土曜日の午後の涼しい室内。今日は天気もよく、こんな日は何をしても上手くいきそうな気がした。ソファにもたれながらコーヒーを啜る。隣ではジーンが新聞を読み、時折記事にペンを走らせていた。彼女の静かで真剣な横顔が僕はとても好きだった。
「これってローガンじゃない?」
ポツリと呟いたジーンに新聞を渡され、写真の載った紙面を見る。後ろ姿ではあったものの、そのシルエットは間違いなくウルヴァリンであった。
「あいつ、しばらく帰って来ないと思ってたが一体何をしてるんだ?」
記事によるとミッドランド高校にセイバートゥースが現われ生徒が襲われる事件があったらしい。偶然居合わせたスパイダーマンと撃退したものの校舎や付近の損害は非常に大きいとのことだった。負傷者はゼロとの報告も載っており、安堵の溜め息が漏れる。
「何をやっているんだ、まったく……」
ローガンが「ちょっと出かける」と言って学園を去ってから丸二ヵ月が経とうとしていた。どこに行くとか、いつ帰るとか、決めていないのか言う気がないのか。一切の連絡がないのはいつものことだったが仲間の近状を紙の上で知るというのはいささか気持ちのいいものではなかった。
「そろそろ帰って来るんじゃないかしら」
「近くに感じるのかい」
「ただの勘よ」
ジーンはニコリと笑うと僕の頬を軽く叩いた。「笑顔で迎えてあげないとダメよ」
「嬉しくないのに笑えないよ」
赤毛を揺らしながら部屋を出て行くジーンは少しばかり楽しそうに見えた。彼女はローガンが帰ってくることが嬉しいのだろうか。考えるまでもない、学園の大半はいつだって彼の帰還を喜んでいる。たぶん喜んでいないのは僕だけだろう。
ジーンが置いていった新聞をもう一度手に取る。白黒の写真でも彼の爪はギラギラと光っているように見えた。
僕はあいつが帰ってくることが嬉しいのだろうか。ソファに頭をあずけズルズルと滑り落ちながら考える。床にストンと落ちたところで嬉しくないわけじゃない、とぼんやり思った。
なんとなくソワソワと落ち着かない。それは自分でもわかっていた。ジーンがあいつが帰って来るなんて言うから妙に意識してしまう。今度こそはバイクを返してもらうとか、連絡くらいしろと文句を言ってやろうとか、頭には思い浮かぶけれどこんなことばかり考えている自分もどうかと思ってしまう。
今日帰ってくるとは限らない。まだしばらく帰らないつもりかもしれない。授業がなくてよかった。落ち着きのなさが行動にも出てしまっていただろう。
「あら、ローガンじゃない」
「えっ」
ストームの声にビクリとして振り向いたが彼女はテレビに向かって言ったようだった。見れば生中継のニュース番組がセントラルパーク付近でおこっているヴィランとの戦闘の様子を映し出していた。ヴァルチャーの背に爪を立て空を飛んでいるウルヴァリンと、そんな二人にウェブを飛ばしているスパイダーマン。ヴァルチャーの目がウェブでかく乱され、地へと落ちていく。ウルヴァリンはとどめとばかりに背に爪痕を残し無事地面に着地した。
「最近この二人よく一緒にいるわよね」
ローグの言葉を聞きながらテレビ画面を見続ける。黄色いマスクの下の顔は窺い知れないがきっと仏頂面をしているに違いなかった。
ウルヴァリンをテレビで見てから一週間が過ぎていた。
彼がいなくても学園での生活は続くし、戦闘訓練も順調だった。目立ったミュータント関連の事件もここ最近起きていない。極めて平穏な日々だ。
けれど僕の心はもやがかかっている。
どうして帰ってこないんだ。お前がいないと新しいシュミレーション訓練ができないし、連携プレーの作戦だって練れやしない。だいたい今学期からは歴史の授業を教える約束だったじゃないか。
結局ジーンの勘も当たらなかったな。
健康的な時間にベッドに入ると目を閉じる。夢を見ている間は誰にも邪魔されない。僕のことをだけを思い描ける時間だった。
バイクの排気音。時計の針の音。自分の心臓の鼓動。
どれくらい寝ていただろう。目が覚めたということは眠りが浅かったのかもしれない。建物の静けさからするとまだ深夜を少し過ぎたくらいだろう。
窓の外で微かにエンジンの音が聞こえる。けっして大きな音ではなかったが聞き慣れた排気音は間違えようもなかった。
目をつぶり階下の物音に耳を澄ませた。
しばらくすれば彼が学園のドアを開ける音が聞こえるはずで、それと同時に僕はまた眠ることができるはずだった。
五分ほどすぎただろうか、まだ扉が開く音は聞こえなかった。いったい何をしてるんだ。
イライラとすると神経が高ぶり寝るに寝れなくなる。シーツを剥ぐとサングラスを替え、部屋を出た。
夜の学園に肌寒さを覚え、ジャケットを取りに部屋に戻ろうかと思ったがそれも面倒なのでそのまま階段を降りた。
その時ソッと入口が開き、重みのある足が室内へと入ってきたのが見えた。思わず階段の中頃で立ち止まり、暗闇の中で彼を見る。獣の匂いをまとった男は鼻をならすとこちらを見た。
「ローガン」
闇の中で目が合うはずもないのに何故か目線の先で閃光が弾けたように思えた。
「お出迎えか?」
階段下までやって来た彼はからかいながら僕を見上げていた。その軽口に安堵と怒りがこみ上げてくる。
出迎える気なんてなかったのに。お前がいつまで経ってもガレージから戻ってこないから。全部お前が悪いのに、そんな言い方をされたら僕がお前の帰りを待っていたみたいじゃないか。
「連絡くらいしろッ」
言ってからしまったと思う。叫びこそしなかったものの、ふり絞るように放った言葉は彼にしっかりと届いたようだった。ローガンが目を瞠り僕の方を見ている。
「サマーズ」
「なんで僕がお前の現状を新聞やテレビで知らないといけないんだ」
溢れ出る言葉はとどめを知らず、どうにでもなれというように口から飛び出し続けた。
「お前は家族じゃないのか。家族なら居場所くらい自分の口で連絡しろ!」
自分が何を言っているのか考える間もなかった。「スコット」と名を囁かれる。その声は静かな室内によく響く迷いのない声だった。
頬に手を添えられハッとなる。いつの間にかローガンは僕の目と鼻の先にいた。
「ただいま」
暗闇の中、赤いレンズ越しに見るローガンの姿。変わらない髭面に鋭い目つきが僕の世界の中にいた。
「……近くにいたくせに、どうして早く帰って来なかったんだ」
恨みがましく言えば彼はくたびれた笑いを見せた。
「明日説明してやるよ。今日はもう眠い」
僕の肩を叩き自室へと戻ろうとする態度になぜかムッと腹が立った。
「ダメだ。今から説明しろ」
「スリム?」
「眠いなら僕の部屋で寝ればいい。話をしてから寝てくれ」
たぶん僕も眠くて頭がどうかしていていたんだと思う。そうでなければこんなことを言うはずがなかった。案の定ローガンはまたもや目を丸くし僕の足先から頭までをジロジロと見た。
「お前がいいなら、俺はかまわない」
真摯な物言いに僕はコクリと頷いた。
***
「つまりスパイダーマンと共通の敵を追いかけていたってことか?」
「ああ、キッドの野郎が見逃してあげようなんて言わなきゃ、もっと早く片付けられたはずなんだ」
ローガンは椅子を軋ませ数週間前からの記憶を辿っているようだった。
「ふーん、なるほどな」
「なんだよ、気に入らないみたいだな」
「違う、気に入らないわけじゃない」
「じゃあなんだよ」
ローガンはベッドに座る僕の方へ近づくと顔をズイと突き合わせてきた。その近さに目をそらす。全て見透かされるようで怖くもあり、言ってしまった方が楽にも思えた。
「お前はやるべきことをしていた。……それなのに僕は、ズルいと思ってしまったんだ」
「ズルい?」
「……お前とスパイダーマンが一緒にいることだよ」
目の前の男は困惑し、どう反応したらいいのかわからないようだった。当然だ。僕もどうしていいかわからない。
「そんなに俺に帰ってきて欲しかったのか?」
「っそうじゃない」
「素直じゃねえな」
自惚れるなと普段なら言ってやるところだが、その言葉も出ない程、僕はローガンが帰ってきて嬉しかった。髪を無造作にまぜられ、そのまま頬へと手が触れる。厚い手のひらがゆっくりと僕の頬を撫でた。
「じゃあ、その、何もないんだな、お前とスパイダーマンは」
歯切れ悪く問いかければローガンは口をへの字に曲げ心底意味がわからないという顔をした。
「どういう意味だ。変な勘違いするんじゃねえよ、あいつはガキだぞ」
「僕だって若造だろ」
「俺から見ればプロフェッサーだって若造になるさ」
やれやれと肩をすくめながらもローガンは楽しそうに笑っていた。
彼から説明を聞いたから、はたまた彼がこの家にいることに安心したからか緊張の糸が切れ、しだいに瞼が重くなってきた。ローガンは僕をベッドに寝かせるともう一度髪を撫で部屋から出て行こうとした。結局子ども扱いしているじゃないか。
「行かないでくれ。……今日はここにいてくれ」
彼の腕を掴み懇願する。僕を子どもだと思うなら、今は少しだけわがままを言っても許されるだろうか。ローガンは溜め息を吐いたものの、そこには呆れや失望などなく、ただ単純に困ったという意味があるように感じられた。
「もっと早く帰ってくるんだった」
そう言いながら僕のベッドに入ってくるローガン。彼が隣にいることに安心し、まどろみが訪れる。彼が欠伸をしたのを背中越しに感じる。瞼を閉じるとすぐに眠りの中へ落ちていった。
***
シーツが捲られる動きで目が覚めた。起き上がったローガンが伸びをしている姿が目に入る。
「起こしたか」
「いや、いいんだ。いま何時だ」
「六時になる」
彼が僕の部屋にいるというのは何とも奇妙だ。昨夜、――と言っても数時間前のことだが――のことはさすがに覚えている。よくもまあ、あんなにベラベラと話ができたものだ。
彼は誰も起こさないようにと静かに帰って来たのに、僕が大声を出していたんじゃ全く意味がない。
たまりにたまった思いが溢れ出したと言えばいいのか。それにしたって昨夜は冷静さが欠けていた。自分でも気付いていなかった感情の一部分。認めてしまえばそれは非常に単純なものだった。
彼は家族であり、この学園になくてはならない存在だ。そして僕は彼がここにいることを嬉しく思っている。
「部屋に戻るのか」
「ああ」
ローガンはしわになった服を脱ぐと肩に担ぎ颯爽と出て行こうとした。
朝が早い生徒はもう起きていることだろう。ローガンを見かけたら彼らはなんと言うだろうか。言うことは一つしかなく、それはもうわかっていた。
ただ今回は、僕が最初に駆け寄りたくて、僕が最初に言ってやりたかった。
半分シーツにくるまりながら、これまで言ってこなかった言葉を口にする。
「おかえり、ローガン」
白シャツ姿のローガンは顔だけをこちらに向けると嬉しさを押し殺すような笑みを浮かべた。
「ただいま、スコット」
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