ちこと
2015-11-28 21:32:11
4830文字
Public poke小説・SS
 

あてにならない夢なんて

2013年頃にその年の書き初めで書いたものです。サト+ピカ、ちょっとピンチ描写あり。

 見ると縁起のいい夢、というものがある。

 テンガン山から朝日が昇るとか、かっこいいひこうタイプのポケモンが出てくるとか、紫の大きな木の実が出てくるとか。みっついっぺんに出てきたら、それはもうものすごく縁起がよくて、いい年になるのだとか。
 昔ママに教わった話だけれど、シトロンもセレナもみんな知っていた。デントもアイリスも知っていたから、カントーやその周辺だけの話というわけでもないようだ。
 とにかく、見ると縁起のいい夢、というのがあって……その日おれが見た夢は、めでたい三つが勢揃いだった。

 周囲を見渡すと、まだ闇が深い。頬に当たる風も肌寒い。
 夜明けよりも先に目覚めたサトシは、その瞬間に身を起こした。一瞬ぽかんと惚けて、ゆっくりと現実を理解する。
 傍らに目を移すと、ぐっすり眠る相棒がいた。起こさずに済んだようだ。静かに、ほっと息をつく。
(……いやな夢だったなあ)
 二度寝をするには十分な時間なのに、目が冴えてしまってそれもできない。そのくせ心は晴れなくて、気持ちのよくないモヤモヤが、胸の内を支配する。
 もう一度眠るのはできそうにない。サトシはゆっくりと立ち上がった。

 安らかに眠る仲間たちと、空っぽの自分の寝袋を置いて出かける。 しばし歩くと、森の湖に出る。昨夜食器を洗って、飲み水を補給し、水浴びをして旅の汚れまで落とした場所だ。
 手をひたすと水はいやに冷たい。そのまま掬って、両の頬にぴちゃりと当てる。
 冷たい水が触れた場所に、夜風が吹き付ける。少しだけ、すっきりした。
 だけどやっぱり、あの夢への嫌悪感は消え難い。

 朝日差すテンガン山。雄々しく羽ばたくムクホーク。ころりと転がる、艶やかで大ぶりな紫の実。
 それだけ話せば、なんと縁起のいい夢かと、みなが口を揃えて言うのだろう。
 だけど、それではだめなのだ。縁起のいいなんてとんでもない。とんでもない……悪夢だ。

 ……だって、おまえがいなかった。



 夜の森の静寂に、がさがさとわずかな騒音が混じる。その音の主は、ちいさな四つ足をひたすら動かした。がむしゃらに走っているようで、行き先に見当はついている。
 自慢の耳をぴくぴく動かしながら、ピカチュウはただ駆けた。さっきまで見ていた夢を、どこかへ追いやってしまいたくて。それでいて、ほんとうの夢の続きを見つけたくて。
 ……あんな形で終わるなんてうそだ。だって、さっきの夢には、ぜったいに足りないものがある。それを見つけない限り、この夢を終わらせることはできない。
 目が覚めて、すぐとなりにいてくれたなら、それも杞憂で終わってくれたのに。こんなときに限って、あいつは散歩にでも行ってしまっているものだから。
 テンガン山。ムクホーク。紫の木の実。以前教えてもらった、縁起のいい夢そのものだ。
 だけどそれは、とんでもない悪夢だ。だから悪夢を終わらせるために、ピカチュウはひた走る。

 ……だって、きみがいなかった。





 不意に湖が波立った気がして、サトシははっと顔を上げた。
 夜明けにはまだ早い。目が慣れてきたとはいえ、周囲はほとんど闇だ。だけどその中に、もっとずっと暗いところがある気がした。
 湖の上に、黒が浮いている。漆黒。ほんとうの真っ黒。
 それは、どこかで見たことのあるようなかたちだ。
……ポケモン?」
 サトシの脳内で、引っかかるものはある。悪夢と漆黒。そういうやつを、おれはたしかに知ってる。
 だけど、ほんとうに?
 サトシの予想が正しければ、たしかに、周囲に影響を及ぼすこともあるポケモンだ。だけどそれは、必ずしも悪意のあることとは限らない。忠告をしてくれていたポケモンもいる。悪夢を見せるからといって、悪いやつとは限らないのだ。
 だけどサトシは、目の前の黒を怖いと思った。
 望んで悪夢を見せたと、そんな気がしたのだ。
 黒が踵を返す。ゆっくりと遠のいていこうとする。
「ま、待て!」
 このまま行かせてはいけないような気がして、サトシはとっさに踏み出した。

 どぽん、という水音が、ピカチュウの耳に届く。行く先から聞こえてきた音だ。
 ちょっと待ってよ、なにか厄介ごとじゃあないだろうね……むくむくと湧き上がるいやな予感に、ピカチュウは足を早めた。



……っ!?」
 がぽ、と呼気を出してしまった。つい驚いてしまったせいだ。
 とっさに足をばたつかせる。それでも、底に届かない。
 おかしい。サトシの疑惑が膨れ上がった。昼間みんなで水浴びをしたときには、ユリーカの胸ほどまでしかなかったのに。この湖が、こんなに深いわけはないのだ。
 すこし意識が遠のいて、まずい、と思った。手を上に伸ばす。湖の淵にかすった気がして、あわてて指に力をこめた。
 そのまま体を引き上げようと、右腕全体に力を入れる。だけど上昇は途中で止められた。
(なんだ!?)
 暗闇の水中に目を凝らす。足首に、なにか黒いものが巻きついている。
 こいつが原因か!
 確証はないが、とっさに思った。悪夢の元凶。いきものを連れ込もうとする漆黒。ポケモンのかたちをとっているけれど、こいつはポケモンじゃあない。よくはわからないけれど、なにか、すごくおっかないやつだ。
 おまえが、おれに悪夢を見せたのか。あの、とんでもない悪夢を。
 息ができないのも忘れて、サトシの心が燃え上がった。ひどい悪夢だった。ありえない現実だった。幸せなものしかないのに、いちばん大切なものがない。それが悪夢だと気づけるのは、おそらくサトシ本人だけ。そういう悪夢なのだ。
 こいつから逃れなきゃいけない。サトシは、もう一度右手に力をこめた。だけど、やはり水面に届かない。
 足首の黒が、サトシの体を引っ張った。
「っ!」
 淵をつかんでいた手が浮いて、湖に沈んでいく。おまけに意識も遠のいてきた。
 ……気を失ったら、またあの悪夢を見てしまうのだろうか。あの、あいつが、あいつだけがいない世界を……
(そんなこと、ぜったいにさせるか!!)
 そう強く思った瞬間、サトシの右手をなにかが掴んだ。
 ぴりっと、指先に奔ったものがあった。
 それだけでもう全部わかって、サトシはもう一度だけ、力を振り絞った。





 ……大きくそびえるテンガン山。雄々しく羽ばたくムクホーク。どこからか転がってくる、艶やかな紫の実。
 ともに道を征く友人が笑う。これは縁起がいいですねと。
 そうだなと返そうと思って、その友人の方を向く。向いた途端に、その笑顔がちがうと思った。
 一度違和感を覚えたら、どんどん出てきてとまらなくなる。おかしいよ、この世界はおかしい。だって、おかしいくらいに、おれの肩が軽いんだ。

 肩にも、頭にも、足元にもない。いない。どこにもいない。
 この世界のどこにも、あの黄色が……

(……そんなこと、ぜったいにさせるもんか!!)

 唐突に地を蹴って駆け出した。となりにいた友人のふりをしたなにかは、驚いて声をあげる。それを振り切って走る。
 いるはずだ、どこかに。かならず。あんなわけのわからないやつに、おれの夢を好き勝手されてたまるか。
 あいつは、ぜったいにいるんだ。
 だって、おれがぜったいに見つけるから。
 夢の言いなりになんて、なるもんか。

 がむしゃらに走るその先に、声が響く。
 なにがなんでもと、サトシは右手を伸ばす。
 伸ばしきった右の指先に、あたたかくなつかしい黄色が触れた。
 がらがらと、周りの世界が崩れてゆく。
 悪夢が、終わる音がした。

「ぴかぴ!!」
 はっと、目を開ける。視界いっぱいに、なによりも望んだ黄色の相棒。
「ピカチュウ……!」
 慌てて体を起こすと、すぐに黄色は胸に飛び込んできた。ぎゅうっと強く強く抱きしめて、そのまま頬をすりよせる。すごくすごく、あたたかい。
……ピカチュウ!!」
「ぴかぴっ!!」
 名前を呼び合って、確かめ合った。サトシだけではない、ピカチュウの声も必死だった。その必死さがあまりにそっくりで、サトシはぴんと悟った。
「おまえも、見たんだな。悪い夢」
「ぴっか!! ぴかぴ、ぴっかちゅう!!」
 ……ああ、そうだよ。きみも見たんだね、ひどい悪夢。
 まったくひどい夢だった。めでたいものが溢れる中に、いちばん大切なものだけがどこにもない。
 それで、その原因が、あいつなんだね?
 ピカチュウの気持ちが手に取るようにわかって、サトシはこくりと頷いた。
 そして、湖のほうを向く。サトシを引きずり込もうとしていた漆黒は、湖の上と中から、その影をうねらせていた。
 相棒を肩に乗せ、サトシは立ち上がる。
「ピカチュウ、ありがとな。おれを助けてくれて」
「ぴかぴっか」
 サトシも力を振り絞ったとはいえ、その直後には意識を飛ばしていた。そんな人間ひとりを引き上げるのは、ピカチュウのちいさな体では大変だっただろう。
 だけどピカチュウは、力強く笑う。その頼もしさに、サトシも笑みを零した。
「あいつが原因みたいだ。いくぞ、ピカチュウ!」
「ぴっかあ!」
 サトシの肩を思いっきり蹴って、ピカチュウは飛び出す。肩にかかるその重みが、サトシの胸をいっぱいにする。
 ……あいつがいる。それだけで、もう悪夢なんてありえない。もうぜったいに、負けない。
 空中に飛び出したピカチュウは、さっきまで触れていたサトシの温度を思い出す。その体温が、触れた証が、ピカチュウの胸をいっぱいにする。
 ……きみを見つけた。悪夢は終わった。もうぜったいに、負けない。
 サトシが息を思いっきり吸い込む。ピカチュウが全身に力を込める。
「ピカチュウ、エレキボール!!」
「ちゅうう、ぴっかぁぁぁぁ!!」
 まばゆいばかりの電気の球が、漆黒の闇を切り裂いた。






「ふああああ……
「ぴいっかちゅう……
 同時に上がった間の抜けた音に、一同はびっくりして、それから笑った。
「すごぉい! サトシとピカチュウ、そっくりだよ!」
「ふたりとも、寝不足?」
「みんなで寝たのは、けっこう早かったのに……ふたりで夜更かしでもしたんですか?」
 そう言って笑う三人は、サトシとピカチュウが寝床に戻ったときにもぐっすりだった。聞けば、昨夜は夢をまったく見なかったらしい。おれたちにかかりきりで精一杯だったんだろうな、とふたりでこっそり笑いあった。
「いやあ、ちょっとへんな夢を見てさ。な、ピカチュウ」
「ぴっかちゅう」
「へんな夢? ってどんな??」
 興味しんしんで、ユリーカはサトシとピカチュウを覗き込む。あとで話してやろうか、とサトシはピカチュウと目線を交わし合った。ただ話すにしても、一応、この森を抜けたあとのほうがよさそうだ。
「そうだなあ、あとで詳しく話すけど……おれとピカチュウにとっては、すんごくいやな夢だった」
「やだ、悪夢?」
「ふたりで同じ夢を?」
 こくりとふたりで頷いて、だけど安心させるように笑う。
「でも大丈夫。おれとピカチュウは、悪夢になんか負けないぜ!」
「ぴっか!」
 ピカチュウが同意するように笑ったので、サトシは無性にうれしくなる。頭の上にハテナマークを浮かべる三人を見て、まずは森を抜けようぜと声をかけた。詳しい話はそのあとのお楽しみだ。
 ピカチュウともう一度目を合わせて、サトシは元気に駆け出した。

 ……縁起のいい夢なんて、あてにならない。
 だけどはっきりわかったことがあって、それは、きみがいない夢はそれだけで悪夢ということで。
 ただそれは、逆に言えば、きみがとなりにいれば悪夢でもなんでもないということで。

 あてにならない夢なんて、ふたりでぜんぶ、打ち克っちゃえばいいのだ。