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千代里
2024-10-25 13:01:56
9859文字
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リーブラ短編
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桂花、堂々と
金木犀が嫌いだった。
庭にあって、普段はさして目立たずに、他の華やかな木々に隠れ潜むように佇みながら、花をつける頃だけ殊更に主張するその花木が嫌いだった。
その姿ではなく。
その花ではなく。
その匂ではなく。
その生き方が、嫌いだった。
「知っていますか、若様。この花はですね
――
」
嘴の飾りをつけた妙な帽子を被った商人が、そのことを教えてくれた日から。
小さいくせに小賢しいその花木が嫌いだった。
なぜなら、まるで。
***
発端は何気ない一言からだった。
「ん。なんかトゥーリからいい匂いするな」
腐れ縁で行動を共にしていたヴィエラ族の男
――
エレルトが、部屋に入ってきた仲間を見て開口一番そう言ったのだ。
入ってきたのは、クガネの街に買い物に出ていた女性だ。これまた腐れ縁となったヴィエラ族の女トゥーリは、エレルトの発言を聞いて、とってつけたように取り澄ましていた顔を破顔させた。あたかも、最初から訊かれるのを待っていたかのように。
「そうなの、エレルトにもわかる?」
ついでに、トゥーリはこちらにも首を向ける。自分と腐れ縁で行動を共にしている男
――
すなわちカナタへと。
そんなキラキラした目を向けられても、残念ながらエレルトの言う『匂い』は彼には分からなかった。
「何も匂いませんよ。そこまで良くありませんから、ヒューランの嗅覚は」
耳の良さはもちろんのこと、鼻の良さもヴィエラ族の特徴ゆえか。それとも彼らが過ごしていた故郷の森での生活が伸ばした才能か。どちらにせよ、カナタにはトゥーリから何の匂いがしているのか、皆目見当がつかなかった。
踊るような足取りでトゥーリは土間にてブーツを脱ぎ、畳の上にあがる。
この習慣が馴染むようになってからも、実はまだ日が浅い。外国人御用達のこの宿では、沓脱石や土間の境目には誤ってブーツであがってしまった客人のせいで、畳のヘリが土で白んでしまっていた。
「とーっても良い匂いだから、エレルトとカナタにも知ってほしかったのに。ヒューラン族では嗅げないのかしら」
「残り香だからわからないだけじゃねーか? それ、かなり薄くなってるだろ」
「じゃあ、匂いの元に行けばわかるということね」
パチンと手を合わせて、子供のように笑うトゥーリ。
振る舞いだけ見れば愛らしいが、彼女はカナタと呼ばれたヒューラン族の男よりも、同胞であるエレルトよりも背が高い。凸凹の柵のような組み合わせだと、トゥーリと眺めながらカナタは思う。
「で、どこでその匂いをつけてきたんだ?」
「歩いていたときに、上から匂いが落ちてきたなと思った瞬間があったの。そのときに、匂いが移ったのだと思うわ」
「ふーん? そういえば、最近この手の匂いが、あっちからもこっちからもふわふわ漂ってきた気がすんな
……
」
「そうなのよね。あれって、何の匂いなのかしら」
不思議そうに顔を見合わせるトゥーリとエレルト。彼らはクガネに来てまだ日が浅い。いや、そもそも東方を訪れたこと自体がごく最近だ。当然ながら、東方の文化や動植物については疎い。
「ねえ、カナタ。匂いの強い、今の時期に置かれる香のものとかあるのかしら」
一方で、カナタはクガネ出身ではないものの、東方で育った生粋の東方人だ。トゥーリに期待を込めた視線を向けられたものの、
「聞いたことありませんね、そんなものは。もう少し気温が高い時期なら、香を炊いて先祖を迎える風習の時期ですので、そういうことをしている地域もあるそうですが」
「へえ、そんな風習があんのか。それってどういうふうにやるんだ?」
「エレルト、私も気になるけど今は後にしましょう。話が脱線してしまうわ」
エレルトという青年は、好奇心旺盛で何に対しても疑問を抱き、その疑問を解決しようとぽんぽん質問を投げかけてくる。そのせいで、話の本筋が乱れがちであり、トゥーリが都度修正を行なっていた。目下、トゥーリが気になっているのは、自分に映った匂いのことだ。
「香じゃないなら、花木かしら。この時期に咲く、匂いの強い花とか
……
」
「なあ、トゥーリ。それ、聞くのはいいけれど、聞いてどうすんだよ」
「もし花を分けてもらえるなら、ポプリやサシェにしたいのよ。おでかけのときに好きな匂いを持ち歩いたり、家を自分の好きな匂いで包むのって素敵でしょう?」
エレルトの質問に、トゥーリは弾むような声で返す。怪訝そうな顔をしたのは、今度はカナタの方だった。
「
……
何ですか、それは」
「私もこの名前はエオルゼア地方に来てから教えてもらったのだけれど、乾燥した匂いのする草木を袋に詰めたものなの。香水って、カナタはわかる?」
「ええ。香料付きの揮発性の高い液体のことでしょう」
「香水のことをそういうふうに表現する人、初めて見たわ
……
」
トゥーリが目を丸くして、カナタを見やる。
余談だが、当然ながらそのような匂いの強いものは、カナタの古巣でもあるガレマール帝国軍では、一部の上層部以外では御法度だった。香水をつけているということは、すなわち身分の高さの表れでもある。
「ともあれ、香水のような液体でもないから持ち運ぶ用にも取り分けられて、こぼす心配もなし。持ち物の中に忍ばせて匂いが移るのを楽しめるの。結構売れるのよ」
付け足された言葉を聞く限り、トゥーリは単なる趣味で良い匂いのする袋を作っているわけではないらしい。さすが、何十年も世界を流離っていた冒険者だ。商売魂もそこそこに鍛えられている。
「いい匂いのする花ねえ。おれ、その辺りは興味ねーからなあ」
エレルトは、屋台に行けば装飾として飾られている花よりも、食べ物の方に目が行きがちだ。トゥーリの言うような花の匂いに鼻をひくつかせたことはない。
「じゃあ、カナタはわかる?」
「わかるわけないでしょう。どんな匂いかもわからないのに」
「甘くて、ふわっと鼻先に香ってくる香りよ。ううん、言葉にするともどかしいわね」
嗅いでもらえればすぐわかるのに、とトゥーリは唇を尖らせる。
実際「いい匂い」と言われても、人によって種族によって、良いと感じる匂いは異なる。カナタは、ヴィエラしか嗅げない嗅覚の範囲内のものではないかとかぶりを振ってみせたが、
「街を歩いていても、とりたてて目につくものではないと思うの。気がついたら、いつのまにか、隣に寄り添っているような感じなの」
「でも、おれが気づくぐらいだから、匂いの主張としてはまあまあ強いよな」
「そうね。だから、大きな花でも咲いているのかなと思ったけれど、どうもそうではないみたいなのよね」
そこまで大きな花が咲いていれば、いやでも目につく。しかし、それらしい花はない。なのに、匂いだけがまるで共連れのように、いつのまにか寄り添っているのだとトゥーリは力説する。
東方については疎いトゥーリたちには、花の知識も当然ながら乏しい。何かを期待するかのように、二人の視線がカナタに突き刺さる。
見た目は華美ではなく、しかし匂いだけは強く印象に残る。そんな木があるだうかと思い、
「
……
ああ」
「思い当たるものがあるの?」
「一つ。大して目立つような花がないくせに、匂いだけは派手なもので、この季節に咲くとしたら」
カナタは、どこか苦々しさを混ぜた声で言う。
「それは、間違いなく金木犀でしょう」
***
「金木犀は、今の季節に花を咲かせる木です」
「でも、それらしい木は見たことはないわ」
「小さいんですよ、花そのものが。それに、葉の腋に咲くので目立ちません」
結局、トゥーリに頼まれて、カナタは彼女と共にクガネの街に繰り出していた。
華やかな薄紅の髪を揺らすトゥーリは、高身長とその長い兎に似た耳も相まって街ではよく目立つ。
今日の装いは彼女の髪に似た落ち着いた薄藤色に、秋草を思わせる紋様を染め抜いた小紋だ。帯も着物にあわせた灰茶色である。着物の取り合わせとしては落ち着いたものであるが、トゥーリ自身が華のある風情を漂わせているために、街を行く者で彼女を知らぬ者は思わず足を止めていた。
対するカナタは濃紺の着流しに灰色の羽織と、とりたてて目立った様子はない。腰の帯に手挟んだ打刀が、かろうじての特徴と言えるだろうか。
華やかなトゥーリがカナタの分も注目を集めてくれる分、あれこれ考えずに歩けるので、カナタは彼女と連れ立つのはそこまで嫌いではなかった。今の自分は、目立ちたいとも人目につきたいとも思えない。空気のように全てが通り抜けてくれたら
――
そんな風に思うことがままあった。
「その木、とても大きいの?」
「いえ。庭に植っているものは、大抵平屋の一階ぐらいです」
「そうなのね。でも、私が先ほど歩いていたときは、上から匂いが降ってきたと思ったのだけれど
……
」
「降ってくるわけないでしょう、上から。あなた、自分の身長をいくつだと思っているんですか」
エオルゼアで見かけたララフェル族ならいざ知らず、どの種族と比較してもトゥーリは高身長を誇る。上から匂いを降らせる花木など、よほど樹高が高くないといけない。
「そうなのよね。だから、森を出てから、匂いが上から降ってくるなんてこと、そうそうなかったのだから、嬉しくなってしまったの」
「そうですか。見えてきましたよ、ほら」
トゥーリが先ほど話していたように、鼻先を甘い匂いが掠める。
知らぬうちに隣に寄り添っているような、物静かなのに気がつくとその主張の強さにたじろがされるような。その匂いの主が、カナタが指差した先にあった。
「まあ、こんな所にあったのね。この通りならいつも使っているのに、気にしたこともなかったわ」
「大して目立たない木ですからね、金木犀は。この時期にならないと、そこにあると気づかないのも当たり前です」
カナタが言うように、トゥーリは頻繁にこの商店街を利用していたのに、入り口付近にある商店の庭先に植えられた木
――
金木犀の存在に気づけなかった。だが、言われてみれば、確かに彼が指差している木から、彼女の求める芳香が漂っている。
近づいてじっと目を凝らしてみると、木には花がいくつかついていた。葉に寄り添うように咲く花は、随分と小さい。爪先ほどのオレンジ色の花が、小さな群れを作るように咲いていなければ、きっと見落としていただろう。
「うん、とってもいい匂い。でも、ポプリにするのは難しいかしら。花が小さすぎるわ」
「そうですか。満足したなら
――
」
帰りましょう、と言いかけたカナタは、トゥーリが庭先の金木犀を見つめながら眉を寄せていることに気がついた。どうしたのかと、彼は嘆息を押し殺して、
「まだ何かあるんですか」
「
……
うーん、やっぱりさっきは匂いが空から降ってきたと思ったの。この匂いではあるのは確かなんだけれど」
「そんなに大きくなる木ではありませんよ、それは。大して大きくもならないくせに、匂いだけで人を誑かすような木です」
平時は冷然としていても客観的な事実だけを拾い上げるような言葉選びをする彼にしては、随分とはっきりと棘が見える発言だった。思わず、トゥーリは視線を金木犀から案内人である青年に向ける。
「
……
もしかして、カナタって金木犀が嫌いなの?」
匂いが嫌い、というわけではないのだろう。匂いが嫌いなら、近づくだけで嫌そうな顔をするはずだ。あるいは、近づくことそのものを嫌うに違いない。
だが、彼は接近自体に躊躇はしなかった。ならば、この棘まみれの言葉の理由は別にあるはずだ。
「嫌い
……
ええ、そうですね。嫌いです」
「どうして?」
「狡いからですよ、その木は。いや、浅ましいと言うべきか」
石畳を打つ草履の音が響く。それは、金木犀の前で止まる。地面にこぼれ落ちていた花を足指の先で軽く蹴ってから、
「金木犀は、もともとこの地方に自生していた木ではない。持ち込まれたものだそうです。そして、持ち込まれたのは、匂いの強い雄の株だけ。当然ながら、雄株だけでは種として増えることはないんです。ならば、なぜ、この木はあちこちにあるのか」
彼は何かを思い出すように眉を寄せながら、続ける。
「匂いが強いから好まれた。好まれたから、ヒトがあちこちに植えて増やした。これは、ヒトの手がなければ、自らの存在を増やすこともできない木です」
トゥーリは、クガネの街のあちこちから匂いがしたと言った。エレルトですら気づくほど、その木はあちらこちらに姿を見せるほどに数を増やしたのだ。
「誰かに媚を売らなければ、己の存在を確かなものにもできない。嫌いなんですよ、そういう他力本願なところが。大して大きく育ちもしない弱い木のくせに、好かれるために自分の匂いをこれみよがしに振り撒くところも含めて」
何かに媚び諂わなければ、己の命すらつなげない。小さくしか育たないくせに、自分の存在感を主張することは忘れない。他人の手を借りなければ、生きられないくせに。
カナタの脳裏に、ある家の庭がよぎる。大して大きくもないのに、その時になると己の存在を忘れるなとばかりに主張する金木犀は、まるで故事にある『虎の威を借る狐』だった。
「
……
驚いたわ」
「別に珍しくもないでしょう。ヒトの手を借りなければ育たない花木は、西方にもありましたから
――
」
「そっちじゃなくて。あなたから自分の『嫌い』の話をしてくれたことのほうよ」
思いがけない言葉が飛び出してきて、カナタは目を丸くしたまま硬直した。
言われてみれば、態度に出したことはあれど、自ら己の好悪を口にすることは
――
しかもこんなにも長々と語ることは、カナタは彼らの前でこれまでほとんどしていなかった。どうせ、行きずりの関係だ。遠からず別れるだろうからと、どこかに一本線を引いていたらしい。
「木の増え方は、確かに興味深いと思うわ。でも
……
そうね。私が今気になっているのは、空から降ってきた金木犀の匂いの方。どこか高台に生えているのかしら」
「そうかもしれませんね。行ってはどうですか、その空から降ってきた匂いの所に」
カナタが促すと、トゥーリはと頷いて、今度は自らが先頭に立って歩き始めた。もしかしたら、苦々しさを隠せずにいる連れの様子を見て、意図的に話題を切り替えてくれたのかもしれない。
彼女不明瞭な気遣いをありがたく受け取ったものの、カナタは重たさの残る足取りでトゥーリを追いかける。
かつて、金木犀がどうやって増えたかを聞いたとき、脳裏によぎったのは故国や生家の実情だった。強国が与える恩恵を受け取りながら、それを悪様に罵り、かといって自ら理念を掲げて行動するわけでもない生家やそれに連なる者たちを、どこかで自分は見下していた。
だが、今はまた違う感情がよぎる。
大見得を切って生家を飛び出しておきながら、おめおめと故国に戻ってきた自分。誰かの描いた理想を己の夢にすり替えて、結局は道半ばで脱落するしかなかった自分。
――
虎の威を借る狐は、果たしてどちらだったか。
「カナタ、来て来て。ほら、この辺りなの」
トゥーリの言葉に我に返り、カナタは下を向けていた頭を持ち上げて近寄る。
その近寄る途中であっても、すぐにそれとわかるほどに、空から匂いが降ってきていた。
甘く、柔らかく、長年人々を魅了してきた香りが。その匂いに惹きつけられ、各地に植えられて数を増やすほどに愛された匂いが。
空から、雨のように落ちてくる。
「この辺りに、先ほどみたいに小さな木は見当たらないわね。高台の家にある金木犀の匂いが落ちて来ているのかしら」
彼女の言うように、周囲にはそれらしき庭木はない。あるとしたら、二人のそばにある二階建ての家の庭に植っている巨木だ。木の中でもかなり大きい部類であり、生き生きと伸びた枝葉は二階どころか屋根にまで差し掛かっている。
「そんなに高い距離から匂いを落とせるほど、強烈ではないと思いますが。金木犀なんて小さな木なのですから」
そうやって話しながら、ふと木陰を作っている巨木を見上げ
――
カナタは目を丸くする。
なんの変哲もない葉の形は、どこか見覚えがあるものだった。その腋に塊をなしているのは、これまた見覚えのある
――
金木犀の花。
堂々と枝を広げ、屋根すら覆わんばかりに広がる姿は、庭先に植っていた小さな金木犀からは全く想像できない。しかし、それはまさしく
――
。
「
……
金木犀って、小さな木なのよね?」
「その、はずですが
……
」
今日初めて金木犀を意識したトゥーリ以上に、カナタは目の前の威容に圧倒されていた。
葉脇に咲く花々は大きくなっても衰えることなく、無味乾燥に見えた枝葉に今この時だけの彩りを添えていた。微かに吹く風に枝葉を揺らすそれは、まるで自らの姿を誇るかのように甘い匂いを降らせている。
虎の威を借る狐とかつて揶揄していた青年に、「どうだ参ったか」と言わんばかりに。
「驚いたかい。この辺を通る人は、みんなそんな顔をするんだよ」
不意に、横合いから声がかけられる。見ると、庭先に顔を出した住人と思しきルガディン族の男がこちらに声をかけていた。
「すみません。これって金木犀なのですか?」
トゥーリが早速男に声をかける。男は、おうともと頷いてみせた。
「そうは見えないかも知らんが、れっきとした金木犀だぞ。でっかいだろう?」
「金木犀って、小さな木だと教えてもらったのですが」
「そりゃあ、普通の木は剪定してあるからだろうな。放っておいたら、これくらいには育つとも。切ってしまおうかとも思ったんだが、ここまで育ってから切っちまうと、今度は花をつけなくなるって園芸やってる兄ちゃんに言われちまって、枝先を整える程度にしているんだよ」
伸びてしまったが最後、深く傷つけるような真似をしたら今度は花が咲かなくなる。金木犀の魅力は、その花と花から香る匂いだ。肝心の花がつかなくなったら意味がないと、男は大きく手を入れることを諦めたらしい。
「放っておいたら、こんなに
……
」
カナタを見下ろすように聳え立つ金木犀を前にして、彼は思わずその姿を仰ぎ見る。
かつて、小さな木のくせに主張だけが一人前だと嗤っていた木は、実はその成長をヒトによって阻害された結果だと知った。
たとえ、己を増やすための術を持たず、誰かに阿るように匂いを撒き散らし、自身を主張することしかできなかったとしても。一度根を下ろせばどこまでも枝を広げ、大きくなっていく。不当にその力を押さえつければ、しっぺ返しとばかりに花をつけなくなる。
虎の威を借る弱い狐どころか。
――
これは、強かで図太い木だ。
「ねえ、おじさま。こちらの花でポプリ
……
香り付けをする袋のようなものは作れないでしょうか」
「ああ、西のほうのお客様はそういうのが好きだね。うちでも試したことはあってね。金木犀は一癖あるからやり方が知りたいなら、よければ教えようか」
「ぜひとも、お願いします!」
その言葉を聞いて、トゥーリはパッと顔を輝かせる。どうやらよほどこの匂いが気に入ったらしい。男の話をふんふんと聞いて、早速頭の中のメモ帳に書き留め始めたようだ。
一方、カナタは依然として金木犀を見上げている。かつての自分が知らなかった姿を、その目に焼き付けるかのように。あるいは、金木犀そのものが目を離すなとカナタの視線を固定しているかのようでもあった。
「
……
ありがとうございます、大体やり方はわかりました。素敵なお花、また見に来ますね」
「ああ。花の見頃はここ数日だから、早めに来るといいよ」
会釈をして住人の男に別れを告げてから、トゥーリは金木犀を見上げ続けているカナタの袖を引く。微かに布が引っ張られる感覚に我に返り、カナタはトゥーリへと視線を移した。
「カナタ、お待たせ」
「ああ。もう終わったんですか」
「ええ。花を分けてもらえるなら、匂い袋が作れるだろうって」
「そうですか」
それはよかったとも言わずに、カナタはもう一度金木犀を見やる。見上げてもなお樹上を目視できるかも怪しい程の高さに育ったそれを。
「随分と大きい金木犀もあるのね。小さい木だって聞いていたから、驚いたわ」
「ええ。
……
知りませんでした、こんな風に育つとは」
「そうだったのね」
「
……
どうやら、私は随分と視野を狭くしていたようです。まさか、東方にいた側の自分が教えられることになるとは」
それは、己への自省というよりは自虐を混ぜた声音だった。自分の胸に爪を立てるような、そんな痛みが残った物言いに、トゥーリは数瞬言葉を迷い、
「
……
でも、嫌いなもののことを知ろうとするのは、難しいことだと思うわ」
「
――――
」
カナタは、どこか気まずげに視線を逸らした。トゥーリの言葉を聞いて、先だっての自分の発言を思い出したからだ。
この木を気に入ったという異国のものに対して、我ながら随分と当てつけめいた愚痴を口にしたものだと、今更ながら自身への呆れが混ざった苦い感情がよぎる。
とはいえ、謝るのもどこかで片意地を張った自分が居座っているせいで素直に口にできない。辛うじて口元を曲げて、次の発言を探していると、
「だけど、知らないところを知ったなら、また少し見方が変わるかもしれないわね。私はもしかしたら、これからこの木が嫌いになってしまうかもしれないし、あなたは
――
」
「好きになるかもしれない、と?」
冗談を、と自虐を混ぜた笑みが口の端に登る。流石にそんなにも素早く持論を覆す気にはならない。少なくとも、今は。
「好きも嫌いも、そうやってひらひらと紙切れみたいに移り変わるものじゃないかしら」
「私は、そんなに移り気になるつもりはありませんよ」
「そう? でも長い時間を生きていたら、一つの考え方を持っているだけでも疲れてしまうわ。宗旨がえも時に悪くないわよ」
亀の甲より年の功と言ったのは誰だったか。確かに目の前のヴィエラ族は自分より年上であり、年齢の差を口にされると反論はできなかった。
それでも、すぐに頷く気にもならず、カナタが沈黙を守り続けていると、
「じゃあ、今はいいわ。それなら、好きなことの話をしましょう。ねえ、カナタは好きな匂いってあるのかしら」
「
……
は?」
「金木犀は嫌いなのよね。それなら、他にあるのかしら。エレルトはご飯のスパイスの香りが好きって言っていたわ」
その『好き』は、匂いを楽しむというよりは食欲の領域ではないかと、カナタの眉がよる。それはともかく、目の前の女性はこの話を続ける気でいるらしい。
ならば、先の詫びも兼ねて答えておくかと、彼は口を開く。
「
……
白檀。香木の一種です。匂いが淡く、この無作法に伸びる木よりは甘さも薄い」
あえて金木犀を下げるような物言いをしてみたが、どうにも頭上で揺れる黄金の花に笑われている気がする。ゆるりとかぶりを振り、己の幻覚を振り解くようにして、
「袋に入れて持ち歩くことについては私は知りませんが、東方でも匂いをつけることはあります、着物とかにね」
「着物に?」
「ええ。香木の煙で焚き染めるんです。あまり、経験はありませんが」
「へえ、面白そうね。じゃあ、今度試してみようかしら」
早速新たな文化を自分の楽しみに取り入れるトゥーリの姿は、彼女流に言うならば『好き』を増やしていることになるのだろうか。自分は、まだ到底その領域には達していないのだろうが。
「帰る前に、金木犀の枝を譲ってくれる人を探してみようかしら。エレルトにも見せたいの」
「目に見えるようですよ、食べられるかどうかを訊かれるのが」
「そういえば、あの木の花は食べられるのかしら」
「
……
それも、聞いてみたほうがいいでしょう。下手なものを食べさせて、腹でも壊したら面倒ですから」
嫌いだからと全ての事柄から目を伏せていた自分よりは、少しだけ、顔を上げられている気がする。
顔を上げた先、トゥーリに寄せられる視線を通り過ぎて自分に向けられる目線が、前ほど痛いと感じることはなく。
通り過ぎる風に薫る匂いは、いつもより優しい甘さのような気がした。
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