みずあめ
2024-10-28 00:21:59
4356文字
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ゆづあい

二人で愛を誓い合う話

定時で仕事を終わらせてタクシーで向かった先は、俺が思っていたようなレストランではなく都心の高級ホテルだった。高く伸びる建物を見上げて立ち止まった俺に、逢さんが「行くぞ」と声をかけて一歩先に進む。慌ててその隣に並びなんとなく小声で逢さんに話しかけた。
「あの、ドレスコードとか、ちゃんとしていないといけないところじゃないんですか? 逢さんは大丈夫でしょうけど俺はいつもと同じ出勤用の服であんまりきちんとしてないんですけど……!」
「問題ない。わざわざ着替えに戻るのが面倒だったからそのまま連れてきて悪かったが、そこまで厳しい店ではないから大丈夫だ」
……俺だけ浮いてたら恨みますよ」
「そうなったら俺もジャケットを脱いで合わせるよ」
「逢さんはジャケット脱いでもかっこいいじゃないですか……
「かっこよさで語るならおまえも全く問題ないだろう。ほら、行くぞ」
やわらかく笑った顔で背中を押されホテルへと入る。まっすぐエレベーターに向かって乗った後は想像通りだいぶ上の方の行き先階ボタンを押して、逢さんはくるりと俺に体を向けた。手が伸びてきて、ジャケットの襟を正してくれる。上目遣いで見つめられて俺も同じように逢さんのネクタイとジャケットを整え返した。
「ありがとう」
……逢さん、今日ってなにか」
言葉はエレベーターが目的階へと到着したことで遮られ、エレベーターホールにいたスタッフにレストランへと案内される。いつも通り堂々としている逢さんとそわそわ落ち着かない俺は穏やかな曲がかかる客席の中、あまり人目の気にならない端の方の窓際の席へ通された。席に着いてスタッフが離れてから、俺はそっと身を乗り出して「逢さん……!」と小声で声を荒げた。
「すごいちゃんとしてるお店じゃないですか……! こういうところへ来るなら事前に言ってください……!」
……驚かせようかと」
「めちゃくちゃ驚いてますよ、本当に……。俺、テーブルマナーとか最低限しか分からないんですけど大丈夫ですかね……?」
「気にする必要はない」
「だけど」
「俺はおまえが美味しそうに食べているところが見られればそれでいい。マナーなんて最低限で構わないだろう。ここにいるのは俺とおまえだけなんだから」
……、逢さんの真似して食べることにします」
「ふ、好きにしろ」
食前酒が運ばれてきて乾杯を済ませた後は出てくるコース料理を順に食べ、内心では今日は何かの記念日だっただろうかと考えながらいつもと変わらない二人きりの会話を楽しんだ。おいしい料理に顔を綻ばせる俺を逢さんは慈しむようなやわらかい眼差しで見つめてる。うだうだと言ったけれど、綺麗なお店で美味しい料理を好きな人と食べることの幸せを、体いっぱいに感じていた。
コースがメインの肉料理まで進むと逢さんの手はゆっくりになり、きっとそろそろお腹がいっぱいになってきているんだろうなと察してほっと気が緩んだ。俺はまだまだお腹に余裕があるし、普段なら逢さんの分まで味見と称して食べてあげることができるけれど、さすがにこういうお店だとそんなことはできない。逢さんのペースに合わせて食べる手をゆるやかにし、代わりに口を動かすことにした。せっかくだから、ずっと考えていたことを聞いてみる。
「逢さん、今日って何か特別な日でしたか……? 逢さんならこんな高いお店も普段使いされているかもしれませんが、俺を連れてくるなら普通のお店でいいのに」
……まぁ、ちょっとな。俺の都合で連れてきて悪い、おまえには物足りない量だったかもな」
「や、量は、……もうちょっと食べれますけど、それはよくて。本当にすごく美味しいしどのお皿も洒落てるし、俺にはもったいないくらいです」
「気に入ってくれたならそれでいいんだ。おまえが美味しいと思ってくれたなら連れてきて良かった」
……、なにか俺に隠していたり、謝りたいことがあるとか?」
「ふ……。謝罪のために、美味しいものでご機嫌取りをしてるって?」
「だってそうじゃなきゃ急にこんな……。プロポーズでもするみたいな、すごくいいロケーションですよ」
……
…………え?」
突然黙り込んだ逢さんに、俺は驚いて目を見開いた。緩んだ手からフォークが滑り落ちて静かに絨毯に着地する。すぐにスタッフが近づいてきてそれを拾い「新しいものをお持ちします」と言って離れていった。
顔を上げた俺の前で、逢さんははぁと小さく息を吐いた。まるで隠していた計画がバレて白状するかのような、諦めのため息。心臓がドクンと大きく跳ねて、俺は息を止めた。
「言う前に当てるな」
肩を竦めて、逢さんは鞄に手を伸ばした。俺が少しも動けなくなっている間にスタッフが新しいフォークを持ってきてくれて、空になったお皿を下げてくれる。肉料理が食べ終わったら、次はなんだっけ。料理に合わせて何杯か飲んでいたけれどそれほど酔いは回ってはいない。それでも理解が追いつかない状況にアルコールに浸かったように脳が思考を停止していた。
メインのお皿が片付いてすっきりしたテーブルの中央に、逢さんがそっと小さな箱を置く。スウェード素材でできた四角い箱は、上下に開けられるようになっていて、俺の想像が間違っていなければきっとその中には──。
「おれに、ですか……?」
……おまえ以外に渡したい相手はいない。……由鶴」
「ま、待ってください、でも、だって」
「いらないのなら持って帰る」
「いります! っ、すみません、嫌なわけじゃないです。……すごく、嬉しいです。俺も、あなた以外にいません。でも、……俺だって、指輪、あげたいのに……
……相談もなしに用意して悪かった。だが、……こういう時はサプライズにするのが定番だと思った」
……ふっ、……もう、あいさん……ありがとうございます。びっくりしたけど嬉しいです。中、見てもいいですか?」
「ああ」
まだ心臓がうるさくて、リングケースを持ち上げた手は震えてる。それでも俺はしっかりとそれを持ってそっと蓋を開けた。中にはシンプルだけれど美しい指輪がひとつ収められている。真ん中に嵌められた小さな宝石が照明を反射してきらきらと輝いていた。
……すごく綺麗。……ありがとうございます、逢さん」
「受け取ってくれるか?」
「もちろんです。その代わり俺も逢さんに指輪を送りますから、覚悟していてくださいね」
「ああ、楽しみにしておく」
「はぁ……びっくりした。まさか本当にプロポーズだなんて……。逢さんのことだから花束とかも用意していそうですけど、さすがに仕事が終わってそのまま来たからないんですね。あ、全然ねだってるわけじゃないですから」
「なんだ、いらなかったか?」
「え?」
「用意してある。ここで渡すのはおまえが恥ずかしがると思ったから、家に」
……薔薇ですか?」
「ああ。帰ったら渡すよ。……でも、そうだな、定番通りの行動で面白みがなかったか」
……面白みはむしろあるかと思いますが、……逢さん、薔薇の花束が似合いそうですね」
「よく言われる。なんでだろうな」
至極真面目な顔でそう言う逢さんにふっと笑い、俺は緊張していた体から力を抜いた。タイミングを見計らったかのようにデザートが運ばれてきて今日の食事がもう終わってしまうことに気がつく。どの料理もとても美味しかったのに、サプライズで渡された指輪の前では霞んでしまっていた。
デザートをぺろりと食べ切った後、俺はどうやって逢さんにやり返してやろうかと考えた。王道のプロポーズは逢さんらしいしよく似合っていた。だけど俺が同じことをしたって二番煎じだし、こんな高級レストランでは俺自身が落ち着かない。
「由鶴、どこか寄って帰るか?」
「え? どこにですか?」
「どこでも。おまえ、まだ食べ足りないだろう? コンビニで適当に買って帰って家で食べるか。そこらへんの店に入ってもいいが」
……逢さんはお腹いっぱいですよね? 俺はコンビニに寄らせてもらえれば大丈夫なので、逢さんのお家に一番近いコンビニでいいですよ」
「わかった。じゃあそうしよう」
食事を終えた後、俺はもらった愛の分だけ重くなった鞄をしっかり持ち、家の近くのコンビニの前でタクシーを降りた。隣に並ぶ逢さんはお腹がいっぱいだからかとろんと眠たそうな目をしていて普段より距離が少しだけ近い。いつも来るコンビニだから手を繋いだりできないのに触れてしまえる距離に試されている気分だった。
「逢さん、何か買いますか?」
「ん……いや、俺はいい」
「了解です」
片手に持ったカゴに自分の食べる分だけ入れてレジに並ぶ。ホットケースに入った肉まんがおいしそうで、それも追加で注文。隣で逢さんがクスッと笑った。
お店を出て、逢さんのお家までの数分の距離。俺は最後に買った肉まんを袋から出した。ほかほかと上がる湯気が食欲をそそる。
「うまそうだな」
「逢さんも食べますか? 一口だけでも。ここの肉まんおいしいですよ」
……じゃあ、ひとくち」
高級な料理の後に食べるには、あまりにチープな味かもしれないけれど。あ、と口を開けた逢さんの口元に俺は持っている肉まんを差し出した。ぱくっと食べて唇を舐め、逢さんは満足げに目を細める。
「ん、うまい」
……よかったです。……逢さん、俺、これからも逢さんの隣にいていいんですか……?」
……いていい、じゃない。いてくれないと俺が困るんだ。これからも、ずっと、いっしょう」
……夢みたいだ」
「寝て起きたら忘れてるなんてことはやめてくれ。明日の朝、もう一度プロポーズしようか?」
「ふふ、忘れませんよ。でもプロポーズは大歓迎です。何回でも、あなたと愛を誓わせて」
……それもプロポーズみたいなもんだろう」
「あ、……そうですね? まだ指輪も用意してないのに」
「指輪はなくてもいい。おまえがただ俺を好きだと言ってくれれば、俺はそれで愛を誓える」
……そんなの、俺だってそうですよ」
片手にコンビニの袋を持っていて、家までの帰り道の途中で、いつも通りの平日の夜に。特別感なんてひとつもないけれど、俺は立ち止まって逢さんを見つめ、逢さんも俺のことを見つめた。
「逢さん、あなたのことが大好きです。これからも隣にいさせてください」
……俺も、愛してるよ、由鶴」
とろけるような笑みを浮かべて、逢さんは俺にキスをした。スポットライトのように俺たちの上に降り注いでいた街灯がここを世界の中心にする。たぶんお互い周りなんて見ていなかったから誰も通らなかったのはラッキーだった。今なら誰に見られたって構わないってくらい、無敵な気分だけど。