!」
 モンスターボールとジムバッジをいつもの位置におさめて、サトシはうんと伸びをした。
 じっとしている作業は得意ではないだろうから、きっとくたびれたことだろう。
 それでもサトシは、モンスターボールとジムバッジを磨くことをさぼらない。
 かれの心がわかるから、ゲッコウガは、それが嬉しく、いとおしい。
 そして同時に、ゲッコウガも、同じことをしてやりたくなる。
 だけど、磨いてやれるものが見当たらない。
 そこでふと、かれの、起きたままの黒髪が目に留まる。
「こうが」
「うん?」
 手を伸ばし、かれの帽子をそっと外した。
「ゲッコウガ?」
 ぼさぼさの黒髪に、ゲッコウガの手が、ぺたりと触れる。
 そのまま、ゆっくりと撫ぜていく。
 サトシはしばしの間、ふしぎそうな顔をしていた。けれどそのうち、ゲッコウガの思うところを、どことなく察したらしい。
 くすぐったそうに、へへっと笑う。
 きっと自分も、さっきは、いまのサトシにそっくりな顔をしていたのだろう。そんなふうに思いながら、ゲッコウガは、サトシの頭をやさしく撫でる。
 ――――きみの心まで、ぴかぴかになるように磨いてやりたい。

 ふふ、と、サトシの口もとから、やさしい吐息が漏れた。