NEO
2020-05-22 00:06:49
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鬼と剣士:参(炭善)

特殊設定有り。炭治郎が鬼です。【200607了】

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【鬼と剣士:弐】▼https://privatter.net/p/2660911





 足の怪我がすっかり治った数日後。
 元々任務が目的で身軽だった俺と、少ない身の回りの物を片付けた炭治郎は、旅支度を整えて雲の多い日を選んで出立した。鬼は、陽に当たると焼けて死んでしまう。それを俺は識っていたが、炭治郎は隠したがっているようだったので敢えて聞かずにただ夕暮れに下山しようと誘った。俺は、夜出歩くのに慣れているし、山育ちのお前なら道に迷うこともないだろう、一刻も早く里に降りたいし、炭治郎が嫌でなければ今からでもすぐ出ない?と。炭治郎はあからさまに安堵した様子で頷いた。そして今に至る。
 分厚い雲間から月明かりが時折夜道を明るく照らす。それ以外は真っ暗で、俺一人とチュン太郎だけだったら間違いなく死んでいたと思う。恐怖で。不安で。辛すぎて。でも今は違う。先導する炭治郎の足元が覚束なくなることはない。

 迷わず突き進むお前は分かっているのかな?お前を待ち受けているものは決して安楽ではないだろうってこと。一体どれだけの人がお前を分かってくれるだろう。家族、友達、里の人々。隊律違反で俺は殺されるかもしれないな。怖い。不安でならない。

 お前が傷付いた時、慰めてやれなくなったら───

 里へはできるだけ目立たないように入りたい。忍のようにひっそりと人波へ混じり、猫のようにいつの間にか出ていこう。そんな意気地なしを悟ったのか、鼻が利く炭治郎がゆるりと振り返る。柔らかな声でさぁ、と差し伸ばされた手。戸惑いながらもそっと自身の手のひらを重ねた。暖かい音。優しい響き。涙。温い。俺は此の感覚を知っている、ずっと。求めていたから。多分、お前も。

 同じはずだと、俺は、信じている。





「見ろ!」
「でかくなったぞ!」
「ば、化物だ!」
「鬼だ、妖だ!殺せ!!殺せ!!!」

 恐慌に陥る里人たちを躱し、失血で蒼白な顔をする彼を抱えて振り切るように包囲を脱する。村を抜け遁走する間、一度も後ろを振り返りはしない。いつからだ。いつから。血が止まらない。深く噛まれたらしい。あの犬は加減をしなかった。何故だ?彼は鬼じゃない。分かってる。俺のせいだ。俺の匂いが犬を刺激し獰猛にした。人じゃないから。鬼だから。声を掛けるが返事がない。彼は気を失ってしまったようだ。早く手当をしなくては。里を離れひた走る。あれだけ焦がれたはずの人里だが、今や全く未練がない。きっともう此処へは戻れないのに。いや戻れたとしても俺は選ばない。彼を傷付けた人の元へどうして帰りたいなどと思えよう?彼らの過ちを俺は許せない。どうして間違ったりするんだ。悪いのは俺、俺だけだ。彼は真っ当な人間でなんの罪もない、寧ろ鬼を庇って犬に噛まれるような、心優しく強い男だというのに………嗚呼。
 体が熱い。骨が軋む。大きな体は扱いが難しい。今まで容易く通れた木立の間が狭くて身を竦めながら進んでいく。いつからだ。失くしたくなかったはずの思い、人への執着、そういったものが気付かぬ内に薄れていた。鬼は恐ろしい。俺への誹謗は覚悟していたことで、見つかって苛まれても怖れられてもきっと乗り越えてみせようという心積もりがあった。だけど。けれど。なぜ俺ではなく彼が。責められる謂れなどない。解せない。どうしても。憤りが身を灼く。戻るものか、あんな所。彼を傷つけるものは何であろうと許さない。

 山の洞穴を見つけ落ち着くと、背嚢から医療道具を探し出し手当を施す。息を止め一気に処置を終えると、弾かれるように距離を取った。芳醇な血の匂い。こんなに馨しい匂いは嗅いだことがない。本能的に鬼の性が【彼】を欲していると察す。もう近付けない、これ以上は。早く気が付いて、目を覚まして、その身を自身で守ってくれ、頼む、どうか。

 あんなに人里へ降りるのを楽しみにしていたのに、散々だ。鬼と人の区別がつかない大衆は、異質なものをすべて排除する。家畜は怯え、番犬は凶暴化し、鬼の存在を疎んじた。野生動物には気取られたことなどなかったのに、人と暮らす獣たちの拒否反応は尋常でなかった。人を……守っているのだろう、彼らも。脅かす鬼の存在を……人々のために、声を上げ、態度と行為で危険を報せたのだ。俺にその意思がなかったとしても。
 彼が村へ入るのを渋っていたのはこのせいか。分かってみれば至極当然の成り行きだ。鬼を許すものなどいない。意外なのは人里を離れたことで安心している自分の心境だ。確かに人に会いたくて、望んで山から麓まで来たはずだったのに。
 俺は、誰も彼もどうでもよくなってしまったのか?戻りたいのではなかったか。人の身体へ。帰りたかったのではなかったか。人の世へ………彼はまだ、目覚めない。

「後生だ……、善逸」

 怯えている。失うのではないかと。また?俺は独りになるのか?鬼になった日、独りを選んだのは俺が俺自身を恐れたからだ。信じられなくて。妹を襲い、家族を脅かし、そんな……俺の大事な家族にそんなことをする奴は、生かしておけないと心から思った。昔、父さんが家族に危害を及ぼそうとした熊を狩り取ったように俺も、家族を守らねばならない、と。

 俺は、そうだ、俺は殺そうとした、俺を、俺自身を。磐に頭を打ち付け、崖から飛び降り、滝壺へと身を投じた。毒草を食らい、毒虫に身体中を咬ませ、最後には短刀で腹を抉ったのだ。けれど──毒は効かず、傷はたちまち治り、むしろ耐性が強まった身体が頑強に変わる有様だった。鬼は死なない。ただ日の光だけが俺を焼いてくれる……自らを樹木に縛り付け、日照での自死を試みた。しかし、いつだって、夜になれば目覚めてしまう。焼けた肌が盛り上がり、綺麗に治ってゆく様を見続けることとなったのだ。俺が死ぬことはなかった。知らぬ間に死ぬことが出来なくなっていた。

(本当に願ったのか、俺は、人恋しさのあまりこんな──)

 善逸の刀に覚える畏怖は、日輪に感じるものと酷く近しい。もしかしたら、あの刀には日輪と同じような力が宿っているのではないだろうか?……此の刀であれば、出来るのではないか?叶うのではないか。そうして叶えてくれる人こそ正しく、我妻善逸、お前なんじゃないか?
 幾度となく機会はあった。出会った時、療養の間、旅支度を整えた期間、下山の途中でも、村への道程にでも、幾らだって機会は転がっていたのだ。でも……少しづつ。お前との健やかな明るい日々で、何かが変わっていった。望むことが増えていき、叶えてくれるお前がいた。明かすことができなかったのは、赤の他人といえど、お前にとって俺が、ただの人で在れたから。いつか、そうではないと暴かれる日が必ずやってくる。だけど今は対等だ。それなら、その日までは、このままでもいいんじゃないか?どうせいつかは解ってしまう。その時まではこのままで……漸くこの手に触れた、お前の優しさが惜しい。鬼の手に触れてくれた慈しみや、温もりを、どうしても離し難い。飢えていた。欲しがった。本当は、本当にお前が大事なら、すぐにでも警告しなければならなかったのに。

 俺の理性が保たれている内はいい、そうでなければ、その時は……お前に襲い掛かるだろう。善逸、迷うな、その時は。構わないから躊躇わずに斬ってくれ、お前ならきっと叶えてくれるだろう。信じている。ごめん、善逸。お前なら、その優しい手を穢してでも必ず果たすと、信じてしまうんだ、俺は。
 初めから期待があったのは否めない。だけどそれを頼むには、俺はもう、飢え過ぎていて。手放せなかった。諦めきれなかった。そのせいで善逸が代わりに傷付くなんて思わなかった──思慮を欠いた俺の驕りだ。なんと不甲斐ない木偶な俺。

(善逸を喪って正気でいられるか?人が、恋しいなどと……

 人?人だろうか?善逸を傷付けた彼等を思って恋しくなるだろうか、俺は?人は……時として、恐ろしく非情になれる。彼等自身、或いは家族や大切な友に被害が及ぶような事態になれば、人は彼らの絆でもって確固たる結束を明示する。俺が……責められるのは仕方ない、鬼だから。でも彼は違う。彼は人だ。善逸を傷付けた人たちを思うなんて無理だ。俺にはできない。でも……俺がいなければ。善逸だけなら、彼等も優しかったろう、きっと……鬼がいたから変わってしまったが、本来は平穏に生きている人々であるはずなんだから。
 ……腸が煮え滾る。落ち着かない。血の気は引かず頭の芯だけが冷えてゆく。許せない、許さない。善逸、生きてくれ。

 俺を本物の鬼にしないで。



 ゆっくりと、浮上する意識。不安、焦燥、激情、悲哀、気が狂わんばかりに荒れる音、それからほんの少しの──!、驚いて、重い目蓋を持ち上げた。炭治郎から聞こえる興奮の音。顔を向ければ暗がりで両眼を爛々と輝かせ、涎を垂らしながらも必死に己を律している、飢餓状態の鬼の姿があった。血に反応したのか、姿が変化してしまっている。
 背を丸めて蹲っているが、六、七寸は丈が伸びていそうだし、同じように髪も腰まで伸びている。胸板は厚く、四肢の筋が増え、身体付きもしっかりとした成人そのものだ。それにあの牙と爪鬼自前の武器の鋭さは折り紙付きだ。
 と、走った痛みに顔を顰める。怪我は脚だったが、既に包帯がきっちり巻かれているところを見ると、応急処置は炭治郎が済ませてくれたらしい。興奮状態でよくぞ……鬼の目先から傷を覆い隠すように身を起こした。音が一際騒いでいる。が、自我は保っているようで、一向に距離を詰めては来ない。

(あんまり動揺してねぇな……箍が外れるかと思ったけど)

 もっと血に飢えて伸し掛かるくらいはされると思っていた。なんなら舐めたり、傷を広げて啜るくらいされるのでは、などと考えたこともあった。長く共にある限りいつか有り得るかもしれない可能性として常に意識していたのだ。そうされても大丈夫だと信じられたから構わなかった。それともう一つ……炭治郎は他の鬼と違うもしれないという期待があって。
 鬼ではあっても炭治郎の音は、人食い鬼のそれとはまるで違う。澄んだ鐘の音に似た、濁りのない響き、ずっと聴いていたくなるような、優しい旋律、心地の好い音。

 絶好の機会を目の前にしても炭治郎は牙一本触れなかった。むしろ離れていってしまった……俺の思惑とは裏腹に。不意におかしくなって笑った。まるで逆ではないか?血を源とする鬼の炭治郎がそれを忌避して、鬼を狩るべき剣士である俺の方がそれを与えてやりたいと感じているなんて。

 炭治郎は人を喰わないだろうと信じている。今だって彼の手に付いた血は俺の手当のためだろうと信じられる。鋭い牙にも赤い唇にも、鮮血の色は認められない。けれど炭治郎は鬼だから、欲しているはずなのだ、本能が──

(試そうぜ、炭治郎。お前なら必ずやり遂げるよ)

 殺さず、塵にならず、人と共生できる、初めての鬼に。
 俺の命とお前の魂を賭けて新たな路を切り拓ければ──

(安いもんだ、俺の血なんてさ!)

 近付こうと身動ぐと、低い唸りが牽制した。炭治郎は忙しなく、懐から巾着を引っ張り出す。長い時間をかけて紐を解き、中から黒っぽい何かを一粒つまんだ。と、震える指先は粒を取り零し、それは、ころろろっ、と勢いよく此方まで転がってきた。思わず手を伸ばし捕まえる。は、と短い息の音。闇を仰ぐと炭治郎が熱を浮かせた瞳でじっと俺を見ていた。
 拾い上げた粒は小指の爪程度の大きさで、硬く、ややざらついた表面をしている。よく見ると黒というより赤黒い色味をしていて、特に香りが強いわけでもなく、一体何なのか分からない。木の実か、種だろうか?それとも薬?
 俺が検分するのを炭治郎は止めなかった。呼吸と脈拍が早まってきていたので、単に喋る余裕がなかっただけかもしれない。また苦しそうな吐息。ちらと見遣った炭治郎は舌を覗かせ、渇いたかのように喉を鳴らした。そうか、これは──

「やめろっ!!」

 ちろ、とひと舐めした所で漸く制止の声が響く。善逸は大人しく従い、手渡そうと身体を傾けた。すると炭治郎がより一層距離を取ろうと狭い穴の中で身を縮こまらせる。思案した末、仕方なく粒を暗がりへ放り投げた。夜目の利く鬼なら逃しはしないだろう。炭治郎は宙で掴んだ粒に逡巡したものの、そのまま口に含むとゴクリと飲み込み、潤んだ目で此方を睨みつけた。
不味かったろう?水を探して来るから、待っててくれ」
 返事も待たず外へ出た炭治郎の、複雑な音に聞き耳立てながら胸をなでおろす。よかった。あの粒がどういう代物かは知らないけれど、折を見て教えて貰おう。俺の選択は間違っていなかった。炭治郎はちゃんと策を講じている。鬼であることを忘れないでいる……“人”のために。

 舌先に残る金気を帯びた味わいが、善逸には嬉しかった。






200607 参、了