NEO
2024-10-27 01:02:46
18863文字
Public NEO宅のDDA
 

Dampier et Ringrose noctem

ダンリン。初作なんで主人公に辛抱を強いてチューまでです。





 久々の寄港。夜だというのに煌々と明かりが連なっている海賊の街。距離を置いていても聞こえてくる喧騒に背を向け、静かな浜へと歩を進めた。
 雲は多いが風は弱く、星の瞬きもちらほら見える。穏やかな波に映り込んで満天の星空だ。ランタンを持ち出して岩場に陣取ればゆっくり孤独を楽しめるだろう……
 ふと気配を感じて立ち止まる。思った通りの人物が声をかけてきた。

「どこへいくの、ダンピア?皆もう張り切って行っちゃったよ」
「別に。興味ないから船に戻るとこ」
「そうなんだ」

 雲間から届く僅かな星明かりでは、暗闇に浮かぶ相手の表情を読むのは至難の業だ。声の調子から揶揄や非難は感じないが、純粋に納得したものと解釈していいのかどうか──人間観察をすこぶる不得手とする自分にとって、相手が何を思っているかなんて分かろうはずもない。
 こぞって一時の快楽を愉しもうという夜に抜け出すなんて興醒めだと重々承知している。けれどその気もないのに盛る男衆に混じっていても仕方ない。その辺りの機微を彼なら理解してくれるのではと期待したのは、早計だったのだろうか。

「僕のことは構わないでいいよ。君も息抜きして来たら?リングローズ」
「ん〜」

 彼は一瞬口籠ってから、逡巡を払拭するかの如く軽快に駆け寄ってきた。

「僕も戻るよ!ついていっていい?」
「え……あ、うん」

 あっさりついてきた彼に毒気を抜かれる。意外にも、彼が戻るとは思っていなかった自分の浅慮に気付かされた。

 バジル・リングローズ──彼は裏表のない明るさを持つ素直な男だ。豊かな知識、未知への意欲、敵意を物ともしない図太さ、献身的な優しい気質などによって、荒くれの多い海賊たちからも甚く気に入られている。人格に殆ど興味がない自分にすら、真っ当に魅力を感じさせるという、実に稀有な人物だ。

(見目も悪くない……海賊みたいな逞しさや豪快さはないけど、品良く教養があって礼儀正しい振る舞いができる……つまり、婦女子受けする)

 彼を巡って取り合いする売女たちの姿が容易に想像できる。そんな甘い機会をこんなに簡単に手放して、彼はいいのだろうか?船乗りにとって陸にある時間は貴重だ。次はいつになるか分かったもんじゃないのに。
 何故か罪悪感に苛まされ始めた時、隣から遠慮がちに問う声が聞こえた。

「もう寝るの?それとも何か予定がある?」

 昼に雑貨屋で仕入れた古い手記の束が脳裏を掠めたが、内容も知れないのに急ぐことはないかと思い直し、頭を振る。

「寝るには早いけど、停泊中だし特にすべきことはないかな。君こそ何か?」
「実はいいものがあるんだ」

 彼が手を此方の目線の高さまで掲げる。その勢いでとぷん、と水音が撥ねた。星の光に薄っすら透けた黒瓶が握られているのが見える。よく見ようと顔を近付けるとヒョイと引き戻されてしまった。

「酒場の隅に追いやられてるのを見つけたの。店主もお客さん達も仏語が読めなかったみたいでね」

 釣られて目をやると悪戯な笑みを浮かべた彼と目が合い、どくりと胸が波打つ。無邪気な含み笑いまで聴こえた気がして、動悸が増々高まってゆく。

「“Eau de vie”……君ならわかってくれるかなと思って」

 薄い唇が流麗な綴りを囀る。靭やかに、軽やかに。確かに韻を拾ったはずなのに意味を成さない。彼の涼し気な声音が快く耳奥を滑っていくばかり。

「“Aquavitae”さ」
……っ、えー!?」

 思わず腕ごと瓶に掴みかかる。闇に目を凝らすと、ラベルの印字は確かに気取った仏語でその文字が刻まれていた。

 アクア・ヴィテ──古来より命の水と呼ばれ重宝されてきた極上の蒸留酒。フランス産で銘するのであれば主にブランデーだろう。硝子の向こうで揺れる黒い液体は恐らく美しい琥珀色で、コルクを捻れば芳醇な薫りで瞬く間に虜にする。一口含めば天にも昇る心地、一気に煽るには不遜極まりない、熟成された深みある最高級の酒精を味わえる……

「恐れ多いなあ」

 舌舐めずりをしつつも思わず忌憚ない本音が口をつく。それは酒造所にか仏国にだか矛先が曖昧であったが、打ち響く鐘のように彼は笑い転げた。

「ねえ、ダンピア。共犯者にならない?」

 重大な秘密を明かす素振りで声量を下げたので、どうやら瓶は彼に拐われてきたらしいと察する。無価値と断され、放置されていた物に対する彼の諧謔に富む演出は、価値観を共有する己の琴線にも大いに響いた。
 この時、もう少し彼の様子に注意を払っておくべきだったのだろう。
 穏やかな気候、人気のない船、しばしの休息──判断を鈍らせる要因は多々あった。しかし決して大きくはない瓶を意味深に揺する蠱惑的な誘いに、抗う術など果たしてあったものだろうか。ただ、やはり彼が……彼であったから、私掠というには細やかな手癖の悪さなど気にもとめなかった。それより彼の普段に増して浮かれた言い回しや隙のある仕草のほうが、ずっと淫靡に執拗に意識の大半を奪っていった。奥底に閉じ込め自制しながらも、時折どうしようもなく胸に迫って来るものがある。こんな息苦しさを分かち合いたいとは露ほども思っていないし、無防備に向けられた信頼を裏切るつもりも毛頭ない。だが、それでも。せめて、高々と頭上を照らすコーパス・サントを待ち望む気持ちは、赦されたいと願ってしまう……

 閑散とした船縁で相対する彼に向け、返事代わりにゴクリと私の喉が鳴っていた。







「乾杯!」

 杯を掲げて美酒を称える。私掠船の略奪品には酒が多いし、島々の地酒にも多種多様な美味さがあって其々に趣深い。航海者として互いの経験が近しい故に、酒の席でも話が弾む。それは好い傾向だと思えた。実のところ私としては二人きりの盃、その事実だけで十分酩酊できるものであったのだが。

「うーん、美味しい!たまんない」
「本当に薫り高いねえ」
「果実酒は熟成年数が上がるほど芳醇さも高まるからね。全然雑味を感じないし、このエレガントさも納得だよ」
「フルーティでまろやかだし、すっごい甘いよね!」
「ココヤシのアラックや、パイン・ドリンクにも負けない風味だと思うな」
「そうなんだ!ダンピア、君ってお酒にも詳しいんだね。凄いや!」

 キラゝと目を輝かせ手放しに称賛するリングローズとは、非常に目を合わせにくい。どうして彼はこんなにも、素直で純真無垢なのだろう?とても海賊の一味には思えない。彼に誘われて乗船した私の方がよほど無法者だ。
 天を仰いで唸る。抗いたいが、どこにも文句のつけようがなかった。

「んーっ……まあ、その……とにかく!美味しければ何でもいいの!!」
「至言だねえ。僕も同意。すっごく、好きだなあ……
「!」

 夢見心地で呟かれた言葉に息を呑む。目を閉じ、嗅覚や味覚で名酒を楽しんでいる彼を確かめて、肩の力を抜く。酔い始めているようだが、彼はあまり顔に出ない型なので見極めが難しい。呼吸を整える。此の動悸は驚きによるもので、単なる誤解なのだから落ち着かなくてはならない。
 そう誤解だ。自分のことじゃない。しかし、なんとも罪深い発言ではないか……意趣返しを閃いて口角が上がる。私も大概酔狂だ。

「ふぅん?君も?僕も……大好きなんだよね」

 ほんの指先で酒瓶に触れたまま、ぼんやり融けた青い双眼を冗談めかしつつ覗き込む。一瞬きょとんと呆けた顔が、次の瞬間、鮮やかに紅潮してゆく。あまりの変わりように思わず言葉を失った。彼は、リングローズは、酔いはしても顔には出ない質のはずだった。それなのにこれだけ赤面するということは、酒精のせいではなく、今の言葉を正しく理解した結果、と推測できる。正しく──いや婉曲して探りを入れたものの、彼の聡明さによって正答を導き出されてしまった……その反応がこれ、ということだ。
 嫌がって見えないのは期待が見せる幻視だろうか?それとも……
 考察する間、随分長く真剣に見つめ過ぎたらしい。そのせいか、ふわりと柔らかに微笑み返された途端、情緒が乱れた。観察対象から敬愛する相手へ、急に変容されたら狼狽えてしまう。これは私に限った現象ではないはずだ。

「ずるい……」 
「エヘヘ、僕らで飲み切っちゃおーね」

 わずかに舌足らずの兆候を示し、照れ笑いをするリングローズ。心地良く酔えるなら何よりだ。幸せそうな笑みに苦笑を零す。彼には敵わない。
 機嫌の良さに自覚があるものか、気になって水を向ける。

「嬉しそうだね?」
「そうかな?美味しいからかも」
「本当にそれだけ?飲む前から楽しそうだったよ」
「それは……よく、分かんないけど、」

 珍しく言い淀む彼を興味深く感じる。明朗な彼は嘘や誤魔化しがないからいつだって会話が滑らかだ。誠意ある者の話は聞くだけでも愉しい。もっと話をしてほしい、ずっと会話をしていたいと感じさせる。

「けど?」

 微酔いの彼は小さく笑いながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「けど……多分、君が一緒にいてくれるから。誘ってみてよかった」

 まるで鳩尾に一撃喰らったかのような衝撃だった。或いは心臓を鷲掴みにされたような、といえばより伝わるだろうか。ともかく私に対して絶大な威力を発揮した科白であった。彼に他意はなかったとしても。

「僕がいるから?それだけで?リングローズ!」

 もしかして……いや、そんな、まさか……?しかし同じ気持ちかもしれない、と浅はかな願望が脳裏を過ぎったのは確かだ。
 君が、夜を過ごす相手として着飾った女たちよりも私を選んでくれたこと、その御蔭で──今や罪悪感は消え──すこぶる気分が良い。お酒も美味しいし、いつもより酔いが回るのが早い。此の多幸感はどうしたものか……此れぞアクア・ヴィテの恩恵だとでもしておけば、言い逃れできるだろうか?
 私が共にいる、そんな細やかなことで喜んでくれる健気さには崇敬すら抱く。君の願いなら何だって叶えてみせるのに、一緒にいるだけでいい、なんて。

「ダンピア、これもどう?」

 リングローズは照れ隠しなのか、とっておきの秘密だよ、とドライフルーツ──干しブドウ、オレンジ、マンゴー、その他アーモンドや胡桃などナッツ類──が入った小袋を取り出した。酒のつまみに最適の嗜好品だが、聞けば、これらは携帯食として個人的に常備しているものらしい。一欠片を口に含み、緩く相好を崩す彼は、相当な甘党だと見て取れた。

「昔から甘いもの好きなんだよね」

 長く辛い航海の僅かな慰めとしてお守り代わりにしているようだ。とはいえ食物には保存の限度というものがある。今日のように上陸する機会を得た際に、今までのものは消費して、中身を新しく入れ替えるのだそうだ。
 ならばと遠慮なく御馳走になる。乾燥果物独特の凝縮された自然の甘味が、懐かしい故郷の味を思い起こさせた。

「甘味は貴重だもんね。クリスマスプディングなんか毎年楽しみだったよ」
「君も?!僕も何日も前から待ちわびてたっけ!懐かしいなあ」
「こっそりつまみ食いしてもすぐ兄に見つかってね。よく叱られたもんさ」
「お兄さんいるんだ?仲良しだね」
「ちょっとリングローズ、僕の話聞いてた?」
「うん。君のことよく見て世話してくれてたんでしょ。いいお兄さんじゃん」
……そういう見方もできるね」
「フフフ、ダンピアってば」

 旅愁の念を呼ばれ、また手紙を書こうという気にさせられる。兄には彼のことを伝えていない。いつかは伝えたいが、折を見計らっているところだ。
 酒瓶が軽くなり、つまみも減ったのを見て、途端に気分が落ち込んできた。まだ……もっと彼と話していたい。何か口実はないだろうか?私も何か肴になるようなものを持っていなかったか?若しくは彼の興味を引けそうな……そこではた、と日中の収穫を思い出す。

「そういえば、」

 雑貨屋で贖った紙束。知識欲の強い彼を引き留めるのに、これはなかゝ有望かもしれない。

「街を歩いてて、こんなの見つけたんだ。読んでみる?」
「なにそれ、面白そう!」

 思惑通りに食いついたリングローズを見て心の中でほくそ笑む。これでもう少しだけ一緒に楽しめそうだ。
 紙束は、元は一冊の手記であったものが、経年劣化でバラけてしまった状態のようだ。2人で手分けしてざっと目を通していく。文面は仏語で書かれ、品目と数字の記載が多い。特に議論を交わすこともなく、帳簿らしいとすんなり意見は纏まった。大して時間稼ぎにもならないありきたりな内容で、より失意は増した気がした。

「貿易品の帳面みたいだね。西語すらままならない此の港町で仏語記帳だってのが意外だけどそれだけかな」

 ところが、リングローズにとってはそう単純なものではなかったらしい。目を眇め、指でなぞりながら文字を追い、深く考え込んでいる。

「うーん……でもちょっと違和感……ほら、数字がおかしいんだ。ずいぶん疎らで……こんな中途半端な管理をするかなあ。それに数列の頭に時折NとかEとか、アルファベットが付くのはなんだろう?こういう書き方は初めて見た
「え……ホントだ。なんだろうね……

 目敏い彼に指摘されたことで酔いが覚めた。遅まきながら、生来の貪欲な好奇心が戻ってくる。敢えて言わなかったが自分にも気になる点はあった。しかしいつものくせで、つまりどうせ誰にも理解はされないだろうと端から諦める習慣がついていて、彼、リングローズがその『誰にも』の対象外であることを危うく忘れるところだった。
 紙束から目的の図面を引き抜いて床に並べる。沈黙していた彼の視線が、そちらへ移ったのを機に、思い付いたことを話していった。

「あのさ、この描きかけの地図?なんだけど……見て。この線、多分この港の海岸線だよね?でも此処の港街にしては平坦過ぎる。市街地も実際より規模が小さいし……どう思う?」
「凄い、よく気付いたね!つまり……街が栄える以前の地図ってこと?」
「うん。その可能性が高いよね。とすると最低でも2、30年以上前になるかな?それから海側より内陸の方が詳細に書き込まれてる。しかも此処らへん、ね?なぜか街周辺の入り組んだ細道まで丹念に描写してる。地図というより……まるで案内図みたいな」
「!もしかして、宝の地図とか!?」

 突拍子もない発想にうっかり吹き出しそうになった。決して茶化すつもりではない。純粋に楽しくなってしまったからだ。彼のこういった夢のある思想は本当に、心から羨望に値する。彼は、側にいるだけで人生が豊かになるような、そんな明るい気持ちにさせてくれる。誰もが彼に一目置くのは、この比類なき無邪気さも要因の一つなのかもしれない。
 自分には到底持ち得ない感性を愛でながら応じる。当のリングローズは再び紙面に目を落とし、何やら宝の在処を思案している様子だった。

「だったら面白いけどね」
……待って!だとしたらこの変な数値、……そっか!緯度と経度だ!!アルファベットは方角なんだ、【North】【South】【East】【West】!!僕が読むから、書き取って、ダンピア!」
「!? 任せて!──本当に面白くなってきたみたい」

 示された緯度と経度で地図上に浮び上がった幾つかの点。高低差はあるが距離は街周辺に限られるため、到達可能範囲内にある。自然と顔を見合わせ頷く。此処までお膳立てされたら、流石に何かあるとみて間違いないだろう。

「何があるんだろう?これを書いたの商人みたいだし、隠し財産とかかな?」
「いいね。金銀財宝……はないにしても、鉄とか、武器とかでも十分お宝だよ」
「点が複数ってことは各所に別々に隠したのかな?それともダミー?」
「流石にそれは分からないなー、全部巡って確かめるしかないかも」
「!じゃあ、これ……

 秘められているかもしれない宝物について話に花が咲く。咲き誇ったところで、大喜びの内心はお首にも出さず、それとなく探索へ思考を誘導する。此処まで知った彼が何もしないはずがないと見込んで、切っ掛けを提供したのだ。
 彼の性質につけ込む私は、彼の憧憬に見合わない人間だろう。しかし彼が望んでくれる間は、その善性に縋っていたい。すっかり酔いが覚めた理性で、私はそんな後ろ暗い夢を見ていた。

「これ……明るくなったら探しに行ってみない?」
「そうしよう!なら、もう片付けないとね。ん、お酒まだ一口残ってる。リングローズ飲んだら?」
「ありがとう。でも僕もう眠いから、よかったら君がどうぞ」
「そう?じゃあ遠慮なく」
「おやすみ、ダンピア。また明日ね」
「うん。おやすみ、リングローズ……良い夢を」

 散らばった紙束を片付け終えると、リングローズは眠たそうに目を擦りながら自身の寝床へ入っていった。その姿を見届けて、殆ど空となった瓶を一気に煽る。最後の雫を飲み干して、独り静かに余韻に浸った。
 孤独を覚悟していたはずが、一転して信じられないほど心満たされてしまった。こんなに沢山色々話せて、出かける約束までして、二人きりで就寝の挨拶を交わせて、明日も共にいられるなんて。

(これまでにない素晴らしい夜だった……)

 空瓶を懐へ入れ、浮ついたまま釣床に上がる。眠れるか不安だったが、いつしか夜も更け、高揚も凪いでくる。
 隠された財宝などあるわけがないと頭の何処かで知っていても、探しに行く価値はある。それが彼にも理解るかどうか……理解ってほしいものか、どうか。
 結局答えを見つけ出せぬまま、私は眠りの闇へ落ちていった。







 道、と定めるには荒れ過ぎていて、生い茂る草木に埋没寸前の獣道に近い。そんな細道を進むため、距離はなくとも目的地まで結構な山歩きとなってしまった。

「うーん、茂みで先が見通せないね。方角はこっちで合ってる、ダンピア?」
「合ってると思う。この地図よく出来てるよ。あ、足元注意してリングローズ」
「うん……大丈夫。ありがとう!何が見つかるか、楽しみだね」

 存在すら不確かな目的のために無駄足を踏ませることを危惧するも、彼の朗らかな様子を見るに余計な心配なのかもしれない。実際彼は、うっかり毒草を触ってかぶれたり、沼地に足を取られ泥だらけになったり、蜜蜂に追い回されたり、散々な姿で街の住民に白い目で見られたりしても、一向に構わず探索を満喫していた。お蔭で気が軽くなる。何もなくとも、彼は今日という日を無意味だったとは思わないだろう。

「日記か風土記だと思ってたのに、まさか秘密が込められた手記とはね」
「見る目があるよダンピア。それか、とっても運がいいんだね」
「読み解いたのは君だったみたいだけど?」
「やっぱり君は幸運だよ!僕と友だちでよかったじゃんか」
「!……プッ。アハハ違いない!」

 お互い草臥れた様相だが、今では軽口を叩き合えるくらいに親交が深まっている。早朝から探し始めて、もうそろゝお昼時だ。目的地のいくつかは既に到達済みだったものの、沼地のど真ん中や、倒木で塞がれた道の先、果ては大岩の真下だったりして、どこも目ぼしいものは見つかっていない。
 だというのに、私たちの意欲的な探究心はちっとも衰えてはいなかった。

「ねえ、帳簿にあった品目、覚えてる?昨夜のアクア・ヴィテも輸入品だったりして」
「ははあ、その線は濃厚かも。けど、実際のところ街の人が仏語を使えないのは何故なんだろう?交易の形跡がないと思わない?」
「今この街で供されるのは殆ど火酒だしね。交易路が途絶えちゃったのかな」
「交易が停止するような何かがあった……フム。それこそ海賊とか?」
「さあ?でも、何か手がかりが見つかるといいね」
「うーん、そんなに上手く行くかなあ」
「それは見つけてからのお楽しみ!」

 リングローズは上機嫌に笑っている。余程宝探しが愉しいのだろう。悪路を歩き通しとは思えない快活さだ。斯くいう私も晴れやかな心持ちだった。
 なにしろ船から大して離れている距離でもないし、当分は停泊の予定だったため時間にもゆとりがある。半ば行楽気分で私たちは高揚していた。

「思ったより草叢が深いね。誰も立ち入らないから、育ち放……うッ」

 ピシッ、と撓る音と共にリングローズがふらりと体勢を崩す。慌てて駆け寄るも、彼はすぐに片手を上げ問題ないと合図した。

「リングローズ?!」
「だ、大丈夫、ちょっと枝に引っ掛かっただけ……

 雑談に気を取られ目前に迫った枝葉を見逃したようだ。彼の頬に出来た切傷から滴る血に背筋がひやりとする。

「休憩しよう!まだ先は長いみたいだし。傷見せて。応急処置するから」
「んんんん、ごめんね。足を引っ張っちゃって」

 幸い治療するまでもなく、落ち着けそうな場所を探している内に、出血は自然と止まっていた。
 代わりに行き掛けに採ってきた野性の果実──恐らくマンゴーの一種であろう──で喉を潤すことにする。小鳥が啄んでいたから危険は少なそうだし、何より亜種と思しき低木に生っていたため興味が勝った。彼にもその旨は伝えたが、果敢にも私より先に口へ放り込み、食す価値ありと請け合ってみせた。マンチニールの件を忘れたわけではないだろうが、こういった無謀さが、いっそ私への無類の信頼に思われてくるものだから、兎角この抑圧は油断がならない。
 足手まといと表すなら、私のこの秘事の方がずっと厄介な代物だ。
 それに私は始めから架空の埋蔵品になど期待を寄せていなかった。

「暗号解読したのは君でしょ。責任持って僕をお宝まで連れてってよね」
「元々君が見つけた手記──……そうだね。分かったよ、ダンピア」
「うん。もし本当に何かあったとしたら、僕ら二人のお宝さ」

 言葉に嘘はないが、最早何もなくても構わないのだ。こうして共に冒険する口実にさえなるなら。一緒にいられる理由であってくれたことで、手記は既に十分な価値を示していた。
 やはり彼、リングローズは特別だ。
 共にいて心地良い。価値観が合うし、知識は豊富だし、ずっと話していても飽きるということがない。彼も交流を楽しんでくれていると分かるから、余計に。私たちの間にある、確かな友情の存在を信じられる。しかし。

(この、抑えが利かない、ただ我武者羅に、求める慾……多分、僕は……、)


──もっと、ずっと、貪欲に。興味、関心、親愛や敬意以上の感情も。誰にも許されていない、君の裡を。どうにか、できないものか?何とか、刻みつけられはしない?そうしたら少しは今と認識が変わるかもしれない。もう長らくひりつくような渇きにあって、潤いを欲してやまない、今の僕みたいに──


 果実を食べ終えたリングローズは、既に進路へ注意を向けている。私も最後の一口を頬張ると、再び踏破に乗り出した。果肉は口内から間もなく胃の腑へ落ちる。果汁に湿った唇を舐めながら、溌剌と歩き出した未だ友であるはずの彼を追う。

(……物足りない)

 果汁の甘ったるさが舌に染み、少しだけ苛立ちに似た不快感を覚えた。







 結局、その後も鬱蒼とした藪が深まるばかりで宝らしきものは何一つ見つからず、空腹に負けた私たちは手ぶらで街へ引き返すこととなった。
 酒場で遅めの昼食をとりながら手記を弄ぶ。悪戯や手遊びで暗号を書いてみただけだったのか、それとも始めから意味なんて無かったのか?
 私はそれでも全然構わない。が、彼……リングローズが未だ腑に落ちない顔で、ずっと謎解きに心を奪われているのだけはどうにも面白くなかった。

「うーん……見落としてることがあるのかも。何か引っ掛かってるんだけど……
「まだ考えてるのリングローズ?よし、付き合うよ!蜂蜜酒おかわり!!」
「フフフ、蜂には散々な目に遭っちゃったけど、この蜂蜜酒はおいしいよね」
「あいつらまっすぐ僕らに向かってくるんだもん、嫌になっちゃう」
……まっすぐ……向かって……
「? リングローズ?」
「!! ダンピア、地図!」
「え?はい」
「そうだこれだ……なんで気付かなかったんだろう!」

 リングローズは地図をひったくると卓上に広げた。規則性はなく点在するかに見えた印を確かめ、独り言を呟くように閃いた考えを示してゆく。

「点の箇所そのものに意味はなかったんだ。これは逆算しただけ。本当に重要だったのは、こうして点同士をまっすぐ直線で結べること……

 蜂蜜酒に浸した彼の指先が、地図の上をなぞって線を引く。いつもの彼からは想像もつかない大胆な仕草に心臓がドキリとする。その横顔に他意は感じられず、彼は、純粋な思索に没頭しているのだと解った。
 ペン代わりの動作だと認識しても、整った白い指が蜜酒で艶めき、スルゝと紙面を躍る姿は、長らく堪えている自分には毒……いや、かなり刺激的だ。必死に地図へと意識を引き戻し、不意の煩悩を宙へと散らす。

「こ、これって?」

 リングローズの推論に導き出され、引かれた線により、交差する一点が浮かび上がっている。全ての線が集中する地図上の交差点は、実際の地理でいうと何十年も前に使われなくなった聖堂──今では寂れた廃墟に相当し、いかにも秘密が隠されていそうな雰囲気の場所だった。新たな目的ができて興奮が弥増す。もしかしたら、本当に何かが?迷う暇などなかった。

「これは当たりかも!」
「遠くはないよね、行ってみよう!」

 酒場でランタンを2つ借り、黄昏色の街中を早足で駆け抜ける。今から行ってもすぐに見つけられれば問題ない。もし持ち出せないような量や重さなら後日運び出す人手が必要だし、自分たちだけでどうにかなりそうなら持ち帰って船で検分してみればいい。
 ああ、何があるんだろう?リングローズが驚くような何かがあるといいなあ、本当に楽しみ!いや、例え何もなくても、彼となら徒労も笑って酒の肴に出来るだろう。凄い、これって、どちらに転んでも愉しいだけなんだ!本当に信じ難い……こんなことがあるなんて……こんな風に思えるなんて。何をしてても、どんな事があっても、君となら。

 目的の廃墟に辿り着く。まだ陽は落ちきっていなかったが、日中あらゆる苦境を味わったお蔭で、私たちは用心というものを学んでいた。ランタンに火を入れ視界を確保し、退路を確り見極める。それから直ぐに武器が取り出せるよう革帯位置を調整し、撤退時の合図も決めて、漸く私たちは、ゆっくり聖堂内へと足を踏み入れた。
 建物全体は石造りだが、手入れも補修もされないまま風化の一途を辿っている。天井は崩れ落ち、夕空が見え、階段の所々割れた隙間から蔓草が繁茂している。身廊は辛うじて石畳と判別できる程度で、壁は苔むし床は土に埋まり、小動物や虫たちに格好の住処を提供しているようだ。過去に置き去りにされた聖堂は、歳月と共に自然へ回帰せんとする最中にあった。

「何か見つけた方が相手に呼び掛けよう。あまり離れないようにね」
「分かった。探すのは互いの灯に目が届く範囲までってことで、どう?」
「うん。いいアイデアだ」

 お互い其々に蔓延る雑草を掻き分け、それらしき痕跡が見当たらないかとランタンを傾けて探してゆく。薄暗い廃墟は思ったよりも広く、灯りが届く範囲は極めて狭い。時々声をかけ合いながら怪しげなところがないかを調べていく。祭壇跡と思われる位置まで来た時、崩れ落ちた壁材とは違う、不自然な石積みを見つけ違和感を覚えたのは、廃墟の奥側を探索していた私の方だった。

「リングローズ!見つけたかもしれない」
「本当?!待って、そっちに行くよ」

 ランタンを脇に置き、二人掛かりで石積みを崩していく。木樽程度のその石積みは、時間は食ったものの特に苦も無くあっさり解体され、その下から両手で抱えられるくらいの大きさの古ぼけた木箱が現れた。持ち上げてみると異様に軽く、カサゝと乾いた音がして、どうも金貨や武器の類ではないようだと知れた。
 詰めていた息を吐き、リングローズの表情をうかがう。彼の目も期待に満ち溢れ、それを認めた途端、私は喜びが込み上げ気が大きくなった。

「開けてみて、リングローズ」
「えっ!……いいの?」
「うん。此処まで来れたの、君のお蔭って気がするからね。借りを返しとく」
「もう、ダンピアってば!……ありがとう」

 エヘヘ、と含羞むと、リングローズはそっと木箱の蓋に手をかけた。開けるね、と緊張気味に宣言し、恐るゝ蓋を持ち上げる。すっかり暗くなった空には満天の星が輝いていたが、この時の私たちはそんな情緒あふれる夜空に気付くこともなく、箱の中身への興味で頭がいっぱいだった。

 隠されていたのは……まず初めに古い布に包まれた装身具が一つ。

「指輪だ」
「光ってる……本物だよ」

 灯りに照らしてみて、息を呑む。指輪は宝石の付いていない単純な意匠だったが、素材はどうやら金でできているらしかった。色めき立ちかけた次の瞬間、はらり、と布の間から何かが落下した。

「あっ、何か落ちたよ……メモ書きみたい。字が書いてある」
「ダンピア、読めそう?」
「うん、多分……仏語の……覚書……いや、伝達事項……?」

 拾い上げてみると、それは手のひら程の古いメモ紙だった。ランタンの明かりの下、ぎこちない手で特定の人物に宛てたらしき、短い文が読み取れる。
 その内容に思うところがあり、明かすより先にリングローズの手元を確かめて貰った。

……他には何が入ってた?」
「えっとね……これは、手紙かな?いっぱいあるよ」

 リングローズは指輪を丁寧に包み直し蓋の上へ置くと、今度は手紙らしき封書の束を持ち上げてみせた。宛名は流麗な筆跡で、手にしたメモのぎこちない文字とは明らかに違う。少々抵抗があったものの、ここまで暴いてしまったのだから今更だ。

「読んでみよう。リングローズも手伝って」
「う、うーん……そうだね、ちょっとだけ……

 他者の手紙を読むことに戸惑いながらも何通か目を通した彼の表情は、始めは好奇心を隠しきれずにいたものの、読み進める内に険しくなり、次第に暗く沈んでいき、最終的に読む手を止める頃には、私と同じ結論に達したようだった。

 ──手紙の内容から、50年ほど前の恋人たちの文通を知る。
 仏商船の商人と、港町の娼婦による、叶わなかった恋物語だ。
 男は本気だったのか、指輪を渡し、いつか請け出すと彼女に約束した。
 しかしその後、仏国と西班牙の戦争が始まってしまう。
 娼婦が生きてる間、再び商船がこの小さな港町に戻ってくることはなかった。
 彼女は、いつか男が戻った時のため、一策を講じた。
 閨で戯れに習った航海術を駆使し、暗号を潜ませた手記を残すこと。
 愛した人が、きっと、此の隠し場所に辿り着けると信じて──

 メモには、短いメッセージが記されている。


〜〜〜〜〜

見つけてくれてありがとう
私たちは確かに愛していた
貴方が幸せでありますように

〜〜〜〜〜


「ごめん、ダンピア。僕、このまま……
「そうだね。戻しておこう。いつか、叶うかもしれないし」
……ん、……

 手紙や指輪を箱の中へ丁寧に戻し、石積みも元のように二人で静かに積み上げてゆく。まるで墓石を積むかのように、リングローズは言葉少なで、沈痛な面持ちだった。
 もしかしたら、彼の共感性の高さが悪影響を及ぼしているのかもしれない。普段なら思い遣りとして誰からも重宝される彼の繊細な質が、故人の悲恋にまで同調し、報われなかった人々を悼んでしまうとしたら、それは過度な感傷だ。
 一方で私のほうは、石など放り出し、彼を思いきり慰撫したい衝動を持て余していた。大丈夫かと聞きたいが、何が大丈夫なのかを知りたいのか、自分でも判然としない。それにこんな顔色で大丈夫だと返されたとしても──十中八九彼ならそう言うだろうが──絶対に納得がいかないであろうことは自身の性格上明らかだ。
 
(考えすぎだ……!)

 叱咤して、激励して、今すぐ現実に引き戻したい。もう済んでしまった変えられない過去、しかも赤の他人の事情なんて君の心を砕くに値しない。
 もっと将来や現在のことを考えようよ、リングローズ?例えば今まさに君の隣にいるのは誰なのかとか──

……あのね、ダンピア。僕、本当は、独りで呑むつもりだったんだ」

 リングローズの唐突な話題転換に一瞬混乱したものの、呑む、と聞いてすぐに昨夜のアクア・ヴィテのことだと思い当たった。

「とても君と同じ娼館で……そんな気になれなくって。早く戻って眠って忘れたかったけど、どうしても色々考えちゃって……寝付けそうにないし、どうしようか困ってた時に……あのお酒を見つけたんだよ」

 俯いたままの青い瞳から、ほろ、と透き通った一雫が零れた。 

「そうだ、飲み潰れてしまおう!って、つい手を出しちゃった……盗んだお酒で飲み潰れても、美味しくないだろうし、何も変わらないのにね。折角の美酒を無駄にして、僕は罪を重ねる覚悟だった。それなのに君が──」

 思いも寄らない告白に心が震える。あの夜、星明かりの下で妖精のような蠱惑さで神秘的に振る舞っていた彼が、私掠の前では可愛らしいほどの罪に対し、そんなに思い詰めていたなんて。気付けないどころか妖艶な彼に魅了されていたのだから、全く面目次第もない。
 だけど……これは……もしかしたら?
 打ち明ける言葉を一言も聞き漏らすまいと、神経が勝手に研ぎ澄まされていく。

「君が突然目の前に現れて……疾うに皆と娼館へ行ったものと思い込んでいたから……気が動転して……でも君は、ただ船に戻るつもりでいて。それを知ったら急に心が軽くなって、嬉しくて、思わず誘っちゃったんだ」

 思い出したようにリングローズはフフフと笑みを零した。揺れる睫毛からまた一雫流れ落ちる。目元が赤らんで見えるのは、灯に照らされたからだけではないだろう。石積みを見つめながら、濡れた瞳で寂しく微笑む。胸が苦しい。知らなかった。知りたくなかった。君がこんなに悲しく笑えるなんて。
 集中力の高まりを感じる。闇の帷にある仄かな灯りの中でさえ、表情の機微に目が届く。その青に揺蕩う、今まで見たこともないような、魅惑の、色──

「あのお酒は単に僕の罪で、君には関係なかったのに、共犯なんて、ずるいことをいってごめんね。悪いのは僕だけだったのに。君を巻き込んだ……

 刹那、雷に打たれたような衝撃が走った。

 体温が上がり、鼓動が速まる。脳が急回転し窮地を打開しようとする。あの晩、話していたあの時、彼の様子に注意を払っておかなかった過去の自分を悔やむ。この目はとんだ節穴だ。どうしてあの時に気付かなかったのか──

 彼の思考、態度、感情、行動原理は全く……自分の其れと同じではないか?

 そして彼も、自分と似た選択をしている。高潔な理性で身を引こうとする彼に、彼のためを慮って一線を引いた自分が重なる。何故その選択をするのか?そんなの決まっている。理由は一つしかない。

 自身の気持ちよりも、相手の意志を尊重しているからだ──!

(なんで分からなかったんだろう?!こんな、一途に、君……っ、君も──)

 君は縋ることもなく、祈りもせず、ただ濡れた目で虚空を見遣り、呟く。

「もう、……戻らなきゃ」


 ああ、やっぱり僕は、人の洞察が苦手だ。


 僕は結局、自分のことしか考えてなかった。
 僕自身が堪えれば済むと思って、完結してた。
 君を煩わせたくない気持ちも本当だったけれど。
 それ以上に、君自身の意思にまで考えが及ばなかったのは、想像力の欠如だ。
 僕はずっと君の偶像を見ていた……君は生身の人間だというのに。
 感性豊かで、驚くほど寛容で、信じられないくらい共感性が強くて、どんなことでも純粋に、真正面から向き合うことができる君なのに。
 僕は君をちゃんと見てなかったんだ。
 自身の心境を重ねて君は、さぞかし悲しんでいるんだろうね?
 そんな半世紀も前の情事なんか放っておけばいいのに、素直に気持ちを預けて、悼んでいる。
 僕は、そんな君を思い遣り過ぎだと感じる。
 お人好しめと呆れて嘆かずにはいられない。
 優し過ぎて、甘過ぎて、心配になって腹立たしい、だけど。
 それ以上に心惹かれて胸が痛い、辛くて狂おしくて堪らない。
 僕は、君のことを──


「諦められるのか?そんな、簡単に」


 もはや職や縁の柵はなく、戦に阻まれる不運も逃れ、身売りする困窮にもない。
 ずっと自由なはずなのに、目の前にいる大事な人に何もできず、何もせず、慰めの手すら伸ばさないなんて。
 指輪を渡した彼より、手紙を残した彼女より、他者の悲恋に哀悼できる君に比べるべくもなく、自分は、どれほど臆病者なのか!

「──ねぇ、僕が娼館にいたら君は気が乗らないの?」
「えっ」
「色々考えたって、何を?寝付けないほどのこと?」
「!!、そ、れは……
「教えてよ、リングローズ」

 君の好意は明るく爽やかで誰に対しても平等に健全だった。海賊でも原住民でも敵でさえ変わらない、どんな相手にでも憶せず心を開いていた。だから自分にも同じように、その他大勢と等しい感覚で接しているものだと考えていた。

「僕が船に戻るだけで、なんでそんなに嬉しかったの?」
「ぁ……その………、僕……っ」
「話し難い?じゃあどう思ったか教えて」
「どう、……って?」

 今思えば、そんなのは勝手な思い込みだった。君はいつだって側にいてくれたし、話もちゃんと聞いてくれていた。誰彼構わず親切にしていた君だけれど、南方大陸への夢を語り合える相手は滅多にいなかったはずだ。そう、この自分以外には。

「昨晩、お酒を見つける前はどんな気持ちだった?」
「どんなって……あんまり、よくなかった……
「そうだろうね。盗みは欲求不満の発露としてありがちだ」
「!」
「君の不満や、不快感の理由──僕、見当がつくかも」
「っ、違うよ!!」

 猫に追い詰められた鼠のように怯えている君。ごめんね、脅かす気なんて全くないのに。でも此方も一切余裕がない。

「邪魔をするつもりはなくてっ!ただ君が女の子と……違う、違うんだよ、ああ、何でだろう?僕は、凄く、色々……し、知りたくて……
「もっと知りたかったんだね、リングローズ──僕のことが、そんなに?」
「っ……でも、無理だってちゃんと解ってて……解ってるのに、僕……

 動揺が彼を饒舌にさせるのか、そうでなければこの捨て身の圧力が、彼の本心を暴くのに一役買っているのだろう。
 酒精を許し判断力を鈍らせ見落としてしまったが、あの時にちゃんと深層にあった本音を導き出し、想いを確かめ合っていれば、今、悲劇に感化され憂鬱に沈む彼など見ずに済んだのだ。 

「閨での話とか、嗜好とか……僕には知る術が……ううん、その必要もない……のに、知りたいなんて……おかしいよね?君に嫌われたくなかったから、酔い潰れて諦めたかった……けど……君が現れて、嬉しくて、そうしたら気が緩んで……

 思い返してみれば、自分も彼と同じだった。彼が娼婦に靡かなかったこと、それより自分との時間を優先してくれた事実に対し喜びがあった。そのせいで隙があったわけだし、彼もそうであるなら、お互い様というものだ。
 
「ごめん、ダンピア。こんなの、困るよね。僕、ちゃんと諦めるから──」

 震えが止まらない手を取り、両手に包み込む。極度の緊張で冷えた指先が痛ましい。緩やかに手を撫でた。此の想いが彼を温めてくれますように。
 踏み出さなければ未知は拓けない──今こそ覚悟を決める時。

「──僕なら。諦めない。諦めないよ、リングローズ」

(君を諦められない)

 宵闇の中、ランタンの灯りだけが決意を照らし出す。互いの吐息を感じる距離まで詰めても彼は、まだ当惑しているだけ。石積みを一瞥し拝借の念を送る。リングローズを此方へ引き寄せる標とさせてもらおう。

「探しに行くし、必ず見つけるし、約束を叶えてみせる」
「!、……ダンピア」

 聡明な彼は、言い回しだけで意図を理解してくれた。いつしか手の震えは止まり、潤んだ瞳が一心に此方を見つめている。落ち着きを取り戻したようだ。

「だから君も。……諦めないで。僕と一緒に行──っ、!!」

 渾身の口説き文句だったというのに、彼は最後まで言わせてくれなかった。総身を強く抱き締められ、先を越された驚きで呆然としてしまう。
 君ってそういうところがあるよね、リングローズ。建前やら見栄やらに囚われがちな常識をすっ飛ばして、本当に大事なことだけを教えてくれる。上手く伝えられないけど、多分君が想像もつかないほど、僕は君を崇敬してるよ。

「うん……うん、ダンピア。行きたい、僕も」

 涙声でそんな風に囁かれたら、何だって許したくなる。そっと抱き締め返し、なるべく穏やかに顔を上げるよう促すと、彼は紅潮した頬で嬉しそうに微笑んでいた。
 ──こんな風に、誰かを切実に想う日が来ようとは──
 束の間見つめ合う。というより、彼の歓喜に心奪われていただけだが、暫しの沈黙が、探り合いのような効果を齎したのは確かだった。次第に平静を取り戻しつつあった彼は、友人として適切な位置に身を離そうとする。しかし此方は其れを許すつもりはない。
 頬を擦り合わせ、背中を撫で、首筋に唇を触れる。身動ぎして腰が引けた彼を強く引き戻し尚も抱き竦める。

……ダンピア?」

 困惑しつつも逃げてはいかないのを認め、今しかないと悟った。

「バズ」

 ハッとして硬直した不意を突いて口付ける。怯えさせないように優しく、けれど執心が伝わるよう丹念に。咄嗟に抗う四肢を制止し、視線で懇願する。見開かれた青い双眸が狼狽に揺れ、不規則に繰り返される瞬きや、寄せる眉頭が、当然の疑問を訴えた──どうしてこんなことを?
 口吻を一層深め、胸を押し戻そうとする手ごと抱擁する。求めずにいられない。欲しくて堪らない。焦がれる想い、恋し慕う気持ち、妬心に駆られた狂気、何もかもを込めて。
 徐々に抵抗が薄れ、下がってきていた瞼が遂に閉じられる。離すつもりがないと通じたようだ。それから口吻の思惑も。素直に上気した頬が愛らしい。
 程なくして彼もぎこちないながら応えてきたので、暫し互いを堪能する。とてつもなく甘くて気持ち良い。あまりの心地良さで辛抱堪らなくなる前に渋々解放する。乱れた彼の表情で既に腰が重い。もっと貪り尽くしたい……この世は本当に知らないことでいっぱいだ。自分にこれほど苛烈な劣情があったとは。

「はあああ!もう……もう、わかってくれた?リングローズ」

 君は何だって知ることができる。他人の悲恋で泣かないでほしい。僕は此処にいる。君の一番近くで、誰よりも君の幸せを願っている人間、其れが僕だ。

「えっ?……えっと、……もっと、する?」
「そういうことじゃない!」

 するけど!!と宣言し、彼の気が変わらぬ内に再び唇を吸う。真っ赤な顔で照れつつも迷わず舌を差し出して来たので、気の迷いという線は消えてくれた。その健気さを慈しみながら、しかし、もっと先を期待してしまう。

「僕ら、相思ってことだよ」
「な……そんな、そんなこと……あるはずが……
「僕は君が売女に囲まれたら嫌だけど、君は僕がそうなっても全然平気?」
「や、それは、嫌かも」
「ほらほら」
「ええっ?でも、そ、そんな」
「僕なら手紙なんかなくたって、絶対君を忘れない」
「〜〜〜」

 敢えて手の甲に口付けを落とし、本気だと伝えると、彼も漸く観念したようだ。大人しく抱き締めさせてくれたし、委ねるように身を預けてくれて大変気分が良い。有頂天で浮かれた頭はスラゝと言い訳を並べた。

「遅くなっちゃったね。ランタンを返しに行かなきゃ。そしたら真っ暗で危ないし、今夜は宿に泊まろうか。でも僕、そんなにお金ないから、借りるの、一部屋でいいよね?」
「だったら僕も払──、!」

 人差し指で迂闊な口を塞ぐ。唇でそうしなかっただけ理性を褒められたい。

「そーゆーことじゃないってば……解るでしょ?」

 探る目線に、ランタンの照り返しで揺れる瞳の光。そこへ映り込む星の多さで、漸く私は頭上に広がる美しい星々の情景を知った。

「君はただ肯定けばいいの」

 流石に察してくれたらしい彼が返事に窮する中、双眸に映える星々に感嘆していた私は、ふと妙案を思い付いた。
 内ポケットから空壜を出す。昨夜仕舞いっぱなしにしていたもので、彼もすぐにそれがアクア・ヴィテのものだと気付いた。

「僕ら頑張ったし、ご褒美があってもいいと思うんだ。酒場の主人に追加頼んでみない?交渉は僕に任せてほしいな。相場の倍額に色付けて払えば文句なしに決まってるよ」

 茶化して伝えたのに瞬時に魂胆を察した彼は、涙腺が緩み赤らんだ顔でしがみついてくる。その様子があまりに愛しくて、聡明過ぎるのも考えものだな、なんて呑気に考え苦笑した。肩代わり、とまではいかないものの、矢張り君と共犯ではありたい。

「どうしてそこまで……?」
「だってコレ美味しかったし。それに──」

 話したいこと、聞きたいこと、知りたいこと、知ってほしいことが沢山あって、何から話せばいいのやら。大丈夫。まだ陽は落ちたばかりだし、眠気は当分来ないだろう。何の憂いもない君と過ごす初めての夜を、存分に味わうだけの時がある。それから僕の渇きを満たす時間も、たっぷりと。
 目配せし意味深に微笑んでおく。

「──夜は長いから、ね」

 君の知りたかった全てを教えてあげるよ、君以外に知る人なんていないけどね。



fin.



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