黙示録を阻止するためカスティエルは神の情報を探していたが、状況は芳しくなかった。四騎士も現れ始めてから天界も不穏な動きを見せていた。神の助けも得られないとなれば、この窮地を脱することも難しい。焦燥とした苛立ちを感じながら、ディーンから借りた神を探す助けとなるペンダントを握りしめる。
天界を裏切りウィンチェスター兄弟に協力することを選んだ意志に後悔はない。だが、信じるものを疑い始めているのは否定できない。
そんな時だ。サム・ウィンチェスターから至急来て欲しいと連絡があった。携帯端末を片手に眉を寄せたカスティエルは訝しんだ。理不尽な理由で要請されることは度々あるが、連絡をくれるのはいつもディーンだからだ。
「緊急の事態なのだろうな」
不機嫌に返答をしたカスティエルだったが、サムは「ディーンが大変なんだ」と困憊している様子が声からも伝わり、翼を広げ指定されたモーテルへと飛んだ。
カンザス州のベルモントにある町から少し離れた場所にモーテルがあった。
悪魔の気配がないことを確認したカスティエルは、兄弟が泊っている部屋へと飛んだ。ディーンの状態が気がかりだ。サムの話ぶりから魔物に重症の怪我を負わされたのかもしれない。そんな想いが駆け巡るカスティエルがあびたのは驚愕に声を荒げるディーンの声と、聖水だった。
「なんだ!? お前!」
「
……ディーン、落ち着け私だ」
濡れた顔を拭い、カスティエルは低く唸る声でディーンを見やった。
「誰だよ!」
カスティエルからサッと距離をとるディーンが叫ぶ。
何かの冗談かと、彼の言動を訝しんだ。ディーンと共にいると、首を傾げることが多々ある。彼の本心を見抜くには苦労する。
しかし、目の前のディーンはジロリとカスティエルを睨んでいる。警戒心を露わにするそれは冗談には見えない。
首を傾げたカスティエルは目を細める。怪我をしているのかと思ったが、身体に外傷は見られない。ディーンの言動が奇妙なのは理解できるが、それ以外は問題ないようだ。
「キャス! 良かった。来てくれたのか」
「君が呼んだのだろ」
サムが安堵しながらディーンとカスティエルの間に割って入る。
「ディーンはどこが悪い? 健康に見えるが?」
ぶっきら棒に呟いた言葉に、サムは苦笑する。
「身体はね。
……記憶喪失なんだ」
記憶喪失
――。それで合点がいく。カスティエルはディーンに何があったのか問いかけようとしたが、割り込まれたので押し黙った。
「おい、サム。こいつは何だ? 突然、部屋に現れたぞ。まさかお前また悪魔とつるんでるのか?」
カスティエルは眉を寄せサムを見やる。
「君のことは覚えているようだ」
「ああ、
……だから少し変なんだ」
サムは深い溜息をついて事の顛末を話す。
いつも通りの狩りだと油断していたのだろう、兄弟たちは町で起きている不可思議な事件を魔女の仕業だと確信し、調査を進めた。
事件の詳細はこうだ。教会にあるリハビリテーションに通っていた者たちが次々と記憶を奪われた。被害者の多くは傷つきトラウマを抱えた者たちばかりだった。彼らはある意味、回復したともいえる。トラウマを受けた時期からすっぽり記憶が抜け落ちていたからだ。しかし、当惑したのは周囲の者たちだ。パートナーに忘れられた者や、大事な思い出を共有していた者たちは悲しみ傷ついた。
「忘れることが根本的な解決にならないのに。リハビリテーションの患者を診ていた奴が人の記憶を弄んでいる。僕らは魔女を仕留めるつもりで準備をしていた」
そうサムが言葉を添えながらディーンにチラリと視線を向けた。その視線を追い、カスティエルが眉根を寄せる。
「
……ディーンがどうかしたのか?」
「今思えば全てが僕たちを誘い出す罠だったのかもしれない。犯人は魔女じゃなかった。あれは
……天使だよ」
サムは伏せた視線を上げ、カスティエルを睨んだ。
ウィンチェスター兄弟は銀の弾丸を用意し、リハビリテーションの従業員を見張っていた。手っ取り早くディーンが囮になると言い、患者を装いリハビリテーションに紛れ込んだ。サムは患者の家族として付き添う形だ。
診察していたのは男だったが、魔術を使う素振りを見せなかった。喪服のような黒いスーツの井出立ちであることも奇妙だった。それはまるで、死神か天使を思わせる雰囲気がある。
ディーンとサムはハッとして互いの顔を見やった。安易に魔女だと決めつけ調査を見落としていたことに気が付いたのだ。
そして、予想外のことは立て続けに起こる。
男がディーンを見やって、こう言ったのだ。
「やっとお目にかかる。ミカエルの器、ディーン・ウィンチェスター」
咄嗟にディーンが銃を発砲したが、男の胸に命中するも倒れない。天使だと確信した時には遅かった。男がディーンの額に指をあてると、全身の力が抜けたように崩れ落ちたのでサムは慌ててディーンを抱きとめたのだ。
そして、男は薄っすら笑みを浮かべ消えた。大きな翼をはためかせる音だけを残して。
サムから説明を受けたカスティエルは表情を歪めたまま押し黙る。人の記憶を奪う天使。思い当たる節がある。
「サリエルだ。死の天使だと言われている。どちらかというと死神に近い」
そう言ってカスティエルはいいようのない苛立ちを感じた。その焦燥と憤怒に近い感情がどこからくるのか理解できず、だからこそ不愉快だった。
他の天使がディーンに接触してきた理由はミカエルの器だからだ。彼らはディーンを器としか見ていない。しかし、何故、今だったのだろう。一度ディーンを軟禁し懐柔策を模索した天界側だったがミカエルをディーンに憑依させることはできなかった。
カスティエルはディーンに視線を向けると、あることに気付いた。ディーンの魂に揺らぎが見えた。何かが欠けている。記憶がない事と関係しているのか。思案していたカスティエルは、腕を伸ばしディーンの額へ触れる。
「ディーン
……地獄に堕ちた時の記憶はあるか?」
「触るな!」
払いのけられた手をそのままに、表情を歪めた。完全な拒絶だ。敵意を向けられるのは慣れているが、ディーンからだと胸が締め付けられる。だが、それ以上に苛立ちを感じる。
目の前には不信感を漂わせ、カスティエルを睨むディーンがいる。得体の知れないものを見るような瞳。初めて対峙した時も同じ視線を向けられた。ただ、それは一年前のことだ。なぜ、再び彼のその視線と対面しなければならないのか。カスティエルは口を噤んでディーンを睨んだ。
お互い睨み合う形となり、傍にいるサムは困惑しながらディーンに説明する。
「ディーン、キャスは天使で味方だ。今は僕たちに協力して黙示録を止める手立てを探してくれている」
「サム、天使なんているわけがない。俺の目の前にいるコイツはくたびれた会計士に見えるぞ」
ディーンの発言にカスティエルは苦笑する。
「おい、今笑ったのか?」
ディーンが眉を寄せた。
「以前、君に同じことを言われた」
二度目だと伝えれば、ディーンはますます表情を歪める。彼が不機嫌になるのは無理もない。彼だけが取り残された感覚を味わっているのだから。
だが、カスティエルもまた不機嫌なのは変わりない。改めてディーンを見やった。内なる魂は輝いているが、足りない欠片がある。それはガラス細工に砕けた部分があるようなものだ。欠けたそれは記憶の二年分。手を伸ばして力づくに奪い取った。ディーンの魂に興味本位であれ触れることは天使であっても許しがたい行為であり、怒りが沸く。
自分以外の天使がディーンに接触したこと。美しい魂の一部を切り取ったことだ。
奪った天使を許さない。
拳を握りしめ、息を吐いた。
「サリエルが奪ったディーンの記憶は必ず取り戻す」
カスティエルの低く唸る声にサムが驚く。
「キャス!? 待って、一人で行くつもりか? 僕らも協力する」
「邪魔だから不要だ」
きっぱりと言い捨てると片手で天使の剣を回しながら持ち手を変える。翼が羽ばたく寸でのところで、ディーンに腕を掴まれた。
「待て! 俺も行く! 俺の記憶のことだろ!」
そうディーンが叫ぶと、カスティエルは目を丸めた。傍に寄ったディーンの身体を包み込むように広げた翼を覆う。飛ぶ衝撃に人間の身体が耐えられないからだ。そのため、カスティエルはディーンと身体を密着させた。
「おい、」
と、ディーンが文句を放つことを許さずカスティエルはディーンを連れて飛び去った。
モーテルの部屋に羽ばたきの音と共に残されたのはサムだった。深い溜息が部屋に満ちる。
サリエルの気配を追って飛んだ先は教会だった。深夜なので辺りは静まり返り人の気配はない。カスティエルは周囲を警戒する。
月明かりだけが室内を照らし、窓の影が床に落ちる。それは十字架のような形の影。そして隣には天使の像。カスティエルは顔を上げる。
片翼の天使の像がカスティエルを見据えるようにそびえている。人間を監視するような威圧感があり、まさに天使の本質を表していた。
背後で膝から崩れ落ちる音がして、カスティエルは振り向く。
「ディーン!」
天使の移動に慣れない人間の身体は一時的に眩暈を感じるようだった。ディーンの顔色は悪く、床に手を付いたまま動かない。手を差し伸べるカスティエルをディーンは止めた。
「平気だ」
膝に力を入れ、立ち上がる。ディーンはカスティエルに視線を向けた。
「で、俺の記憶を奪った奴はどんな奴だ?」
そう言って教会の長椅子にゆっくりと腰かける。
カスティエルは頷き、サリエルについて知っていることを話す。ディーンの隣にある長椅子に座る。こうしていると、以前にも同じような光景があったと思い浮かべて口元を緩めた。
「
……ふとした時に、そういう顔をするのは何でだ?」
顔を向けたディーンは眉根を寄せて呟く。カスティエルは緩めた表情を引き締める。君を想う時だとは言えず、誤魔化すように咳き込んだ。
「君の記憶を奪った天使だが」
サリエルは死を予知する天使でもあり、彼は生前の人間の元に姿を現し深く傷ついた記憶を取り除いてから死に誘う。しかし、実際ディーンの様子から取り除いているのは「記憶」ではなく「魂の一部」だ。それに厄介なことに
――
「サリエルはミカエルの信者だ」
ディーンは首を傾げる。
「ディーン、君はミカエルの器だ。サリエルはミカエルを敬愛し、命令に従順だ。狙いは君をミカエルに献上するためだろう」
カスティエルは天使の像を睨んだ。いいようのない憤怒が漏れ、自身も天使だから彼らの傲慢な思考が理解できてしまう。そんな思いが表情に出ていたのか、ディーンが躊躇しながら問う。
「
……怒っているのか?」
天使が天使に対して嫌悪感を抱くことが不可思議だといった様子だ。警戒心が緩んだディーンの視線に、カスティエルは少し安堵した。けれど、彼が指摘した通り苛立ちがこみ上げる感情の理由が自身でも説明ができない。
一言でいうなら、
「そうだ、ムカついている」
「は?」
カスティエルの返答に拍子抜けしたディーンは目を丸めたが、すぐに口を開け笑った。
「はあ? なんだそれ、お前、変な奴だな」
ひとしきり笑った後、ディーンはカスティエルを見やった。その一連の光景が、娼館で娼婦に追い出された時のカスティエルを見て笑ったディーンを思い起こさせる。人間の限られた生の中で瞬きするほどの時間だが、カスティエルは永遠にその光景を忘れない。彼が覚えていなくても。何気ない光景を見てはディーンとの思い出に結びつく。
だからこそ、許せなかった。
「君の魂に干渉した天使がいる。それが許せない」
率直な気持ちを吐露すれば、ディーンが一瞬キョトンと呆けた後すぐに頬を赤らめた。表情の変化に怪訝に眉を寄せる。ディーンはフイッと視線を外してから、呟いた。
「それって、お前
……俺のこと、」
言いかけたディーンは、静止したように言葉が途切れた。カスティエルが目を見開いた時には、ディーンの背後にはサリエルの腕が迫り彼の目元を覆っていた。
「ディーン!」
反応が一歩遅れ、伸ばした手はディーンの身体を掴み損ねる。ディーンは気絶したように目を閉じ動かない。サリエルはカスティエルに掌を向けて吹き飛ばす。
後方に倒れたカスティエルだったが、すぐに態勢を立て直しサリエルに天使の剣を突きつけた。
喉元に添えられた剣からカスティエルに視線を移したサリエルは薄く笑んだ。
「カスティエル、お前のそれは執着がすぎるのではないか?」
「何だと?」
サリエルもまた天使の剣に応戦し、カスティエルの剣先を跳ね除ける。
「彼はミカエルの器だ。お前が介入しなければ彼はミカエルに「イエス」と返事をして事なき終えた」
片手にディーンを抱えるサリエルはカスティエルを睨む。サリエルはディーンをただの人間だと軽視していない。むしろ、敬意を払うようにディーンの身体を丁寧に扱った。横抱きにしたディーンをゆっくり長椅子に横たえる。
「可哀そうに
……ディーン・ウィンチェスターという男は、我々が想像していた以上に傷つき深く闇に囚われていた」
そう呟くとサリエルは懐から小瓶を取り出す。中には闇夜よりも深い暗黒を包み込む黄金が輝く光が入っている。ディーンの片割れの魂だ。
「これはこれで美しいが、ミカエルの器になるのなら不要だ」
小瓶をかざしサリエルは目を細める。
「本来ならミカエルが地獄にある正義の男の魂を救うはずだった。筋書きを本来に戻す」
サリエルの言葉にカスティエルは戦慄を覚える。
「ディーンの魂の一部を切り取ったのは記憶を改ざんする為か」
サリエルの目的に気付いた途端、嫌悪に情を焦がす。カスティエルは叫んだ。
「我々の一存で人の魂を弄ぶことは許されない!」
「カスティエル、お前が出しゃばらなければこんな面倒なことにならなかった」
サム・ウィンチェスターはルシファーの器に、ディーン・ウィンチェスターはミカエルの器であるべきだ。黙示録の果てにミカエルの勝利は約束された筋書き。神の啓示なのだから。と、サリエルは明け透けに言ってのける。
「お前も最初は従っていたはずだ。正義の男はミカエルの槍となりルシファーを倒す。承諾の部屋に誘い込んだのはお前だったじゃないか」
カスティエルは拳を握りしめる。サリエルが指摘した通り最初はカスティエルも従順に天界の命令に従っていた。だが、ディーンと共に行動するうちに天界に対して疑念を抱いた。
器になるということは、ディーンがディーンでなくなるということだ。彼の魂もミカエルの手中になる。
このままで、本当に良いのか?
そんな迷いが浮かんだ時、ディーンに諭された。
ディーンの魂がどれほど美しいか地獄で目にしたので知っている。他の誰のものではない。ほんの欠片でも誰かが手にして良いものではないのだ。
「ディーンの片割れの魂を返してもらう」
カスティエルは強く剣を握りしめた。
× × ×
ディーンがゆっくり瞼を上げる。ヘイゼルグリーンの瞳がカスティエルを映し、光が宿るとカスティエルは胸を撫で下ろした。抱き起こしたカスティエルは、顔を覗き込む。
「大丈夫か?」
ディーンはゆっくりと上体を起こし、カスティエルを見やった。
「
……お前こそ、大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
チラリと床に倒れているサリエルに視線を移したディーンは、大方の状況を飲み込んだようだ。天使の翼の影が床に焼き焦げていた。胸の穴は天使の剣に一突きで息絶えたと分かる。
「仲間を殺したんだろ? 後味悪いよな」
「仲間ではない」
カスティエルはサリエルを軽蔑するように一瞥した。教会の地下に他の人間から奪った魂の片割れが大事に保管されコレクションのように飾られていた。カスティエルは全ての小瓶を割ったので、今頃被害者たちの記憶は元に戻っているはずだ。
傷ついた魂を戻しても良かったのか、躊躇したが、とカスティエルは言葉を濁した。
「正しい判断だよ」
ディーンは真っすぐにカスティエルを見上げる。その真摯な視線に頷いた。そして、トレンチコートのポケットから小瓶を取り出す。
「
……君の奪われた魂の欠片だ」
「
……これが、俺の魂?」
受け取ったディーンは中に入っている黄金の輝きを見つめる。
忘れたいと思うほどに辛く傷ついていたとサリエルが示唆したのは真のことだ。それは黒く蠢いていたが黄金の輝きに包まれている。地獄で穢された核のようなものだ。受け入れるか否かをディーン本人の判断にゆだねる。
ジッと小瓶に入っている魂を見つめていたディーンは、ふとカスティエルに笑みを浮かべた。
「これでお前のことを思い出せるな」
カスティエルは目を丸めた。
「君が忘れたがっていた地獄の記憶も蘇る」
「けど、お前が救ってくれたんだろ? なら、忘れるわけにはいかない」
サリエルとの会話を聞いていたのか、ディーンはそう答えた。笑みを浮かべたその表情を見つめたカスティエルは目を細め感嘆と溜息をつく。
「やはり君の魂は地獄に堕ちても美しいままだ」
そう告げると、ディーンに手を差し伸べる。掴まれた手に力を感じ、自然とカスティエルの表情が和らいだ。寄せられる信頼を感じたからだ。
きっと、これだけは他の天使には理解できないだろう。
ディーンは笑って魂の欠片を自身に受け入れた。
終
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