これで一件落着元通り、となれたのならば、良かった。エメトセルクはいたって普通で、凄いなあなんて思う。対してアゼムは、大火傷を負ってしまった。諦めて封じ込めたはずの感情がじわじわと滲んで、痛む。隣を歩いてちょっと触れ合っただけでほんの少し肩が揺れるし、夜一人で眠る時にふと思い出して身体の奥底が妙に熱くなる。もうしばらく、お酒は見たくない。
一度気付いてしまえば、それはあまりに苦しく、辛く、どうしようもない。
エメトセルクはどこまでも良い男である。それこそ、アゼムが惚れてしまうほどに、良いひとなのだ。だからこそ彼はちゃんとモテる。
目を逸らして認識しないようにしていたのに。
窓からぼんやりと見下ろすアゼムの視界には、エメトセルクが何か書類を事務官に手渡している様子が写っている。何か一言二言話し、背を向けて。その背中をぽやん、と見送る事務官の可愛らしさときたら、アゼムだって抱き締めたくなるほどだ。
それが、酷く気に入らない。エメトセルクはあくまでもアゼムの親友であり、彼への想いをどうこう言える立場なんかじゃないのに、無性にイライラしてしまって、そんな自分が嫌になる。
「うううう」
「最近気が散りがちですね。お飲み物入れましょうか?」
アゼム院の事務官を務める女が苦笑しながらアゼムを見た。ここ最近ずっとアーモロートにこもっているからとでも思われているのだろうな。先日、結構な大怪我を負ってしまったアゼムはここしばらく安静に、というエメロロアルスの指示のもと、おとなしくアーモロートで事務仕事ばかりしていた。背中に大きな傷痕を残し、どうにか討滅対象を倒した時には視界もよく見えておらず、どうにか召喚に成功したらしいエメトセルクが連れて帰ってくれたらしい。うん、思い出してそこにキュンとするな。
医務院のベッドで目を覚ました時に隣で心配げに顔を覗き込んでいたエメトセルクが、ふと安堵した瞬間の顔を思い出し、アゼムはこっそり舌を噛んだ。どうにかその思考を追い出すと、アゼムはお願い、と笑って書類に目を落とす。扉が閉まる音がしたから、きっと熱いコーヒーが出てくるだろう。確認が必要なものを全てチェックし、エーテルを込めてサインをして、くるりと指を回して封をする。いくつかそれらを鳥の形にして飛ばしながら、顔を上げると、ちょうど扉が開くところだった。カップ二つを持った事務官の娘と、その後ろにはさっきまで眼下と脳内にいた男。
「あれ、どうしたの?」
「すぐそこで会いましたので。では私は下がりますのでごゆっくり」
「コーヒーありがとぉ」
ひらひらと手を振って事務官を見送り、膝を組んだテーブルに肘をつきながらソファーに腰掛けたエメトセルクを見た。エメトセルクもまたアゼムを見ながらコーヒーに手を伸ばす。
「先程窓からこちらを見ていたから、サボっているのかと」
「ちゃんと仕事してまーす! よく見えたね、そこそこ距離あったのに」
「お前のエーテルはよく見えるからな。まあいい、お前のところに流すことになりそうな案件だ」
「わざわざ持ってきてくれたの? ありがとう」
わあい、と受け取って目を通す。傷を、無かったことにする。病を、無かったことにする。本来の治癒術とは人が持つ治癒力を高め、促進させることにより治りを早くさせるようなものであり、無かったことにはならない。それこそ、アゼムの背中に今残る傷跡のように。?なるほど、どちらかと言えばエメロロアルス院に関わり深い内容ではあるが、現地に赴いて確認するのであればアゼムが適切であろう。
「新たな治療術の研究ねえ」
「被験に親を失った子を利用している、という話もある。現地での判断はお前に一任することになるだろう」
「議題には明日あげる?」
「そうだ。エメロロアルスの許可が出次第、出発になるだろう」
「どうせ私案件になるのは確定だよね? よし、とやかく言われる前に出発しちゃおう。何かあったら連絡ちょうだい!」
にこ、と笑うなりアゼムがたんっと窓へ飛ぶ。おい、とエメトセルクが手を伸ばすより早く、窓を開けて外は飛び出す。そのまま召喚したアレイオンに飛び乗ると、高く高く舞い上がった。
「ヒュトロダエウスに今日のディナーキャンセルって言っておいて〜! ラハブレアによろしく!」
「お前、馬鹿! 議会を待て!! まずエメロロアルスの許可を!!」
「もうほとんど治ってるから平気ー!」
その身一つあれば、旅人はどうにかなるものである。身軽に旅立てるのがアゼムだった。高く高倉青い空に小さく見えなくなるまで見送り、エメトセルクはひっそりと息を吐く。飲み残されたアゼムの少し甘いカフェオレを飲み干して、アゼムの事務官に事を伝えるためにようやく席をたった。
さて、市民揃いの仮面を胸に下げ、如何にも旅人、という姿をして。件の研究施設に近い集落で、ほんの少しの不安と期待を混ぜた顔を作り、「身体に残った傷を、綺麗に消す研究がされていると聞いたのですが……」と聞いたまでは良かった。
研究者の男は集落から少し離れた場所に研究施設を持ち、そこで数人の子どもと暮らしていた。
「この子達は皆、何かしらで庇護者を失った子ども達なのです。私は使い魔を作るのがとても下手なもので、彼らに知識を教える代わりに研究を手伝って貰ってるのですよ」
そう穏やかに笑う男は悪い人には見えない。少しの間手伝わせてください、と伝えれば、是非、と招き入れられた。
コツは、本当と嘘を混ぜ、敢えて明らかな嘘を、付くことだ。
「傷痕を消せるのなら、きっとそれは素敵な魔法だと思うんだ」
ほんの少し辛そうな顔を作って言えば、研究者の男はアゼムに傷が残ってるのだと推測してくれるだろう。
「魔法を、自分のために?」
「……いえ、星をより良くするために、素敵な魔法だろうなって」
明らかな、嘘だ。大きな嘘は、他の嘘を綺麗に隠してくれる。まだ魔法は不確かで研究中なのです、と言われ、ならしばらくお手伝いさせてください、なんて言って。
そこまでは、よかった。
「いやあ……ちょっとどうしようかな」
順調に、信頼を得ているとは思う。けれども少し問題があった。
男がどうしてだかアゼムを監視するようになったのだ。
常にアゼムのそばにいる。そして時折、使い魔とは言い難い小さな球体がふわりとアゼムから身を潜めるように側による。ちらりと視界の片隅で観測してみればなるほど、それは術者と視界を共有する遠見の魔法のようなものだ。しかし、それがアゼムに隠れるように一人で過ごしてる時も、寝るときも、果ては入浴中にまで現れる。これは背中の傷は見られたのだから言葉を疑われる、などはないだろう。それよりも、全身見られちゃったなあ、アゼムはひっそり息を吐く。
まあ、裸ならもうエメトセルクに見られているしいいかなあ、なんてぼんやりと考えながら湯に浸かる。小さく息を吐いて、沈んで。あれでひっそり隠れてるつもりなら、使い魔やらそう言った魔法を扱うのは本当に苦手なんだな、とぼんやりエーテル構造を眺めながら考えて。しかし、だからと言って子どもへの被験についてはまだ何の情報もない。子ども達は皆、男を慕っている。
どうしようかな、と。ぼんやり目を閉じた。そろそろ定期連絡入れたいんだけど、なんて。アーモロートにいる人を思う。
きっかけは、簡単に訪れた。
森に採取に出かけた子どもが火傷を負って帰ってきた。熱を持つ植物に誤って触れたらしく、右手が爛れてしまっていて、その痛みで意識が朦朧としているようだった。その子どもをどうにかおぶって帰った子どもが先生、と声を上げる。慌てて怪我を負った子どもを受け取り、感覚を麻痺させる魔法をかけながら治癒をしようとして。
「その子をこちらに!」
研究者の男の声に、アゼムは子どもを抱えると走ってついていく。訪れたのは研究者の資質の奥にある、魔法で拡張された部屋だ。男は子どもをアゼムから受け取ると、いろんな魔紋とクリスタルが秩序を持ってさんざめいている。部屋の中央のベッドに子どもを寝かせると、男は優しく子どもの頭を撫でた。
「あの、何を……、治癒なら、私も少しは……!」
「……今から起こることは、私達だけの秘密ですよ」
男は小さく笑うと、魔紋にエーテルを込める。ぐわん、ときらめくエーテルの本流に、時魔法だ、とアゼムは目を細める。エーテルの流れは子どもに集い、そして少ししてぱっと弾けた。男が子どもの名前を呼べば、パッと目を覚ます。
「体調と記憶は?」
「問題ないです、ありがとう先生!」
「次からは生息地に近付いたら必ず防護手袋か魔法を使うように」
「はーい」
「ほら、心配してたから安心させておいで」
子どもが元気に去っていくのを見送り、アゼムは小さく息を吐いた。
「……今のは、なに」
小さく男が笑った。
「傷を無かったことにしたのです」
男はゆっくりとアゼムの隣に立つと、アゼムの手を握る。
「人の身体を、時魔法を使用し過去へ戻しました。記憶はそのままに」
「……それ、は。星と共に生きるのに、その流れに逆らっているのか」
「傷を、痛みを、抱えて生きる必要はないと私は思います。大人になりたくない子どもは、子どものままでいればいい。消したい傷を持つ人は、傷を無かったことにすればいい」
ぐわり、と。意識が回る。魔法だ、と気付いた時には遅かった。身体が重く、動かない。倒れたアゼムを男は受け止め、そっとベッドへ横たえる。
「あなたのような美しい人に、傷は似合わない」
男の手が、アゼムの服にかかる。これは、まずいのでは。思考がぼやけていく。どうにか、どうにかせめて、召喚を。
しかしふつり、と身体の中でなっていた魔法が途切れる。男の手がアゼムの肌に触れたのを感じ、嫌悪感にアゼムは息を呑んだ。
「ああ、こんなに傷だらけで。あなたは、傷ひとつない肌が似合う人なのに」
やめて、いやだ。さわらないで。
男の指先が、幾つもの傷跡に直接触れている。指先からエーテルが流れ込んで、ゆっくりとアゼムの肌を撫でた。
アゼムの体を創るエーテルが、ゆっくりと時を戻していく。その度に肌をなぞられ、どうしようもなくて。
「い、や……っ」
何が、もう一度見られたから、触れられたから二度目なんてどうでもいい、だ。
結局無かったことにしたって、触れられたいのは、たった一人なのだから。
……たすけて、ハーデス。
それは、アゼムお得意の召喚術でもない。ただひたすらに、エメトセルクを喚ぶためだけのものだった。殆ど無意識下で発動したそれに招かれたエメトセルクが見たのは、裸でベッドに横たわるアゼムを撫で回す男の姿で。
特大の、魔法が落ちた。
アーモロートから呼び寄せられた応援により男は捕縛され、子どもは保護されて。アゼムは男に使われた魔法の後遺症でぼんやりとしたままエメトセルクに抱え込まれていた。彼によってきちんとローブを身につけ、赤い仮面も用意されていて。
男は随分とアゼムに執着しているようで、捕縛されながらもアゼムを抱えたエメトセルクに対して、その人に触るな、彼女は私の理解者だ、その美しい人に傷を負わせたのはお前か、など赤い仮面を視界に入れることもできないほど吠えていた。それら全てに背を向け、エメトセルクは指を鳴らしてアゼムをアーモロートへ連れ帰る。
まだ思考がはっきりしていない様子のアゼムは焦点が合わないままぐったりとエメトセルクに寄りかかっていた。それを抱え込み、彼女にかけられた魔法を解こうとエーテルを読み解き、染み渡らせる。
アゼムに絡みついていた不快な男のエーテルを力技で消し去って、隙間を埋めるようにエーテルを譲渡して。ゆっくりとアゼムが瞬きをして、エメトセルクを見た。
「気が付いたか」
「ハ、……えめと、せるく」
溜息を吐いて、エメトセルクは顔を険しくする。お前は、と怒鳴ろうとして、吸った息のまま固まってしまった。
はらり、と。アゼムの目から涙が落ちている。はらはらと涙を溢していることにアゼムも気付いたらひく、あれ、と呟いて目を擦る。その肩が、少し震えていた。
「いや、ごめん! びっくりして、ちょっとまって」
エメトセルクは吸った息をゆっくり吐くと、柔らかなハンカチを創造してアゼムの目元に当てる。
「誰か、同性を呼ぶか?」
「大丈夫。大丈夫……本当に、びっくりしただけだから」
目を閉じて、深呼吸して。アゼムは胸元に下げた赤い仮面を顔に掛けると、大丈夫、ともう一度繰り返した。
「一人でバックアップも無しに潜入をするな。いくら召喚術があるとは言え、完璧ではないんだ。いつも間に合うとも限らない」
よほど心配をかけてしまったようだ、とアゼムは笑う。うん、ごめんね、と言った響きに、ならもうやめる、と言う意味はない。必要ならば、単身で飛び込む。アゼムは一人で星を巡る旅人なのだから仕方のないことなのだ。そんなアゼムにエメトセルクはハンカチをエーテルに消し去りながら深く溜息をつく。
「あ、あのさぁ、肌、感触が残ってるみたいで気持ち悪くて……お風呂借りてもいい?」
ごめん、と言えば、エメトセルクが苦い顔をする。消し炭にすればよかった、なんて物騒な言葉に気にしないで、とは言い返せない。ゆっくりしていい、と言われた言葉に甘えてアゼムは浴室に向かう。
服を落として、熱いお湯を流して。風呂場の鏡を眺めれば、確かにいくつか傷跡が減っている。首を回して背中を確認すれば、傷跡一つない。傷が、無かったことになっている。
「身体を構築するエーテルの時間だけを巻き戻されちゃったのかな」
うーん、と呟いて、そして、あ、と声を漏らす。
傷が、つく前。おそらくアゼムの体は全て、その頃に戻されていて。
それは、すなわち。
「……今の私って、処女…………?」
エメトセルクとの一夜が、本当に無かったことに、なってしまったと言うことだ。
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