【カブミス】夢からさめた夢

ともに夜を過ごしたあと朝の支度をするカブルーと、そんなカブルーをベッドで引き止めるミスルンの話。

 まだ日が登っていない頃にあなたと離れる時、俺は一瞬だけ夢からさめた夢の中にいるような気分になる。甘い甘い夢からさめて、次に寂しい夢をもう一度みるような。あなたがいない時は、寂しく悲しい夢をみているんだと思う。一人きりで、ずっと一人きりで。
 
 
 最近、仕事が立て込んでいた。初めて冬を迎えるにあたって、宰相補佐の俺にも多くの仕事が回されたのだ。みんなが羨むような美しく立派な仕事から、ここでは言えないような汚い仕事まで。
 俺はミスルンさんと離れていなくちゃいけない時間が長くて、ちょっとだけつらかった。だって仕事が多いってことは、朝早くに出かけなくちゃいけないってことで、眠ったままのミスルンさんを置いて服を着ることは、やっぱりちょっとだけ寂しかったから。
 俺はすやすやと眠る愛しい恋人を眺めながら、宰相補佐に与えられる、立派な冬服を着込む。袖口や襟元にはお針子たちの手ずからの刺繍が施され、王のそれまではいかないものの、美しいものだった。俺はそんなものをまとって、恋人がいる日常から、恋人がいない日常へと移行する。
 少しだけ開いた窓からは冷たい風が吹いてきていて、それは早く夢からさめろって言っているみたいだった。その風が、ミスルンさんの灰色がかった銀色の髪を撫でる。さらさらと広がって、そして口元をさすって。
 俺はそれを眺め、彼と別れる朝を名残り惜しく思った。できることならばずっと共寝していたい。ずっとあなたと寝ていたい。こんなに愛しい人は他に知らないのに、離れていなくちゃいけないなんて本当につらい。
 俺はベッドに腰掛け、ミスルンさんの頬をなぞる。するとむず痒そうに腰をひねって、彼は真っ黒な、夜の闇をインクに溶かしたような瞳を少しずつ開いてゆき、頬をなぞった手を眺めた。右目の義眼のそれは見えないが、確かにそれは俺に向けられた気がした。
「カブルー?」
 ミスルンさんが俺の名を呼ぶ。起きて初めて呼ぶのが自分の名前ってことに俺は感動して、ミスルンさんの頬を撫でるのをやめ、しつこくさすっていたそこにキスを落とす。
「起こしちゃいましたか? まだ寝てていいですよ」
 ミスルンさんの肌はふわふわの布団に守られ暖かく、でも窓から差し込む風で表面が少しだけ冷えていた。俺はそれを堪能して、繰り返しキスをする。朝起きてすぐなんて嫌がられるかなって思ったけれど、ミスルンさんは俺を拒まなかった。それどころか、嬉しいんだけれど困る台詞を口にした。腕を伸ばし、俺の首に引っ掛けて、ぐっと俺を引っ張って、そしてかさついた唇を開いた。頬と頬がくっつくくらいに強く俺を引っ張ってから。
「起きたんならもう一回」
 甘い声に昨日の夜の香りが含まれていて、俺は頭がくらくらする。もう一回って、そういうこと? って、彼のいたずらっぽいからかいや、愛の告白に俺は動揺する。
 俺だってあなたをもう一回確かめたい。昨日確認した隅々までをもう一度確かめて、身体を奥の奥まで切り開いて、そして彼と朝からともに寝たい。仕事の山に向かうんじゃなく、あなたの瞳と向かい合いたい。そう思うのに、俺はどこか理性が残っていて、彼の誘いを断った。断ったというか、断るそぶりを見せた。彼がどうにかして俺から離れてくれないかなって思って、自分から離れるのはつらいからって。
「駄目ですよ、これから仕事なんですから」
 だったらすぐに離れたらいい。ミスルンさんはとても力が強いが、まだ起きたばかりだ、俺にも利があるだろう。相変わらず首に力が入った腕は回されているが、離れることくらい簡単だろう。でも、俺はミスルンさんから離れなかった。それどころか肌を探り合い、ベッドの上で絡まった。さすがにさっき着たばかりの服は脱がなかったけれど、それだって言い訳にするためだ。
「本当に駄目ですってば」
「本当に?」
 ミスルンさんが俺を見つめる。甘い甘い、蜜を煮詰めたような表情。夏の夜の、花が咲き乱れる庭でキスをした時みたいな、そんな甘さ。俺はそれにやっぱりくらくらして、彼の肌を探る手を止める。夢みたいなすべらかさ。すぐにでも夜に戻れる雰囲気。外はまだ暗く、朝の早い使用人がようやく起き出したところだ。そんな中で俺たちが夜に戻っても、誰も咎めないだろう。
「本当です。ねぇ、ミスルンさん。俺を困らせないで」
 そう言って、俺はミスルンさんに口付ける。発した言葉とは正反対に、名残り惜しくキスをする。すると彼はようやくあきらめたのか、でも、今度は自分から俺に口付けてきた。
 俺もまだ、夢をみていたいな。さめない夢を見ていたいな。そんなものあるはずがないのに、俺はミスルンさんをぎゅっと抱きしめる。また夜に戻りたいって思いながら、またあの甘い甘い夢の中に戻りたいって思いながら、ミスルンさんをぎゅっと抱きしめる。
 
 
 結局、俺たちは何度もベッドの上でキスをして、ベッドルームで食事をとった。ひっくり返して焼いた目玉焼き、ベイクド・ビーンズ、マッシュルーム、トマトにベーコンやソーセージ。それにトーストと熱い紅茶。それはエルフ式の朝食だったけれど、あたたかなそれが俺は好きだったので、彼の紅茶にミルクや角砂糖を入れてあげながら、黄身がとろける目玉焼きにナイフを入れ、トーストの上にベーコンとともに置いて口に運んだ。
 ミスルンさんも、美味しそうに料理を進めていた。食欲が少しだけ芽生えてきた彼は、最近は俺との食事を楽しむようになってきていた。俺はそれが何よりも嬉しく、この人が欲を取り戻せたことが、人間の素晴らしさを見せられたような気になって、やっぱり嬉しかった。
 そして食事を終えて身支度を整えた後、俺たちはまたベッドで何度も何度もキスをした。喋っている時よりも、キスをしている時間の方が長いくらいに。
 あぁ、やっぱり離れたくないな。でも仕事は待ってくれない。いい加減馬車に乗らなくちゃあ、遅刻してしまう。王はまだ寝ている時間だが、臣下の朝は早いのだ。侍女や役人たちも、忙しく立ち振る舞っていることだろう。だったら宰相補佐もそろそろ行かなくちゃならない。彼らには命令する人間が必要だし、ヤアドやマルシルさんだけではそれには足りないから。
 さぁ、そろそろ部屋を出よう。俺はそう思ってベッドから足を下ろす。しかし、なかなか動けない。そして俺は本音を漏らす。
「まだ離れたくないな」
 そんな俺に、ミスルンさんは珍しく笑って言う。俺をからかうように、大人が何も知らない子どもをおもちゃで誘惑するみたいに。
「じゃあ離れなかったらいい」
……無理ですよ。仕事があるんですから。あなたもでしょう?」
「私はお前よりずっと自由なんでな。不自由に思うのは、恋人との時間が合わないからだろうか……
 ミスルンさんが首を傾げる。それはそれは美しい顔に、俺はやっぱり頭をくらくらさせる。
「今日も遅くなるかもしれないけれど、ここに来ますよ。だから待ってて。俺を待ってて」
 俺はそう言って、さっきから外で聞こえる馬の鳴き声に、馭者が来たことに気づく。もう行かなくちゃならない。今度こそ、本当に。俺はベッドから降りて廊下を歩き、玄関から伸びる、冬の花々が咲く庭を歩き、帽子をとって挨拶をする馭者に手を挙げる。ミスルンさんは馬車に乗り込もうとした俺にマフラーを渡し、こう言う。
「そろそろ寒さが厳しくなる。くれぐれも風邪を引くな。引いたらキスもできない」
「あなた、本当にキスが好きだな」
 薄暗い朝靄の中で、俺たちはキスをする。馬車の扉に手をかけて、長い長いキスをする。それが終わったら俺たちは離れて、また一人きりの夢の中にゆく。
 俺は終わらない夢の中にいる。二人でいる時は幸福な甘い夢の中に、一人きりの時は寂しい夢の中に。
 でも、あなたを思えば、寂しい夢の中でもかけらが輝きだす。俺それでいいって思う。またあの夢に入るまでは、寂しさすら甘さを引き立てるスパイスになるからって。