シノハラ
2024-10-26 10:26:30
3116文字
Public 星とレイシオ
 

残り香となり果てるまで

2024/2/12初出

 今回はありがとう、良かったらこれ。そう、宇宙ステーションで助手めいた働きをしてくれたナナシビトの少女は別れ際にそれを差し出してきた。どうやら彼女の根城である星穹列車の符合の類らしかったが、あんまりに旧態依然としたシステムに眉を顰めかかる。そのまま皺を作らずに済んだのは、もし来てくれたら生体認証をすると彼女が続けたからだった。
 ある程度ナナシビトと交流した人物には平等に渡されるものらしく、レイシオも例に漏れずその資格を得るに至ったらしい。列車を訪ねる義務はもちろんなく、受け取るだけ受け取って結局来ない者もいるらしい。それでも列車は平等に門戸を開き続ける。
「ここの人だと、アスターとアーランと……あとルアン・メェイにも渡したんだけど、渡しちゃってよかったのかな。ちょっと早まった気がするような……?」
 レイシオにも分かる名前を挙げていくうちに、急に彼女が口元に手を当てて難しい顔をする。どうやら自分の判断に誤りがあったのではと懸念しているらしい。
「元々彼女があれを逃がさなきゃ良かっただけの話だし、いや、きっと来ない手合いだと思うんだけど」
 それ以前にもっと厄介な目に遭わされていたはずだったが、そこは度外視するらしい。ナナシビトは随分とお人好しな判断をするようだ。
「さあな。彼女の興味を惹くものが星穹列車にあれば来るだろうし、そうでなければ見向きもしないだけだ」
「つまんない所だよ……多分……
 レイシオに告げているというよりも、もうここにはいない天才に彼女は主張しているらしい。ただ、自分の拠点を気に入っているらしい彼女は自分は満足しているけれど、と付け加える。
 それから彼女――星と顔を合わせたのはしばらく経ってからだった。ヌースに見出された者と同じ権利を有しているというのが、凡人の心を擽ったのかもしれない。
 もろもろが落ち着いてから立ち入った星穹列車は思った以上に落ち着いた空間だった。静けさはもちろん、内装も同様の仕上がりをしている。ステーションとは異なり乗客の絶対数が少なく、ばらつきはあるものの人の質も許容範囲と言えるだろう。
 何より、方々の星を巡ってきた記録を溜め込む資料室のアーカイブがレイシオの興味を惹いた。もちろん既知の情報も多いが、それらも多くの異文化に触れてきた者達が収集してきた一次資料として高水準の品質を示している。
 星が情報収集で頼っていた人物の一人だったらしいアーカイブの管理人の仕事もなかなかだ。なかなか、の域を脱しないのはおそらく彼も星々で開拓を行う者の一人であり、本職ではないからなのだろう。
 星がレイシオに顔を出したのはアーカイブから一つファイルを借りて、目を通していた時だった。一通りの挨拶をして星穹列車の評価を伝えた後、急に星が困ったように眉を下げて見せる。
「ルアン・メェイ、来たんだよね。もういないけど」
……何か言っていたか?」
 穏やかに時を紡ぐ車内を荒らしたくないとでも言いたげに、星は声を潜めてレイシオに告げた。意外な結果に少し目を丸めてしまいながら、レイシオは彼女の情報を引き出そうとする。
「窓が気に入ったって。星空が良く見えるから。そういう雑談ばっかりだったかな」
 星が指さす先に視線を投げると、列車とは思えぬ大きな窓が星空をくりぬいている。エネルギー消費の問題なのか内装の思想によるものなのか、車内の光量は宇宙ステーションよりずっと少ない。そのせいで、星々の煌めきを肉眼でずっと捕らえやすくなっていた。
 この列車にいることは、常に宇宙を意識することなのだろう。それを恐れる者は今なお残るというアキヴィリの加護の下にはいられない。
「研究が拘わらなければ大丈夫なのかも……
 そう星が口にして、いやでもとすぐさま撤回しようとする。けれど肝心な部分が続けられず、言葉を待っていたレイシオは微かに首を傾げてしまう。
「ええと、なんだっけ……ごめん、忘れたみたい」
「君は随分と忘れっぽいな。あの時もあれこれと思い出すのに時間がかかっていたようだったが」
「いつもはこんなことないんだけど……
 口角を伸ばして腕を組んで呻きながら、星は煮え切らない返事をした。この調子だともう、彼女はレイシオと邂逅した瞬間の事すら覚えていないのかもしれない。いつもこうなのであれば一度脳の検査を勧める必要があったが、この様子だとルアン・メェイが一枚噛んでいるのかもしれないと思い当たる。
 彼女はあれを責任者を通じず星に処理させたのだ。下手人である星の記憶からも消去してしまった方が色々とルアン・メェイにとっては都合が良いはずである。星の記憶障害染みた状況に彼女が噛んでいるのなら、きっといずれ星が抱いている彼女への警戒心も掻き消されてしまうに違いない。
 とはいえ、星にその可能性を伝える必要はないだろう。星が事実に辿り着いてルアン・メェイを警戒したとして、彼女がここを好んで来たがるのであれば凡人には拒む術はない。であれば知らぬが花というものだ。
「君がどう思おうと、環境が気に入ったのならまた来るかもしれないな」
 え、と思考の海から強引に引き上げられた星が上げた声は露骨に困惑していた。どうやら、彼女はルアン・メェイの来訪をちょっとした気まぐれくらいに考えていたらしい。
「環境面に関心があるなら、彼女は思索に環境を重要視するのかもしれない。この景観を気に入ったというのが事実であれば、この列車は彼女に取って有用だ」
 レイシオの見解を聞いた星は得心した様子はあったものの、対処を悩ましく思っているらしい。記憶ははっきりしていなくとも、いまだ魂に刻まれている傷は件の天才を警戒したがっているようだ。
「招いてしまったのだから仕方がない。君には受け入れる他に選択肢はないだろう」
「ルアン・メェイってその手の妖怪か何か?」
「妖怪の定義にもよるだろうが、天才にはそういう側面もあるかもしれないな」
 ほとんど無意識に手元のファイルを仰ぐように一度動かすと、同じくほとんど無意識といった様子で星がレイシオの手元を見た。それ、と遅れて指差してくるおまけつきだ。
「ああ、アーカイブを借りてきた」
「なるほど。気に入ってくれると丹恒が喜ぶかも?」
「なかなかだな」
 手元にある資料は限られているが、すでに他に借りたい資料の目星もいくらか付けている。その時点でレイシオが高評価をしているのは間違いない。
「それは何より」
「これが君の仕事ではないことくらい知っているぞ」
 知っているどころか、彼女はすでに丹恒とやらの仕事だと白状しているのだ。レイシオの要望に応じて迷いなく資料を取り出した彼こそが、星の言う丹恒なのだろう。
「いやいや、それは誤解。ファミリーの仕事が褒められたら嬉しいだけ」
「それは失礼」
 ファミリーと彼女は告げたが、彼らに血縁関係はないはずだ。きっとこの列車を家としている者全てを彼女達は家族とみなしているのだろう。思った以上に深いところまで招き入れられているように思いながら、レイシオは妙な思惑の一つもなかったらしい星に詫びる。彼女は特に気にしたふうもなく、一つ頷いて応じて見せた。
「じゃあお邪魔するのも何だしこの辺で!」
「ああ」
 ひらひらと手を振って踵を返した彼女の頭からは、ひょっとしたらもうかの天才への憂いなど消え失せてしまっているかもしれない。彼女が長い列車の中央辺りにいる車掌の名を呼んでいるのを聞きながら、レイシオは車窓と呼ぶにはあまりに大きい窓からルアン・メェイも見上げたという星空を眺めていた。