・鬼と剣士▼
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の続き。
◆
打ち捨てられた山小屋は傷みと風化が激しく、隙間風が吹き込み放題だ。整頓されている、というよりは、むしろ殺風景な小屋を一望し、思わずため息をついてしまった。危ぶんではいたが、やはり
……生活感がない。炭治郎の身元を明かすようなものは何も置いていなかった。幾つかの野草、水桶、葛籠に、籠。中には恐らく彼が自作したであろう、粘土のような薬の塊が入っている。食器の類は見当たらない。囲炉裏には一切火の気がなく、彼が熱の通った食事を摂らないと証明されてしまったようなものだ。
寝入った雀を刀の隣に休ませ、桶から水を一口貰ってから、再び寝床に身を横たえた。
炭治郎は鬼だ。それはもう間違いない。
(でも鬼が
…何で俺を助けるの?それに、炭治郎からは鬼特有の気持ち悪い音がしなかった
……)
俺は、人より耳がいい。そのせいで、鬼と遭遇した場合、鬼の体が発する耳を覆いたくなるような不協和音で、気分が悪くなるのが常だ。人の姿をしているのに、人らしからぬ音を奏でる鬼たちは、俺にとって恐怖の対象でしかない。そのはずなのに
……炭治郎は、違った。
(人のものでは、なかったけど。優しい音
……)
まるで泣きたくなるような。あんな、あんな風に綺麗な音を聞いてしまったら、俺は、どうしても、信じたくなってしまう。自分の耳と、アイツの心を、信じたいと願ってしまう。例え鬼でも。
筋を捻った足首は発熱してじくゝと痛み、慣れぬ夜の山道を進んできた二日分の
…否、最早二ヶ月分の緊張も相俟って、心身ともに急激な疲労が押し寄せた。思考が靄がかり、抗い難い眠気に襲われる。こんな山奥で、しかも鬼の住まいで、怪我をしてまともに立つこともできなくなるなんて、俺はもう死んだな。ハイハイハイ死にましたよ。炭治郎が戸口を閉めきらずに出掛けてくれて良かった
…もし俺に最悪の事態が起こっても、チュン太郎はあの隙間から逃げ出せる
…ん?でも何で
…ちょっとだけ、開けたままなんだ
…なんだか
…まるで
……俺
……チュン太郎の、こと
…話した っけ
……?
気怠さに負けて瞼を閉じるとあの音を思い出す。柔らかな響き。美しい音色。清らかで神聖な
……なぜ炭治郎は鬼なのに、あんな音が、出せるのだろう。
◆
「お早う。よく眠っていたな」
ぱちゝと小枝が爆ぜる音。誘われるように覚醒した善逸は、勢いよく起き上がると同時に小さく呻き、目元をおさえて床に突っ伏した。目眩でもしたのだろうか?結局俺はあのままでは戻れず、少し頭を冷やす時間が必要だった。帰って来れたのは夜遅く、待ち草臥れたであろう彼は、刀と雀を守るように、丸くなって寝入っていた。
「起きられるか?何か腹に入れた方がいい」
囲炉裏の縁で炙った山女魚に岩塩を振り、ホオノキの葉にのせて差し出す。善逸は受け取ると、勢い込んでかぶり付いた。いい食べっぷりだ。気持ちいい。ユリ根はもう少し火を通してからにしよう。一晩食べてないし、暫く動けないのだから、消化の良いものにしないとな。
サルオガセを火付けに、小枝と薪を焚べて、炭は一番下に詰む。二年ぶりだが、存外易く火を熾こせて安堵した。考えてみれば生まれて此の方、火と共にない日はなかったのだから、当然だ。炭焼きの家に生まれ、ヒノカミ様のご加護に与り、神楽を舞うにも松明は必須で
……鬼となってからとんとご無沙汰だけど、火の熾こし方と同じように、円舞のことも忘れていない。ただ、悲しくて、出来なかっただけ。鬼の自分には火が不必要だった。神楽を舞っても、ヒノカミ様に顔向け出来なかった
……
「あのさ
…お前、その
……もうちょっと、こっちに来なよ」
ぼんやりしていたら、袖をぐいと引かれた。焼き魚で元気が出たらしい善逸は、自身の寝床に俺を引き込む。足がまだ痛むだろうに、それを庇って俺の居場所を作ってくれた。これで戸口の日光から遠退ける。正直助かるので断れない。
善逸からは、少し寂しげな匂いがした。慣れぬ場所で怪我をして、心細かったろうに、昨晩独りきりにしてしまったからな
……申し訳なかった。彼は座り直したあと、何かを告げようとしたのか、その薄い唇を僅かに開いたが、結局言葉は生まれず、再び眼前の食事に取り掛かった。
黙々と食べる善逸の横顔を隣で眺めながら、色んなことを考える。
善逸は腕力が結構あるな。刀を握るのだから自然なことなのだろうが、雀と添い寝していた微笑ましい寝姿からは剣士の腕前が想像し難い。食べる姿は竹雄よりも茂に似て、箸の持ち方が上手だし、魚の食べ方は綺麗だし、行儀もいい。髪も、眉も、輝くような黄金色で、お天道様みたいだと思う。毛先にかけて濃淡が入っているところなど、美しい朝焼けを思わせる。瞳の鳶色もそうだ。薄曇の日には、日光の強さも穏やかで、あんな色味になったものだ
……俺にはもう、見ることが叶わない景色。善逸の容貌は、俺が喪ったものを幾つも思い起こさせる
……
「そっちのお魚、食べないなら貰っていい?」
「
…あぁ、足りないのか?すまん、食べてくれ」
「ありがと。俺、こういう山のご飯、初めてだけど、美味しいもんだな
……頂きます」
「そうか。ユリ根もあるんだ。焼くと旨いよ」
山菜に慣れないようなので、どんな植物か教えたのを皮切りに、ぽつゝと雑談をする。善逸は矢張り田舎の出ではないらしい。故あって山に入ったが、自分には無茶な登山であったし、足が治ったら下山するつもりだ、と彼は云った。嘘の匂いはしないが、何のために山へ入ったのか、理由を話すつもりはないようだ。目的があって来たんだろうに、果たさず帰っていいのだろうか?怪我が原因なら俺にも責任がある。助けになれることがあれば喜んで手伝うが。
「いいって。そもゝ俺には向かない仕事だったの!炭治郎は俺を見捨てることもできたのに、そうしないでちゃんと助けてくれたし、寝床も貸してくれて、ご飯まで食べさせてくれたんだから、十分だよ。俺は本当に帰りたいだけだから」
善逸はへら、と笑って俺の不注意を許してくれた。その頼りない笑顔にまた、胸が、不自然に鳴る。善逸は優しい。物凄く優しい男だ。彼の優しさは俺にも温もりを分け与える。心がほわっと柔らかくうねり、緩やかに温度を高めてゆく。鬼になってしまった俺にはもう、熱など必要ないはずなのに、その暖かさが、震えるほど嬉しいと感じた。感じてしまったから、気付いた。どれだけ俺は
……人恋しかったのかと。
人との交流に餓えていたのに、人を襲うことを恐れてずっと我慢して。人里を離れ耐えている内に、忘れてしまったのだ。人の優しさ。温もり。慈しみ。俺がどうしても喪いたくなかったもの。鬼となっても決して譲り渡したくなかったもの
……それを、すっかり忘れてしまっていた。
「た、炭治郎、どうしたの?何で泣くの!?」
「
………煙が
…染みた、だけだ
……」
善逸の、恐れや怯えの奥にある優しさは本物で、俺の、無味な鬼の部分を、その温もりで穏やかに撫で付けた。労りは、鬼の冷たい鎧を突き抜けて、凍えていた人の心まで響いた。善逸。凄い男だ
…お前は。お陰で俺は、大事なものを思い出せたよ。
「心配してくれて、ありがとう」
涙声なのに、笑みがこぼれた。嬉しくて。俺は、まだ大丈夫だ。善逸と出逢えて良かった。俺は鬼だけど、人の心を持っている。喪いたくない。忘れたくない。いつか人の体も取り戻して、そして。
「
………帰りたい」
帰りたい。帰りたいなぁ。皆のところへ。家族の元へ。
「じゃあお前も、一緒に来なよ」
善逸の誘いに、俺は━━━
「出来るなら。でも俺は
…俺は、」
「そんで俺を守ってくれよ、な?炭治郎!!」
彼の必死さに、思わず吹き出してしまった。一頻り笑った後、俺は、清々しい気持ちで善逸と共に、山を降る決意を固めたのだった。
◆
二、三日すると、足の具合は瞬く間に良くなった。薬の効き目が尋常じゃない。鬼は薬作りも人とは違うのか
…と思ったが、聞くと炭治郎は隠すことなく作り方を教えてくれた(知っておけば今後も役に立つぞ、と励まされまでした)し、その製法に人智を超えた技などなかった。地道に良い薬草を摘み、丁寧に煎じて粉にしたものを、根気よく選別して調合、の繰り返しだ。敢えて云うならその配分が絶妙なのだろうし、それは鬼だからではなく、炭治郎だからこその薬の効力なのだった。
日中外に出たがらない炭治郎の代わりに(鬼なのだから日光を避けて当然だ。炭治郎だって気軽に灰となりたくはないだろう)、洗濯物は俺が請け負って片付けた。道理でみすぼらしいと思ったんだよな、炭治郎の着物。小屋の整頓ぶりから見て、きちっと身嗜みも整えたい性格だろうに、羽織の一つも干せないようでは無理がある。夜干したって真夏じゃあるまいに、こうカラリとは乾かない。俺が洗濯するようになってから、間違いなく炭治郎の男ぶりが上がった。くそっ、こいつ意外と男前だった
……みすぼらしいままにしとけばよかったか?まぁでも、これから里に降りるのにあんな身形でいたら怪しまれるからな
…仕方ない、帽子でも買って被せとこう。
炭治郎は要らないと云ったが、鬼でも腹は空くだろうと思って獲物を探してみたりもした。お察しの通り、都会育ちの俺に野性動物が狩れるはずもなく、延々山道を彷徨うという徒労を味わうだけに終わったが。あ、でも途中で見つけた柘榴は炭治郎も気に入ったらしい。腹は膨れないけど、口慰みには丁度いいな、なんて大人びたことを生真面目に呟くので、ぞっとした
……鬼になるって、どんな感じなんだろう?柘榴の真っ赤な汁が、炭治郎のふくよかな唇を濡らすと、まるで、まるで
……チラリと覗く歯が、鋭く尖っている。噛まれたら逃げられない。炭治郎は獲物に慈悲を与えるだろうか
……?ごくりと喉がなってしまって、周章てて目を逸らした。綺麗な音色が一瞬乱れ、俺の様子を案じているのが分かる。
もし、俺が獲物になる日が来たとしても。炭治郎なら甚振らず一思いに息の根を止めてくれるだろう。
◆
・続くか分からない。
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