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史加
2024-10-27 11:40:17
2979文字
Public
原神(鍾タル)
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まるで低温の火傷のようだ
鍾タル/鍾離が見せる父性愛に弱いタルタリヤの話
きんと冷えた空気が肌を刺す夜だった。
璃月港は夜が更けても提灯の光に照らされて華やかな雰囲気を纏っているが、それは遠目に見た外観や、人の行き交う大きな通りに限った話である。一歩、路地へと足を踏み入れれば、そこにはきちんと暗く静かな夜があり、悪事を働こうと企てるならず者や、事情があって人目を避けようとする者の痕跡を見て取れる。光と影は常に表裏一体に存在することを、この街も忘れてはいない。
その日、煌びやかな街の雰囲気を鍾離が避けたことに、特段理由はなかった。気に入りの役者の立つ舞台を観に行った帰りで、思いのほか冷え込んでいたから、寄り道をせずに家に向かおうと思い立ったにすぎない。秋から冬にかけての冷気は、まだ夏の茹だるような暑さを覚えている身体には馴染みがなく、真冬のものよりもずっと寒く感じるのだ。だから早く家に帰り、暖かい茶でも飲んでから寝支度を整えたかった。
だというのに。
「おや、鍾離先生じゃないか」
冷気に混じる血の臭いに、鍾離は顔をしかめた。
「こんな夜に路地を通るなんて珍しい。何か人目を避けたい事情でも? ああもちろん、長話を聞くつもりはないし、詮索したい訳でもないけど」
暗闇の中で青いひとみがぎらりと光ったように見えた。
ぽたぽたと水の滴る音がする。明かりのない路地裏では相手の姿などよく見えないが、おそらくはどこかで暴れてきた帰りなのだろう。鍾離は平民とちがって、血の臭いに驚くことも、野生動物のように鋭く研ぎ澄まされている武人の殺気に怯むことも知らない。不届き者の襲撃に遭っても呼吸をするような容易さで返り討ちに出来る自信があるから、夜遅くに躊躇いもなく路地を歩いている。それでもこの邂逅は好ましいものではなかった。
「今宵は冷えているからな。帰りを急ぐのに近道をしようと思っただけだ」
「なんだ、つまらないな。一般人は夜遅くにこんな路地を悠々と歩いたりなんてしないものだ。まだまだ凡人生活が下手くそなんじゃないか?」
「何が言いたい」
「ははっ、俺が望むものなんてただひとつだと知っているだろう?」
ぎらぎらと闘志を宿す深い青色が、不動の黄金を見つめる。確かにこの眼差しを前にしても腰を抜かすどころか顔色ひとつ変えない人間は、凡人とは呼べないのかもしれない。
やれやれと鍾離は肩を竦めたい気分になった。よほどつまらない戦いでもしてきたのだろう。燻る欲を持て余した身でそのまま暴れ回らないだけマシだが、かと言って彼の望みに応える義理もない。
ひゅう、と木枯らしが吹き抜ける。雲間から差す月の光がかすかに辺りを照らして、相対する武人の姿を明らかにする。
彼は
――
タルタリヤは、ずぶ濡れだった。見える範囲に怪我は見当たらないが、制服には盛大に水を浴びても落としきれなかった血が滲んでいる。
一体どこで何をしてきたのか。鍾離は尋ねる気も、深い事情を知るつもりもない。ただ、冷え切った空気が肌だけでなく胸の奥をちくちくと刺して、眉間に寄ったしわを深くさせる。
「どうせ暇なんだろう。せっかくだ、たまには付き合ってくれても
……
ん?」
減らず口を塞ぐ暇も惜しかった。鍾離はがしりとタルタリヤの手首を掴み、半ば強引に引っ張って早足で歩き出す。
「ちょっと、鍾離先生? まさか本当に一戦付き合ってくれたりとか、」
「言っただろう、俺は帰りを急いでいると」
「ちえっ
……
いや、でも待ってくれ、ならこの手は何なんだ?」
鍾離の手を振りほどけず、ついてくる他に選択肢のないタルタリヤの声に困惑が滲んでいる。このやんちゃ坊主を困らせるのが趣味という訳ではないし、つい先程まで殺気立っていたのが嘘のようにあどけない反応をされて、ますます鍾離の胸の奥は呆れと不愉快さで満たされていく。
暗い路地に漂う空気は湿っていて冷たい。身体からは熱が奪われていく一方だ。重苦しいため息をついて、鍾離は足を止めることも振り返ることもせずに答える。
「いくらお前がスネージナヤの出身とはいえ、この寒空の下ずぶ濡れで歩き回っているのは感心しない」
「
……
へっ?」
「風邪をひいたらどうする。お前の組織に面倒を見てくれる者はいないだろう。組織に属し、兵を率いる者として、体調管理は基本中の基本だとお前ほどの人間なら理解しているはずだが」
ぴしゃりと鍾離の言い放った言葉に、タルタリヤは閉口した。
子ども扱いするなだとか、余計なお世話だとか、すぐに反抗されるものだとばかり思っていたので少し意外な反応だ。だが好都合だと、鍾離はすぐ目と鼻の先にある家までそのままタルタリヤを引っ張っていく。
例えこの執行官が異国の出身で、悪名高い組織の幹部であろうとも、鍾離の目に映る彼は年若い青年にほかならない。彼は鍾離のことを凡人が下手だと揶揄うが、鍾離からしてみれば彼は自分がただの人間であることを見失いがちだ。
生まれ育ちに関係なく人の子である以上、今日のような冷え込みの厳しい日に外をふらふらと出歩いていたら身体を冷やす。まして全身濡れた状態であればなおのことだ。熱を失った身体は弱りやすい。例え本人に自覚がなくとも体力を消耗している状態ならば、積み重なったそれらの要因が意図せずして牙を剥く。自己管理が出来ていないのは本人の責任だと詰るのは簡単なことだが、学習するだけの頭を持つ若者が相手なら、きちんと説くのが年長者としての務めだろう。
タルタリヤを家の中に引きずり込み、明かりをつける。急いで湯の支度をすべきだなと考えながら、掴んだままだった手首を離して振り返った。
ずっと黙り込んでいた青年の表情が、ようやくはっきりと見える。すっかり戦意を失った青い目は居た堪れない様子で、うろうろと視線を彷徨わせていた。
叱られたこどもの顔だ。
「えっ
……
と」
「湯を張ってくる。着替えも用意するから、居間で待っていてくれ」
「
……
わかった。それと、その
……
」
言い淀むタルタリヤに、うん? と首を傾げる。早く行動に移したい気持ちもあるが、このような状況において待つことが非常に重要であることも鍾離は知っていた。
視線がぴたりと合う。ほんの一瞬ひとみが揺らぐも、意を決したのか逃げる素振りは見せない。
「
……
悪かったよ。先生の言う通りだ」
かすかに頬を赤らめ、存外素直に認めて詫びる姿を、鍾離は意外だとは思わなかった。
ただ無言でぽんと頭を撫でて、連れ帰ってしまった以上最後まで大人の務めを果たさなければと、浴室へ向かった。
湯船にたっぷりと張られた湯に身体を沈めながら、煙る天井をぼんやりと眺める。冷え切っていた指先までじんわりと暖まっていき、血が巡っていくのが心地よい。
胸の奥はこそばゆいままだ。くすぐったくて、ほんの少しだけちくちくとして落ち着かない。それが不快なのかと問われると否だから、余計に。
「
……
勘弁してくれよ」
言われた瞬間にそう返して、一蹴出来ていたのならどんなに良かったことか。
常に冬の寒さに晒されることに慣れている身体が、暖炉の火を彷彿とさせる温もりに弱いことをあの男は知らないのだろう。
真夏の鬱陶しい暑さに慣れている身体では、寒さに気を取られるのが当然なのだから。
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