【カブミス】美しい人々

黄金城で令嬢たちに囲まれるカブルーを見て、嫉妬してしまうミスルンの話。

 お前は私よりずっと、美しい人々に愛されている。誰も傷つけたことのない人々に愛されている。お前が選んでくれた私を、大切にしなくてはいけないとは思っているんだ。でも、それができない。それができたのなら、お前は私だけを見てくれるかもしれないけれど、それができないんだ。
 
 
 久しぶりに黄金城に向かったその日は、薄曇りで天気が悪かった。すぐに雨が降りそうで、頬を撫でる風は生ぬるかった。足元は抜かるんではいなかったが、どこか湿気っていて、草原には朝露が残ったままだった。
 太陽は雲に隠れているから、今が何時かは測れない。女王から下賜された懐中時計は持っていたけれど、あえて確認する気にはなれなかった。でも雲の隙間から入ってくる光が傾いていることから、もう昼は過ぎて、夕方ごろなのは分かった。そろそろ、カブルーも仕事が終わる頃合いだろう。
 私は麦穂の収穫が終わった畑を歩く。そこには枝を剣に見せかけて冒険者ごっこをする子どもたちもいて、彼らはライオス王の伝承(そう、彼の冒険はもう気の早い吟遊詩人らによって伝承となっていたのだ)にならって、モンスターを倒す真似をする。そうして恐ろしいモンスターを口にして、美味い! と叫ぶのだ。それは面白い遊びだった。少なくとも、この国独特の遊びではあった。
 若き冒険者だった青年は悪食王とあだ名される勇猛果敢な王になり、だが統治は穏やかに行われた。この国の人々は、もしかしたら世界の誰よりもあの男を愛していた。自分たちを受け入れ、ゆりかごで寝かしつけられるように眠ることを許した心優しき王を、誰よりも愛していた。
 私は麦穂が消えた畑を歩く。もう、あたりには落穂拾いをしている未亡人たちもいない。村の人々は冬の支度に忙しく、保存食を土に埋める様子も見られた。
 そろそろ、冬がやってくる。肌寒い冬がやってくる。年中温暖なこの国にも冬がやってくる。私はここで暮らし始めて一年も経っていないから、それがどんなものかは知らない。けれどそれを愛しい男とともに暮らせることが、どうしても嬉しかった。
 今日黄金城に向かうのは、カブルーに会うためだ。約束は取り付けてはいないけれど、幸い私は通行証を持っていたから、自由に城に出入りすることができたのだ。彼はどうして私がやってきたのかいぶかるだろうか? 一応仕事中に食べろと、使用人に作らせたエルフ風の質素なクッキーがあるのだけれど、あの男は喜んでくれるだろうか?
 私はそんな不安を胸に城に向かう。門番の男は、私が取り出した通行証を検分して、鬱蒼とした空の下城へと通す。私はすぐに彼に会いたくて、でもそんなことを悟られるのは嫌で、まるで小間使いみたいにクッキーをカブルーに届けるべく広い廊下を歩く。
 私は彼に会いたかった。家で待っているのが苦しくなるくらい彼に会いたかった。取り繕った言い訳の菓子を持って城を訪ねるくらい、彼に会いたかった。
 
 
 螺旋階段を登り、宰相補佐に与えられた執務室の階にたどり着くと、どこからか甘い匂いが漂ってきた。甘酸っぱいジャムのような、庭園の花のような、そんな香りだ。それは私が袋に包んだクッキーの香りをかき消し、覆ってしまう。私はそれに少しだけ不安になって、カブルーの部屋を目指す。だが、そこで私が見たのは、思ってもみなかった光景だった。
 美しいドレスを着た令嬢たち、質素だが清潔な服を着た侍女たち、彼女は様々な装飾を施した菓子や、宝石がついた瓶に入った香水や、革で製本された珍しい本などを手にカブルーを囲んでいた。私はそれを見て、何も言えなくなる。だってカブルーは大勢に囲まれて、困ってはいたが穏やかに笑っていたからだ。私は持ってきた菓子を背の後ろに隠して、じっと彼を見つめる。胸がしくしく痛むのは、多分嫉妬だ。これも欲望の一つなのだろう。彼が呼び覚ましてくれた、そんな欲望の一つなのだろう。そんなもの、本音を言うと感じたくはなかったけれど。
 彼が美しい誰かと会うたび、私は嫉妬ばかりしている。彼に愛されているのは他でもない私なのに、それが分かっているというのに、そんなふうに嫉妬してしまうのだ。そして自分を卑下する。持ってきた菓子がちっぽけなものに思えて、彼に歩み寄れない。
 でも、カブルーは私を見つける。そして手を振って、美しい令嬢たちの間から歩み出す。侍女たちは解散し、彼の執務室の前にわだかまっていた人々の群れは思ったより早く解散する。そんなに、彼には興味がなかった? 一体どうして?
「ミスルンさん! 来てくれたんですね!」
 カブルーが手を振る。私は口をもごもごさせて、「そろそろ仕事終わりだと思ったから」と言い訳をして、でも、彼には菓子を渡さなかった。エルフ風の菓子は私は好きだったが、トールマンの口には合わないかもしれなかったし、さっき令嬢たちが手にしていた鮮やかなそれよりは劣るような気がしたから。
 甘い菓子の香り、かぐわしい香水の香り、そんなものに胸がしくしくする。私は彼女たちに嫉妬している。それにカブルーは私より美しい人々に愛されている。見た目だけではなく、心根の美しい、人も手にかけたことのない、優しく穏やかな人々に愛されている。さっきの令嬢たちだけじゃない、ライオスやそのパーティーの仲間たち、ともに迷宮に潜った仲間たちにも、お前は愛されている。私はそれを喜ぶべきなんだろう。少なくとも彼を愛しているのなら、愛しい男がそんな立場にいることを喜ぶべきなんだろう。それができないのは私の心が狭いからで、嫉妬という欲望が芽生えたからだった。
「どうしたんです? そんな顔をして」
 カブルーが笑って私の顔を覗き込む。しかし私はうまく自分の心のうちを言葉にできず、「少し疲れただけだ」と言い訳をした。でも、彼はすべてお見通しだったのか、こう言ったのだった。
「悲しそうな顔だ。俺が取られそうで怖かった?」
「そんなことはない」
「嘘だ。それにさっきの女の人たちは、俺目当てじゃありませんよ。みなライオスさん目当てです。どうやったら気に入られるか、聞き込みに回っているんです」
 じりじりと距離を縮め、カブルーは私に近づいてくる。
 それこそ嘘だ、それを口実にお前に会うんだ、とはあまりにも嫉妬がすぎたので言えなかった。それに、もうどっちでもよかった。カブルーは私にはおべっかを使わない。真実しか口にしない。だったら、彼を信じなくては。
「何かいい匂いがしますね。香ばしいな……。あ、クッキーですか? 俺のために持ってきてくれた?」
「どうしてクッキーだと……
 私の後ろに回り込んで、隠していた菓子をカブルーが覗き込む。「広げていいですか?」と尋ねて、そして素朴な菓子を目にして、口元をほころばせる。
「ミルシリルがよく焼いてくれたんです。最後に香辛料を一振りするから、独特な香りがして美味しいんですよね」
 懐かしいな、そうカブルーがつぶやく。そしてこう言う。
「せっかくだから執務室でどうですか? 美味しい紅茶があるんです。きっとクッキーにもあいますよ。仕事は片付けちゃったんです。だから二人きりのお茶会と行きましょう」
 私はそれに乗りそうになって、でも気遣われているのが嬉しくてたまらなくて、ちょっと彼に寄りかかりすぎた、わがままを口にする。
「菓子だけなら行かない。お前がもらえなきゃ行かない」
 その言葉に、カブルーが笑う。呆れられた気がしたけれど、一応私は真剣だったので、思わず彼の手の甲に短い爪を立てた。
「いたっ、ミスルンさん、そんなに女の人たちに嫉妬したんですか?」
「それは……
「もちろん言わなくても分かってますよ、それくらい。あぁ、積極的なあなたも好きだってこと、忘れてたなぁ……
 私たちはそんなくだらない会話をして、彼の仕事場である執務室のドアを開ける。そうして部屋の中に消える。
 廊下には甘い菓子の匂いと、かぐわしい香水の香りだけが残っただろう。でもそんなのものよりずっと、甘いものの中に私たちはいるのだ。
 お前は私よりずっと、美しい人々に愛されている。誰も傷つけたことのない人々に愛されている。私はそれを喜ばしく思わなきゃいけない。そしてお前が選んでくれた私を大切にしなくちゃいけない。今は私の分までカブルーが私を大切にしてくれるけれど、いつかは、自分を愛して、彼も愛したいって思う。それがきっと、愛し愛されるってことだから。