NEO
2017-10-18 01:15:15
20168文字
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縢り灯

原作忠実に目指す炭善。他、色々混ざってます。語り部は善逸。ぷろぽぉずまで。二万字超。

縢り灯【かがりび】
~紲が解れないよう、想いをからげて縫う灯り。造語。~

◆炭治郎

竈門炭治郎という男がいる。気が優しくて力持ち、長男気質だから面倒見もよくて頑張り屋、ちょっと頭の固いところがあって、落ち込んだり悲しんだりすることもあるけど、全然へこたれない偉い奴だ。
とてつもなく美人の妹がいて、名を禰豆子ちゃんという。訳あって喋ることも儘ならない有り様だが兄妹の仲は良く、互いを思い合い、よく助けている。羨ましいくらいの家族愛だ。たった二人生き残った家族だから、絆もより深いのだろう。
炭治郎は禰豆子ちゃんをとても大事にしている。彼女のために生きているといっても過言ではない。かといって悲壮な厭世感に染まることはなく、妹のために頑張るのが自然であり、責務であり、それが嬉しいから、そうしている。誰かのために頑張るのが当たり前。そして相手が助かったり、喜んでくれたりすれば、それが幸せなのだ。竈門炭治郎は、そういう男だった。
そんなわけで炭治郎は大変人気者だった。誰彼構わず優しくしてやるので、誰からも満遍なく好かれている。ただ真剣になる人は居ないようだ。なぜなら炭治郎が想いに応えることが決してなかったから。炭治郎は皆に平等に優しかった。誰にでも労を厭わず尽くしてやった。一人だけを特別扱いすることがあり得なかった。炭治郎の胸中を知りたがった子たちは、悉く肩透かしを喰らい、苦笑いしながら去っていく。曰く、『いい人なんだけどねぇ』と。

◆伊之助

「恋を知らんのだろうな」
秋桜の群生を眺めながら吟味する。一輪だけ、と思ってから、そういえば今は炭治郎が居ないのだったと思い出す。彼が妹と離れることはない。それは少し厄介で、酷く羨ましいことでもある。
「人生を損してるヤツだよ」
さっぱり涼やかな秋晴れだ。洗濯物がよく乾きそう。そうだ、アオイちゃんたちに、秋を届けてあげよう。行き掛けに通った栗林、帰りも通るしね。
「何れ変わるだろうけどさぁ
「シラネーヨ」
いやなんで片言なんだよお前もう回復してんじゃろがい、と思ったが、伊之助にはこの手の話題は縁がなかったか。顔だけ見れば花形かと見紛うばかりの美麗な造りだが、如何せん中身が伴わない。粗野で、喧嘩っ早くて、暴れん坊。剣の腕なら炭治郎に匹敵するけど、負けん気が人一倍強くてことある毎にあらゆる方面につっかかっていく。女の子を踏みつけたこともあるらしい。度し難い。コイツも損してると思うけど、教えてやったところでがなり返されるだけなので黙っておいた。
「なぁ、帰りに栗拾いしていかない?お前もさ、恋は知らんだろうけど、栗なら知ってるだろ」
「!……それは俺が先に考え付いてたけどな、いいぜ。そうと決まりゃ、さっさと戻るぞっ」
「え?!休まないの?待てよ、伊之助━━ッ」
即刻休息を終えて駆け出した猪頭を追って、慌てて立ち上がった。伊之助は山に強い。行きとは違って鬱蒼と生い茂る獣道を、平地のように走り抜けて行く。コイツ、勝手に帰路を変えやがった。猪頭が機敏に動き、方角を定め、あっという間に目的地へ辿り着いた。着いてみれば、行きの半分の時間で戻って来れていた。
伊之助には炭治郎のように隠れた栗を特定できる嗅覚はないはずだが、迷わず落葉の布団をザクゝ掻き分け、目敏く大きな毬栗を見つけている。野生の勘でも働くのだろうか?伊之助のこうした能力に、時々、素直に驚いてしまう。大きな栗や甘い栗を見つけるのが上手そうだ。それも至極容易くやってのけるだろう。
「俺の方がいっぱい取るからな!!」
へへんと鼻を鳴らす姿は本物の猪並みだし、実際拾った栗はツヤツヤ光る綺麗な粒揃いで、野生児ここに極まれり、といったところだ。半ば呆れつつ脱いだ羽織を風呂敷代わりに収穫を包む。沢山拾えたから、栗飯でもいいかも知れない。蝶屋敷の長であるしのぶさんにお願いしてみよう。カナヲちゃんも喜んでくれるかな?あまり笑ってくれないけど、音に感情は含まれてるし、炭治郎と一緒なら━━と考えて、また、はたと気付く。そうだ、今日彼は居ないのだ。
今、炭治郎はあの髪がサラッツヤな人(確か村田さんだったっけ?)と任務に出ている。三日前に出掛ける際、二週間は留守にすると云っていた。まだ帰還までに十日ほどもある。
その間、俺と伊之助には蟲柱しのぶさんから全集中・常中の精度増強訓練が課されていた。これ、地味な反復練習だけなので辛い。千回できたものを次二千回ね、と増していくだけなので成果も見えないし、本当にしんどい。舐めんじゃねぇ!とか指図すんな!とか喚きつつもちゃんとこなしてる伊之助は存外真面目じゃね?と思う。しのぶさんの乗せ方が巧いのかもしれんけど。
俺は、炭治郎たちがいないとやる気が半減する。励ましてくれる人がいない。可愛い娘の顔が見られない。伊之助みたいに我武者羅にもなれんし。炭治郎もだけど……伊之助と二人、彼らは煉獄さんの死に際に立ち会って変わった。より一層鍛練への真剣味が増し、やりすぎじゃない?ってところまで挑んでいく。俺まで引き摺られてやらなきゃならんくて、でも俺はどうしても納得できなくて、訓練に身が入らない。確かに煉獄さんとのお別れは悲しかったけど、この仕事やってたら仕方ないことだ。誰だって死と隣り合わせだ。次こそ俺の命日となるかもしれない。上弦なんかに出会ったら死ぬわ。煉獄さんだって敵わなかったのに俺なんて太刀打ちできんよ。
怯える俺を余所に炭治郎たちは駆けていく。必死に追い縋るけど、いつ置き去りにされてもおかしくない。那田蜘蛛山での件、俺は忘れてねぇからな。
意気揚々と帰途に就く伊之助の背後に、息を切らしてついていく。まだ日は高い。けれど此れが夜の任務なら。もっと深くて危険な山中であれば。彼の背を見失ったら死んでしまう。ついていけなければ置き去りにされる。見限られたら━━終わりだ。
「これ、取っとけ」
屋敷に着いたので息を整えていると、伊之助が大粒の栗を見繕って俺の手に寄越した。まだ到底話せる状態にない俺は視線だけで何?と問いかける。伊之助はぶっきらぼうに鼻を鳴らす。
「やる。お前の分だ」
気圧されて思わず受け取ると、伊之助は満足げに笑いまた山の方へ駆けて行った。なんだろう?ご褒美?俺の分……俺の分だ、と、伊之助は云った。羽織に包んだものは丸ごと台所に預けるつもりでいる。結局食べるのは俺たちだし、伊之助も先からそのつもりだろうと決め付けていた。でも違ったのか。伊之助は初めから、“俺の分”を、探してくれていた……
呼吸は整ったのに、別の意味で胸が苦しい。恋の“こ”の字も知らんくせに、人の心を不用意に突っつくんじゃないよ、ばか。驚きすぎてお礼も云えなかったじゃないの。炭治郎だったら上手に御礼をいってお前を喜ばせてやれただろうに。
即席の風呂敷包みを抱え直し、すみちゃんたちが働いているであろう炊事場へ向かう。熱くなる頬を冷ましながら、“俺の分“を握り締める。とても美味しそうなんだけど……ごめんね。これは渡さず、懐に隠しておこうと密かに決めた。

◆義勇

俺たちが世話になっている蝶屋敷は、鬼殺隊の医療関連を一手に担っているという。主であり、蟲柱でもある胡蝶しのぶさんは、優秀な医者と可憐な剣士の二面性を持ち合わせている。俺の見立てでは、しのぶさんは医者というより薬師に近い気がしていた。治療に用いられるのは専ら苦い薬湯だったし、その日輪刀にも、しのぶさんが直々に作った特殊な毒薬が仕込んであるという話だった。
その日、蜘蛛毒の経過観察で医務室に呼ばれた俺は、しのぶさんが珍しく荒げた声を出していたので脊髄反射で柱の影に身を潜めた。呼吸音が、二つ。そうっと中を窺うと、しのぶさんは誰かに対し一方的に怒っているようだ。怒られている相手は此方に背を向けていて顔がわからない。伸びっぱなしであろう長い髪を無造作に結わえ、左右半身で柄の違う羽織を着ている。日輪刀の鞘が裾から見えているからには、剣士とみて間違いない。でも聞いたことのない音。会ったことのない人だ。温厚なしのぶさんをこんなに怒らせるなんて、一体どんな奴なんだろう?
そして俺は帰っていいかな……と悩み始めたところで、中から呼び掛けられてしまった。
「善逸君、そんなところにいないで入って来てください。冨岡さん、邪魔ですよ。お話しした通り、出来ないならとっとと帰ってくださいね」
舌鋒鋭く発せられた言葉は、俺より冨岡さんへ向けられたものらしい。冨岡……冨岡義勇さん。那田蜘蛛山で炭治郎たちを助けてくれた柱だ。水柱って、炭治郎のお師匠さんと同門だよね?つまり炭治郎の兄弟子に当たるのか……怖い。見たところ健康そうだけど、持病でもあるんですか?診療が済んだなら、早く帰ってくれませんかね……
その男の人はくるりと振り返って俺を睨み付けた。ひぃ。視線で殺されそう!切れ長の黒い眼が渋い表情で何かを訴えかけている。すみません、分かりません。貴方を怒らせるつもりは毛頭ありませんけど、しのぶさんに叱られるのはもっと嫌なんです……。冨岡さんが席を空けたので、震える足で身を縮こまらせながらしのぶさんの前へ着席する。ピリリと張り詰めた空気の中問診が始まったが、冨岡さんはその場に突っ立ったまま帰ろうとしなかった。居心地最悪。その内、どうも自分が終わるのを待っているらしいと気付いた。もしかしてしのぶさんと話し合いたいの?俺、お邪魔?なるほど、そういうことか……なんだ、犬も食わないあれだったのか。そうと知ったら一刻も早くこの場から去りたい。しのぶさんのような美人にお相手が居ないわけありませんでしたねははは!心底知りたくなかったわ!!もう泣くよ俺。雑音が煩い。
「少し面倒な人ですけれど、許してあげてくださいね。善逸君なら無下にはしないと分かっていますが……本当に面倒なんですよ」
こっそり溜息混じりに耳打ちされた囁きが冨岡さんを庇う内容だったので、診察を終える頃には俺まで敵意を滾らせていた。しのぶさんを困らせるような奴は、しのぶさんにこてんぱんにやられてしまえ。炭治郎を見習って礼儀正しくしのぶさんに一礼し、冨岡さんのことはキッと睨んで退室する。彼は相変わらず渋い顔だったが、しのぶさんは幾分怒りが薄れたようで「お大事に」とにこやかに俺たちを見送ってくれた。
ピシャリ、閉じられた扉の彼方と此方。
そう、俺たちは見送られてしまった。なぜ、しのぶさんじゃなく俺の隣に冨岡さんが立ってるの?状況が飲み込めない俺の声が不信感で低くなってしまったのは至極当然のことだと思う。
「俺はしのぶさんじゃありませんけど」
「見ればわかる」
「謝らなくていいんですか?」
……
痛いところを突いたのか、冨岡さんは黙りこくってしまった。俺が邪魔なのかと扉の前から退いてみせても動かない。埒が明かないので放っておいて戻ろうと歩き出したら、何故か数歩遅れて尾けてくる。何?これどーゆーことなの?先刻から変な雑音が煩くて巧く頭が働かない。俺に用があるっての?しのぶさんの機嫌なんか取れませんよ?そんな方法あったらとっくに俺は、盗み食いの度にお説教を喰らったりしてませんから!
「お前は、知己だろう……あいつの」
いい加減堪えかねて問い詰めようとした矢先、ぼそりと先手を打たれた。あいつ?誰よ?しのぶさん?さっきアンタ見てたじゃないですか何いってんの?一瞬混乱して首を捻ると、冨岡さんは仏頂面のまま炭治郎の名を重ねた。あぁ、其方かと心得て肯定くと、彼は僅かに目元を緩ませる。雑音が小さくなって、恐らく彼は……彼なりに、微笑んだようだった。
……馳走になった」
それだけ云うと軽く頷いて、踵を返し去っていく。スゥ、と波が引くように雑音が消えて行った。後には静かな、波紋ひとつない水面のように静寂を湛えた冨岡さんの心音があった。
不意に、先日の栗は握り飯として他の剣士たちにもお配りできました、と喜ぶなほちゃんたちの弾んだ声を思い出した。すると、冨岡さんはその剣士たちのひとりだったのだろうか。もう三日も前のことなのに、御礼を云いに来てくれたの?あんなに緊張しながら?なんというか……全く。柱なのに、物凄く不器用な人だなぁ。
「出来たじゃないの」
しのぶさんご立腹の原因に思い当たった。要は、謝意は自分の口で伝えろとか、そーゆー話だったのだろう。子どもの躾かよ?あんな柱もいるんだな……急に柱を身近に感じて緊張が解ける。
炎柱煉獄杏寿郎さんの圧倒的な力で、俺たち二百余名の命は守られた。俺が実際に話した時間は僅かだが、共闘した炭治郎や伊之助から漏れ聞く言葉の端々からは、煉獄さんへの強い崇敬の念が伝わってきて。あの、短時間の戦いで、煉獄さんの存在は彼らの魂にしっかり刻み付けられていた。彼らにとっては、いち柱以上の存在に昇華されている━━最期を知らない俺を独り、置き去りにしたままで。
柱とは、人智を超えた畏れ多い存在なのだと思いかけていた。でも、冨岡さんを見る限りそうでもないようだ。柱でも、俺たちと同じように、躊躇ったり、戸惑ったり、人ならではの音がする。
炭治郎が恩人と慕うだけあって、本当は口下手なだけで親切な人なのかも。伊之助が云う通り凄く強くて厳しくて……じいちゃんみたいに、優しい人なのかもしれない。同門である炭治郎ならまだしも、彼にくっついてるだけの、俺のことまで気に掛けてくれるなんて━━
後でちゃんとしのぶさんに報せておこう。しかと礼を受け取ったこと。冨岡さんの名誉がこれ以上、傷付かなくて済むように。

◆カナヲ

栗の花が落ちる、と書いて『つゆり』と読む、と聞いて、美しい響きだなぁと思った。カナヲちゃん本人から話してもらえれば感動も一入だったろうけど、彼女はあまり多弁な方ではなく、名前ひとつとっても炭治郎が間にいなければ、知ることは難しかっただろう。
彼女は、炭治郎には心を開いているらしい。いつも頑なに規則正しい彼女の音は、炭治郎が側に居ると途端に早まったり緩まったり、微かだけれど忙しない変化をする。そんな些細な違いが分かるのは俺だけで、恐らくカナヲちゃん自身も気付けていない。もどかしい。こんな時、炭治郎がもっと世間を知っていればとやきもきする。端から見てる俺の方が気を揉まなきゃならんっておかしいだろ。炭治郎は俺をみて「善逸、具合が悪いのか?」なんて呑気に心配し出す始末だし。お前が優しいのは知ってるよ?でもそうじゃねぇって!俺なんかどーでもいいんだよ、見る方向が間違ってる。頼むからカナヲちゃんまで案じて覗き込むのはやめて居た堪れないよ?!
そんなこんなで彼女については炭治郎やしのぶさんたちから又聞きした知識しかないけれど、継子として才能ある剣士だということだ。言葉少ななのは元々らしい。嫌われているわけじゃないと知れて胸を撫で下ろす。そんな俺に、心の声が小さいんだ、と教えてくれたのは炭治郎だ。「きちんと話せば伝わるよ。優しい善逸が嫌われるはずないから大丈夫だ」邪な気持ちでなければな!と余計な一言を足しやがったせいで台無しだったが、振り返れば中々的を射た助言だった。炭治郎と一緒に何度も話し掛けたお蔭で、炭治郎のおまけ、くらいには認識して貰えている。
この間、カナヲちゃんと膳を共にしたアオイちゃんから礼を云われた。「珍しく、カナヲが喜んでいました。栗が美味しかったみたい。ありがとうございます」その時に気付いたのは、彼女がカナヲちゃんを大切に思っている音。それはまるで俺が……炭治郎を思う時のような、音。
時折、アオイちゃんは遠くから炭治郎を見つめている。仕事の合間に、ふとした瞬間に、自分でも意識せず、なんとはなしに目で追い掛けている、といった風に。彼女は自分を誤魔化すのが巧い。自分を思い込ませたり、偽らせたり、そうやって本当の音を変えようと試みる。自分の音が気に入らなくて、諦めたり、気付かない振りをしている……分からんでもない。人は、迷うもの。俺なんか迷ったことしかない。炭治郎や伊之助だって迷うことがある。煉獄さんみたいにまっすぐ走り切れる人なんて稀だ。でもカナヲちゃんの音は、煉獄さんに近い。アオイちゃんは案じて、炭治郎に救いを求めているのではないだろうか。炭治郎なら助けてくれると、信じたいのではないだろうか。それとも……彼女自身も。
炭治郎に、何かを見つけてほしいのかもしれない。
ピン、何かが跳ねる音がした。
ほんの小さな音。俺でなければ拾えないくらいの。音の正体はいつの間にか背後にいたカナヲちゃんの手元だ。右手の甲に重ねた左手をそっと外す。表。表と書いてある銭貨。
「アオイに聞いたの。貴方たちが栗を用意してくれたって。美味しかった。ありがとう」
あのカナヲちゃんが、初めて自分から話し掛けてくれている。しかも炭治郎がいないのに。俺だけなのに。あまりの感激に身体中が震えた。これは!自慢する価値がある!炭治郎が帰ってきたら教えてやらんと!!
「あの、猪の人にも伝えて。ありがとうって」
にこり、と笑うと、彼女は少しだけ間を置いた。突然の不協和音。場違いな旋律に吃驚して耳元に手をやると、彼女は思いきったように口を開いた。
「あの、……炭治郎は?」
氷で頬を撫でられたら、こんな心地がしただろう。ひやりと凍えた掌が、糠喜びした俺の頬を無感情に冷やしていった。
俺たちは蝶屋敷にお世話になってはいるが、蟲柱の継子なわけではない。指令は鴉を通じて各々に伝えられ、当人から聞かなければ仔細を把握できるものでもない。炭治郎の不在がどれだけ続くのか、彼女は知る術がなかったのだ。明後日には戻るはずだと告げれば、安心した様子で音が和んだ。女の子の心はいつだって繊細な音を奏でている。彼女の心労が少しでも取り除けたのなら、炭治郎も褒めてくれるだろう。
「ありがとう」
二度目の謝意には切実な想いが込められていた。愛らしい音が響いて、俺の心を騒がせる。僅かに紅潮した顔で、彼女はそそくさと自室へと戻っていく。
似ても似つかないのに、何故だろうか。彼女の背中に、先日訪れてすぐに帰っていった水柱の姿が重なる。彼もまた朴訥な人だったが、その発する音は雄弁だった。似ている。二人はあの、音が似ている。雑音と不協和音とに一途な不安を乗せて、俺を通して、アイツを見る。アイツを……炭治郎の姿を。その平穏と無事を確めて、安堵したのだ。だから音が安らいだ。炭治郎は此処にいなくても、誰かの心を満たしてやれる。そうだ、そうなんだ、竈門炭治郎は、そういう男だった。存在するだけで誰かに明かりを灯せる男。眩しい。こんなにも目映い。とても目蓋を開けていられない。どうして俺は……彼等が探しているのは俺じゃない、始めから……炭治郎、唯一人なんだ。急にどっと疲れた気がした。嬉しい気持ちは今も確かにあるのに、自慢しようという気は糸遊のように失せている。
蟲の継子は終ぞ、俺の名を呼ぶことはなかった。

◆誰かさん

俺は、昔から耳が良い。眠っている間に他人の話を聞き覚えてよく気味悪がられた。それは鬼殺剣士となった今でも変わらない。夜半に物音がして目が覚める。軽い何かがコツ、とぶつかり合うような音。そこに感情は汲み取れない。何かが落ちた、或いは当たった、そのような音が二度もしたので、恐るゝ布団の端から音のした方へ目を向けた。そこにはどうやら獣のような何らかの生き物がいて、炭治郎の寝床を荒らしているようだった。
(怖すぎる!助けて誰かっ)
場合によっては炭治郎は今夜いなくて良かったのかもしれないが、もし此処にいてくれたら、と願わずにいられない。炭治郎は夜に怯える俺をよく自分の布団に匿ってくれた。余分な音を聴かないように耳を塞いでいてくれて、鬼が出たら俺がお前を守るから、代わりにお前は俺を守ってくれ、などと他愛ない約束をして笑っていた。
(何で今日っいないのに!)
戻るのは明日だ。あと一日。
獣は低くうなり声を上げて身を震わせた。半泣きで固まっていると、獣がゆらりと動く気配がし、音も立てず部屋から出ていった。四半時ほど息を殺して警戒し、完全に気配を感じなくなったところで身を起こす。何があったのだろう、今、この場で。周囲を見ても特に荒らされた形跡はない。炭治郎の寝床に何があったのか……怖々見てみれば、その枕元に丸々した栗の粒が二つ、ちょこんと置いてあった。
小振りのぶつかる音は、これか━━そう察してすぐに伊之助の寝床を探る。案の定、布団が膨れているだけで本人の姿はない。
化け物だと思ったのは、猪頭を被った伊之助だったらしい。気が抜ける。鬼じゃなくてよかった……
それにしても真夜中に何してんだよ、アイツ。炭治郎たちの分も用意したことを俺に知られたくなかったとか?照れてんの?それにしたって、大袈裟な。敵襲かと思ったわ。秘密にしたかったにしては、やけに時間をかけてたし、なんだか苦しそう……だった……から、
そこまで考えて、思考を止める。気付いてはいけないことに、気付いてしまいそうな気がした。後戻りができなくなるような、何かに。
気を紛らわそうと自分の僅かな持ち物を改め、先日伊之助から渡された栗を取り出す。炭治郎の寝床に置かれた栗と比べると、明らかに置かれた方が色艶、形がいい。大きさでは僅かに手中の栗が勝っているが、どう見ても置かれた栗の方が特別だという感じがした。
足元が、ぐらりと揺れた。地震だ。それも特大の。目の前が暗くなる。まだ明けない夜の、更に上をゆく闇色。手にした栗を取り零す。逃げないと。とにかく外へ、何処か別のところへ逃げないと━━━
ぐらゝ揺れる不確かな大地のせいで、酔いどれみたいにふらつきながら中庭へ出た。伊之助は何処へいったのだろう?しのぶさんは?カナヲちゃんたちは?こんなに揺れてるのに、皆、何処へいったの。炭治郎……炭治郎。禰豆子ちゃんは無事か?お前にも怪我はない?俺は、それが心配だ。何処にいるの……炭治郎、……
「馬鹿野郎!!」
バシャン、と派手な水音がして、次いで猛烈な冷気が身体中を駆け巡った。冷たい!なに、これ、寒い、凄く、冷たい、冷たいっ!凍みるような冷たさに頭が冴えて視界が拓く。庭園の池に落ちていた。浅くて溺れはしないものの、頭から飛び込んだらしい俺は、薄い寝巻きをびっしょりと濡らし、寒さに震える濡れ鼠と化していた。
「入水にしても場所が悪すぎだろうが、阿呆」
そんな罵倒と共に襟首から乱暴に引っ張りあげられる。濡れ鼠だけど、猫の仔にするような扱いだ。手足が悴んで巧く動かせなかったので、掠れた声で謝罪を口にする。池の水をしこたま飲み込んだ喉からは思ったより弱々しい声が出て驚いた。まるで死にかけている病人みたいだ。
このまま捨て置かれるのかと思いきや、その人は軽く舌打ちしただけできちんと抱え直してくれた。厚い胸板。太い腕。炭治郎みたいに体温が高くて寒さが少しだけ和らぐ。
「黙っとけ」
存外優しい声も出せるのだとわかって落ち着いた。さっきから寒くてさむくて、気が遠くなりそうで、でもこの人が誰だか分からなくて怖かった。けど、こんな音が出せるなら……うん、多分、……きっと、大丈夫……
もし、駄目でも、もういいか。誰も俺を待っていないし。このまま眠ってしまっても━━━俺が最後に考えたのは、そんなつまらないことだった。

◆階級が上の人

「いつまで寝てんだ」
「ギャッ」
頭を叩かれて目覚める。痛い。的確に急所を狙われた。涙目で頭を抱えると僅かに湿っているだけで、水が滴らないことに気付いた。それから温い。枕元に置かれた火鉢が赤々と燃えている。椚のいい匂いがする。椚炭は高級品だ。この人、手が早いけど只者じゃない。
「飲め」
謎の小さな粒を唇に捻り込まれる。まだ衝撃から回復できず油断していた俺は、為す術なく、無遠慮な指ごと粒を口に含んだ。苦しさに噎せ返っていると今度は湯飲みを口元に当てられ、後頭部を掴まれ、抵抗むなしく強引に中身を流し込まれた。味はない。ただの水だと分かって一先ず安心したものの、飲み下せなかった水が喉を伝って鎖骨、胸元へと流れていき気持ちが悪い。しかし、そう感じるということは体が乾いているということで、つまり、この横暴なでっかい人が、ずぶ濡れの俺を介抱してくれたことになる。息も絶えゝに嚥下すると、口を開かされ、舌を引っ張られ、事実飲み込んだかを確認される。何なの、この男、幾ら介抱してくれたからって、人の尊厳をこんなに無視すんの酷いだろ?!もっとゆっくり!間を置いて!わけがわからんよ!せめて喋らせろ!!
意味を成さない反骨の呻き声が喉奥から漏れる。あーとかうーとか、本当に赤ん坊のような声しか出せない。口を抑えたまま何かを探していた大男はそんな俺を睥睨し、不敵に口角を上げると愉快そうに舌を突きだした。
「何だ、口寂しいのか?暖めてやるよ」
そのままべろりと上顎を舐め上げられる。唐突な悪行に防ぐ暇もなかった。自分のものではない別の舌先が、我が物顔で口内を蹂躙している━━ふざけんな。疲れて、苦しくて、死にそうな相手の弱味につけこんで、なんてことしやがるんだ、この、人でなしめ━━怒りの矛先が全て目の前の男に向かう。振り上げた拳を顎にボカン!一発お見舞いしてやった……つもりが、貧弱な拳はとす、と軽い音を立てて相手の腹部に落ち、自由の利かない身体は易々と相手に捕まってしまった。
「ン、効いたな。よし」
上唇をぺろりと舐めた男は、俺を横たわらせると、早速着物の袷をずらしにかかった。俺、今、人生最大の危機では?もういいなんて思ってごめんなさい、神様。何でもするんで、こんなとこで知らん男の手篭めは勘弁してください……
「不細工面やめろ。俺はそこまで飢えてねーよ、殴るぞ」
男は此方の自由が利かないのをいいことに、ぴしゃっと額を打ち付けた。痛え。ヒリゝする。本当になんなのこの人、俺を助けたいの?殺したいの?不条理な世を儚んでいると、胸を濡らした水を手拭いで丁寧に拭われた。あ、なんだ、そういうことね。勘違いでしたわすみませんね。
「だからその白目をやめろっつーの」
ベシャリ。今度は容赦なく顔面を叩かれた。やっぱり俺、殺されるんじゃね?短い人生だったわ。
男の暴言と手癖は最低だったが、その他の処置は手際よく完璧だった。俺の格好はすぐさま整い僅かに湿り気を残すのみ、つい先ほど池から上がった濡れ鼠には見えない。火鉢のお蔭で体も温まり、きちんと設えられた夜具に包まれて心地いい。飲み込まされた粒はきっと薬だったのだ。頭は働くのに体がやけに重いのは、その効果に違いない。一通り処置を済ませた男は動けない俺を認めると、さっさと何処かへ消えていた。その頃には漸く俺も、落ち着いて物事を考えることが出来るようになっていた。
大地震など起こったはずがない。誰も騒がないし、屋敷の家財や道具も整然と並んでいるもの。揺れていたのは俺の頭の方だ。気持ち悪かった。目眩がして、まともに歩けなくて。視界まで狭まって、挙げ句池にドボンですし。バカみたいだなぁ、俺……

何をそんなに、期待していたんだろ。

涙は溢れるままにしておいた。どうせ手は動かない。誰もいないし。誰も困らない。那田蜘蛛山での剣士たちみたいに、俺が何処かで朽ち果てたところで、気に留める奴がいるかどうか。
俺たちは鬼とは違う。怪我をすれば病も患うし健康であってもいつかは寿命で死ぬ。痛いのは嫌だ。苦しいのも。なのになんで俺は、こんなところで頑張っているんだろう。じいちゃんみたいになりたかった。じいちゃんの誇りになりたかった。その思いだけで此処まで来たはずだったのにいつから、こんなに……欲しいものが、増えたのかな……大切なものが、いっぱいで……好きなものが、多くって……でも、やっぱり……俺の元には……何も……残らない……
(炭治郎)
ちか、ちか、目蓋の奥で火花を散らす、お前が、
(ごめん)

妬ましくてならない……狂おしいほど。

ふわ、柔らかく撫でられた頭。慈しみに気付いて目蓋を開く。嗚咽は漏らしていなかったはずなのに、いつの間にか戻ってきていたその男は、まだ湿る髪をゆるりと穏やかに愛撫した。慈愛のこもった仕草に胸が締め付けられる。なんて優しい。暖かい。俺を遠慮なく叩きまくったあの手で、どうしてこんなに━━優しくできるの?
男は化粧を落とし、夜着を纏い、先ほどは巻き付けた布で隠れていた髪を惜しげもなく晒し、別人のような出で立ちで俺を慰めている。でも俺が間違えることはない。音が同じだから。最初からずっと……アンタの音は、優しかったよ。だから委ねてもいいと思ったんだ。俺の命も。もう……何もかも。
「眠れよ」
男の低い声が夜陰に響いて、眠りに誘う。好い声。女の人ならうっとりと聞き惚れてしまいそうな、艶やかで甘い声。体も態度もでかくて、強そうで、多分、階級はずっと上だろうに俺なんかに構って優しくする奇特な人……気紛れでも嬉しいな。今日の俺は最低最悪の気分だから。アンタみたいな凄そうな人が、側に居てくれて嬉しい。殴られたのは痛かったし、口の中舐めたのも一生許さねぇけど。
……ねむりたい……
俺の哀願をどう、解釈したのか分からない。けれど彼は黙って布団の中に潜り込んできた。そしてあやすように俺の背を撫で、そっと抱き寄せると、静かに子守唄を歌い出す。何処かの方言なのか言葉の意味は全く理解できなかったけど、伸びやかに、温もりを称えて耳を撫でてゆく男の歌い声が、とても柔らかくて、気持ちよくて。俺は、彼の大きな胸に縋って子どもらしく泣きじゃくりながら、夜明けを望むことのない寂しい眠りに就いたのだった。

◆善逸

うと、うと、微睡みの中で俺は何度も夢を見た。声。声。責める音。戻ってこないあの娘。怖い人たちに囲まれて。俺をめがけて落ちてくる雷。頭に当たって砕け散る桃。骨が折れて動けない。手足が縮んで血を吐いた。沢山の死体と同じ服を着てる。真っ暗闇に独りぼっちで。星が墜ちた。あんなに光っていたのに。何処かへ行ってしまった。誰も彼も。音が何も聞こえない━━無音の、恐怖。
魘されて目覚めて覇気のない俺は、強引に何かを飲まされ食わされ、着替えや排便にも手を貸されながら、徹底的に世話をされた。二三日のことだった、と思いたいけど実際はよく分からない。記憶が朧気で、今もまだ頭がぼんやりとしている。何だか久し振りに朝陽を見ているような……音がするな。騒がしい音だ。だから目覚めたのか。最近こんな音は聞いていなかった。
ここはとても静かでゆっくりと時間が過ぎる。悪夢続きで磨耗した精神も、目覚めれば変わらない静寂に解れた。今日は夢を見ていない。やっとまた仕舞えたのだ。よかった……今回は時が掛かったな。でもこれで暫く持つだろう。
物心ついた頃から頻繁に悪夢を見るようになった。楽な人生ではなかったし、俺の肝が小さいせいもあるだろう。いつしか俺は、夢を心の奥に仕舞うようになった。そんな思い込みをしているだけだが、これが案外効くもので、悪夢は暫く続いた後ぴたりと止む。夢をみないで眠れる夜が幾らか来るようになった。それで十分だ。俺は満足して、この方法で幾多の夜を安眠と不眠で交互に過ごして来たのだ。
鬼殺隊に入ってから悪夢を見たのは初めてだ。夜起きてることが多かったし、疲れ切って寝る日ばかりだったお蔭かもしれない。久々の悪夢は重かった……纏めて付けを払わされた感じ。軽く、風邪も引いてたみたいだし、あの横暴野郎にはかなり迷惑かけたな……まぁその分きっちり殴られたからいいか。次は避けて驚かせてやる。
何だかんだ云っても結構悪くない療養だった。こんなに悪夢期間を楽に越せたのは初めてだ。居心地が好くて長居したけど、そろゝ戻らねぇと。訓練が終わってないし、そういや伊之助に何も云わず来ちゃったからなー、まさか心配はしてねぇだろうけど、激しく文句を云われそうだ……
枕元を探るとあっさり元の服が見つかった。きちんと洗濯して乾かしてある。いつから用意されていたのか見当もつかない。さっさと出ていけという合図なのかもしれない。
……なぁ!いねぇの?」
身形を調えて布団を片すと、既に体調は万全だった。少しサボり過ぎたようだ。本当に楽になった。悔しいけど、やっぱりあの人のお蔭なんだよな。いつも近くにいたような気がしたけど、気のせいだったのか……頭を振って残っていた感傷を振り解く。もう行かないと。最後に礼を云いたかったけど、隊の人ならいつか何処かで会えるだろう。俺が生きていられたらだけど。
騒音の元が、どんゝ此方に近付いて来ている。
どれくらい眠ってしまったのだろう?何と誤魔化せばいいのか。あれだけ慌てられるなら、大した怪我もしてねぇな━━うん、おかえり。
見つかって、大声で名を呼ばれる。駆け寄ってきた相手を、ちゃんと笑顔で迎えてやれた。不在を謝って、改めて帰還を祝う。少し寂しかったけど、辛くはなかったよ。ありがとうな。アンタのお蔭だ。
……まぁ気にすんなよ。その内、きっちり返して貰うからな」
そんな揶揄するアンタの声が、何処からか、聞こえた気がした。

◆炭治郎と善逸

怒っている。かなり怒っている。こんなに炭治郎が怒るのを見るのは初めてだ。怖……お前、帰ってきたの二日前だろ?俺、そんなに心配かけてないと思うけど……
「伊之助からすれば五日も見てなかったんだぞ?!行方知れずと同じだ!!心配して当たり前だろう!!黙って出ていくなんて、どういうつもりだ!?」
「その台詞、熨斗付けて返すよ?お前だって黙って一人で煉獄さん家に行ったろうが」
炭治郎は二日帰還が遅れて一昨日戻って来たという。俺が池に落ちたのは帰ると聞かされていた日の前日だったから、今日で五日経っていることになる。
「それとこれとは話が別だ!!大体俺は一日で戻って来たろう?!」
「でも黙って居なくなったのには変わりないだろ!きよちゃん泣いてたんだぞ?!女の子を泣かすなんて最低だね!!」
「きよちゃんには謝った!!」
「俺もお前に謝ったよな?!」
「謝ればいいってものじゃない!」
「理不尽すぎじゃない?!」
売り言葉に買い言葉で口論じみてきたが、俺は怒ってるわけではないので少々混乱している。何処ぞの庵から早々と回収されて蝶屋敷にまで戻ってきたはいいものの、何故か炭治郎の前に正座させられて説教されてる俺の気持ちよ。野外大好きな伊之助がいないのは未だしも、屋敷の皆さんが気を遣って姿を見せないのが本当に心苦しい。というか、関わるのが嫌で出てきやしねぇ。誰か助けて。なんで俺怒られてんの?
「煉獄さんを助けられなかった時、思ったんだ……このままでは俺は、また後悔するだろうと。いつかお前が窮地に立たされた時、戦えないのは御免だと。強くなろうと思った。後悔はしたくない。せめて煉獄さんのように、お前を守りきるくらいには強くなりたいと思ったんだ。でもまた……間に合わなかったのかと……っ」
「え?は?何の話??」
酷く複雑な音がする。何やら苦悩しているようだ。煉獄さんの話は今、関係あんの?お前が頑張ってんのはとっくに知ってますけど……
……聞いたよ。伊之助と栗拾いをしたんだな」
「へ?……あー、うん、まぁ。ごめんね、お前食べられなかったけど、また拾いにいけばいいし、」
「冨岡さんがお前のことを褒めていた。お前の親切はあの人の心も動かすんだな……無自覚だが……お前の行動は、強く、人の心に残るんだ。誰も彼もお前が気になってしまう……俺もだけど……いつの日か、お前を気に入った誰かに、お前が連れ去られるのではないかと気が気でないよ……俺は、とても怖い」
「うん……?」
話の流れが見えない。随分飛躍している。しかし炭治郎が怖がっているのは本当だ。この話は全て何処かで繋がっているのだろうか。鼓動が早い。人は不安に陥ると脈が早まるものだ。けれどどうして。俺のことで何故お前が不安になるのさ……お前、優し過ぎるだろ。
「俺は、平気だよ?ほら、見て。此処にいるだろ?元気だし。何ともないよ?」
「しのぶさんが……カナヲと、アオイさんもだ。お前を探していたら、俺に、お前の話をしてくれて……それを聞きながら、俺は、嬉しかったけど、でも、気が急いた。早くお前に会いたくて」
「えっ、ホント?三人とも俺の話してくれたんだ~、うふふっ!で━━、なんて云ってた?」
思わぬ収穫だ。まさか、俺のことを気にしてくれた人が三人もいたなんて。ワクゝしながら耳を澄まして続きを待っていると、ギュ、と拳を握り締めるのが見えた。炭治郎の鼓動が一際高まる。何かを決意する音だった。
「善逸、気付いていたか?俺が自分の任務について子細話すのは、お前にだけだ。伊之助も知らない。お前には全部知っておいてほしいから話すんだ。それに俺も知りたいから。お前のことを全部知っておきたい。善逸。本当は、もっと知りたいんだ。分かるか?もっと……色々知りたい……お前のことが。お前の全てが。お前のことばかり考えてしまって、もうどうしようもないんだ。俺一人ではもう、どうしたらいいかわからない。この二週間ずっと落ち着かなかった。お前がいなくて。お前に会いたくて」
一気に吐き出された感情の渦に飲まれて、言葉を失う。理解が覚束無い。炭治郎が、全部を話すのは、俺だけ?それで、炭治郎も、俺のことが知りたい、と。うん。別にいいけど。俺のことなんて大したことねぇし、それに━━それより━━俺に、会いたかったって?
「二週間は長かった……俺の知らない内にお前が、誰かと結ばれてしまったら……そんなことを考えてしまって……任務を終えてすぐ、村田さんを置いて先に帰ってきてしまった……申し訳ない」
「えーっ?!一緒の任務なのに、置いてきちゃったのかよ?酷いな!お前、ちゃんと謝っておけよ?」
「うん……それは、本当に……そうする」
本人も反省しているようでしんなりしてるが、それは本当に酷いからね、お前。置き去りにされる気持ちを解ってないよ。村田さんも気の毒に。俺からも慰めの言葉を掛けておこう。
それから、……えっと、どえらい告白をされたような……うーん、俺の聞き間違いだよな?そんなこと……炭治郎が云うはずねぇもの。まだ、俺の調子が戻ってないから、変な風に聞こえただけだよな、きっと。
「善逸、お前、俺が初心だと思って、甘く見ているだろう……
ぎく。炭治郎の動悸に釣られて、俺まで緊張してくる。そ、そんなにドキゝすんなよ、赤い!赤いんだよ顔が!!お前のそんな顔初めてみたわ!!不覚にも可愛いとか思っちゃったじゃないのばか!お前、禰豆子ちゃんに顔が似ててやだ!!好みです!!
「確かに、誰とも付き合ったことはないけど……でも俺は……初めから……一途に、お前のことを……
言葉が途切れがちになり、いちゝ息を継ぎ、一生懸命伝えようとする炭治郎が。真正面から俺を、俺だけを、見ていた。
「お前のことを考えない日はない……いつも……お前の匂いが嗅ぎ取れないと不安だ……お前を想って……欲だって━━善逸……何度も、もう何度も……
頬を染め上げ、潤んだ目で、口許を隠し、云い辛そうに白状する。あまりに純朴だったから、神仏のように達観しているのかと思ったら、そんなことはなかったのだ。何となく炭治郎も自分と同じ俗物なのだと知れて嬉しくなる。そうだよな、溜まるものな。いいよ。驚いたけど、なんだか気分がいいし、炭治郎なら、構わない。
「笑うな、善逸!これでも、まだ俺が、初心だと思うのか?もうずっと、ずっと、俺は、我慢してるんだぞ!欲しくて堪らないのに、独りで我慢してるんだ!っ、……ごめん、驚かせるつもりは……でも、どう伝えればいいか、分からなくて……巧く云えない、善逸……
焦って口が回っていない。何度も噛みながら、息を乱して心も乱れて、可哀相なくらいに困り果てている。炭治郎。お前って。そんな風に恋をするのか。いいな。こんなに……可愛い奴だったんだなぁ。
暫し沈黙が落ちる。
炭治郎が目を逸らさない。俺の一挙手一投足を逃すまいとするかのように。端から見たらさぞかし滑稽だろうな。男二人差し向かいで何やってんのって、俺なら笑ってた。でも今は笑えない。聴こえているから。炭治郎の胸から、切迫した音が聴こえる。
……その……嫌、だろうか?俺では……お前の、伴侶には、なれないか?頑張るから。幸せにする。お前を守るよ。お前が、喜んでくれるように、ちゃんとするから。だから……善逸……俺と……添ってほしい」
「お前、凄いね」
離れていた、たった二週間で、人生を決めてしまうのだから。俺なんて、栗拾いして、池に落ちて、風邪引いて、独りで落ち込んで、何とか立ち直ってきただけで終わっちゃった。笑えるよね。
「俺、お前が羨ましいわ。いや、妬ましいよ、本当はさ。だってお前、皆に愛されてんの。皆、お前のことが好きって音だよ。それ、毎日聴いててさ、俺、悲しくて。俺には誰もくれないのにって。お前ばっかり━━いいなぁって」
炭治郎の顔がまともに見られない。遂に暴いちゃった……俺のちっぽけな自尊心。炭治郎はこんなに優しくて、いい奴で、皆に愛されてて、俺のことも認めてくれる貴重な存在なのに……俺ときたら。
「勿体ないよ、お前」
なんて惨めなのだろう。妬んで、悲しんで、色んな人に迷惑までかけて。もうやだ。やだなぁ、こんな俺。俺なんかじゃあさ、炭治郎……
「もっといい人、好きになれよ」
その方が幸せになれる。お前のことが好きな人、いっぱいいるんだもの。羨ましいくらいにね。
「お前、気ィ遣いすぎだから。俺がびーびー泣いてるからって、そこまで慰めてくれなくたっていいよ。他の奴はどうか知らんけど、俺に配慮なんか、要らねぇから。俺たち、仲間だろ。それだけで嬉しいよ」
炭治郎、お前さ?今まで誰かに惚れたことなんかなかったろうが。況してや俺なんて、そんなの気の迷いもいいとこだ。俺じゃなければ信じてやってもいいけど。だって……俺じゃないもの。
「炭治郎の隣には、お前のことをもっとちゃんと助けてやれる、いい人でなきゃ、だめだよ」
お前が羨ましいし妬ましいし好かれてるの知るの、辛いけど。でもね、俺もね、やっぱ好きなんだよな、お前のことが。お前、優しいし、俺のこと嫌わないでいてくれるし。炭治郎。だから幸せになってほしい、本当に。俺にだってね?それを願ってやることくらいは許されると思うんだよな……
ぱた、ぱた、涙が落ちる。いつものことだ。慣れっこで、何とも思わない。手で拭うけど止まらない。こんなのばっかりだ、俺は。ばかだなぁ。
「ごめんね。みっともなくてさ。興奮するとすぐ泣いちゃうんだよ、俺。知ってるだろ、炭治郎?これ、ちょっと嬉しかっただけで、他に何の意味もないから気にせんで。その内止むから。すぐ止むよ。通り雨みたいなもんだ……
「━━初めて出会った日、」
怒るか、悲しむか、どちらかだと思っていた炭治郎の声は、想像より遥かに静かなものだった。
「━━お前は、禰豆子を守ってくれただろう」
思い出すのは伊之助に殴られた痛みと、木箱の感触、大切なものが傷付く恐怖、禰豆子ちゃんの音。
「身を挺してくれたな。鬼だと知っていたのに。俺のこともよく知らなかっただろう、あの時は。それでもお前は、俺を信じてくれた」
……俺は、俺の信じたいものを信じる。それしかできないから。だから、お前に裏切られてもよかった。そーゆーのには慣れてるし。でもお前……お前は……炭治郎。俺を、褒めてくれた……
「嬉しかったんだ。初めて禰豆子を認めて貰えて。お前は初めから俺のことを信じてくれた。俺は、あの時━━」
穏やかな声が、凛と響く。迷いなく、揺るがなく。その気持ちは真っ直ぐに、俺の胸を射抜いた。
「お前に、恋をした」
俺の涙に濡れた手を取り、唇を触れる。愛おしい、と、その音が告げる。
そんなに、前から━━?
「善逸。お前の側にいて。話したり、戦ったり、色々なことをして。困ったこともあるし、呆れたこともある。病毒と戦うお前を見るのは辛かった。今の俺ではお前も、誰も、守りきれないと思い知るのは悲しかった。だけどな、善逸。……お前がいてくれたら。一緒に学んで、一緒に励んで。共に強くなれると━━俺はそう、信じてる。お前の……涙をみると、とても切ない……でも、それも、お前の一部だと思う……愛しいよ。お前にどれだけ救われているか……ずっと側にいたい……この気持ちを、少しでも、お前に伝えたい……
温かい。炭治郎は全て。身も、心も。触れた瞬間に溶けてゆく。俺の凍えた気持ちも。お前の熱で。
「煉獄さんのことで落ち込んでいた時、慰めてくれてありがとう。ヒノカミ神楽の修業で倒れた時、介抱してくれて嬉しかった。禰豆子と遊んでくれるお前が愛しくて俺は、つい、妹に妬いてしまうくらいだ……善逸、此れを」
………栗?」
「寝床の下で見つけた。伊之助に、お前の分だと聞いたよ。そしてこっちは俺と禰豆子の分だとな。善逸━━俺の分は、お前が持っていてくれないか」
「な、なんで」
「俺のものは皆、お前のものだから。全て渡しておきたい……けどな、善逸。申し訳ないが、お前の為じゃない……俺の、下心なんだ。俺も……ほしいからだ……
煌々と紅く燃える双眸に貫かれ、息が詰まった。熱情に浮かされた唇が頻りに掌を求めている。爪、指、節、皺、付け根に触れて息を吸う。過敏な神経が快感を拾う。炭治郎も同じように、快楽に酔っている……音が……満たされて、悦んでいて。
ひぐっ、と喉が潰れたような声が出た。可愛くないな。俺はちっとも愛らしくない。何がいいの?こんなの、損だよ。お前、物凄く損してるよ。俺が、俺みたいな……俺でいい、なんて。
応えに窮していると、炭治郎は名残惜しげに手を離し、そっと身を引く。無理強いはしない。ただ、悲しげに微笑むだけだった。
………これからも、俺は、お前のことを想って生きていくよ。でもあまり嫌われたくないから、この話は二度としない。聞いてくれてありがとう、善逸。困らせて、すまなかった……
ちりゝと微かに燃える音がする。炭治郎の中で燃え盛っていた熾が、硬い自制心でたちまち勢いを殺されてゆく。悲しい。苦しい音だ。まるで、もう二度と、灯すことをやめてしまいそうな……
「いや。だめ……っ、待って、」
消してはだめだ。いかないで。お願い。やめて。俺が、……俺が、役に立つなら。お前の役に……とても自信がないけど。
「これ、は、お前の分だよ……お前が持っていて……はぁっ……伊之助の気持ちなんだからさ……!」
炭治郎の栗を押し付け返す。受け取れない。だけど、音が。音が、沸き立って、火種が踊る、待って、そんなに、期待しないで、炭治郎。俺が、お前を、助けられるわけないじゃないの、そんな、目で見るなよばか……お前の目、綺麗すぎて……俺は、もう……丸裸にされた気分だ。
……夫婦だって……自分の宝物くらい、あるだろ……
「!! 善逸、」
「まだ!まだ、決まったわけじゃ……お前の、こと……好きだけど、でも……まだ、俺……あ、」
「善逸、俺は、お前の栗を食ってしまいたい……
引き寄せられて、耳元で、そんな身勝手なことを
宣言される。身体が震えるけれど、嫌なわけじゃない……むしろ……慌てて否定する。こんなんで丸め込まれるわけねぇからな!!
「はっ?!だめ!だめだめだめだから何なのお前!そんな乱暴なこと……い、云えちゃうとか、し、信じられん……知らんかったわ……ばかっ!!」
「うん。そうだ。お前の知らないことは沢山あるぞ、善逸。俺は、嫉妬深かったんだ……俺も今、初めて知ったよ……お前のお蔭で」
「は、ぁ……炭治郎ぉ……
愉しそうだ。至極、嬉しそうに炭治郎が笑っている。いいな、この笑顔。見てるこっちまで幸せになる。本当に幸せなんだ。俺がいて。俺がいるくらいで。お前を……信じたい……
抱かれたまま、栗の代わりなのか、耳朶を食まれる。チクリと痛み、歯形が付けられているのが分かった。それから頬にも舌が這う。なぞるようにゆっくりと……唇の上にも。
信じていいかな?俺も、好きなようにするよ、炭治郎。お前のこと。俺も。想うことにする……
「あぁ……いい匂いだ……善逸、好きだな……
「え?!……そ、……そう……なの?」
「うん。とても。甘くて、香り高い……美味しそうだ」
「はっ?!おまっ!!えっ?な、」
「ふはっ、善逸、顔が真っ赤だ」
「!! お前もだからなっばか!」
こんな風に、密やかに、くすゝと笑う炭治郎が珍しくて動揺する。とても……艶っぽいし、俺ばかり弄ばれているようで、なんだか悔しい。目がダメだ。綺麗な目がとろん、と蕩けていて、まるで警戒がない……俺に全部曝け出してしまってる。こんなの見せられたら、俺だって……心が動く。感じてしまう……だって、炭治郎が、欲しがる音……凄い……
「炭治郎……我慢できる?」
「お前がしろというなら」
「それは狡いよ、お前」
云えないよ、こんな音聴かされて。あんなに口説かれた後なのに。お前の想いでぐずゝだよ、もう。割りに合わない乞いは、しないよ。
「俺まで切ないもの」

だから、俺たちは、幸せな恋をしよう?