しちろ
2024-02-14 16:21:19
1796文字
Public 聖剣3
 

雨の降る国

ホークアイ、リース、アンジェラ。

 フォルセナの高原で迎えたその朝は、気が滅入るような曇天だった。空は厚い雲に覆われ、ときおり向かい風が吹いてくる。その風も草原のさわやかさとはほど遠い、たっぷりと湿気を含んだものだ。
「すっきりしない天気ね。雨でも降りそう」
 昨日は清々しく思えた草原の緑が、今日は薄黒く、沈んで見えている。
 風を読むリースはしきりに空を気にし、肌のべたつく感触を嫌ってアンジェラは文句を言ったが、三人で唯一、ホークアイだけは妙に新鮮な気持ちを覚えていた。こんな曇り空や重たい風は、砂漠のナバールではなじみがない。
「あら、風が……
 すんと鼻を鳴らし、リースが目を眇める。急に風が冷たく、強く吹きつけてきた。みるみる体感温度が下がり、あたりが夜のように暗くなる。
「ホークアイ、アンジェラ」
 先頭を務めていたリースは仲間を振り返ると、行く手に見えている木を指さした。
「走りましょう。あそこの木の陰まで」
「えっ、あんなところまで?」
「どうしたんだい、リース」
「いまにも強い雨が降ってきます、急いで」
「ええっ!」
 リースに追い立てられて、一行は言われたとおり大きな木を目指す。冷たい風が緑の生い茂った枝を大きく揺らし、不気味な音を立てていた。
 だが、雨脚の方が速かった。大粒の雫が一つ落ちてきたと思う間もなく、一帯は瞬く間に滝のような土砂降りになった。
「やだぁ、降ってきたわ!」
 きゃあきゃあと悲鳴を上げて、アンジェラが走りながら頭をかばった。叫びながら、どういう足の速さなのか、最後尾から一気に仲間を追い抜いていく。走る旅人たちに雨は容赦なく降りつける。
「うわ、こりゃすげえな!」
 バケツをひっくり返したような、という表現がぴったりだ。まともに目も開けていられない。おのおの両腕で顔をかばい薄目を開けて仲間の姿を探すが、暗さと篠突く雨に遮られて黒い影がうっすら確認できるだけだ。
「ああもう、びしょびしょ。こんな雨になるなんて聞いてなかったわ!」
 シーフとアマゾネスを差し置いて真っ先に木陰に逃げ込んだアンジェラは、水の入り込んだ靴を脱いで泣きごとを言った。わずかな時間で雨はすっかり衣類に浸みとおり、肌にぺったり貼りついてしまっている。
 続いてリースが樹の陰に飛び込み、雫の滴る兜を外した。高地出身の彼女は、変わりやすい天候には慣れている。手早く最低限の水滴だけ落としたリースは、旅慣れていない仲間を気遣った。
「アンジェラ、身体を拭くものはありますか? そのままでは風邪をひいてしまいます」
「たしか、荷物の中に手ぬぐいが……やだ、鞄の中までびちゃびちゃじゃない」
 アンジェラがこぼすとおり、彼女の小さな鞄もリースの背負った荷物も、あえなく濡れてしまっている。油紙に包んだマッチや一部の道具は無事だったが、この状況では使いようがない。やむなくアンジェラは濡れた手袋を外して固く絞り、それで身体を拭きはじめた。
「困りましたね。フォルセナの王都までは、まだだいぶあるというのに」
「あーあ、ついてないわ。こんなところで足止めかぁ……
 外套の用意はあるが、ここまで降ってしまっていてはしばらく休むよりないだろう。仕方ないわねと速やかに思考を切りかえて、アンジェラはその場にしゃがみ込んだ。
……ところでリース。アイツ、まだ来ないの?」
「え?」
 アンジェラに言われて、リースは彼女が指さす方向に目を向けた。言われてみれば、一緒に走っていたはずのホークアイがまだ来ていない。
 ホークアイはこちらに背を向け、草原の中に立ち尽くしていた。濡れるのも構わず、ただ雨の情景を眺めている。
「ホークアイ、どうしました? 早くこちらへ」
……あ、ああ」
 いつも冷静な彼らしくもない。リースに呼ばれるまで、ホークアイは心奪われたように雨のなか佇んでいた。
「その……雨って、こんな風に降るんだなと思ってさ」
 うちつける雨音に紛れて、よく通る声が聞こえた。けぶる景色の向こう側、リースの目に、振り返った彼の少しはにかんだ笑顔が見えた気がした。

 ――ああ、そうか。この人は。

 リースは、自身にとっては仇でもある、彼の出自の国を思う。
 そんな姫の気持ちを知ってか知らずか、「さすが草原の国だね」と肩をすくめて、砂漠の国の盗賊は二人の姫の間にいそいそと滑りこんだ。