みずあめ
2024-10-25 01:45:12
6054文字
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神麗

うららはお酒よわよわという設定です。可愛いので。

世界がぐらぐら揺れている。一度体勢を整えようと思ったけれど、体にうまく力が入らない。オレは知らない間に机に頭を乗せていて、片頬にひやりと冷たい天板を感じた。気持ちいい。けど、視界はまだめちゃくちゃで気持ち悪い。ぐっとキツく目を瞑ると少しだけマシだった。なんだこれ。体が熱い。
「あれ、麗寝ちゃった?」
「珍しいわね。……って、ちょっと、麗の前にあるグラス、お酒じゃない?」
「ん? あぁ、そうだな。麻波ってもうハタチにはなってるよな?」
「ギリギリね。でも寮の飲み会に参加することもないし、お酒飲んでるところは見たことない。俺と同じで飲めないタイプなんじゃない?」
「えっ、起こしてあげた方がいいやつです? 麗、大丈夫? 気持ち悪いとか、頭痛いとかない?」
頭の上からごちゃごちゃうるさい声を次々に投げかけられてもぐるぐる回っているような脳みそでは言葉を全然処理できない。うるさい、ちょっと黙ってろ。そう悪態を吐きたくても口は思うように動かず、誰かの手が俺の肩をぐらぐらと揺らして余計に気分が悪くなった。なんとか吐き出したのは「うぇ……」という情けない呻き声のみ。いっそのこと意識を失いたかった。
「部屋まで運ぶか」
「酔ってる時に揺らすのはあんまり良くないんじゃない? しばらく寝かせておけば」
「気持ち悪いなら吐いちゃった方が楽になるよ。どうする?」
たぶん一番近くで、ザワがオレに話しかけてる。いつもの跳ねるような騒がしい声じゃなく、気を遣ったやわらかい囁き声。熱を確かめるみたいに額に触れた手は冷たくて気持ちよかった。
「か、みや」
「へ? 神家?」
……新開、神家、呼んでこれる?」
「声かけてくる。なんだよ、コイツ、今の相棒にはちゃんと懐いてんだな」
「あら、私たちにだってちゃんと懐いてたわよ」
懐いてねーよ、誰にも。言い返したいのにやっぱりうまく声に出せない。なのにどうしてアイツの名前はこぼれ落ちてしまったんだろう。額に触れたザワの手が冷たくて、アイツの手を思い出したからだろうか。オレに触れる神家の手は、いつもひやりと冷たい。
しばらくの間、現実と夢とを行ったり来たりしていたオレの意識は、突然に飛び込んできた「お邪魔します!」というデカい声で現実に引き戻された。珍しく足音を立てて近づいてきた神家はオレのすぐ横に屈んだようだった。さっきのザワと同じように冷たい手がオレの頬に触れる。うぜぇ、触んな。いつもは反射的に飛び出す言葉が喉の奥でつっかえて、吐き出したのははぁと熱い呼気だけだった。
「麗、大丈夫?」
「う、っせ……
「ごめんごめん。起きれる? もう少し寝とく?」
……ん」
「わかった。じゃあもうちょっと休んでて。ごめんみんな、俺もちょっとだけお邪魔してもいい?」
……
……
……やだ、麗、本当によく懐いてるのね。ちょっと感動しちゃった」
「乾杯しよう! これはお祝いしないと!」
「神家も飲むだろ。グラス取ってくる」
「え、ありがと!」
「ついでに麻波にも水持ってきてやって。たぶんほんの少ししか飲んでないだろうから大丈夫だと思うけど。神家、麻波ってお酒飲むの?」
「いや、全然ですね。特務部はこういう飲み会やらないですし、寮飲みも麗は来たがらないから。ごはん一緒に食べる時もお酒は飲まないし、うーん、冷蔵庫にお酒入ってるのも見たことないから一人で飲むこともないんじゃないかな」
「仲良いんだな。はい、とりあえずビール」
「ありがとう。仲良いと、俺は思ってるけどー……麗はどうかな」
「いやいや、これはもうめちゃくちゃに仲良しでしょ。だってまず麗とサシごはんとか難易度高くない? 部屋にも簡単には入れてもらえないし」
「そうよ、今日の飲み会だって篠信の誕生日のお祝いに篠信がどうしても麗に来てほしいって言ってるからってお願いしてようやくしぶしぶで来てくれたんだから」
「あはは! でも麗、みんなと集まるの楽しみにしてたと思うよ。あんまり言うと怒られちゃうからナイショだけど、……ちょっと羨ましいくらい、みんなのこと大切に思ってる」
……神家みたいなヤツが麻波の相棒で安心したよ」
頭痛はだいぶマシになったけれど頭の上でされるやりとりは変わらず不快で眉間にグッと力が入る。薄く開いた視界では神家がいつも通りの間抜けなツラで強行部のヤツらと話してて、余計なこと喋ってんじゃねえよと心の中で舌打ちをした。
今すぐここを出て行きたかったけれど、まだ体にうまく力が入る気がしない。なんとか伸ばした手で神家の服を掴むと、こちらを向いた顔がへにゃっと緩んで大きな手のひらがオレの額を優しく撫でた。
「なんも言ってないって。怒んないでよ」
「チッ……ってねぇよ……もう、かえる……
「気持ち悪くない? あ、待って待って、ちゃんと部屋まで着いて行くって」
「うっせ……そのためにきたんだろ……
無理矢理起こしたオレの体にすぐに神家が手を伸ばした。遠慮なく寄りかかって体から力を抜いても神家が支えてくれている。大きく息を吐いてそっと吸い込んだ空気は神家の匂いがして、気持ち悪さが少し遠のく気がした。
「バタバタしてごめんね。麗、責任持って部屋まで送ります」
「よろしく。わざわざ呼び出して悪かったね」
「麗のことよろしくね!」
「送り狼にならないようにな」
「また今度ゆっくり話聞かせてちょうだい」
好き勝手言うヤツらから顔を背けて神家の体を玄関の方へ押す。わかったからと笑いながら言って神家は部屋の中に向かって「お邪魔しました! おやすみ!」と声をかけた。
部屋を出ると秋の夜のすこし冷たい風が火照った肌を撫でた。気持ちいいけど、ちょっと寒い。無意識のうちに慣れた体温に体を寄せてしまった自分にイラつきチッと舌打ちをした。
「麗、心配だから朝まで一緒にいていい?」
……てきとうなこと、いってんじゃねえよ」
「え?」
「しんぱいだから、なんて、いいやつぶって」
……そうだね。ただ俺が麗といたいだけ。体調良くなるまでは紳士でいるから、元気になったら教えてくれる?」
ンなこと言われて誰が教えるか、アホ。握った拳で神家の腰のあたりを殴ると大きな手のひらが俺の手を包み込んで、そのまま手首をそっと撫でた。ぞわっと鳥肌の立つ感覚に神家の顔を睨み上げる。
「俺のいないとこでお酒飲まないって約束してくれない? ほんのちょっとでこんなになっちゃうなんて知らなかった」
……おまえにかんけーねえだろ」
「うん、俺のワガママ。俺って結構ヤキモチとか妬くタイプだったんだってさっき気づいて驚いてるところ」
……かぎ、ポケットんなか」
神家がオレの言葉を求めていることは分かったけれど、オレはそれを無視してそう言った。神家の手がオレのポケットをまさぐり部屋の鍵を取り出す。鍵も扉も神家が開けて、電気が消えて暗い部屋の中へ二人で入った。
オレはまだ扉が閉まり切らずに月明かりが玄関を薄く照らす中で神家から体を離し、壁に体を寄りかからせて神家を見上げた。驚いた顔をする神家の胸ぐらを掴み、乱暴に引き寄せてぶつけるように唇を重ねる。
「くだらねぇことで妬いてんなよ。こっちがどれだけおまえに許してるのか、わかんねぇのかよ」
……わか、る」
「ごちゃごちゃ言ってねぇでオレだけ見てろ。……チッ、くそ、もう一生酒なんて飲まねぇ。なんだよこれ気持ち悪りぃ」
「あ、体調、大丈夫……?」
「全然大丈夫じゃねぇよ。頭ん中めちゃくちゃ……あー、くそくそ、まじでムカつく。神家テメェ今オレが言ったこと全部忘れろ」
「え、やだ。絶対覚えてる」
「全然本心じゃねえんだよこんなん。勝手に口が動くだけで」
「いつもは隠しちゃう本音が溢れちゃうってこと? 本当にお酒ダメなんだね。麗、意地悪なこと聞いてもいい?」
「絶対聞くな」
「俺のこと、好き?」
「ざけんな! 誰が言うかバーカ!」
「ふ、あはは、もう、大きい声出すとまた気持ち悪くなっちゃうよ? お風呂入ってからじゃないと寝ないでしょ? ちょっと落ち着いたら一緒に入ろう」
「なんで一緒に入るんだよ一人で入るわクソ」
オレが何を言っても神家は機嫌が良さそうにニコニコ笑っていて、電気をつけて部屋の中に入ってもそのままオレから離れない。ベッドに座るとなんでか神家もオレの隣に座った。
暑いから離れろ、と言おうと思ったオレは、自分の手が神家の手をぎゅっと握っていることに気がついて目を見開いた。は、だからコイツ、笑ってやがったのか。
……まじでもう絶対、一滴も酒なんか飲まねえ」
「ふ。さすがに何かあった時に心配だから、ちょっとだけ飲めるように練習しようか。俺、いつでも付き合うし」
「おまえがいるなら尚更飲まねえよ」
「酔って甘えちゃうから? っ、あははっ、怒んないで、ごめんごめん! はー、本当に可愛いな」
笑うとオレがキレるからか口元を手で覆い隠して、でもニヤけてんのが分かるムカつく目で神家はオレのことをじっと見つめた。枕もクッションももうむこうへ投げ飛ばしてしまったし、片手は神家に掴まれていて空いている片手だけで肩を押したところで効き目がないことは分かりきってる。
頭痛は消えて目眩もしなくなったはずなのに、神家の熱のこもった瞳で見つめられるとまた世界がふわふわ落ち着かなくなっていく気がした。
「麗、まだお酒抜けてない? ほっぺ赤いね」
ひやりと心地良い冷たさの神家の手が俺の頬を撫でる。オレだけ熱くなって、コイツはいつも冷静なままだ。滲んだ涙は酔っているせいか。アルコールなんてひとつもいいことがない。
「やっぱり心配だから、お風呂、一緒に入っていい? これは本当に心配だからのやつ。下心なし」
……ねぇのかよ」
……いま何%か下心になりました」
「ばーか。……気持ち悪いのは、もうへいき。頭も痛くない」
……元気になった?」
「かもな」
ぽつりと落とすような言葉でもこの距離で聞こえないわけなくて、心配そうな表情でオレの顔を覗き込んでいた神家は瞬きひとつで目の色を変えてオレの体をベッドに押し倒した。スプリングが軋み、整えてあったシーツが乱れる。
「先に風呂」
「うん、わかってる、けど」
……変な顔。ばっかじゃねえの」
「キスしてもいい?」
……
「わざわざ聞くなって顔だ。あってる?」
……テメェで考えろや」
「わかった、ありがとう」
いいとは一言も言ってないし顔にも出していないけれど、神家は勝手に解釈してオレに覆い被さりキスをした。ちゅ、ちゅっと音を立てて何度も重なる神家の唇は熱くて、伸びてきた舌に舐められたオレの唇もバカみたいに熱いから、重なってそのまま溶け合っていくみたいだった。いつもよりわけわかんないくらい気持ちいいのも、酒のせいか。神家がキスの合間に溢す熱い息すらオレの熱を上げる。
「ふろ、さきだって、いってんだろ」
「うん。ごめんね」
「っ、ばかかみや、とまれや!」
「わっ!」
キスだけで勃ちそうになってるなんて、言えるわけがない。ギリギリのところで神家を蹴り飛ばし、起き上がってベッドから離れる。神家はベッドの上でひっくり返ってパチパチと瞬きをしていた。
……うー、ごめん麗。こんなつもりじゃなかったんだけど、麗がすっごい可愛くて」
「人のせいにしてんじゃねえよ! 風呂入んないでベッド上がんの嫌だっていつも言ってんだろ!」
「はい、ごめんなさい……。反省してます……
……んで、どうすんだよ」
「え?」
「風呂! おまえも入んのか!」
「は、はいる! 入ります! すぐに!」
神家はパッと勢いよく起き上がり、犬のようにオレのところまで駆け寄ってきた。申し訳なさそうな顔は一転して散歩に連れてってもらう犬みたいにご機嫌な笑顔だ。躾のなってないバカ犬だけど。
……おい」
「うん?」
油断しきった様子の神家に手を伸ばし、後頭部を引き寄せてキスをする。コイツは無駄に背が高いからいつもオレが背伸びをしなくちゃいけなくてムカつくけれど、こうすればオレはほとんど動くことなくキスができる。ちろっと舌を出して唇を舐めると神家は驚いたように目を丸くした。まぬけヅラに胸がすく。いい気味だ。すぐに追いかけてきてこちらへ侵入しようとした舌にはがぶっと歯を立てた。
「いっ……!? 麗、噛むのはナシ……!」
「知らねえよ。もう終わり。ぐだぐだ言ってると部屋から追い出す」
「やだよ、朝まで一緒にいるから。もー、さっきまで素直で可愛かったのに」
「忘れろ。てか素直でもねえし可愛くもねえ。素直で可愛いやつがいいなら他を当たれ」
「わぁ、そうじゃないそうじゃない。麗がいいよ。素直でも素直じゃなくても、麗だったらなんでも可愛いし、大好き。麗じゃなきゃやだ」
……くだらねえこと言ってないでさっさと風呂」
「ん、お風呂、一緒に入ろ」
「無駄にくっつくな暑い」
「ごめんな、麗のこと好き過ぎて、麗といる時は体温高いんだ。慣れて」
「なんでオレが慣れなきゃなんねえんだよ。……つーか、おまえ、手はいっつも冷たいだろ」
「え? そう? そんなことないと思うけど…………あ、もしかして」
「あ?」
「麗が体温高いから俺の手が冷たく感じるんじゃない? そういえば俺も麗の手冷たいって思う時あるもん」
「は……
「ほら、赤いほっぺに当てたら普通の体温でも冷たく感じるだろ?」
ぴとっとオレの頬に触れた神家の手は、いつも通りひやりと冷たい。……じゃあ、なんだ、いつもオレの体温が高いから、コイツの手を冷たく感じるだけだって?
……もう寝る」
「え? お風呂は?」
……おまえ、今すぐ帰れ」
……帰ったら、麗、寂しいでしょ?」
誰がンなこと思うか。心の中で叫んだ言葉は口から出ていかず、代わりのように弱く握った拳で神家の胸を叩いた。すぐに神家の手に包まれて捕まってしまうことは分かっているのに。
「麗暑いの嫌がるし、俺の手が冷たいならよかった。熱冷ましにいつでもどうぞ」
……うぜえ。おまえも熱い時あるわ、アホ」
「そうでした。今とか、全然冷たくないかも。冷たい方が気持ちいい?」
すでにぬるくなっていた神家の手にそっと擦り寄り、はぁと小さく息を吐く。冷たければそれが心地良いことにできたのに、冷たくなくても変わらずその手に安心感を覚えるなんて。
「べつに、どっちでもいーわ」
……よかった。それじゃあたぶんこれから全然冷たくなくなっちゃうんだけど、熱い手で触っても許してね」
熱い手が、肌を撫でる感覚を思い出して顔が熱くなる。でも、今日は全部、酒のせいってことにしてしまえばいいか。オトナが酒を好む理由がほんのちょっと分かったかもしれない。酔ってるから、なんて理由を付けて、オレはそっと背伸びをした。