栗花落カナヲは蟲柱胡蝶しのぶの継子だ。かなり幼い頃から一途に師事しているらしく、その実力も相当で、全集中の呼吸覚えたばかりの俺よりはるか高みから技を繰り出している。基本的に群れることのない孤高の鬼など、彼女ひとりで十二分に片がつく。実力者の術を見ることも修行の一環だからと共闘を願い出たのは、あながち虚偽ばかりではなかった。
「もう、終わり?」
「──あぁ、鬼の匂いは消えたよ。カナヲ…その、怪我は?」
「ない。炭治郎こそ、早く手当を」
安全を確かめると、カナヲは刀を払って鞘に収めた。怪我どころか衣服の乱れすら見当たらない。毅然とした態度で隠の人たちに後始末の指示を出す彼女は柱と何ら遜色ない風格だ。同じ頃藤襲山の試練を受けた同士だというのに、彼女の方がずっと立派だ。俺も頑張らなくては……素直に打ち身の手当を施されながら、竈門炭治郎は、切実にそう思うのだった。
いつだったか、初めて共同任務に就いた時はこうではなかった。その頃のカナヲは酷く取り乱していて、まともに会話すらできる状況ではなかった。大振りな伊之助と共闘した時だってある程度は歩調を合わせ協力して任務をこなせたというのに、カナヲは、俺を避けたり離れたり近付くことを躊躇って、無闇に刀を振り回していたように思う。あれは本当に危なかった…何度急所を斬られかけたことか。カナヲの刃は死角に舞う。その軌道を読むことは難しく、ごく間近に迫った切っ先を反射的に避けるまで、刀だと気付けないことも多かった。
あの頃の俺は、彼女の刃から逃げるのに必死で、碌に助太刀することも出来ず鬼狩りの役には立っていなかった。彼女からすれば足手まといでしかなかっただろう。にも関わらずカナヲは幾度も俺の任務に同行した。未熟な俺を危ぶんでの行動かと申し訳なく思っていたが、幾度めかの共同任務を終えた日、彼女は初めてその真意を明かしてくれたのだ。
「た、炭治郎……あの、私…わた、…あお…が、っすき!!!」
「そうか、カナヲは青色が好きなのか」
「?! 違う!!あおい!アオイ!!炭治郎!アオイ!!」
「え?青い俺?俺は青くはないと思うけど、」
「〜〜〜ばか!!!もう!!炭治郎のばか!!!!」
「???」
この時の混乱を思い出すとつい苦笑が溢れてしまう。だって分からないだろう、あんな物云いでは。まさかアオイさんの話をしたかっただなんて、思いもよらない。興奮したカナヲを宥めるのは、撫でてやれなくて怒り出した禰豆子を宥めすかすより余程難しかった。彼女は、ずっと俺と話したかったのだそうだ。彼女に伝えた「カナヲは心のままに生きる!」という俺の言葉が、彼女にとって、気持ちを動かす切っ掛けになったらしい。なかゝ話し出す機会を掴めなくてやきもきしたそうだが、俺に御礼を告げる彼女は穏やかな微笑を称えていた。
「ずっと想いたかった…それが、分かったの。ありがとう」
俺は、銅貨に頼っていたはずのカナヲが、今や自分の意思で気持ちを話してくれたのが嬉しくて舞い上がった。帰路の道中、彼女は、まだぎこちない口調で、でも精一杯自分のことを話してくれた。
昔家族に怯えて心を止めたこと。カナエさんやしのぶさんに親身にされて少しづつ気持ちが緩やかになってきたこと。それから俺に励まされて目が覚めたような気がした、と。心のままに、そうしたら、まるで世界が違ったように見えてきて──
見たでしょう、と、カナヲは夢現に俺の記憶を促した。
「攫われそうだったアオイが……呼んだのは、私だった……」
人が、救いを求める時、口にするのは誰だろう。親兄弟、恩師や先輩、友人たち──愛しい人。
「アオイは。アオイだけは、違うの。特別で。師範や私みたいに刀を振らなくても、沢山の人を助けてる……医術にも長けて、薬にも詳しくて、作るごはんも美味しいし、本当に、本当に凄い。いつでも綺麗で、強くて、優しくて……私……私は、どうやってもアオイに敵わない……ううん、それは、今までの私。私は変わりたい。アオイの隣に立ちたい。炭治郎が教えてくれた。私でも変われるって。心のままに生きていけるって」
カナヲが俺を見る。その双眼が真っ直ぐ、見透かすものは、何だったろうか。強く、眩しく、揺るぎない瞳で、俺の鼻のように、伊之助の肌のように、彼女が感じ取るものは一体何だというのだろう?俺は動揺した。まだちっとも準備ができていない。動悸が速まる。待ってくれ、見ないでくれ、不甲斐ない俺はまだ、気持ちが追いつけなくて、居た堪れない。
「……カナエ姉さんや、しのぶ姉さんほど強くはなれないかもしれない。アオイみたいに皆を元気にさせることも、できないかもしれない。でも、アオイが……笑ってくれるなら。アオイが私を呼んでくれるなら、何だってできる。私だって頑張れる──彼女が誇れる私でいたいから」
彼女が目覚めて己の心に見い出したものは、きっと、目が眩むような大切な想いだった。それを俺に伝えてくれたのは、多分、俺が細やかな切っ掛けだったからと、それから──
「炭治郎、私……貴方なら、分かると……私と同じ……違う?」
──彼が、
「違わないでしょう、炭治郎……聞いて、貴方の、心の声を」
──変わらない、その、一生懸命さが好ましかった。
妹へ見せる誠意。なんだかんだと口では云いながらも弛まぬ鍛錬。伊之助への励ましとか、俺はサボる!と出掛けた先が隠たちの手伝いをすることだったり、単独任務後に度々土産を携えて療養中の患者たちを労っていたりして。流石に盗み食いはどうかと思うが、半分割った饅頭を差し出して内緒な!などと戯けた調子で誘われてしまえば、文句を云うより先に頬が緩んでしまう。
いつだって彼は優しくて強くて人の気持ちを思いやれる、いい奴だ。彼の信頼に与ることが何ものにも変えがたい心地好さで幸せだ。ずっと共に在りたいと思う。側にいて欲しいと願う。こんな俺の気持ちを彼はどう思うだろう。一緒にいてほしい。俺の望みを叶えてくれないだろうか──あぁ、伝えたい。
「俺は………」
俺たちに許された物事は多くない。鬼狩りをする俺たちは命の選択さえままならない。加えて禰豆子のこともある。俺の願いは叶わないかもしれない、けれど、彼に何か──俺の気持ちを、僅かでも残すことは出来るんじゃないだろうか?俺の代わりに、俺の気持ちを、持っていってくれるんじゃないだろうか、彼なら──どうしたらこの気持ちを違えず、余さず、彼に伝えることができるだろうか?
自分の気持ちを認めるのは難しい。知られ嫌われたらと思うと身が竦む。けれど確かに此処に想いがある。俺の胸の内に、日輪の如く煌々と輝いている。認めてしまえば焼かれ、潤いを、彼の存在を追い求めてやまない。まだ。まだ。熱くて苦しい。気付いてほしい。少しでも残れば。残ってくれたら。彼の裡に。俺の想いが。日輪のように眩しいほどに──
「………俺は、善逸を、呼んでしまうな……」
漸く観念した俺に、カナヲが、ふ、と優しく微笑んだ。まるではじめからこうなると全て知っていたかのように。
彼女は俺を道連れに、幾度も任務を共にしては、想い人の心を手繰り寄せる算段を始めた。強い。俺は逆らうことが出来ない──否、違うな。俺には逆らう必要がない。日照りはずっと続いている。今しも豊かに称えているであろう彼の涙が、俺に降り注いでくれなければ、俺はもう、渇いて飢えて堪らないのだ。
了
20190921_NEO@20neo14
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.